はじめての能・狂言2008/02/02 19:17

2008年2月1日 紀尾井ホール(小) 午後7時開演 7列4番

タイトルから、鑑賞教室風なものを想像していたが、むしろミニ三響会と言っても良いような面白さだった。

私が行った7時からの夜の部は大鼓の亀井広忠(昼の部はお父さん)、能の大島輝久、狂言の茂山逸平が出演。

第一部

最初に広忠が出てきて大鼓の説明をした。調べ、胴といった用語を初めて知った。指のカバーは和紙でできているそうだ。能楽の囃子はたった4人で、世界最少のオーケストラ。15分やれと言われたそうだがそんなに長く話すことはなく、大島、逸平が登場。

広忠は好きなことを言っていて脱線も辞さないタイプに見えるが、大島は話をきちんと運ばなければいけないと思うタイプのようだ。一人でレクチャーやっても平気そう。四十くらいの人かと思ったら広忠より年下で意外。三人で舞台に正座してトーク。幼少の頃の稽古の話から。大島は初舞台は二歳十一ヶ月の時で、他の2人も三歳くらいで何も覚えてないそうだ。子供の時は舞台でじっと動かずにいるのが辛かったという。広忠が一番辛かったのは父の後ろでずっと座っている後見だったそうだ。「俺が倒れたらお前がかわりに打て、と言われたって小学校二年くらいでは打てる曲もないし・・・」。舞台上で楽譜を見ながらやるわけではないので暗記が大変だそうだ。能は謡の文句を一字一句間違えずに言わないといけないが狂言は同じ意味なら変わっても良いそうだ。逸平が言うには、自分のところで大変だったのは、「なんでビャッとでけへんのや」のような祖父の言葉を理解すること。鼓が大変なのは、同じ曲でも流派によって打ち方が違ったりするので各流派のものを全部覚えなければならないこと。お囃子と能は白足袋だが狂言は黄色。違う理由について、広忠は革足袋の名残りだろうと言ったが、逸平は、若い狂言師たちの意見として狂言方が演じる人物がその時代に足袋を履いていなかったからではないかと言った。逸平は、能の演目に狂言方が出るとき、ワキもツレもやりたくないことを狂言にやらせてるのではないかと思うと言った。道成寺の鐘をどうして狂言方が吊らなくてはいけないのか、あんな大事なものなのに、と。大島は「昔は失敗したら切腹ですからね」。

広忠がひっこんで大島と逸平が、能と狂言の違いについて実演した。2人の体型と顔の大きさが対照的。

まず、能の構え。横を向いて、身体を限界まで前傾させ、そこから上半身だけ垂直にまっすぐにする。正面に向き直って、ひじを外に向け、その下の腕はしぼる。狂言は基本的には肩幅と同じくらいに足を開いて「グッと立つ」。腰を少し落とし、両手は鼠径部の前に置く。

すり足もやって見せてくれたが、このホールは前列の観客の頭が舞台の上に出るので足がよく見えなかった。能は面をつけるので実際的には何も見えないような状態で演技するため、身体が上下左右に動いてはいけないらしい。「歩く歩道で移動しているように見える」といわれるような状態だそうだ。狂言の方は「土踏まずをつけて歩け」と言われるそうだ。

喜多流には狐足というのがあるそうで、それもやってくれたのだがよく見えなかった。逸平は「すごい、狂言を越えてる」と言って狂言の方の狐の歩き方をやって見せた。狂言は狐の場合四つんばいになったりするが、能ではそれはやらない。狂言の狐の歩き方は特に狐っぽくは見えないが、逸平が「曲がるときには足を上げる」と実演するのを見ると、確かに四足の動物の雰囲気が出ている。

2人で並んで泣いて、泣き方の違いを見せてくれた。狂言は「へー」と声を上げて泣き、能は手を顔の前にかざすだけ。笑い、というのは能にはないそうで、ただ晴れやかな気持ちをあらわす、扇を動かしてする仕草があるそうだ。狂言は「はー」と笑う。

扇子の使い方にも違いがある。狂言はいろいろなものに使い、時には壁になったりもする(と言って広げた扇を顔の横につけるような仕草をする)。能では太刀として使うことが多い。大島は扇を持って鳥を矢で射落とす動きをして、「このときは扇を弓、矢、獲物として使っている」と言った。

