第11回蓼科高原映画祭 「宮城野」2008/11/01 01:15

2008年10月31日 午後六時半~ 新星劇場

上映時間113分なので今考えると余裕で最後のスーパーあずさに間に合ったのだが、不安だったので最後の10分を見ないで出てきてしまった。だから最後にどうなったかはわからないが、映画の出来はとても良くて満足した。

鞠谷友子はあまり好きではないが、いい具合に老けたのが年増女郎の宮城野役に合い、悪くはなかった。

愛之助の役は宮城野のなじみ客のやたろう。最初の方に、大したことはないがベッドシーンもある。やたろうは元々は美人画を描いていたが、うだつが上がらず、今は写楽(國村隼)のところで写楽の偽絵を描いている。偽絵の腕は良いが、自分の線で描いた宮城野の絵には全く魅力がない、というよくあるパターン。

愛之助の出番は予想より多かった。端正だが派手さに欠ける愛之助の顔立ちが、鬱屈した役柄に合っている。この映画は去年の11月、国立劇場の「摂州合邦辻」に出ていたときに撮影していたが、あんなに出番が多いのだったら二つの仕事を併行してこなすのはかなり重労働だったはずだ。ファンの目で見ると顔も姿も映像でたっぷり楽しめて嬉しい。私の好きな手の血管もしっかり見える。歩くところ、動くところ、舞台で見覚えのある動きがこの映画の中でも見られる。写楽の孫のかよ(佐津川愛美)と神社の境内にいるときの照れたようなかしこまったような実直ぶった動きも見覚えがある。襷掛けして太い腕が見えると魅力的だ。やたろうは江戸弁。与三郎の前にこの映画で江戸弁をしゃべっていたわけだ。

山崎達璽監督の映画は初めて見たが、よく出来ていると思った。屋外の背景が歌舞伎のように書割だったり、ときおり紙製の模型が出てそこを紙人形が黒衣に動かされて動く。黒衣の使い方がとても印象的だ。座敷で三味線を弾いたり、駕籠の前後を数人の黒衣が行列していたりと、歌舞伎とは違う使い方だ。この映画の画面全体が暗めなので、黒衣が出ても浮いた感じがしない。写楽の部屋を出ようとするやたろうの後ろから掛ける写楽の言葉がこの映画の中で重要な意味を持っているが、それを聞いた後の、下の方から撮った愛之助の顔の表情が面白い。演技で、というより、愛之助はあんな顔で写真に写っているときがあるので、やたろうの胸中の変化を表そうとして監督が使ったのかと思う。

「宮城野」という話自体よりもこの映画の作りに感動した。

新橋演舞場 11月花形歌舞伎 初日 昼の部2008/11/01 23:41

2008年11月1日 新橋演舞場 午前11時開演 1階2列28番

「伊勢音頭恋寝刃」

序幕の最初は奴林平役の獅童が活躍する。獅童は朝一から夜の最後の演目までご苦労なことだ。ちょっと喉をやられているような声だった。浅草の頃より顎のあたりが細くなっている。三人そろって所作をするところはちょっと怪しいが、それ以外は無難にこなしていた。

海老蔵の貢は駕籠にのって登場。万次郎役の門之助と上手の通路を歩くシーンがある。私は通路に近い座席だったので、海老蔵の顔をよく見ることができた。ただ、序幕の海老蔵はおかまっぽい。和事(?)をやるといつもおかまっぽい。 門之助のおっとりした持ち味が万次郎のキャラを自然に表現している。

海老蔵は油屋の場になってからは良かった。決してうまいわけではないが、万野やお鹿、さらにはお紺に責められるのを見ると楽しくなるような、男性的魅力がある。台詞や所作で貢を演じているというより、芝居の最中はずっと貢のままでいるので、演技と演技の間がぶつ切れになるような感じを受けない。回を重ねるうちに立派な貢になると思う。

