通夜2006/03/02 23:25

義理の伯父がなくなった。92歳。きょうが通夜で明日が告別式だが、私は明日は人間ドックの予約を入れているので出席できない。今夜、会社の帰りに通夜に出て焼香し、親族席に並ぶようにいわれたが明日の用意があるのでそそくさと帰ってきた。

従姉妹たちと義理の叔母がばらばらによってきて、叔母は私や母が写っている写真と、昔母が歌舞伎の土産に差し上げたという手ぬぐいをくれた。

血のつながらぬ伯父だが私の人生を構成するものの一部だった。葬儀のお手伝いが何もできないで申し訳ない。ご冥福をお祈りいたします。

人間ドック2006/03/04 17:52

金曜・土曜と一泊で済生会中央病院の人間ドックに行った。同じ病院で受けるのは今回で十三回目。 今回ははじめて私一人だった。最近はずっと女では一人、というのが続いていて控え室を一人で使えてのびのびしていたが、全く一人は初めて。控え室もずっと2の方だったが今回は1だった。それでも基本的なつくりは同じ。私が最初に受けた年は一泊は控え室のベッドだった。次の年から東京グランドホテルになり、一昨年から東京プリンスになった。病院の中で泊まったときは先生がまわってきて血圧の測定をベッドにすわったままやったので楽だった。ホテルになってからは一日目の検査が終わって3時頃ホテルに行くと、後は着替えて外出しても何しても自由になったのと夕食がホテルのレストランになったので病院食よりは良いのがいい。病院食もイクラやメロンがついて悪くはなかったがやっぱり病院食は病院食、という感じだった。

去年まで3年くらい続けて検査の後仕事を片付けるために会社に行っていたが今年はその必要がなかったのでホテルでテレビを見たりしてゆっくりした。グランドホテルのときはまだ近かったがプリンスになってからは片道30分くらいを往復してたので大変だった。

一日目。控え室でパジャマとガウンに着替えたあと、隣りのナース控え室で身長と体重を測る。また体重が増えてしまった。今年はその後検診室で聴力検査をした。その後、ブドウ糖負荷試験室へ行った。ブドウ糖負荷試験、というのが二時間くらいかかるので、午前中は主にここですごし、採血と採尿の合間に眼科と耳鼻科の検査に行く。この部屋にはテレビがあって、それを見ながら時間をつぶせるようになっている。何年か前まではもう少し広くて人間ドック以外で検査を受けに来ている人たちが何人もいっしょだったが、最近部屋が狭くなって人も減ったようだ。今回は検査を受けるのが私一人だった。

去年までは最初の採血の後採尿があったが、今年は朝置きぬけの尿を持参する容器を渡されてそれを提出するようになったので、採血だけして、その後すぐコップ一杯のブドウ糖を渡され、それを飲む。朝はそれまで何も飲めないので、サイダーみたいな感じでちょっと嬉しい。その後一時間は安静時間で、部屋の中で過ごす。毎年、本を持っていく。今年は「歌舞伎修行 片岡愛之助の青春」を持っていって、待ち時間に読んでいた。安静時間が過ぎると、採血・採尿の間に眼科と耳鼻科の検査を受ける。眼科では視力検査と眼圧を測る検査、眼底検査をする。いつもは目薬を二回さしてもらう。眼圧検査の前に一回と、眼圧検査の後で先生に二回目の瞳孔を開くための目薬をさしてもらう。今年は一回目のが省略されていて、たぶん忘れられたのだが、先生に言ったらそれはかまわないらしい。目薬を入れる前にコンタクトをはずしてそのままにするので、しばらくは物がよく見えないまま廊下を行ったり来たりすることになる。二回目の目薬をさした後はブドウ糖負荷試験室に戻って瞳孔が開くまで30分くらい待つ。その間にまた採血と採尿がある。眼圧・眼底とも異常なかった。その後の耳鼻科は喉頭内視鏡を通すときにツーンと来て涙が出るので一日目の検査で辛いものの一つだ。過去に1、2回は通す前にシュッと麻酔をかけて通されたことがあったが、私は麻酔が嫌いなのでこれはこれで怖かった。麻酔をかけないと痛いが、痛いのは一瞬で済むからいい。