能と狂言には同じ演目があり、また能の演目をパロディにしたものが狂言にある、ということで、能の「頼政」と、そのパロディ「通円」の対応する部分を大島、逸平の順で語った。「通円」はお茶を点て死にする人の話だそうだ。内容はよくわからないが、なんとなく似通っているように感じた。

最後に、2人で扇を広げ、先ず大島が能のスタイルで酒を逸平が広げている扇の杯に注ぎ、逸平が狂言のスタイルで飲み干し、次に逸平が狂言のスタイルで大島の扇の杯に酒を注いだ。能には飲む仕草はなく、ただ、扇を閉じたら「飲んだ」という意味なのだそうだ。

この後、広忠が再度登場。「海女」の玉の段というのが能にも狂言にもあるそうで、広忠の伴奏で、大島と逸平が同時に能と狂言の動きを見せた。広忠が大鼓を打つだけでなく、うたった。珍しいものを聴かせてもらって感激した。


15分の休憩をはさんで第二部。

最初は一調。逸平の「放下僧(ほうかそう).」と大島の「八島」。その後、逸平が「独り松茸」という一人でやる狂言をやった。

最後に、また三人で正座。6月12日に紀尾井ホールの、今度は大ホールで、広忠の出る能楽囃子のコンサートがあるという。その日は自分の誕生日だと逸平が言ったので広忠が「東京に来る?」とさかんに勧めていた。

予想よりずっと面白かった。特に第一部が。何と何は比較するとこう違う、というのを示してもらうのが私の嗜好に合う。能・狂言の研究者のような人に基礎知識を順序立てて教えてもらうより、あまり秩序はなくても実際に舞台に立っている人に実演もまじえて経験を語ってもらう方が面白くて、また舞台を観ようという気にもなる。

二月大歌舞伎 夜の部2008/02/16 21:13

2008年2月13日(水) 午後4時半開演 歌舞伎座 1階5列37番

4時少しすぎに歌舞伎座に行ったが、昼の部の終演が4時5分だったらしく、中に入れたのが4時15分だった。きょう観たいのは鏡獅子だけだったので、他の演目は寝ても良いつもりだった。

「壽曽我対面」

全体に衣装も演技もくすんでいてつまらなかった。後ろに並んでいる役者たちも含めてうまい人たちが気を入れてやらないとただ退屈なだけの演目だと思う。途中で眠った。

「初代松本白鸚二十七回忌追善 口上」

口上に並んだのは下手から吉右衛門、染五郎、幸四郎、松緑、雀右衛門。 幸四郎が、白鸚の思い出話をした。病院のベッドで家族が白鸚の身体をさすっているときに、お母さんが昔巡業先にバレンタインのチョコレートを送った話をして「あれはどこだったかしら、忘れちゃったわねえ」と言ったら、それまで目をつぶっていた白鸚が目を開いて「松江だよ」と言ったそうだ。

私の知人は、白鸚を知っている人から「神様のような人」と聞いたそうだ。

「熊谷陣屋」

何度も観ているのだが、仁左衛門の熊谷でも観たのだが、面白さがわからない演目。仁左衛門の時は花道の近くで仁左衛門を見られたのでそれだけは嬉しかった。幸四郎の熊谷は真摯に演じているように見えない。ただ上手い役者に見えることだけを考えて演じているように見える。でも全然うまくない。世話物をやっているのを見ているときは、幸四郎のメインの役じゃないものをやってると思っていたが、そういう世話物の役の方がずっとましだった。

「春興鏡獅子」

染五郎の弥生は綺麗だが踊りは冴えなかった。これの前に見た弥生は去年の7月の愛之助だが、愛之助の弥生には有無を言わさず「これはこういう踊りなのっ」と観客をねじ伏せる線の太さがあった。あれはあの日一日限りで愛之助も思い切ってやっていたからかもしれないし、また、女形をやることに慣れているからかもしれない。染五郎は女形としての自分に自信がなく、それで観ているほうも何となく不安を感じるのかもしれない。

その点、胡蝶の2人の方が自信を持って嬉しそうに踊っているように見えた。小さい方の子、梅丸じゃないほうの子は名前は知らないが踊りが好きなんだろうと感じられる踊りで、とてもよかった。

