三越カルチャーサロン 歌舞伎おもしろ講座 第三回2006/12/21 23:16

小道具の一部

2006年12月17日

顔見世を見るために京都に向かう新幹線に乗る前、午後1時から三越で「歌舞伎おもしろ講座」の最後、「歌舞伎を飾る小道具について」を受講。講師は藤浪小道具の常務取締役の湯川さん。経歴から推測して七十五歳くらいの方だろう。 愛之助が目当てで受講した人が多くて今回は受講者が少ないかもしれないと予想したのだが、私の目には前回とそんなに変わらない数に見えた。メンバーが入れ替わった感じ。前回いた人で明らかにいない人と、前回は見なかった人がいた。歌舞伎は好きだが愛之助に興味なくて前回欠席の人もいたのだろう。

終わったあとなら道具の写真をとってもいいと言われたので、机の上にあった道具の写真をとった。お地蔵さんは、四谷怪談で使うもの。今はお地蔵さんになっているが、はじめは赤ん坊で、下のひもをひっぱると一瞬にお地蔵さんに変わる。頭はぜんまい仕掛けでまわり、胴体の方はネズミ捕りのバネだそうだ。

今回はA4二枚のレジュメが最初に配られ、話は一応これに沿って進んだ。 私の話は余談が多くて」と、2時半に終わる予定の講座が3時15分まで延びたが、「歌舞伎オタクでどうしようもない人生」と言い、「歌舞伎を愛する人は正常な考えを持っている人が少ない」と明言するこの人の話を私は永遠にでもきいていたかった。

私は歌舞伎について「勉強」したことがなく学術的な背景については知識がない。「くにちかの絵」「ちゅうけい」なと゜、ひらがなでメモをとるしかない。

こんな内容でした。

日本の芸能は神代の昔にさかのぼる。最初は天照大神が天岩戸に隠れたときのアメノウズメのミコトの踊り。古事記の原文では「ホトもあらわに踊り狂った」と書いてある。(「ホトとは・・・」と、昔は女性はパンティーなどはいていなかった、と白木屋の火事の話になる。)アメノウズメというと私は「火の鳥」のアメノウズメを思い浮かべる。神楽が日本の音楽(芸能)の最初、ときくと「バルバラ異界」を思い出す。

士農工商より下の人達が歌舞伎を作った。武士は能。幕府は能、狂言を保護した。

必ず正月は三番叟をやる。三番叟で舞台を清める。 今はスターシステム。正月は役者の得意な芸をやらしてくれる。昔のシステムで三番叟をやるのが少なくなった。三番叟は能の翁からとった。

阿国歌舞伎の○○をになっていた猿若勘三郎が江戸に来た。

日本の文化は武士の文化ではなく庶民の文化。

センザイの中啓は朱のつまどり

正月には江戸では曽我兄弟の仇討ちものをやることが多かった。江戸っ子は判官びいきだから。最近は曽我兄弟といってもわかっている人が少ないので、正月に曽我兄弟の仇討ちものをやるというしきたりもない。残っているのは舞踊。曽我舞踊「正札付根元草摺引」では逆(さか)おもだかの鎧。ボール紙に縮緬を張ったよろい。

蛇皮線が伝わり、三味線ができたことで日本の文化がひらけた。

歌舞伎では男は外また、女は内またで歩くが道成寺の所化の役は中性扱いで左右の足を平行にして歩く、と聞いたので、おっこれから観に行く演目のチェックポイントができた、と感激。 佐藤忠信の刀剣もおもだか屋型は菊五郎劇団にくらべて長い、とか吉野山の静御前のときがさもしゃばり(紗張り?)のものを使う人と黒塗りのものを使う人がいて流派によって違う、とか他にも顔見世観劇のときチェックできそうなことを教わった。