耳鼻科の後、検診室で担当医師の内科検診があった。この先生が、何日か後にドックの結果説明もしてくれる。まず、血圧を測る。今回は上が134、下が80で問題なかった。前回は下がやや高かった。その後、聴診器で胸の診察をする。最後にベッドに横になって腹部の触診と脚気の検査をする。4年くらい前までのベテランの先生が膝をたたくと見事に足が跳ね上がったが、今回の先生もその前の先生もそのようなことがない。

レントゲン検査は午後の予定だったが、胸部レントゲン撮影とマンモグラフィーを午前中にやってしまうというのでレントゲン室に行った。胸部レントゲン撮影の後、女性の技師の人が、女性のレントゲン技師が今いないのでマンモグラフィーはできないから控え室に戻るようにと言ってきた。

それなので、控え室に戻って、まもなく来た昼食を食べる。メニューはご飯、味噌汁、カレイの煮付け、チンジャオロースー、酢の物、漬物、オレンジ。 食後は一時半まで、瞳孔が開いて読みづらかったが本を読んでいた。

マンモグラフィーは一日目は結局受けられないことになった。午後は最初に心電図検査室で検査をした。最初に、動脈硬化を見るということで、両腕と両足に血圧測定用の布を巻いて、脈波の検査をした。これは去年まではなかった。その後、普通の心電図検査をやり、次に踏み台昇降をして、その後でまた心電図を測った。終わってから検診室でウエスト、ヒップ、握力の測定をした。その後、肺機能検査のために生理機能検査室へ行き、肺活量をはかった。検査技師が「吸って吸って」「吐いて、吐いて」と調子をつけていうのが毎年おもしろい。これとか踏み台昇降とか、午後は運動系が多い。最後はオプションの体力測定。やらなくてもいいのだが、一応毎年やっている。リハビリ室で、脈拍が一定に達するまで自転車のペダルをこぐ。

これで一日目のスケジュールは終了で、控え室で着替えて担当の人が来るのを待つ。膝の具合が悪いので受信したいと言った整形外科の予定とか、夜の飲食の注意などの説明を受ける。いつもはタクシーでホテルへ行くのだが、今年は一人なので歩いていくと言い、タクシーは断った。

二日目。 ホテルから歩いて病院へ行き、控え室で着替えて迎えを待つ。最初は腹部超音波検診。これは横になって、言われるままに息を吸ったり止めたりしていればいいので楽な検査。次に婦人科へ行くが、時間が早くて医師がまだ来ていないのでしばらく待つ。呼ばれてからはエコーをとるのも早くてすぐに終わった。担当の人の迎えを待って、整形外科、乳がんの触診、マンモグラフィー、胃のレントゲン、と回った。整形外科では、問診の後ベッドに横になって具合の悪い方の膝の周りを押されたり、いろんな角度に曲げられて、それぞれ痛くないか聞かれたが特に痛いところはなかった。レントゲンを撮るように言われた。その後、乳がんの触診では特に心配ないと言われ、レントゲン室に回った。今回は最初に膝のレントゲンを撮った。最初は立って、悪い方の膝が出るようにパジャマをまくりあげ、足を開いて、悪い方に体重をかけてレントゲンを撮った。次に別の部屋でベッドに横たわって一枚撮り、次に壁によりかかって悪い方の足を傾斜のついた台に乗せ、自分でフィルムを持って一枚撮った。それが済んで外に出ると、すぐにマンモグラフィーに呼ばれた。左右の胸を二枚の板に挟んでレントゲンをとる。それぞれ横と縦に挟んで、計四回とる。板に強く挟まれるので痛いが、技師のお姉さん達はそれがわかっていて少しでも早く終わるようにしてくれているのがわかるので、私も我慢する。最初に受けたときは、「胸をそこに置いてください」と言われておどろいた。自慢じゃないが置くほどの胸はない。この器械は豊満な胸の西洋人の国で、痛さがわからない男性が開発したものだと確信している。私の貧弱な胸を板で挟むために必死に引っ張ってくれる技師の人が気の毒だ。その後で胃のレントゲン室に案内された。例年とは別の方向から入った。いつも入り口だけを見ていたが、あの先はこうなっていたのか、と思った。胃のレントゲン室の前で待っていると、胃の流れをゆっくりにさせる薬を打ちに来る。私はこれが恐怖だ。今まで何も障害はないので、この薬自体はもうこわくないのだが、間違って即死するような薬を注射されないかと恐れている。注射の後しばらくして、レントゲン室から名前を呼ばれて入った。私はバリウムを飲むのは全然嫌ではない。この検査が大変なのはゲップが出るのを我慢するのと、左、右と言われて一瞬に判断できない私が技師の「左から回ってうつぶせになって」というような指示に必死に従うことだ。今回は、最初に練習があって、「これが一回転です」とか言われた。ゲップを我慢すれば四分程度で済みます、とも言われた。途中で、「今までとても順調に行ってます」とも言ってくれたので励みになった。最後に、整形外科に戻ってさっき撮ったレントゲンを見ながら説明を受けた。老化により骨と骨の間のクッションがなくなっているので、腿の筋肉をつけて骨を支えるしかないそうだ。筋力をつけるために毎日やる運動というのを教えてもらった。

