南座 九月 新派公演 「遊女夕霧」 「明日の幸福」2008/09/08 01:20

2008年9月7日 南座 午前11時半開演 1階右ニ6番

「遊女夕霧」

ずいぶん前に波乃久里子と太地喜和子の夕霧を観たことがある。プログラムの上演記録で確認すると、昭和62年、新派百年記念公演と文学座創立50周年記念公演で観たようだ。波乃久里子の方を半年ほど早く見た。田舎出の、情が深く、どっしりした感じの夕霧という遊女の役に波乃久里子ははまっていた。コケティッシュな太地喜和子は役のイメージと合わないと思った。

2回見たのだが、今回愛之助がやった与之助の役は全く覚えていない。同じ役をやった林与一が鹿鳴館の挨拶のときに「とんでもなく難しい役」と言っていたのでどこが難しいのかと観ていた。 与之助が出ている間はわからないのだが、17件もの前借詐欺をした後、という暗さを背負っている役で、台詞ではなく表情や仕種で辛い心情を表現しなければならないのは確かに難しいだろう。夕霧に「嬉しいかい?」と尋ねるときに真剣な顔をしていたが、あれは自分が罪を犯す甲斐があるほど夕霧が喜んでいるか確かめたかったんだろうな、と後でわかった。

先月おさんの役をやった鴫原桂が今月は遊女小紫の役をやっている。瀬戸の方が美人だが、鴫原の方が女の情感を表現するのがうまいと思う。

与之助を助けようとする夕霧と円玉(笹野高史)との掛け合いがこの芝居の一番の見所だ。笹野高史は役にはまっている。夕霧の波乃久里子は20年以上たって可愛げが減った分、凄みが増したようだ。けっこう笑わせるが、円玉を説得しても完全なハッピーエンドで終わるわけではなく、切なくて美しい幕切れ。

「明日の幸福」

舞台を観てこんなに抱腹絶倒したことはないような気がする。

初めて浪花花形歌舞伎を観たときに、関西のお客さんは笑いのポイントで義理堅く笑うな、と喜劇に対する反応の良さを感じたが、「明日の幸福」でも、お客さんは初めからよく笑っていた。私は素直でなくて、よっぽどでないと笑わないのだが、祖母役の英太郎が、埴輪を隠した掘り炬燵に触られそうになって慌て、「ああああー」と悲鳴を上げるところでは、たまらず大笑いしてしまった。埴輪を見たいと言っていた人が事故に遭ったときいて仏壇に手を合わせるところや、「しゃかん屋さんに相談した」と言うところも可笑しかった。6月、8月、今月に観た新派の芝居の中で、私が一番好きな役者は英太郎だ。大徳寺夫人、スリのおきん、今月の祖母淑子は、凛としたところが共通している。

「明日の幸福」はテレビで舞台中継を見たし、昔、テレビドラマで、たしか祖父が進藤英太郎、祖母が賀原夏子のを見た。生の舞台を初めて観て、よくできた戯曲と演出に感心した。いわゆる新派のイメージからは遠い話なので、120年記念になぜこれなのかと思ったが、笑いもありカタルシスもあり、未来を見ている話なので、案外記念公演にピッタリの演目だったかもしれない。テレビでは最後に大臣に推挙された祖父が、「自分の家庭も治められないような人間に国を治めることはできない」と言って就任を辞退するのだが、舞台では、周りが皮肉な笑い声を上げる中、祖父は仏壇に向かっているだけで幕となる。この方がスマートな終わり方だと思う。

初演の昭和29年にリアルタイムの話だったとすると、50年以上経った今、電話やカバンや「女中さん」と呼ばれるお手伝いさんは別としても時代を感じさせるものは多い。孫の寿雄(愛之助)は日比谷公会堂の「音楽会」に行く。文化会館ができる前は音響の悪い日比谷が一番のコンサートホールだったわけか。妻もある寿雄が母親を「ママ」と呼ぶのも古い。姑の恵子(八重子)が嫁の富美子(瀬戸)に、同窓会の金を誰それに届けて、とごく当たり前のように自分の用事を頼んでいたが、今では考えられない。演劇フォーラムの時に八重子が「あんなセレブの家はなくなりましたね」と言っていたが、あの祖父(安井昌二)のように自分が完全に一家の中心で家族の誰にも遠慮しないで振舞う男は、いないだろう。昔は本当にいたのか? 今は、自分の車と運転手を使われても孫だったら許してしまう甘いおじいちゃんがほとんどだろう。裁判所勤めの父(笹野)が、比較的今でも違和感なく受け入れられるかと思う。

