歌舞伎座さよなら公演四月大歌舞伎 夜の部2009/04/05 03:19

2009年4月4日 歌舞伎座 午後4時半開演 1階8列22番

「毛谷村」

吉右衛門の六助は、剣術にひいでた百姓らしくどっしりしていて、ニンに合っていた。去年見た染五郎の六助は甘い二枚目でいかにも押しかけ女房が来そうで、あれはあれで良かったが、吉右衛門には大人の男の魅力があって、押しかけ女房が来てもおかしくない。 子役が小さくて顔が吉右衛門の四分の一くらいで、吉右衛門が抱えるとパンダが赤ん坊を抱えているくらい大きさが違う。

福助のお園が花道を出てきたときは、背が高めの人、という以外、声を聴いてもわからなかった。 ただ強いだけじゃなく、にっこりすると色っぽいのが福助の良いところ。

「廓文章」

去年の六月以来、この演目を見るのは4回目だ。4年に一度くらいで良い。

前と後ろに明かりを持った黒衣を従えて伊左衛門が花道を出てくる。笠をかぶったままだがほっそりした長身がクネクネ動くのが綺麗だ。

松嶋屋型の廓文章は伊左衛門と喜左衛門・おきさ夫婦のやりとりが楽しくて眠くならない。すねて帰ろうとする伊左衛門を止めようとする二人の姿を伊左衛門が真似てみせるあたりの仁左衛門が可愛くてうまくて好き。

喜左衛門の羽織がいつも気になる私だが、今回は、喜左衛門役の我當が脱いだのを黒衣が別の羽織に取り換え、それを我當が仁左衛門に着せかけていた。二人の羽織のサイズは絶対違うので、この型はサイズに左右されるものではないようだ。今回の場合、我當が仁左衛門に着せかけるのは情があって良かった。

喜左衛門・おきさ夫婦がいなくなった後は、伊左衛門も観客もみんな心を一つにして夕霧を待った。きょうの私の席は夕霧の登場を真正面から見られる素晴らしい席。障子が開き、夕霧が姿を見せると顔を懐紙で隠しているのになぜかものすごく綺麗で、みんな小さく「うわー」と叫ぶ。

この役の玉三郎は只ひたすら綺麗なのが命。前に観たときは、登場して間もなく、後ろを向いたときに「どうだ見ろ」とばかり内掛けを広げて見せたが今回はそれはやらなかった。1月の藤十郎の夕霧と同じで、勘当が解けた後の内掛けが本命らしかった。赤と金の糸の内掛け。玉三郎はあの色が似合う。

玉三郎の夕霧が相手だと、炬燵に寝ている伊左衛門がわざと背を向けたり布団にもぐったりする様子が二人が戯れているようで楽しい。

ただ、夕霧を横に置いて伊左衛門だけが所作をする時が何回かあるのは二人のファンとしては淋しい。

去年の六月は仁左衛門は演舞場の早瀬主税にエネルギーをとられていたのか、あまり感動しなかったが、今回は良かった。

「曽根崎心中」

藤十郎のお初が圧倒的。徳兵衛が縁の下に隠れてお初の足をつかんでいるシーンはポスターにもなっているが、あの時にお初が「徳兵衛も死んだら自分も死ぬ」と語るのは玉手御前を思い出させる。狂気じみた「恋する女」。今月の歌舞伎座で一番きれいなのは玉三郎だが、最高の女は藤十郎だろう。徳兵衛役の翫雀は弟がお初の時は散漫な印象だったが、今月のお初は徳兵衛の演技のレベルもひきずり上げているようだった。

赤い城 黒い砂2009/04/12 03:36

2009年4月11日 日生劇場 午後2時開演 1階A列27番

日生劇場の初日である。

全体に美術が良く、話に冗長なところがなく、殺陣のシーンもあって、飽きない。立派なエンタテインメントになっている舞台だった。ただ、物語の中心である赤い国の宿命をもう少し掘り下げて説明した方が話に深みが出たと思う。「国が栄えると必ず災いが来る」をもっと詳しく知りたいし、ナジャの母である先の女王が「神になった」とは、どういう意味か。こういうところは、観客の解釈に任せて良いものではないと思う。最後の方で牢番の娘のココが超能力を持つようになるが、それ自体は悪くないがやや唐突な印象を受ける。これも、赤い国の設定を神がかったものにしておけばもっと自然に受け入れられるのではないだろうか。

