能楽現在形2008/06/22 20:12

2008年6月20日 世田谷パブリックシアター 午後7時開演 1階J列27番

南座の三響会以来4週連続で広忠の大鼓を聴いたことになる。先週末によく休めなかったこともあり今週はずっと眠くて、それが頂点に達していたのが金曜日だったから途中で寝てしまうのは十分予想できたが、それにしても二演目ともかなりウツラウツラしてしまい、ぱっちりと目を覚ましていたのが最後のトークだけなのは大変情けない次第である。

きょうは「能楽現在形」の一日目。観世流。

場内に入った瞬間になんとなくもやっている感じを受けたが、スモークがたかれていたそうで、「乾燥が命」の大鼓には辛い環境だったらしい。

最初の演目である半能「融」は、二週続けて紀尾井ホールで「融」を見たのに、同じ演目だとわからなかった。左右上下が黒い舞台の後ろに大きな月が出ていて、その前に人が立っていたので、「日出処の天子」を思い出したが人のいでたちが違う。

先週紀尾井ホールで聴いた音と比べると冴えなく聞こえる囃子の音だった。一方、一番初めのシテの声にはエコーがかかっていた。

シテの衣装が綺麗だった。シテは観世喜正だったが、わからなかった。

次の「舎利」は、トークのときに萬斎が「ウルトラマン」と形容するような面白い演目らしいが、私は目は開いているものの脳が眠っている状態だった。

最後のトークは萬斎、広忠、それに一噌幸弘。途中から、「舎利」のシテの片山清司が入った。清司は「きよし」と読むと知った。関西弁で(井上八千代の弟なんだから当然か)、おもしろそうな人だった。いつも面をつけるとなんて孤独なんだろうと感じるのだそうだが、周りが真っ黒の今日の舞台では、まるで海の底にいるようで、何回かツレを見失ったと言っていた。

広忠は、立ち方が舞台から落ちて怪我をしないように念じていたが無事で何より、と言い、萬斎は「けが以上のことがないようにと・・・・」ととんでもないことを言っていた。実際に稽古のときは何回か落ちたそうだ。

観客から黒く見えているもの、「これ何だと思います?」と萬斎が言い、広忠は「言ってもいいんですか?」と言って、萬斎はいくつかヒントを言っていたが私にはわからなかった。「ないものが見えている」らしい。

私は1階前方の席なのでかすかにわかる程度だが、萬斎によると、舞台の床が水面のように逆さの影を映していたらしく、「2階、3階は特等席」だったそうだ。

片山清司に対する質問を会場から募って、「どんな態勢が一番辛いか」という質問が出た。背筋を伸ばして座って立膝をする姿勢を長く続けるのが辛いそうだ。萬斎が椅子の前に座って、実際にその姿勢をして見せた。動いているよりじっとしている方が辛いそうだ。それはなんとなくわかる。

広忠は今回は舞台設定、照明などに携わったらしい。前回は囃子方は見えないところにいたが、囃子方は立ち方を押し出す役目があると思うので、今回は舞台の前方にしたと言っていた。きょうの広忠のしゃべりは萬斎と比べて真面目な印象を受けるものだった。

はじめてトークを聞いたが一噌幸弘は駄洒落を連発する人だ。

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