獅子になってからの動きは良かった。船弁慶の静と知盛のときと同じだ。

2008年5月南座の三響会のチラシ2008/02/24 20:45

松竹座に、今年の五月に南座でやる三響会のチラシが置いてあった。今年は昼夜別の演目だ。

チケットは4月15日から電話、ウェブで受け付け開始。

日時: 

5月27日 昼14時開演 夜18時開演

5月28日 昼13時開演 夜17時開演

昼の部

一、 能と歌舞伎による「竹生島」

竜神 亀治郎、弁財天 孝太郎、 都人 梅枝

笛 福原寛、小鼓 田中傳左衛門、大鼓 亀井広忠、太鼓 田中傳次郎、長唄 杵屋利光、三味線 今藤長龍郎

二、舞踊・狂言・歌舞伎 「月見座頭」

座頭 藤間勘十郎、男 茂山逸平、男 中村壱太郎

囃子 田中傳左衛門 傳次郎、長唄 杵屋利光、三味線 今藤長龍郎

三、能楽と歌舞伎による「船弁慶」

静 片山清司、知盛 染五郎

笛 一噌幸弘、小鼓 田中傳左衛門、大鼓 亀井広忠、太鼓 田中傳次郎、地謡 観世喜正、長唄 杵屋利光、三味線 今藤長龍郎

四、 能楽「安達原」

シテ 観世清和(28日) 観世 銕之丞(27日)、ワキ 福王和幸、アイ 茂山千之丞(28日) 茂山宗彦(27日)

笛 一噌幸弘、小鼓 吉阪一郎、大鼓 亀井広忠、太鼓 前川光範、地謡 片山清司 観世喜正

夜の部

一、狂言「五人三番三」

三番三 茂山正邦、宗彦、茂、逸平、童司、  舞台番 千之丞、鈴渡し 孝太郎

笛 一噌幸弘、小鼓 田中傳左衛門 傳次郎、大鼓 亀井広忠

二、能楽と歌舞伎による「船弁慶」

静 観世喜正、知盛 染五郎

笛 一噌幸弘、小鼓 田中傳左衛門、大鼓 亀井広忠、太鼓 田中傳次郎、地謡 片山清司、長唄 杵屋利光、三味線 今藤長龍郎

三、歌舞伎「安達原」

老婆実は安達原の鬼女 亀治郎、祐慶 梅枝、強力 染五郎

笛 福原寛、小鼓 田中傳左衛門、大鼓 田中傳八郎、太鼓 田中傳次郎、長唄 杵屋利光、三味線 今藤長龍郎

坂東玉三郎 特別舞踊公演2008/02/24 22:51

2008年2月24日 午後2時開演 松竹座 1階5列25番

一、「連獅子」

きょうは行きの新幹線が強風のためにしばらく停止し、運転再開してからかなり取り戻してはくれたのだが着席したときには海老蔵と右近はすでに舞台で踊っていた。

右近もずいぶん大きくなったと思ったが海老蔵と比べるとまだはっきりと小さくて仔獅子。袖口に下着の赤い色が見えているのがかわいい。踊りは右近が特別にうまいとも海老蔵が下手だとも思わなかった。海老蔵はうまいとは思わないが真面目に踊っていて良いと思った。うまく見せようとも自分だけ目立とうともしていなくて、この人は年下の子には優しいお兄ちゃんタイプなのかもしれない。仔獅子を蹴る動作なども海老蔵らしく力強くて良かった。

二人が引っ込むと宗論になる。僧の役の竹三郎が出て、その後もう一人の僧の薪車が出る。二人とも真面目そうで、それでも滑稽味があってよかった。

きょうは、小鼓の傳左衛門がかなり大きく吼えていた。海老蔵の獅子は美しくて立派。仔獅子の右近は花道から後ろ向きに引っ込むスピードが速い。この親子は、父親がまだ若くて力強く、子供は必死について行こうとしている感じだった。最後の毛振りは二人とも綺麗だった。見ていて「あの毛の振り方で良いのだろうか」と考えてしまうのは、きっと下手な毛振りなのだ。最後は海老蔵はビュンビュン振り回していたが、時には息子のことも忘れて突っ走ってしまうような若い父親らしくて良かった。

「京鹿子娘二人道成寺」」道行より押戻しまで

二人道成寺を観るのはこれで三回目だが今回は押戻しがついている。海老蔵の押戻しは力強くてとても良かった。衣装も奇抜で視覚的に楽しいから、あっても良いが、なくても良い。