万野役の吉弥は二回目で安定している。海老蔵が相手だと、こってりしているのを感じる。

愛之助は今回は喜助の役だ。うまくて、別に問題はないが、他の人達がやった時は、もっときりっとした印象の役だったような気がする。

猿弥のお鹿は、顔の化粧をとくに滑稽にしているわけではなく、けっこう可愛かった。

笑三郎のお紺はうまいだろうと予想してはいたが、貢を責める万野の話を聞いているときの表情、貢を責める台詞、どちらも素晴らしくて予想を上回る良いお紺だった。

海老蔵は、万野を刀で叩くとき、強くはないが実際に叩いていた。最後に鞘が割れて意図せず万野を切ってしまうのだが、あれは、叩いた時、客からもすぐに割れたのが見えるものだったろうか。そんなバカな、と言って貢が刀を動かしているうちに刀と鞘がバラバラになったのではないかと記憶しているのだが。明日確かめよう。

万野を切ってしまってからが海老蔵の本領発揮、と思っていたのだが、ブチ切れて斬りまくっている、というより、お紺に止められるまでは放心状態のように見えた。まるで刀の魔力に動かされているように。

私の席は前の人の頭で舞台の一部が隠れるのでイマイチだったが、海老蔵が丸い障子窓を突き破って出てくるのを目の前で観られるのは良かった。

「吉野山」

菊之助も松緑も花道から出てきた。「吉野山」は静と忠信がそろって舞台にいる印象が強いし、花道は首を横に回さないと見えないので見づらくて、早く舞台に出ろと思った。

菊之助の静はきれいだったが、寿命が延びるというほどのものでもなく、尋常なきれいさ。

松緑は壇ノ浦の語りのところを頑張っていた。でもなんか、顔がアライグマのようだ。

新橋演舞場 11月花形歌舞伎 初日 夜の部2008/11/02 01:56

2008年11月1日 新橋演舞場 午後4時開演 1階1列10番

「伽羅先代萩」

7月に観た「花水橋」が良くて話が頭に入ったので、今月も退屈しないで観られた。亀三郎の頼兼は菊之助ほど不思議な魅力はないが、口跡が良いので気持ちいい。男女蔵の絹川は、身体が大きいので相撲取りらしくて良い。

「竹の間」の千松役(きょうはたぶん秋山君)は、花道を歩いていくのを見るとまだ小さいのに、若君の後を太刀を持って歩き、それを刀掛けに横に置いて、若君にきちんとお辞儀をするので、感心する。

菊之助の政岡はきりっとしていて良い。梅幸、菊五郎の政岡を見てきたが、菊之助がひょっとして一番良いかもしれない、と期待が高まる。

八汐の愛之助が花道を出てきたので、後ろを振り返って凝視した。花道七三に座ったのを見たら顔は八汐の時の仁左衛門にそっくり。丸に二の字の簪を挿しているのは初めて気づいたが、仁左衛門も同じだったのだろう。手の甲まで真っ白に白粉を塗っていて、血管がよくわからなかった。

愛之助は台詞はうまいし、所作もしっかりしているし、悪いところは何もないのだが、仁左衛門の八汐のときのように愛之助の台詞や所作で客が笑ったりすることが少ない。客が笑うのは主に鶴千代の言うことがおかしいからである。沖の井と松島にやりこめられると、役者の年齢のせいもあって、年上の奥さん達にいじめられる負け犬のようにも見える。

「御殿」で政岡が栄御前を見送って花道に立っているところは7月の藤十郎が何とも言えないすごい表情をしていたのが忘れられない。菊之助の政岡は「千松、よく死んでくれました」の台詞の「よく死んで」のあたりを息をつめて言っていて、あの高音で今にも泣き出しそうに嘆かれると、聞いている側が反射的に顔をゆがませてもらい泣きしてしまう。

私は今まで、政岡というと泣けるか泣けないかばかり気にしていたが、今月の菊之助を経験して、泣くか否かは人間の生理的反応に左右されることなので、泣けるイコールうまい政岡、と言えるわけではないと気づいた。今月の菊之助は偶々良い政岡だったが。