これで検査はすべて終了。医師の説明の日を予約し、11時すぎに朝食をとって帰宅した。朝食のクロワッサンとハム、千切りキャベツ、サニーレタス、バナナ、プリンは不動のメニュー。毎年、生還できたことを喜びながら食べる。

CPE2006/03/06 23:52

ケンブリッジ英検のCPEを今年の十二月に受けようと思う。何年か前にも暮れを目指して年の初めから勉強を始めたことがあった。指定図書を毎日少しずつ読んでいたが、仕事が忙しくなって続けられなくなり、その後は毎年決心がつかなかったし、きっかけもなかった。今回決めたのは、きょう来年度の給与の内示があり、そのときに来年3月までに何か達成する目標を決めるように言われ、語学の試験合格が目標でもいいかと聞いたらいいと言われたからだ。

過去問も買ってあるので、最初の何問かをやってみた。試験勉強から何年も離れてしまったので勉強の習慣がとりもどせない。リハビリが必要だ。

越路吹雪物語2006/03/21 01:10

3/20(月)日生劇場 夜の部(開演6時半)

舞台の出来そのものは垢抜けなくてやや低レベルだと思うが個人的にはいろんな意味で楽しめた。

越路吹雪の舞台を見たことはない。テレビで見るかぎり凄さはわからなかった。しかし舞台とテレビの違いを知る今になって考えると、舞台上でオーラを出す人だったのだろうと推測できる。

越路吹雪は私の母と同年代で、ピーターは私と同学年なので、子どもの世代が親の世代を演じているということだ。個人的には主演のピーターや岩谷時子役の高畑淳子が着て出てくるようなものを母も着ていたのか、と思いながら見ていた。脇役のダンサーたちは私の娘の年代なのだろう。ピーターと 同じか、それ以上の身長がありスタイルが良い。裾の広がったスカートも当時の日本人はチビで似合わなかったろうが、彼女達にはよく似合う。

私が生まれた年に着ていた、あの毛皮のコート。あんなものがあの時代の日本にあったのか?もしパリで買ってきたのだとしたら、1ドル360円の時代に、一体いくらしたものだろう。

ピーターには越路吹雪が持っていたであろうカリスマ性を感じない。そのせいか形態模写以上には越路吹雪を感じなかった。実物を知らないせいか、岩谷時子役の高畑淳子の方はこんな人だったんだろうな、と思った。黛敏郎もテレビで見たことがあるので、違和感があった。

越路吹雪についてはあまり詳しくないので話の内容はほとんど耳新しいものだが、一番の驚きは「ええーっ、マイク真木のお父さんて、越路吹雪の恋人だったのおーっ?」ってこと。ピーターも草刈正雄も私と同学年なので、その二人が恋人役なのはおいしい。キスもしてほしかった。

その恋人が主たる登場人物の一人であるのに、夫の内藤法美は名前しか出てこない。結婚する、というシーンの後、越路の死後の病室に一気にとぷ。 芝居の幕がしまった後、ピーターの越路吹雪としてのショーが始まる。はじめはかつてのものまね歌合戦を思い出したが、ピーターは歌はうまくないが(「夜と朝の間に」は好きだが)ハラで見せる。悪くなかった。途中で、「コーちゃん!」とかかる掛け声は舞台効果を考えて劇場側が仕組んだものかと思ったが、終演後、「昔を思い出して涙が出ちゃった」と話しているのを聞いて思わずもらい泣きしそうになり、掛け声はきっと往年のファンのものなのだろうと思った。自分の親の年代なので、越路吹雪が死んだ当時はそんなに早死にとも思わなかったのだが、今の玉三郎と同じくらいの年齢だったと考えるとファンの未練はいかばかりかと同情する。この公演は絶対見ない、という越路ファンがいるだろう。それはもちろんわかる。そして、フェイクとわかっていても「コーちゃん!」ともう一度叫んでみたいファンの気持ちもわかる。