開幕前、舞台には中央に大きな2枚の青い布が降りていて後ろを隠しているだけで、端の方は舞台装置が見えていた。下手に打楽器が置いてあり、最初にパーカッション奏者が出てきて拍手を受けていた。次に青い布の前にモト(中嶋しゅう)が登場して子供の頃お金を拾った話をする。それが終わって青い布が上がり、舞台の全貌が見えて本編が始まる。

幕あきにイラク兵風の赤い国と黒い国の兵隊達が旗を先頭に舞台を左右にすれ違って走るのは迫力があって綺麗だった。兵隊が槍の先を客席に向けて並ぶので、先端恐怖症の人は最前列は避けた方が良いかもしれない。

去年の「風林火山」のときは花道があったが今月はなくて、そのかわりに役者が何回か客席の通路を歩いた。私が座っていた席の反対側の通路に獅童が見えたので、こっちに歩いて来るかと思ったら、私の席の近くには愛之助が立っていて、私の前を通り過ぎて獅童の方に行き、二人で舞台に上がって行った。その後、黒木メイサも客席から舞台に行き、 カタリ(獅童)と赤い国の王女ナジャ(メイサ)が剣を交えるシーンがあり、カタリとジンクは赤い国に捕えられる。ナジャとカタリは互いに戦う中でしか愛を確かめられない、というのは魅力的なモチーフなので、もっと強調してほしい。最初と最後だけでなく、もう一回くらい二人の殺陣があってもいい。

武器商人のモトと、赤い国の王(中山仁)、王女達のシーンの後、舞台が回って、牢屋の中のジンク(愛之助)とカタリ(獅童)のシーンになる。最初、目の錯覚か巨大な人物が立っているように見えたが愛之助だった。

獅童は牢屋にいるときの乱暴で単純でジンクに甘えているようなカタリも、盗賊の首領になったカタリも魅力がある。囚人服も盗賊の毛皮も似合い、獅童でありながら役の人物像が観客にはっきり見える。

愛之助は熱演で、盗賊の首領になったカタリが現れてジンクの正体を暴き、ジンクが傷を隠すために自分の腹を刺すあたりは、カタリに「来世で役者になったら」と言われるほど大熱演である。しかし、 上昇志向の野心家というジンクの人物像が見えにくい。「獅子は一人だけでいい」と牢屋の中でつぶやき、黒い国より発展した赤い国で出世して世継の王女を妻にし、国の実権を握ろうとする男の冷徹さが描き出せてない。特に、親衛隊長になって王女のナジャ(メイサ)や王と話すシーンは、親衛隊長の制服で立っている姿が貧弱で、後でガイナの台詞に出てくるような、女を惹きつける男に見えない。それに王女に対する求愛や王に対する忠誠が打算的なものなのがはっきりしない。

役者本人の化粧や表情やしゃべり方の工夫も必要だろうが、今の衣装や髪型が、愛之助がこの役をやるには不向きだったような気がする。プログラムの中にロイヤルシェイクスピア劇団が演じたときの写真があるが、あのくらい髪型も衣装も普段とはかけ離れたものにした方が別の人格を演じやすいのではないか。今のままでは素のままとあんまり変わらない。せめて髪はウェーブではなく直毛の方が良かったかもしれない。

獅童は普段のしゃべり方を少し強調する程度で済み、愛之助は全く変える必要がある、という不利はわかる。愛之助の殺陣の方が他の役者との絡みが多く難しいのもわかる。後ろにいるモトとジンクが全く同じ台詞を言ったり、ジンクの役は難しい。それでも、初日を見た限りではジンクの役は獅童がやった方が面白かったろうと思ってしまった。

複数回見るときは、何か問題があった方が、後で見るときの楽しみができる。頑張れ、愛之助!