政岡があんまり良かったので、八汐がもう一度出てきて政岡に殺されるシーンがどうでも良いものに思えた。愛之助は殺されるときの目をむく表情が通り一遍でつまらなかった。 八汐は本来、今回感じた程度の役なのかもしれない。仁左衛門がやると完全にその場を支配してしまい、出ている限り八汐が主役のような雰囲気なのだが、あれは仁左衛門がうますぎ、魅力がありすぎだからだ。

「床下」の獅童の男之助は、いつもながら顔が立派。全体は、もっと離れたところから見ないとわからない。鼠がすっぽんに飛び込み、面明かりを持った黒衣さんが花道に出てきて、すっぽんから煙とともに海老蔵の仁木が出てきてからは、後ろを向いてそちらに集中してしまった。海老蔵が細長い指を二本立てて動かすのが魅惑的。

しかし、海老蔵の仁木は花道を歩くときが最高だった。休憩をはさんで「対決・刃傷」になると、わざとニヒルなキャラを作ろうとして変なしゃべり方をしたり、目をむいたり鼻を鳴らしたりするのでがっかりした。

刃傷のときのお囃子はいつ聞いても心が躍る。

「龍虎」

きょうの席は黒御簾に近く、音楽がよく聞こえた。龍虎の踊りの時には鼓、笛だけでなく琴も聞こえた。

「龍虎」のポスターでは愛之助と獅童は鬣姿だが、出てきたときには鬣はなく、獅童は銀の冠に虎のフィギュア、愛之助は金の冠の上に龍のフィギュアを載せている。ちょっと踊った後、愛之助が背景に隠れ、次に獅童が隠れて、出てきたときは二人とも鬣をつけ、顔を隈取っていた。その隈取りが、虎にも龍にも見えなくて、単におかしな顔になっただけ。最前列の席なので二人の動きが全体としてどんな形になっていたのかわからないが、別々に鬣を動かしている感じ。変わった振り付けで、二人で腕を交差して組んで動いたりするところは笑った。

途中で引き抜きがあり、二人が舞台にしばらく突っ伏して顔を上げると、二人とも隈がとれて元の綺麗な顔になっていた。最後は二人が寄り添ってポーズをとって終わった。黒い鬣が愛之助で、茶髪の鬣が獅童なのは、二人の雰囲気に合っていると思った。

新橋演舞場 11月花形歌舞伎 昼の部 2回目2008/11/03 18:38

2008年11月2日 新橋演舞場 午前11時開演 1階1列15番

今日は2回目。最前列で細部をよく見た。

「伊勢音頭恋寝刃」

序幕を見ていて、初日は北六が按摩の了庵に駄賃を渡すときに財布を開いたらお金が落ちてしまい、了庵役の欣也が「あ、お金」と拾ったのを思い出した。きょうは普通に渡していた。

2回目で慣れたせいか、序幕の海老蔵もそんなにおかまっぽいと感じなかった。台詞も良い。ただ、意識してなよっとしようとしているな、とは思う。

ダンマリの場面で海老蔵は門之助にしきりに何か言っている。初日は、何か打ち合わせでもしているのかと思ったが、きょう、もっと近くから見たら、声がはっきり聞こえるわけではないが、貢として万次郎に声をかけているのだ。想像だが、たとえば、暗闇の中で「万次郎さま、こちらでございます。私の手を離さないでくださいまし。大丈夫でございますから」のように。門之助は海老蔵に何度も手を握られた後、林平役の獅童に手を握られて花道を入っていく。何気においしい役。

海老蔵が刀をポンと放り投げるのが男の子らしくて好き。日の出で手紙が「読めたー」と喜ぶ顔が、本当に嬉しそうで可愛い。海老蔵が喜んでパカッと口を開けた顔は寄生獣が口を開いたときか、どこかで見覚えのある形をしている。

油屋の場で、仲居の団扇の模様、衝立の模様、暖簾の模様、さらには欄間の模様まで、竹の葉の模様のお猪口が水に浮いている図だと気づいた。客の浴衣、伊勢音頭を踊る女達の浴衣の模様も同じだった。今までもそうだったのかもしれないが、初めて気づいた。