新秋九月大歌舞伎 昼の部2008/09/09 22:36

2008年9月8日 新橋演舞場 午前11時開演 1階19列21番

前の人の頭で舞台中央の手前がわずかに隠れるが、予想よりは観易い席だった。

一、 源平布引滝

「義賢最期」

海老蔵の義賢はスタント以外の普通の演技は下手かもしれないが戸板倒しと仏倒れが観客を圧倒するだろう、という事前の予想に反し、スタントは期待はずれで、それ以外の演技が案外良かった。戸板倒しは普通だが、身体をまっすぐにして階段に倒れこむべき仏倒れが、階段の上の床に膝をついた後に倒れこんでいるように見えた。

長身の松也が御台の役だがいっしょにいる松宵姫の梅枝も背が高いのであまり目立たない。平均身長の高い舞台だ。

「竹生島遊覧」

はじめて観た。小万と実盛が出てきて、「義賢最期」 と「実盛物語」がこれでつながる。

「実盛物語」

「義賢最期」の後の休憩のときに食事したせいで途中で少し眠ってしまった。 「信長」のときにも海老蔵と子供が戯れるシーンがあったが、「いいお兄さん(おじさん?)」してる海老蔵はわりと好き。

二、枕獅子

傳次郎がまた小鼓をやっていた。

時蔵はあでやか。後半、獅子になってもメスライオンという感じで女らしく美しかった。踊りは梅枝が一番うまい。「踊ってやる」という気概を一番感じる。

新秋九月大歌舞伎 夜の部2008/09/15 23:10

2008年9月15日 新橋演舞場 午後4時半開演 2階左列14番

きょうの席からは花道が全く見えず、モニターを通して見ることになる。両方とも花道をよく使う演目なのに残念だった。

「加賀見山旧錦絵」

菊五郎と玉三郎のお初で見たことがあるが、それなりに見所はあるのに今ひとつ物足りない演目だと思っている。いい男の役がないせいなのか、色気のない話のせいか。 私は尾上みたいな耐え忍ぶタイプが嫌いで、全く同情できないせいかもしれない。でも、まあ、きょうは、尾上(時蔵)、岩藤(海老蔵)、お初(亀治郎)がみんなはまり役でなかなか良かった。

時蔵は、芯が強くて控えめだがプライドが高い尾上そのもの。きちんとした印象の時蔵のイメージにピッタリ。

海老蔵はクールビューティで迫力のあるビジュアルの岩藤。大きな目が表情の変化をよく表現していた。岩藤用に使っている声は魅力があるが、時蔵、亀治郎と比べるとまだ台詞が不安定。それでも、また見たくなる岩藤だった。

亀治郎は頭が良くて勝気なお初には元々ぴったりだが、主人思いの感じも出ていたし、三幕目第三場の義太夫に乗った動きも見事だった。

松之助を初めとする男っぽい奥女中たちが今回も面白かった。

梅枝は昼も夜も変わり映えしないお姫様の役。松也は夜は立役だった。

「色彩間苅豆 かさね」

亀治郎も海老蔵も闘争心があって良かった。こんぴらのテレビ録画を観たときは海老蔵にばかり目が行ってしまったが、生で観た今回は前半は亀治郎の踊りに見入った。その間海老蔵は美しい背景となっている。与右衛門とかさねの戦いが始まってからは海老蔵も本領を発揮して動き始めた。橋の上の二人の見得のところも、傘を川にポーンと投げ入れたり、かさねの長い帯を川に蹴りいれたりする荒々しい動きが男らしかった。殺されたかさねに引っ張られるところは立派な足を惜しげもなく晒して行きつ戻りつし、びょんびょん跳んだりして、かさねに負けないほど強い印象を残した。

かさねと言うと私は何と言っても玉三郎のかさねが忘れられなくて、今回の亀治郎もかさねだけ比べたら玉三郎の方が凄かったのだが、玉三郎のときはあくまでも「玉三郎のかさね」であって、与右衛門役の吉右衛門も孝夫もどうでも良かった。いつもは玉三郎と組めば比類なく素晴らしいコンビになる孝夫も、この役では影が薄かった。今回のかさねは「亀治郎と海老蔵」のかさねで、踊りのうまさ、美貌、運動神経など、二人ともそれぞれ自分の長所を使って、二人で面白い舞踊劇を作り出していた。