ナジャと王が去った後、ナジャの姉である妾腹の王女ガイナが出てきて「私を抱いた責任がある」と言いだし、ジンクが冷たい態度をとるところは、愛之助が元々持っている色気が生きていてなかなか面白い。

細かいつっこみを入れると、親衛隊長が王女に告ったりして許されるものなのか?それに、いくら妾の娘だからといって、王女に対し「おまえ」呼ばわりは許されないだろう。

ガイナ役の馬淵英俚可がとても良かった。役の人物像に曇りがなく、かつ、この女優の持ち味と合っているからかもしれない。

ジンクとナジャについては何を考えているのかはっきりしない部分がある。ナジャがジンクの求愛を受け入れて婿にすることに決めたのは何故か。ジンクのカタリに対する感情、ナジャに対する感情もいま一つはっきりしない。そのため、最後のジンクとカタリの関係もわかりにくい。

歌舞伎座さよなら公演四月大歌舞伎 昼の部2009/04/26 23:18

2009年4月25日 歌舞伎座 午前11時開演 1階11列8番

伽羅先代萩は二三年前の歌舞伎座から松竹座、演舞場、今月、と短期間に四回も見たので、きょうの舞台を見ながらいろいろ比べてしまった。

花水橋の頼兼は菊之助が、女みたいにきれいだけど超能力で強いお殿様、という不思議キャラで一番気に入ってる。今月の橋之助は男っぽいし身体も大きいので普通に強いお殿様に見えてつまらない。絹川は今回の染五郎が綺麗で結構良い。

今月は飯炊きの場がある。この場があると、千松の見せ場が増える。 ノッポの侍女が出てきたので新悟みたいだと思ったら新悟だった。 玉三郎の政岡が茶道具で米を研いだりする様子を見て、玉三郎はそんなに女らしいわけではないのだと思った。ああいうのは芝のぶなんかがやった方が女らしいに違いない。玉三郎の政岡は良く言えばきりっとしている。悪く言うと有能だがギスギスしたOLのような感じがした。千松が死んで嘆くところは菊之助が一番だった。玉三郎では全く悲しくならない。

八汐の仁左衛門が良いのはもう当たり前になってしまって特に感激がなかった。

床下の鼠が、男之助の下で足を動かしている様子がかわいかった。

吉右衛門の仁木は悪者顔をしていて十一月の海老蔵を思い出した。十一月に観たときは凄く変わっていると思って海老蔵が独自に考えてあのようにしたのかと思ったが、もしかすると吉右衛門の線を狙ったのかもしれない。

外記は今回の歌六も悪くなかったが私は段四朗が好きだ。一番弱そうなので。

坂東玉三郎トーク&ディナー2009/04/28 23:37

2009年4月28日 帝国ホテル 本館3階 富士の間 テーブル12

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ディナー 午後6時から

メニュー

季節の新鮮な海の幸とホワイトアスパラガスの取り合わせ柚子風味のドレッシング

旬のカリフラワーのクリームスープ

牛フィレ肉のステーキ 赤ワインソース 季節の温野菜を添えて

フロマージュブランと苺のハーモニー ライムの香り

コーヒー

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トーク 午後7時15分から

時間になったら舞台上の大きな画面で2005年歌舞伎座の鷺娘の映像を流し始めた。玉三郎がすぐに出てきてトークを始めると思いこんでいたので、司会の人の「映像と語らいの夕べ」ときいて話が違うような気がしたが、チケットにははじめから確かに「映像と~」と書いてあったのだ。

鷺娘が終わり、司会の女性が玉三郎のトークの聞き手を紹介したが、それがなんと、傳次郎。去年の三響会のパーティのときに先代の傳左衛門さんに鼓を習いに来ていた玉三郎の話を佐太郎さんから聞いたし、今の傳左衛門、傳次郎兄弟もデビューの時から玉三郎と関わりがあるのは聞いていたが、このイベントに傳次郎が出てくるとはワンダフルサプライズだった。

下手からスーツ姿の傳次郎が現れて挨拶した後、上手から羽織袴の玉三郎が出てきて、それぞれ下手と上手の床几に座ってトークをした。 私のテーブルは舞台から2列目で、やや上手寄りの中央近くだったので玉三郎の表情もはっきり見え、ラッキーだった。