喜助の顔もきょうは障害物なく見放題。関西弁に全く心配ない吉弥と愛之助のやり取り。

初日に海老蔵の貢が万野を最後に強く叩いた時、すぐに客が気づくくらい刀と鞘がバラバラになって、アレ?と思ったのだが、きょうは、最前列でよく見ると叩いたときに鞘が割れたような感じはあったが昨日のようにバラバラにはなっていなかった。あれは、元々鞘の割れた刀で、貢役の役者が叩いたり振ったりすることでバラバラになるように調節しているのだろうか。

貢、お紺、喜助が揃って幕となるシーン、明かりの紐を握った愛之助の腕を間近に見て、腕っ節の強そうな太さに改めて感動。

「吉野山」

菊之助はきのうの政岡がうまく言ってほっとしているだろうと、見ているほうの思い入れがあるせいか、花道の静がきのうよりゆったりした感じに見えた。

踊っている松緑の腕は、さっき見た愛之助の腕に比べるとすんなりしている。壇ノ浦の踊りの後、息が上がっていた。

新橋演舞場 11月花形歌舞伎 昼の部 3回目2008/11/09 21:59

2008年11月8日 新橋演舞場 午前11時開演 2階2列38番

入り口で感想とか今後の上演希望についてのアンケートを配っていた。 その中に、今まで演舞場で観た演目で一番良かったのは何か、という質問があった。玉三郎の魅力を感じられて嬉しかったとき、孝夫と玉三郎の共演で嬉しかったとき、というのは何回もあるのだが、演目でいうと一体何だったろうと、決めかねた。

きょうの席は花道の途中まで見渡せて気持ちが良い。全体が視界に入ると、獅童の下手さがわかる。特に下半身の鍛え方が足りないように思う。頑張ってほしい。海老蔵と門之助が1階の通路を歩くときは2階にいると1階のざわめきが伝わってくるだけで、ちょっと寂しい。仲居達が伊勢音頭を踊っているとき、前の席の人が、あの人とあの人が踊りうまい、と隣の席の人に話していたが、私は一人一人別々に見せてもらわないと誰がうまいのかわからない。

今月の「伊勢音頭」は総じて良いと思っているのだが、万野役の吉弥が、少し硬いかなと思い始めた。浪花花形のときもうまかったし、今月もはじめからうまいのだが、もう少し女のネチネチした嫌な雰囲気があっても良いんじゃないかと思う。私は万野というと嵐徳三郎の印象が強く、どうしても比べてしまう。吉弥の万野はあまり陰にこもってなくて元気すぎ。

初日から感じているのだが、お鹿が出てきたときの貢の態度が、海老蔵はわりと冷淡。台詞は同じだが仁左衛門はもう少し愛想よく応対してたように思う。

「吉野山」はもう絶対、2階で見たほうが良い。松緑も2階から見た方がうまく見えるし、最後、花四天がとんぼを切って舞台上に横になり、その真ん中で藤太が片足で立っている図は上からでないとわからない。藤太の亀三郎は2回目の「タッ」「ポッ」が可愛い。最後に松緑が花道から笠を投げて、亀三郎が見事キャッチしていた。初日、2日目はキャッチできなかった。

歌舞伎座120年 吉例顔見世大歌舞伎 夜の部2008/11/09 22:42

2008年11月8日 歌舞伎座 午後4時半開演 3階1列16番

2日前に3階1列目の席をゲット。

演舞場の花形歌舞伎を観た後、一時間以上時間があったのでゆっくり食事をしようと思っていたら行く予定の店が貸切で、歌舞伎座の開場まであたりをぶらついていた。その疲れが出たのか「寺子屋」の途中で眠くなり、仁左衛門の出番は必死に起きていたものの、はっと気づくと源蔵と千代が戦っていた。でも、やっぱり、仁左衛門はかっこよかった。小太郎が玉太郎で、涎くりが松江。小太郎の斜め後ろで墨をすっている涎くりも気が気ではないだろうと思った。暖簾の向こうに引っ込むとき、涎くりが小太郎と手をつないでいくのもほほえましい。涎くりが綺麗系の人のせいか、全体に綺麗な寺子達で、「山鹿育ち」がピンと来なかった。