玉三郎と海老蔵のかさねは是非観たいが、亀治郎と海老蔵のかさねもまた観たい。

秀山祭九月大歌舞伎 昼の部2008/09/24 00:18

2008年9月23日 歌舞伎座 午前11時開演 1階9列10番

「竜馬がゆく 風雲篇」

去年の秀山祭の続き。最初に建物が出てきたので寺田屋か、と思ったら池田屋だった。染五郎が手紙を読みながら現れたときに後ろにおいてあったライトを見るとなんとなく染模様を思い出す。

第三場で、おりょう役の亀治郎が出てくる。従来のおりょうのイメージと亀治郎も合うが、「軍艦に乗りたい」と語るこの芝居の中のおりょうは更に亀治郎に合っている。松緑とも染五郎とも慣れているせいなのかよく合っていて、亀治郎は個性的なわりにはいろんな役者と良いコンビネーションを作れる役者なのかもしれないと思った。

第二幕に出る西郷役の錦之助は、あまり小技のきかない、多少不器用に感じる普段の欠点が、巧まずして西郷らしさを出す役に立っていた。

寺田屋お登勢で吉弥が出てきたので驚いたが、華やかな女丈夫で役にピッタリだった。ほんの彩り程度にしか出ないのがもったいない。

「ひらかな盛衰記 逆櫓」

歌舞伎は子供が死ぬ話が多いが、この芝居も、見えないところで一人死んでいるにしても、客が見ている子供の命が助かるのはやはり後味が良い。

権四郎役の歌六は、孫の槌松の回向をしろと言われて「本当はそうしたかった」と泣くあたりが泣かせる。

「日本振袖始」

この演目は是非もう一度見たかった。10年前に見たときの日記に次のような感想が書いてあるのだが、内容を全く覚えていなくて、自分は何を見てこんなことを書いたのか知りたかったからである。

「日本振袖始は玉三郎がヤマタノオロチの役をやった。振袖で踊っている時から、背景となる茶色の風景と赤い振袖とが地獄のおもむきをかもし出して、珍しい感じだった。玉三郎と同じ衣装を着た人が7人出て、たまに赤い口をあけたりするヤマタノオロチの踊りも面白かった。芸術的には高度なものを日常的に消費してしまってもったいないような気がする」

10年前の舞台装置と今回が同じなのかどうかわからない。たとえ同じでも、前回は2階から観たので見え方は違うはずだ。今回は1階から見たので、壷がたくさん並んでいる、というのが最初の印象だった。確かに舞台装置は珍しい感じがした。今、あらためて筋書きの写真を見てみると、玉三郎と同じ衣装を着た人7人と玉三郎がヤマタノオロチを形作っているが、最初にあの格好で出てきたときは「紅葉狩」の鬼女を思い出してちょっと嫌な気持ちになってしまった。その後は、染五郎がやった一角仙人と同じ角をつけているな、と細かいことに目が行ってしまって、あの8人がヤマタノオロチの踊りを踊っていると認識できなかった。2階から見たほうが綺麗な演目だったかもしれない。

上野不忍華舞台(うえのしのばずはなぶたい)2008/09/27 22:38

2008年9月27日 上野水上音楽堂 午後5時半開演

開演の10分くらい前に会場に入ったら上野観光連盟の人が舞台の上でしゃべっていた。上野不忍華舞台は今回で9回目だそうだ。入り口で渡されたチラシを読んだら愛之助の踊りは素踊りということで嬉しくなった。

開演時間になったら司会の人が出てきた。NHKの水谷アナウンサー。古典芸能の番組を担当しているが、この司会は地元の代表としてやっているそうで、「黒門小学校、上野中学を出て今は駒形一丁目に住んでいます」と言って、「待ってました」の掛け声を浴びていた。

一、『三味線音楽の華』

長唄女子東音会、鳴物 和歌山胤雄社中

金屏風の前に奏者が正座している。後列は打楽器、前は三味線。大鼓の人の前には大太鼓が置いてあって、両方やるんだ凄いな、と思ったら、小鼓の4人も演奏が進むにつれて太鼓を打つ人、鉦(?)を打つ人が出て、特に小鼓と太鼓の両方をやっていた二人は更に別の太鼓も打っていた。途中で歌(詩吟?)の人も出てきたりして、三響会の番組と比べて考えるとなかなかの大曲で、女性の皆さんが頑張っているのに感動した。