傳次郎はいつもの饒舌な感じが影をひそめて緊張している様子だった。玉三郎も、「私が司会みたいになっていますが........(傳次郎は)きょうは上がってます」と言った。しかし傳次郎相手になら2時間でも3時間もしゃべれるので本日の相手に選んだのだそうだ。傳次郎は玉三郎を「若旦那」と呼ぶ。

玉三郎が鷺娘を最初に踊ったのは前の演舞場。その時は先代勘三郎と共演で盲目物語の淀君と、文七元結の角海老女将をやった。 鷺娘の衣装が浅葱から藤色に変わっても変わり映えがしないので紫から朱鷺色にした。その形になってから30年。踊った回数は、ある時点までは藤娘の方が多かった。演出が変わったのかと毎回聞かれるが、舞踊の振りは変えない。芝居で変えることはある。

86年のメットのガラから雪の降り方が変わった。それまでは天井から吊るした籠に入れた紙の雪を降らしていたが、その時から樋のような形(?)の入れ物を使って降らせるようになったらしい。それだと、一部を布で覆えば演奏してる人の上には降らない。この話から、傳次郎が「若旦那は演奏者のことも考えてくれている」と言う。

玉三郎は、音楽さえ良ければ役者は真中でウロウロしてればいい、そのくらい音楽が大事、と言う。

傳次郎は十五歳のとき、玉三郎の鷺娘でデビューし、かなり怒られてしごかれたらしい。雪の音の太鼓だったそうだ。

次は、役への入り方について。

鷺娘の場合、「妄執の雲晴れやらぬ朧夜の恋に迷いし吾心」という和歌を自分の中に入れる、という。この話のところでは玉三郎が実際に歌詞を口ずさんだり手や上半身を動かしたりした。(このトークショー全体を通じて、指を伸ばしたり回したり、いろんな動きをする玉三郎の手が見られて、とても得をした気分だった。) 細部がわかっても全体像が見えないことがあるし、細部が気にならなくて全体像が見えれば良い、ということだった。

傳次郎が「美について」と質問すると、 「あー、美ねぇ」と玉三郎。 この年になると心の持ち方だと思う。 まず心の持ちようがあって、そこに何かをしつらえる。そして、そのしつらえが自分の一部になっていることが美の条件。豹が走ったり鳥が飛んだりするのは美しいがそれは目的に対し過不足がない。過不足がないものが一番美しい。

潜水は、息を止めて戻ってくるのが舞踊と同じだった。関節を柔らかくするのが休みの目的だそうだが潜水はその目的にかなっているし、他にもいろいろ良い点がある。傳次郎の伯母さんの家には玉三郎の海水浴の写真があるそうだ。

玉三郎は舞台は見上げて見るよりも、二階、三階のような遠くから、全体を見るのが好き。傳次郎が「海神別荘の演出のときも二階から見てましたね」。

鼓童との共演の時の話もした。

最後にお客さんからの質問を三つ受けた。

そのⅠ 「最近は二人道成寺ばかりだが一人の道成寺をやってほしい。歌舞伎座で見たい」

玉三郎は三年前が最後のつもりだった。さよなら公演の中でやることは、まずない。「先ほど、音楽さえ良ければ演者はウロウロしてれば良いと申しましたが、道成寺はそういうわけにもまいりません」 回数を減らしてやることについて、「答をはぐらかすつもりはないですが、ちょっと別の話をさせていただきます」と言ってマーゴ・フォンテンの例を出した。引退していた彼女は、一日だけなら踊れるでしょと言われて、その一日のために一年練習する時間がとれないわ、と答えたそうだ。道成寺については、25日間ではなく、二人道成寺の中の何回かを一人の道成寺にする、という形とか、検討されてはいるようだった。

その2 「仁左衛門さんと桜姫やってください」

これに対しては「全編通してはもうできません」ときっぱり。ただ、庵室と風鈴お姫だけならやる可能性はあるそうだ。

その3 「鷺娘の最後は玉三郎さんが考えたのか勘十郎さんか」

玉三郎が今やっている鷺娘の最後の振り付けは勘十郎(今の勘十郎の祖父の)が、若き日の紫さんのために作ったものだそうだ。

「できないものをできるとは言えません。でも、道成寺や桜姫以外にもお見せできるものはいろいろありますので」という玉三郎にはファンに対する誠意も感じられて、とても感動した。