次の「船弁慶」は好きな演目だが、3階からだと最後の花道の引っ込みがほんの少ししか見えないのが辛い。今回は傳左衛門ではないが最後に花道に出てきて打ち鳴らす太鼓の音を聞くと気持ちが盛り上がる。

最後の「八重桐廓話」は前に一度観たことがあると、途中で思い出した。2年前の十二月に、松也のお姫様が見たくて頑張って起きて朝一番の演目を観たのだ。 この芝居は主役の女形の技能を見せるのが主眼のようだ。時蔵が主役でそつなくやってはいるが面白くはない。腰元役の歌昇が、演舞場のお鹿の猿也のイメージとかぶる。 錦之助の太田五郎を見て、獅童もあのくらいできるようになってほしいと思った。

能狂言界 彗星(ほうきぼし)の祭典2008/11/16 00:43

2008年11月12日 国立能楽堂 午後7時開演

自由席だが、座ったのは中正面の四列目。広忠を真正面から見られたので良かった。

チャリティのエコということで、毛色の違う公演かと行ってみたら、出演者や演目は、私が最近広忠がらみで観にいっているものの王道という感じだった。ただ、企業の協賛ということで、観客の中に勤め帰りのサラリーマンみたいな人がたくさんいた。

主な出演者としてパンフレットに写真入りで紹介されているのは片山清司、亀井広忠、茂山逸平。とてもお馴染みの人たち。演目は、三響会で観た「能楽囃子五変化」と、能楽現在形で観た能「舎利」と、初めて見る狂言「蝸牛」。他の出演者も見知った顔の人が多かった。

最初に逸平が舞台に座ってしゃべった。本日のしゃべりはこれだけ。 能、狂言は「わかりにくいもんです」と認めている。演者が、ここは竹やぶ、と言ったら、後ろに松が描いてあっても竹やぶになる、そういうこと。きょうの公演はエコのためのチャリティなのだが、何がエコなのかはよくわからなかった。ただ、逸平は今問題になっている大麻の話を出して、自分達の衣装は麻で作るが、本当は大麻が一番良いのだと言っていた。大麻が繊維としても使われるものとは知らなかった。

「能楽囃子五変化」

笛 一噌隆之、小鼓 観世新九郎、大鼓 亀井広忠、太鼓 小寺真佐人

三響会のときは能衣装をつけた人の舞も入っていたが、きょうはお囃子だけだった。私はこの方が好みだ。 ただ、演奏者間の技量の差を感じた。

狂言「蝸牛(かぎゅう)」

逸平と茂、童司の茂山家の若者。面白い演目だったのだが、茂が横になっている竹やぶに逸平と童司が入ってきたあたりで眠ってしまった。きょうは仕事中からずっと眠くて、電車の中でも眠ったが、またここでも居眠り。狂言で寝たのは初めてのような気がする。

ここで休憩。

能「舎利」

能楽現在形のとき眠ってしまった演目だ。 シテは同じ片山清司。あのときは真っ黒な舞台で、海の底で動いているようだと言っていた。きょうはちゃんと起きて観ていたせいか、きょうの方が面白さがわかった。動きが大きいのと、キャラの造形が魅力的。ツレは紀尾井ホールのコンサートで気に入った味方玄だったが、きょうは特に感動しなかった。間狂言の逸平が、ふつうのしゃべりの時とは違う力強い声で、改めてとてもうまいと思った。

第五回 花道会歌舞伎セミナー2008/11/16 22:50

2008年11月15日 午後6時半開演 TKPビジネスセンター銀座 カンファレンス8C

演舞場と通りをはさんで隣りになるビルで「花道会歌舞伎セミナー」があった。第一部の講師はNHKアナウンサーの葛西聖司さん。第二部は秀太郎。

葛西さんは、講師をやるのは「柝の会」の薪車さんのとき以来、と言った。私は葛西さんは四年前の比叡山薪歌舞伎の司会以来。歌舞伎座ロビーでたまにお見かけすることはあったが。