二、『中国の京劇と雑技』

去年までは江戸前の芸能ばかり出していたらしいが今年はそれ以外の芸能も入っていて、これは中国もの。

最初に、可愛い中国の獅子舞が出てきた。本物を見るのは初めてかも。頭の上につけているリボンが赤いのと緑のの二頭。客席にも降りてきて通路で観客に愛想を振りまいた。私は通路際だったのでちょっと顔に触ることができた。

次は、よく京劇で見る背中に旗を何本も差した人二人と、黒っぽいマントを着た人が出てきた。よくわからないが、この人たちの動きはバレエダンサーがやったら綺麗だろうと思った。黒のマントの人は覆面で、手を顔の近くに持っていくと一瞬で覆面の色が変わる。それを何回もやった。やはり客席にも降りてきて、客のすぐ近くで一瞬に色を変えて見せていた。どんな仕掛けなんだろう。

その後は、雑技団らしく、背中を曲げて足の間から顔をこちらに向けた人が5人積み重なったり、瀬戸物の鉢を回したり投げたり、長い棒の上で皿を回しながら芸をしたり、孫悟空の格好をした人が輪の中を飛びくぐったりというような芸が続いた。

三、『淡路人形浄瑠璃』

兵庫県立淡路三原高校・郷土部

始まる前に、郷土部の原口さんという女生徒が司会の人と少し話した。56年の伝統がある部だそうだ。きょうの演目は「えびす舞」。えびす様が接待されて踊ったり、その後、酒を飲んで酔って踊ったりする。人形遣いの生徒達は黒い着物を着ていた。えびすは、大盃で飲んではいるが勧進帳の弁慶を思わせる飲みっぷりで、「上野不忍華舞台の9回目を祝って」とかいろいろ理由をつけて盃を重ねる。「兵庫県立淡路三原高校・郷土部」と書いた幕を裏返すと波の模様になって、舟が出てきた。釣りをするえびすと、船頭が乗っている。えびすがめでたく鯛を釣って幕になる。

語っていた女子が堂々として、とてもうまかった。

この後、しばらく休憩。長袖のジャケットを着て行ったが寒くなったので、暖かい缶コーヒーでも買って暖をとろと外に出たが、自販機の飲み物はつめた~いのだけだった。

四、落語 『お楽しみ』

立川志の輔

気の毒なことにマイクの具合が悪かった。ジョーク集のような枕だったが、本題の、百点満点の5点をとった息子といっしょに学校に呼ばれた父親の話は面白かった。

五、 『江戸の座敷芸』

「大津絵」や「かっぽれ」などの踊り、幇間の、片足で碁盤の上に立って踊る芸、芸者さん達の集団の踊りがあったが、正直、あまり面白いと思わなかった。

六、 舞踊 常磐津『助六』

片岡愛之助

司会の水谷さんは愛之助といっしょに歌舞伎入門の番組をやっていたそうだ。 愛之助はきょうは京都で新派の舞台に出て、化粧も落とさずに駆けつけ(どうせ現代物だったのだが)、明日が新作の映画のクランクインでこの舞台が終わり次第名古屋に行く、と紹介していた。(チラシには清元と書いてあり)助六の踊りは清元のときが多いのだがきょうは珍しく常磐津、と言っていた。

幕が上がってもしばらくは録音の音楽が聞こえているだけ。舞台上に人がいないと間が抜けた感じになる。

愛之助は、助六の出端のように、つぼめた傘に顔を隠して走り出てきた。薄いグレーの着物に、少し濃いグレーの袴。素踊りだが、助六の傘と尺八、印籠は持っている。途中から出てきた今日の後見は松之。

たしか去年の追善舞踊会のときに、誰か女性が助六を踊ったのを観た。その時の印象から判断して愛之助があの格好で踊ってもあまり冴えないのではないかと予想したのだが、素踊りで、自分の男ぶりで見せる形にしたのは正しい選択だったと思う。 がっしりした肩と全体にしっかりした骨格が体型も踊りも端正に見せていた。特に、傘を持った腕を後ろに伸ばし、顔を上に向けて足を踏ん張って決まる助六の型がとても綺麗だった。

助六が終わると幕が途中まで下り、また上がって、芸者連中も出てきて手ぬぐい撒きになった。 愛之助は最後の二、三枚を思いっきり後ろの方に投げて、後ろの方から歓声が上がっていた。水谷アナウンサーの最後の言葉は「愛之助さんの遠投で締めていただきました」だった。