菊之助は顔に菊五郎や梅幸の面影を感じるようになった。花道を出てきてスッポンのあたりで踊っているとき、スッポンから玉三郎が出てくるのだとドキドキしていたが、ドロドロと鳴って、玉三郎が出てきた。顔を見てると、この人は「客はみんな自分を見に来てる」と確信してるんだろうと思える。しばらく踊って玉三郎だけまたスッポンから引っ込み、菊之助だけが所化達と問答をする。独特の声。

今回の所化の中で私が顔を知っているのは扇之丞と純弥。きょうは純弥がマイ尽くしをやったので期待したが言い方が遅かったのが、「これでおしまい」まで行く前に所化の先頭の人から「むこうの準備もできたようで」と巻きが入ってしまった。

赤地の着物に金色の烏帽子の二人が登場。玉三郎は烏帽子をとって上の綱に烏帽子の紐をひっかけたとき、片方の紐しか引っかからなかったので烏帽子が舞台に落ちた。後で出てきた後見の功一が烏帽子を三宝に載せていた。

傘を持った踊りは菊之助が,恋の手習いは玉三郎が、それぞれ一人で踊るのは前回と同じだ。「誰にみしょとて」の歌は一月の源氏店で藤八役の松之助が歌っていたが、「おお嬉し」まで歌詞の中にあるのだときょう聞いていてはじめて気づいた。

二人で水色の着物を着て踊るときはちょっとレズっぽい雰囲気が出る。女(?)相手でも色っぽい玉三郎。手まりのときは菊之助が大きく円を描いて動くし、黄色い着物で首から太鼓を下げて踊るときも、舞台に前後に並んで海老反るときは菊之助が手前にいて大きく反る。そんなところに玉三郎の年齢を感じてさびしくもなるが、それでも圧倒的に美人で色っぽい。菊之助は綺麗な着物を着た女を演じて踊ってるのかもしれないが玉三郎は女を演じてなんかいない。玉三郎が綺麗な着物を着て踊ってるだけだ。

二人で踊っているときは菊之助はあくまでサブなので、紫の着物で一人で踊ったときが一番のびのびして菊之助らしさが出ていたと思う。この人も瑞々しい若い子ではなく年増女になってきた。引き抜きで白地の着物になり鈴太鼓を持って踊るところは、前回は途中から玉三郎が参加して、その参加するときがお姉さんぽくて好きだったのだが、今回はなしだ。最後の鬼なんかやらなくて良いからここを踊って欲しかった。

鐘に菊之助が入り、出てきたのは鬼女で、それは玉三郎。去年の暮れの紅葉狩を思い出す。あれはもう観たくない。 スッポンから鬼女の菊之助も出てきて、その後押戻しの海老蔵で出てくる。海老蔵の華にも負けないような派手な衣装に、長い刀を2本差して、青竹まで持っている。派手で力強くて海老蔵ぴったりの役だった。

菊之助と玉三郎の鬼女が鐘の上に登っての最後は玉三郎の顔を見るように努力したが時々横目で海老蔵を盗み見た。

エコールドロイヤル講演会 「愛之助 上方にかける」2008/02/25 23:56

2008年2月25日 大阪リーガロイヤルホテル ロイヤルホール(タワーウイング3階)

道に迷うのを怖れて行きは淀屋橋から、帰りは大阪駅までシャトルバスに乗った。タワーウイング3階に着いたら列ができていた。

聞き手の古沢さんという人はロイヤルホテルの人らしい。先にこの人が出てきて「私のように歌舞伎についての知識の乏しいものが・・」とか何とか挨拶するのが短時間にもかかわらず苛立たしく感じた。「みんなで何と呼びましょうか、松嶋屋? 六代目? ラブリン?」 ときいて、結局みんなでラブリンと呼ぶと会場の後ろの方から愛之助がB'zの曲にのって登場。

古沢さんは平成若衆の「義経と知盛」が初歌舞伎というから本当に歌舞伎歴は浅い人で、歌舞伎について深い質問はしなかった。覚えていることをランダムに書いておく。

きょうは孝太郎がテレビに出るそうで、席についてすぐ「(皆さんは)見られなくて残念ですね」と言った。

自分は博多でやった時に二階席ががらがらだったこともあるので日が近づくにつれ心配になった。博多のお客さんは花道を歩いてると「らぶりん、こっち向いて」とか言う。客席から「刀のびてないよ」と言われ「いや、大事ない」と答えて続行。