演舞場の仁木弾正を、「あんなに煙出ちゃうの? 平気なのかしら。咳こんだら巻物落ちちゃうんですけどね」と言った。今、巡業も入れると五座開いているそうで大向こうの人達も回るのが大変で葛西さんに愚痴るのだという。

劇場中継をやりたいと思ってアナウンサーになったが最初の赴任地は鳥取、次は宮崎でなかなか望みがかなわず、三つ目の大阪でようやく望みがかなったが、それは宝塚。大地真央がトップになったばかりで、相手役が黒木瞳。インタビューに行くと、黒木は伏目勝ちで「わかりません」と言うばかり。男役が主に答えなければいけないのだそうだ。

歌舞伎の劇場中継の最初が今の団十郎の襲名興行ということは、私が歌舞伎を見始めた頃だ。

「名セリフを楽しむ」というタイトルの両面印刷の紙がテーブルに配ってあって、参加者みんなで音読した。曽根崎心中、勧進帳、修善寺物語、一本刀土俵入りだが、こんな機会でもなければ声に出して読むことはなかったろう。自分で一度声を出して「土俵入りでござんす」とか言ったことがあると、舞台の役者の台詞も一段と味わい深く聞こえるかもしれない。

間に休憩があって、第二部は秀太郎。鼠色の羽織袴姿だった。

葛西さん相手のトーク。来る前にパチンコで2万負けたが、全体では儲けている。孝夫は仁左衛門になってからやらなくなった。先代の雁治郎は国宝の指定を受けるときに「人間国宝になってもパチンコやってかまわないのか」と聞いたほど好きだった。藤十郎はやらないが玉緒はやる。

葛西さんは、今は歌舞伎が五座もかかっていてすごいですね、こんなになるとは思いませんでしたね、と話を振ったが、上方ではそうでもないからだろう、秀太郎は同感という顔をしていなかった。関西での歌舞伎の衰退については、自分が秀太郎を継いだ昭和31年頃から急に衰退したように感じると言った。

普段の声をはじめて聞いたわけではないのだが、はじめて聞いたような気がした。イメージよりも男っぽい声だった。本名はヨシヒト。彦人はヒコヒトと読むのだとばかり思っていた。

初めて東京で芝居に出たのは昭和26年、演舞場。「葛の葉」の安倍の童子をやった。六代目菊五郎が他界する少し前に父に連れられてお宅に伺い、いっしょにうなぎを食べた。

南座の顔見世に最多出演。吉右衛門劇団に子役のとき出た。そのときは新聞に「関西からは彦人一人参加」と書かれ、初日には緊張のあまり舞台で吐いた。

吉田屋のおきさ役を誉められるとそんなに嬉しくない。夕霧や梅川で褒められたい。藤十郎の家の吉田屋は京風で、松嶋屋のものよりきっちりしている。松嶋屋のは大阪風。伊左衛門の紙衣の紫も成駒屋と松嶋屋では違うそうですね、と聞かれ、違うという話は知らないと言った。ただ、役者の年齢によって紫の色を濃くしたり、ということはあるらしい。ときどき、そういうウソを聞くことがあるそうだ。たとえば熊谷陣屋の首の渡し方。熊谷が妻に息子の首を渡すとき、格上の役者には手渡しし、そうでないときは置いておく、というようなことをイヤホンガイドで言っていたがそれはウソで、松嶋屋の型てはいつも手渡し。そこだけが夫婦のコミュニケーションだから。吉田屋の伊左衛門役は、父の型を伝えるために自分がやっておかなければと思ったこともあるが、最近は孝夫がよくなってきたからもう自分ではやらなくていい。

自分は「木の実」の小せんはお引きずりでは出ない。江戸の型ではお引きずりで出る人が多い。江戸の型では権太がふざけて小せんのすそをまくるところがあり、その時にお引きずりだとまくりやすいらしい。

