亀治郎の会2006/08/04 23:14

2006年8月4日 午後1時開演 国立劇場小劇場 2列30番

今週三回目の「亀治郎の会」。 会社を午後半休し、観劇後また会社に戻る予定で出かける。 半蔵門駅をいつもとは違う出口から出たため、方向を180度勘違いして道に迷った。いつも国立劇場があるはずのところにないのだか、国立劇場がなくなるわけはなく、悪夢のようだった。劇場に入ったときは愛之助は既に登場していて下手側で段四郎と並んで立っているところだった。

前から二番目なので、顔はよく見えた。亀鶴が文字を書こうとして口にくわえるのは筆だと思っていたが、違う。あれは何なのだろう。私の席は上手の端の方なので、白旗が下がると愛之助の顔が隠れてしまう。 上手前方は、袖萩の芝居のときに遠く感じる。今回の三回の中で袖萩の芝居が一番よく見えたのは上手後方の席から見た一回目かもしれない。

傔杖が梅の枝で切腹し、先が赤く染まる。それを赤い旗と舞台上でとりかえて、貞任は最後にその赤く染まった旗を首と方に掛ける。貞任は勇壮だが、手を見ると愛之助の手とは違って華奢。

実は貞任と見破られ、顔の表情も変わって衣装がぶっかえる。ぶっかえりの衣装を見ると、中にあんなに着込んでいたんだと驚く。 このくらいの至近距離から見ると貞任が袖萩の声で台詞を言うとき、後ろ向きのあごがやや震えているように見える。

愛之助の台詞は「さ~ら~ば~」で終わり。芝居の最後でお君が愛之助の傍らに来る。お君になりたい。愛之助の伽羅千代萩の細川勝元のような台詞を聞かせる役が見たい。

二つ目の演目は瓜生山のときとは違う「天下る傾城」。花魁姿の亀治郎が、かむろ二人を連れて花道から出てくる。かむろの一人は扇乃丞さん。ふけたかむろだが、この人踊りがうまいのだろうと思った。 傾城とかむろが踊った後、傾城が二枚の扇子の間に鈴をはさんで、上に赤い牡丹と獅子の毛のような飾りのついたものを右手に持ち、鏡獅子のような動きをする。この後、絶対毛振りをやるんだろうと思ったら案の定やった。そんなにむきになって何度もやる毛振りというのではなかったが。最後に、左右の立役二人がトンボを切って幕となった。

舞台の盛り上がりという点では宙乗りの方が上だろう。この演目自体にも復活するほどの魅力は感じなかった。亀治郎の踊りの力量を見せ付けるものでもないし、中途半端。

休憩時間に買ったプログラムには例によって亀治郎自身の写真がいっぱい出ていたが、欧州公演の写真もたくさん載っていたので海老蔵の写真がたくさんあって嬉しい。ジャズピアニストとの対談も載っていて、会社の人に見せたら顔が広いのに感心していた。

松島会2006/08/19 22:34

2006年8月19日 国立劇場大劇場 午前11時~午後9時 自由席

最後に愛之助が出る「万歳」があるので、それ目当てに「松島会」に行った。

開演の11時を10分くらい過ぎたところで国立劇場に到着。タイムテーブルを見たら最後の演目が終わるのは9時をやや過ぎた時刻。この後に予定していた化粧品店のお手入れ会にキャンセルの電話を入れた。

最初の演目は女性三人の三番叟で、次は小学生二人の胡蝶の踊り。ふと、新之助の胡蝶の踊りを思い出した。次は小学校二年生の女の子の「手習子」。なかなかうまいが、日本舞踊って、どうしてこんなに色っぽい内容のものばかりなんだろう。「言わず語らず~」とか。 大向こうが複数いて、踊っている人の名前を必ず呼ぶ。プロに頼んだと見た。

次の演目「舞妓」には高麗蔵さんが出た。きょう買ったプログラムに高麗蔵さんが寄せていた挨拶文で、高麗蔵さんが昔の新車なのだと知った。昔、イケメンの新車というのがいたが、最近はどうしてるんだろうと思っていたのだ。

9時までいるのでとりあえず食料を確保しようと売店で大福とおにぎり弁当を買った。特に食事時間は設けられていないので、自分で見ない演目を選ぶ以外ないのだ。

「松・竹・梅」の舞台装置が綺麗だった。「越後獅子」と「俄獅子」に出ていた中村梅之と中村梅秋はよかった。(今、ネットで検索して中村梅之さんのサイトを見たら、萩尾望都のことが書いてあった。こんなところにも萩尾さんのファンがいたんだ。私が「トーマの心臓」を読んだときよりも後に生まれた人なのにねえ。)とんぼをきったり、獅子舞の足になったり。