去年7月の鳴神の代役について。実は橋弁慶が体力的に大変。大口と呼ばれる袴をはいて背中に木の板を入れるような大変な拵えで出て行ってしばらくして引っ込むので、意味があるのかと思うが、意味はあると言われた。また出て行って薙刀を振り回すのも大変。松竹座ジムみたい。「渡海屋・大物浦」の相模五郎は同じ役でも拵えが全く違って二役のよう。最初は顔もトノコで、次に出て行くときは白塗りで額に髑髏をつけている。夜は深刻な顔で引っ込んだ半九郎の後、「身替座禅」の太郎冠者で出た。

蝉しぐれ。小説の方が良いだろう。子役もやったが相田しょうこちゃんだけその年に見える。場面転換が多すぎたという反省があるがそうしないと説明のために語りばかりの芝居になってしまう。次にやるとしたら三幕ではなく二幕で。

平成若衆。上方歌舞伎塾というのがあって三期まで募集した。りき弥、千壽郎は中学の時に来た。歌舞伎塾はに歌舞伎の時間があって、自分は義太夫のテープをかける係りをやっていた。芝居全体を知らないとかけるタイミングがわからないのでできない。愛之助を中心に塾生と何かをしないかという話が持ち上がり平成若衆歌舞伎が始まった。歌舞伎塾を私物化しないように気を使った。最初にやったのは八犬伝。ただ人がたくさん出るという理由で。「油地獄」をやったときは油地獄とウエストサイドストーリーを合体したようなのをやりたかった。首を横に向ける動きは映画の中ではかっこいいが舞台でやると客が笑う。(注 東京でやった平成若衆でもあれをやった。あのときもウエストサイドが入った話だった) 宝塚と共演したときは稽古や反省会など宝塚の人たちが熱心なのに感心した。

(古沢さんが周囲の人たちから集めた質問として)衣装は自分持ちか。 玉三郎のように持ち役がある人なら何千万もあるのを自前で用意できるが自分はまたいつ同じ役をやれるかわからないし無理。与三郎の衣装は仁左衛門のを借りた。歌舞伎のチケットは高いがそれだけお金がかかっている。ただ自分としてはチケットはなるべく安くしてほしい。

長唄や三味線の稽古はするか。 する。三味線の稽古をホテルでしていて部屋に電話がかかってきたことがある。

鳴神の雲絶間姫、愛之助さんとしては孝太郎さんと七之助さんのどっちが好きなタイプか。孝太郎は大人の女で色っぽく迫ってくる感じで、七之助はまだ幼さの残る少女のような子がすねているみたいな感じで、持ち味が違う。

自分が初役をするとき、一番大変なのは仁左衛門。ひろえ姉さんに「あんまり遅くならないようにして」と言われるが遅くなることがある。

浪花花形歌舞伎。鱶七の役は仁左衛門は「やったことがないので知らん」と言った。誰に教わるかまだ決まっていない。7月については何も決まっていない。

自分は大阪が大好き。何でも東京中心で、東京に住んだほうが仕事の面で有利なのは間違いないが、その中に入っていくこともないと思うし、大阪から何かを発信したい。

10月、11月は主演映画の撮影、12月は顔見世、1月は「すみません」浅草で、2月は同じメンバーで松竹座。

客席からの質問

海外公演の予定は? ないけれどもパリを目指して画策している。

与三郎は七之助の手ぬぐいを使っていたが最後の日は別の柄だったのでは? 友達が来ていたので友達の手ぬぐいを使った。

浅草の出演者の中で気の合う人と合わない人は? 気の合わない人はいないが亀ちゃんはインドア派で他の人はアウトドア派。男女蔵さんは不明。

Beauty と宮城野の公開予定は? わからない。Beauty は自分はDVDにしてもらって見ただけでまだ映画の画面では見ていない。公開の時は舞台挨拶をする。

十三代目さんの思い出。 いつも芝居のことばかり考えていた。電車に乗るのが好きだった。唯一教えてもらったのが「吃又」の修理之助だが、台詞のスピードが速い。昔はそうだったらしい。普通の台詞は速くしゃべって、ポイントだけたっぷりやる。