葛西さんが、子供の時に愛之助を歌舞伎に誘った理由を尋ねると、「可愛い顔してましたから」。でも、他の子もみんな可愛いかったでしょ、と言われて、「その中でも可愛くて、歌舞伎の子みたいだった。姿勢が良くてね」。孝夫は孝太郎をひっぱるし、我當は進之介をひっぱる。でも、自分は他の人に引っ張られてる人間だから、愛之助のことは飼い殺しにするかな、と思ったこともあるが、周囲の人の引き立てと本人の努力で自然に上がってきた。愛之助はよく努力するが、それでも時々、どうしてこれがわからんかな、と思うことはある。それはやっぱり血だと思う。その点、孝太郎や進之介とは違う。

歌舞伎座120年 吉例顔見世大歌舞伎 昼の部2008/11/17 23:58

2008年11月16日 歌舞伎座 午前11時開演 1階6列24番

ちょっと上手すぎるかと思ったが、源五兵衛が出てきたとき真正面だったし、源五兵衛は比較的上手よりにいることが多かったので、良い席だった。

「盟三五大切」

三年前に観たときは仁左衛門は三五郎役で、源五兵衛は吉右衛門だった。今回は仁左衛門は源五兵衛、三五郎役は菊五郎。 小万は同じ時蔵。 序幕、舟の上で三五郎と小万が話しているとき、仁左衛門は小魚を舟のヘリに打ち付けて殺して別の入れ物に移してたが、菊五郎はあれはやらないなあ、と思ったが、そんな小さいことよりも全体として全く違う印象を受けた。 仁左衛門の三五郎はあまりにも格好良くて、2日後にもう一度観にいったくらいだったが、菊五郎の三五郎は、そういう二枚目的なかっこよさはない。三五郎は二枚目役ではないし、菊五郎の三五郎の方が正しいような気がする。

源五兵衛は、前回は何を考えてるかわからない得体のしれない怖さのある人物だったが、今回は、考えていることがよくわかる。いとしい小万の首をとり、その首を前に食事して、二人で食事しているような気分になろうとする。とてもわかり易い。前回は2回観たのに源五兵衛のことがちっともわからなかったのは単に私が三五郎しか見ていなかったからなのか?

5人切りの時の一つ一つの殺しの迫力が凄い。三五郎が、死んだ小万の首に、食べさせる真似をして箸を近づけたのに、小万の口が開くとびっくりするのが面白い。あのときの仁左衛門の驚いた顔は印象的だ。

六七八右衛門役の歌昇はうまい。年齢が行っているせいで、家財道具を持っていかれると困るという時に、家事一切をやっているらしい雰囲気があった。

初舞台のときは信二郎におぶさって花道を出てきた梅枝が、錦之助と濡れ場を演じるほど大きくなったわけで、月日の流れは速い。「覗いちゃやーよ」という台詞が面白い。

「廓文章」

雁治郎襲名のときに観て、観客を眠らせるようなリズムを持っている芝居だと思ったが、きょうもやっぱり、メリハリがなくて退屈し、いつの間にかウツラウツラしていた。

昨日、秀太郎が花道会のセミナーで言っていたように、喜左衛門は、おきさを呼んでくると言って別の部屋に行き、入れ替わりにおきさが出てくる。二人で伊左衛門としゃべるシーンはない。二人を相手に仁左衛門の伊左衛門がやる、「ゆー・・・・こはどうした?」をはじめ、向こうから夕霧の名を出させようとして、出なくて怒る場面がない。あれは、このつまらない演目の中で唯一私が好きなところなのに。

おきさが舞台に出てくるときに持ってきたのが、昨日言ってた「蓬莱」というものなのか。今まで気にとめたことがなかった。昨日言っていたように、おきさは無地の紋付を着ている。

