六月大歌舞伎 初日 第一部2016/06/03 00:11

2016年6月2日 歌舞伎座 午前11時開演 1階13列15番

「渡海屋・大物浦」

幕が開くと部屋の中で「お安」が寝ている。それが右近の長男のタケル。今月初お目見得だ。筋書にもロビーにも案内が出ているし、承知しているお客さんが多く、注目を浴びている。最初の台詞が終わると盛大な拍手。しっかりしているが子どもらしくかすかに声が裏返るのがかわいい。

右近はタケルが猿之助といっしょに引っ込んだ後に花道から出てくる。魚づくし、ご注進、戸口から投げ出されて倒れるときの格好などの細部まで、今まで観た中で一番の相模五郎だった。

お柳の猿之助は、喉の調子が悪いのかいつになく台詞が聞きづらかった。それでも台詞にメリハリがあるせいか、洗濯の話のところは情景がはっきりと頭に浮かび、最後の「ほほ、ほほ、ほほほほほ」で自然に拍手してしまった。

染五郎は、銀平は貫禄がなくて見得が決まらない。猿之助の声が女らしくないので染五郎のちょっと頼りない声がよけいに気になる。染五郎は知盛の方が良かった。

典侍局と安徳天皇の場面は歌舞伎の中でも最高に好きな場面の1つなのだが、猿之助はおばさん声で若い女に見えず、感動できなかった。

私は9年前の浅草の「渡海屋・大物浦」が忘れられない。あの時の若い七之助の演じた乳母と安徳天皇の関係の美しさ、獅童の銀平のかっこよさ、白い衣装を着て出陣するときのアニメのようなかっこよさ、手負いになってからの必死な雰囲気。あの瑞々しい「渡海屋・大物浦」は、あの時だけのものだったのか。

「時鳥花有里」

義経主従(梅玉、東蔵)、白拍子(魁春、笑三郎、春猿)、傀儡師(染五郎)の所作事。
白拍子、特に春猿が綺麗で、染五郎の面を変えながらの踊りが楽しかった。「桓武天皇九代の後胤~」という、前の幕に自分がやった知盛の踊りも入っているのが面白かった。

六月大歌舞伎 初日 第二部2016/06/03 22:38

2016年6月2日 歌舞伎座 午後2時45分開演 1階12列14番

「木の実」

松也の小金吾がどんな感じになるか興味があった。中学三年くらいの大きな男の子、と思ってみればいいか。
江戸バージョンだが権太の女房の小せん(秀太郎)の言葉は関西風。でも、衣装は江戸バージョンなのでおひきずり。
幸四郎は海老蔵と同じで、出て来たときから胡散臭い。
刀を抜こうとする小金吾の腕を足で止める形は、二人とも頑張っていたと思う。

「小金吾討死」

上方バージョンと違って、若葉の内侍と六代君は出てこない。小金吾がひたすら討手と戦う感じで立ち回り中心。花道で、討手が小金吾の背中を跳び越えてトンボ、もある。

「すし屋」

染五郎の弥助実は維盛を観るのはこれで三度目だが、桶を重そうに運んで来る花道の出から、もう本当にはまり役。この役は女形がやることが多いが、染五郎のように男として魅力がある人がやる方が好きだ。

お目当ての猿之助のお里。楽しそうに演じていた。弥助から、片手で軽々と桶を受け取る手つきで笑わせてくれる。お里、ああせえ、こうせえ、と言ってくれ、と弥助に稽古をつけるところ、客を笑わせるツボをよく心得ている。
猿之助の「ビビビビビー」を観るのはこれが最初で最後かもしれない。

刺されてから死ぬまでの権太の長台詞は、幸四郎の美声と演技力で、江戸バージョンにしてはこってりした感じで、見応えがあった。

国立劇場 六月 歌舞伎鑑賞教室2016/06/06 23:55

2016年6月4日 国立劇場大劇場 午後2時半開演 3階9列1番


「歌舞伎のみかた」の解説の萬太郎は、大きな声で歯切れがよく、噛むこともなく、アナウンサーのようでわかりやすかった。
景清役は橋吾、新三と弥太五郎は國矢と千次郎。
きょうは宗生が通っている青山学院の生徒たちが来ているそうだ。

「魚屋宗五郎」

何度も観ているが、話自体が面白いので、最初から最後まで、時に笑いながら飽きずに観た。

梅枝は姿が綺麗で、台詞はともかく動きについては、ずいぶん上品な感じがするおはまだった。手拭いを懐から取り出して涙をぬぐうところなど、孝太郎はうまかったなあ、と思い出した。
父役の橘太郎と、お悔やみに来ている茶屋の娘おしげ役の福緒が、本当に悲しそうで良かった。

三吉役の宗生は、今まで観た中で一番三吉の実際の年齢に近いのではないかと思う。歌舞伎としてはもちろんまだ下手だが、リアリティはあった。センスが良さそうなので、うまくなると思う。

磯部の殿様は松江かと思ったら萬太郎。すごく品がある立派な殿さまで、びっくりした。

六月大歌舞伎 第三部2016/06/15 18:47

2016年6月4日 歌舞伎座 午後6時15分開演 1階14列29番

国立劇場から歌舞伎座へ移動。途中、夕食もとれるくらい余裕があった。

「吉野山」

「四の切」はもう一生分観たような気がしていて、この三部を観に来たのは偏に、染五郎の静が観たいからだ。遠目には綺麗だった。声を聞いて、ああ染五郎だ、と思った。鏡獅子の弥生はもっと伸び伸びと踊っていた。相手のあることだから、ちょっと遠慮しているのかもしれない。
猿之助の忠信より大きいが、男雛女雛の形になるときは、しっかり背を盗んでいた。染五郎の静が大きかったのは、次の幕で笑也の静が出て来たときにあらためて感じた。

猿弥の逸見藤太はユーモラスで、台詞もめでたくて良かった。

猿之助の忠信は、一人になった後の高いジャンプと、ぶっかえって狐六方で引っ込むのが印象的だった。
澤瀉屋型の、一人になってからの忠信が昔から好きだ。先代は狐の本性を表す前が男の色気を感じさせて好きだった。花道の引っ込みは、やっぱり狐六方の方が盛り上がる。

「四の切」

また観るのか、とウンザリしていた「四の切」だが、前の幕からの熱気と祝祭的な雰囲気で気持ちが高揚してきた。
駿河次郎(松也)と亀井六郎(巳之助)が出てくるところや、次の場の時間稼ぎに、明りを手にした腰元たちが庭を見て回るシーンを懐かしく感じた。
猿之助の狐がチョコッ、チョコッと階段を降りてくるところは、足先と降り方を狐らしいと感じた。
正月の浅草歌舞伎のときに松也の狐は欄干を上るのに手間取っていたが、猿之助は欄干をつかんで、まるで体操選手のように軽々と身体を中に飛ばした。
観客が、それまでの猿之助の奮闘ぶりに感心しているから、最後の宙乗りで思いっきり拍手をして盛り上がる。あの猿之助の宙乗りが、歌舞伎座に戻って来た。