岩谷時子作詞の「愛の讃歌」はオリジナルのフランス語の歌詞とは全然違うという批判を聞いたことがあるが、今回あらためてきいてみて、素直で女受けする良い歌詞だと思った。岩谷時子は私の中では越路吹雪より大物で、作詞家として独立して認識しているので、二人が親しい関係なのは知っていたが宝塚時代から続いていた関係だとは知らなかった。

歌舞伎座 昼の部2006/03/21 22:31

三月大歌舞伎 歌舞伎座 二十一日 昼の部 1階8列5番

11時開演なのに起きたら11時20分だった、という悪夢から目覚めて行った歌舞伎座。

1 吉例寿曽我

つまらなかった。休日の昼前に起きるのが苦手の私は昼の部の最初の演目は見ないことが多い。今回は愛之助が出るから例外的に起きて行ったのだが、見所がわからなかった。愛之助の方も、しどころがわからないのではないか。とくに盛り上がりもない立ち回りだ。化粧した顔は仁左衛門に似すぎている。役によってはそれもいいが、あの役であの顔では仁左衛門ファンとしてとまどう。化粧してもどうしようもない箇所が似ているからこそあそこまで似るのだろうが、本人オリジナルの顔が十分ハンサムなので、今日のような役は自分の顔を生かす化粧をした方がいい。相手役の進之介は金太郎のようで、ずっと好もしい顔だった。

2 吉野山

福助の静、幸四郎の忠信。逸見藤太は東蔵。

玉三郎と猿之助のときは綺麗だった、と思いながら見た。

逸見藤太が「荒川静香はイナバウアー」とやった。先月の千秋楽の「小判一両」以来、歌舞伎公演ではイナバウアーが大流行らしい。歌舞伎を知っている人間は皆、イナバウアーを見てエビゾリを思い出したろうから、無理もない。

3 道明寺

本日のお目当ての演目だ。前回見たときは、菅しょうじょうの木像の役は、仁左衛門の美貌が生きると思った。

最後の花道のひっこみのときにほほに流れている涙が見える。どうかすると鼻水まで見えそうな泣き顔だったのだが、その気持ちがあまりこちらに伝わってこなかった。ストーリーもよく理解していないし、役者の動きにしか感動しない人間なのかもしれない。

結局、今回は仁左衛門の美しさを楽しむことにした。花道に近い席にすわってときは、いつも顔を見上げて、その美しさに感動する。

コクーン歌舞伎 東海道四谷怪談 北番2006/03/27 00:05

2006年3月26日(日) 昼 11時半 開演 1階BR列1番

バルコニー席の1番前で見た。後援会の方が行けなくなったのを譲っていただいたもの。

四谷怪談は歌舞伎座で一度見たことがある。伊右衛門が幸四郎、お岩が玉三郎、直助が孝夫だったと思う。孝夫が伊右衛門でないことが非常に不満で、ストーリーはあまりよく覚えていない。ただ、直助は今回のように活躍する役ではなかった。今回勘三郎がやったような直助なら孝夫が直助でも全然文句はなかった。普通の四谷怪談よりも直助の部分の話が膨らんでいるような気がした。孝夫がやった直助は今回のような、ある意味悪役ではなかったような気がする。

お袖役の七之助はうまいと思った。伊右衛門に横恋慕する女の子役の子も背が高いし、この一座はスラリとした女形ばかりだ。橋之助は二枚目役をやるし、福助が出なくても七之助がかわりの女形をやるので、一族だけで主な配役を固められて便利だと思う。

穏亡堀のところで、青い衣装の黒衣が何人も横になっているのは何なのか始めは判らなかった。それが波に見立てたものがあることはしばらくしてわかったが、効果的か否かは疑問だった。しかし、人が川に落ちると下の黒衣たちがその人を運ぶのを見て、おもしろい手法だと思った。ほかには、伊右衛門と直助がそれぞれ人を殺した後のシーンで、お岩と直助の二役をやっている勘三郎が、後ろを向いてお岩の吹き替えの声だけやったのがおもしろかった。

お岩が出てくるシーンは暗くて嫌いだ。勘三郎だと、お岩がよけいに老婆のように見えて暗い。

最後のシーンは、サーカスのハシゴのようなものを伊右衛門が登って行き、人形が何体か舞台に大きくあけた穴の中に落ち、最後に直助が上からぶら下がる宙乗りがある。