愛之助がやったような主要な役としての幇間がなく、三人で手紙を持って踊ることもない。

夕霧は出てくるときに扇子で顔を隠していて、玉三郎だと扇子をはずして顔が見えたときにおおっ、と感動するのだが、魁春だとどうでも良い。ごめんなさい。

亀鶴は伊左衛門が吉田屋に来たとき出てくる若い者役だ。個性的な役だとインパクトがあるが、普通の役だと特に魅力がない役者に見える。

珠響(たまゆら)2008/11/20 00:35

2008年11月18日 増上寺 午後3時開演 E-28

増上寺の大殿の下から入り、中の階段を上って本堂に入った。正面に仏像があり、その前には蓮の花の形の飾りがあり、格子の天井には中央と四隅に金色の飾りが下がっていて豪華だった。私は仏像の種類がわからなかったが、演奏者の一人によると阿弥陀如来だそうだ。真ん中にグランドピアノが置いてあった。

開演前に、上手の奥の方からお坊さんが10人出てきて中央に並び、声明をした。お坊さん達が手を合わせてお辞儀をするのに同じ格好で応えているお客さんもいたので、私も手を合わせた。

開演時間になると司会の山口馬木也が出てきて、前半の演奏者を紹介した。

最初は、英哲風雲の会。獅子虎傳で見たことがある和太鼓のグループだ。あの時は小太鼓だったが、きょうはお祭りの時のような大きな太鼓が二つあった。 鼓童のコンサートで味わった、心臓にズシンと響く音だった。この後、小太鼓も叩いた。

次はピアニストで作曲家の稲本響。真ん中に鎮座していたピアノは彼が持ち込んだNYスタインウェイだそうだ。私の席からは稲本の演奏している様子がとてもよく見えた。ピアノの音が素晴らしい。一曲終わって、ピアノの前のスツールにまたがって観客の方を見てしゃべりだした。関西弁のお兄さん。最初に弾いた曲は大塚家具のコマーシャルに使われているものだそうだ。続いての三曲は、ホンダのコマーシャルの曲と、真ん中は忘れたが、三番目は映画イキガミの曲。最後の「さくらメモリー」という曲を弾く前にもう一度客席に向かって話した。去年の春、お祖母様が亡くなる少し前に、大阪は桜が咲いてなかったので東京から桜を持っていった、という話で、去年の浪花花形歌舞伎の時を思い出した。東京は満開だったのに大阪ではやっと開き始めた頃だった。 「さくらメモリー」はノスタルジックな旋律を、ピアノの高音・低音で彩ったような日本人好みの感じの曲だった。

前半最後は尺八の藤原道山。一曲目は「みち」。みちは未知にも通じるし、道山の道でもある、と後のしゃべりの中で言っていた。この曲はシンセサイザーとの共演なのか、何か尺八ではない音が聞こえた。私からは見えないところで誰かが何か弾いていたのか。それが不明だったので、あまり良い印象をもてなかった。次は「空(くう)」という曲。これは尺八だけ。うまいのだろうが、あまり感動しなかった。

前半はピアノ演奏のような比較的静かなとき、低いジーという音が聞こえて気になった。ライトの音かもしれない。もっと気になったのはシャッター音。撮影担当の人だろうが何故コンサートでシャッター音を響かせるんだ!

間に二十分の休憩を挟んで後半。

ギターの村治佳織は、私の席からよく見える下手奥から出てきた。白いドレス。 曲は、マジョルカ、アルハンブラの思い出、タンゴアンスカイ、バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」。

最後が三響会で、三兄弟プラス笛の人で道成寺組曲。一番好きな曲なので嬉しかった。笛の人は名前を失念したのだがとても良かった。紀尾井ホールのような残響だった。

全グループの演奏が終わって、ヒューマンビートボックスのMaLという人が口でドラムのような音を出し、稲本と共演した。この二人のリードで客席全体が手拍子し、出演者全員がまた舞台に現れた。三響会は傳左衛門が先頭で、嬉しそうに手拍子を打ちながら下手奥から出てきた。

最後に出てきたお坊さん達がお盆を持っていたので醍醐寺のときのように散華するかと思ったら、やはり散華してくれたが、2列目くらいまでして届かなかったので、コンサートが終わった後、舞台に手を伸ばして一枚いただいた。

珠響(たまゆら)のコンサートは次は2月にサントリーホールでやるし、各出演者の話では、同年代のこのメンバーでずっとこのコンサートを続けて行こうという意向のようだ。