うまい踊り手かどうかはプロク゜ラムを読んでいてはわからない。自分の目で見なくては。綺麗だ、うまい、と思う人たちが何人かいた。この演目は人を選ぶな、とか配役が逆の方がニンなのではないか、とか、この人は玉三郎のDVDを見て研究してるんじゃないか、とかいろいろ素人らしい感想を持った。

娘道成寺はいつも玉三郎を思いながら見る演目だが、きょう踊った人はうまかった。「言わず語らず~」のあたりは会場の視線を一身に集めていた。着物の引き抜きは歌舞伎で見るときのように一瞬で変わる!という感にやや欠ける。歌舞伎はもっとショーだということか。

「団十郎娘」は「日本一の成田屋に惚れた私がなぜ悪い」という歌の文句が気に入った。

最後から二つ目の演目の前に、席を中央の前から7番目あたりに移動。帰った人もいるので空席ができたのだ。

最後の「万歳」は、「漫才」で、愛之助と家元は万歳の太夫のいでたちで花道から出てきた。先に愛之助が出てきた。きょうも仁左衛門似の顔。今では、あの仁左衛門似の顔が愛之助の顔であると私の頭の中では定着してしまった。前に座っていた人たちが「仁左衛門・・・・・」と話しているのが聞こえた。踊りだけでなく台詞もあり、鼓も叩いた。マイ鼓を買おうかと思うほど鼓は気に入ったと愛之助の本に書いてあったが、腕の方はたいしたことはなかった。愛之助のマジックは、最初は二本の瓶の間に入れた扇子を瓶を倒さずに引き抜く、というもの。見事に成功したが、実はつながっている瓶だった。もう一つは、傘の上の玉まわし。でも、傘と玉をつなぐ糸が見えている。客席から指摘され、「え?」という愛之助。玉をまわし始めるが、結局糸が傘に巻き付いて玉が動かなくなってしまってばれる。 最後は家元と愛之助が交互に踊って、幕。楽しい内容だし、舞台中央の愛之助の顔がよく見えたしとっても満足できた。

鶴八鶴次郎2006/08/27 18:12

2006年8月27日 三越劇場 午前11時半開演 2階D列3番

玉三郎が出ていた頃は何回か見たことがある新派だが、もう10年以上見ていなかった。好き合っているくせに喧嘩ばかりの芸人という「鶴八鶴次郎」のあらすじに興味があったのと、「西太后」で舞台俳優であることを認識した風間杜夫が見たかったので行った。

新派の演目は女主人公が中心のものがほとんどで、相手の男の役がバカに思えるのが嫌なのだが、「鶴八鶴次郎」は珍しく男が中心。それでも、婚約しながら嫉妬のために喧嘩別れするシーンは男がバカで、年齢は二十そこそこに設定しないと共感が得られないと思った。

風間杜夫は楽屋で贔屓筋の若旦那に「さいですか」とかそっけない応対をするときに心底おかしいと感じない。花柳章太郎にあてられた役だから、花柳が言えば本当におかしい台詞だったのだろう。波野久里子は風間杜夫より演技が安定している。

互いに意地っぱりで喧嘩ばかりしている二人の恋には少女漫画のような甘さがある。ただ、最後、芸に生きようとする女をとどめるために心にもない言いがかりをつけてまた喧嘩別れをする鶴次郎。それを人に打ち明けて泣いて幕。立派といえば立派だが、鶴八は今回は思いとどまってもまた芸人に戻りたくなるだろうし、芸のためなら別れてもかまわないと思っているような夫とこの先末永くうまくやっていけるとは思えない。いろいろ後日談が想像できる話だ。

休憩の後、浪曲か義太夫かあるいは別の何かなのかわからないが、子供の頃何度もきいた「妻は夫をいたわりつ夫は妻にしたいつつ」で始まる壷坂霊験記をきいた。目の見えない夫が、腹痛の薬を家から持ってきてくれないかと妻に頼み、その間に自分は谷に落ちて死ぬつもり、という話だったのか。少なくとも全体をきいたのは大人になって初めてだったので、はじめて話を理解した。

三越劇場は前にも行ったことがあると思うのだが、今回は2階だったせいか天井のステンドグラスなどが珍しくてしげしげと眺めた。