年忘れ喜劇特別公演 ― 2011/12/04 01:36
2011年12月3日 新橋演舞場 午後4時開演 2階1列18番
「銀のかんざし」
昔、テレビで見たことがある。たぶん、酒井光子と小島秀哉だった。
小島秀哉は今月は家主(いえぬし)の役をやっている。
幕開きは井戸がえの光景。井戸がえといっても井戸を引っ越すわけではなく、年に一度、井戸の水をさらうものらしい。落とした弁当の蓋などが上がる。銀のかんざしも上がったもののひとつで、おかつ(藤山直美)が、年下の亭主清之介(薪車)を痴話喧嘩の末に井戸に追い詰め、刺そうとしたときに落としたものだと言う。京都の話で、天秤棒をかついでお重に入れた昆布巻を売りに来ている人がいる。
集まっている人たちの中に出てくる清之介は赤い着物。 薪車は長身で、その上に赤い着物を着ているので目立つ。家主に誘われてみんなでぜんざいを食べに行こうとするが、そこにおかつが現れて止める。
おかつは清之介を一時でも離したくない、年上の髪結い。清之介は腕の良い大工だが、おかつと暮らしているせいで仕事がもらえない。今は文字通り「髪結いの亭主」状態。しかし、おかつは井戸のそばで、母親のように足を拭いてくれたりする。あれでかまわないと思う男は、古今東西たくさんいるだろうと思う。
おかつの自宅兼髪結いの店。髪をほどいたお客さんが、おかつを待っていた。おかつは、昼間から1杯やる清之介の面倒を見て、客は髪を引っ張られて転がされたりしている。清之介は清之介で、箸が無いの何が無いのと言って、おかつを呼ぶ。そのたびに客はほったらかしにされる。あんな美容院、私なら2度と行かない。昨晩見た「セカンドバージン」の再放送では、年下の恋人のいる女は、仕事はおろそかにしていなかった。おかつみたいに仕事もおろそかにして男におぼれるのは、全うな社会人の視点からは是認できない。清之介も、女の仕事を邪魔してはいけないと思う。しかし一方で、自宅兼職場で仕事と亭主の世話をいっしょくたにするけじめのなさ、仕事より亭主の世話を優先してしまうだらしなさの方が人間の自然に近いのだとも思う。そういう2人だから、この芝居がハッピーエンドで終わるのかもしれない。
客の一人の役で新派の鴫原桂が出ていた。
家主の口ぞえで、清之介は三ヶ月、神戸の方へ一人で働きに行くことになる。その三ヶ月が過ぎようとする頃、実は清之介が京都で働いていることがわかり、おかつが逆上して家を飛び出す。おかつが丼で酒を飲む様子が勧進帳の弁慶のようだった。おかつの弟子ですき子の二人が可愛い。言ってることやしてることが若い女の子らしく、腰が抜けたような歩き方もうまい。
藤山直美は、この役に合っている。しっかりした芸のある人だと思う。
清之介は、別の地方から京都に大工の修行に来たことになっていて、関西弁ではなく、「けえって来たぜ」のような関東の言葉だが、これは寛美が演じたときもそうだったのだろうか。それとも、関東出身の薪車仕様?
「殿様茶店の恋日和」
浮気な殿様(薪車)と、焼きもち妬きの奥方(藤山直美)、茶屋の娘おはま(藤山直美)、殿様そっくりの盗賊(薪車)、女盗賊(藤山直美)と、薪車と直美は二役と三役。それに、駕籠かき役の小島秀哉と小島慶四郎が主な顔ぶれだ。
薪車の役は寛美がやった役だから、主役。寛美のような滑稽さはないが、長い立ち回りのシーンは本職。盗賊が役人に追いかけられて逃げるシーンでは、棒をバトントワラーのように振り回したり、歌舞伎のようにクルクルクルと回ったり。小金吾討死のときのように、役人達がなわを互いに投げ合って放射状に張るのもあった。薪車があの上に乗るのかと思ったら、放射状になった縄をそのまま持って、役人達は一時後方へ移動し、やがて前方に戻ってきた。そして、高いところで立ち回りをしていた薪車が、縄の上にダイブした。ああいうのは初めて観た。
「銀のかんざし」
昔、テレビで見たことがある。たぶん、酒井光子と小島秀哉だった。
小島秀哉は今月は家主(いえぬし)の役をやっている。
幕開きは井戸がえの光景。井戸がえといっても井戸を引っ越すわけではなく、年に一度、井戸の水をさらうものらしい。落とした弁当の蓋などが上がる。銀のかんざしも上がったもののひとつで、おかつ(藤山直美)が、年下の亭主清之介(薪車)を痴話喧嘩の末に井戸に追い詰め、刺そうとしたときに落としたものだと言う。京都の話で、天秤棒をかついでお重に入れた昆布巻を売りに来ている人がいる。
集まっている人たちの中に出てくる清之介は赤い着物。 薪車は長身で、その上に赤い着物を着ているので目立つ。家主に誘われてみんなでぜんざいを食べに行こうとするが、そこにおかつが現れて止める。
おかつは清之介を一時でも離したくない、年上の髪結い。清之介は腕の良い大工だが、おかつと暮らしているせいで仕事がもらえない。今は文字通り「髪結いの亭主」状態。しかし、おかつは井戸のそばで、母親のように足を拭いてくれたりする。あれでかまわないと思う男は、古今東西たくさんいるだろうと思う。
おかつの自宅兼髪結いの店。髪をほどいたお客さんが、おかつを待っていた。おかつは、昼間から1杯やる清之介の面倒を見て、客は髪を引っ張られて転がされたりしている。清之介は清之介で、箸が無いの何が無いのと言って、おかつを呼ぶ。そのたびに客はほったらかしにされる。あんな美容院、私なら2度と行かない。昨晩見た「セカンドバージン」の再放送では、年下の恋人のいる女は、仕事はおろそかにしていなかった。おかつみたいに仕事もおろそかにして男におぼれるのは、全うな社会人の視点からは是認できない。清之介も、女の仕事を邪魔してはいけないと思う。しかし一方で、自宅兼職場で仕事と亭主の世話をいっしょくたにするけじめのなさ、仕事より亭主の世話を優先してしまうだらしなさの方が人間の自然に近いのだとも思う。そういう2人だから、この芝居がハッピーエンドで終わるのかもしれない。
客の一人の役で新派の鴫原桂が出ていた。
家主の口ぞえで、清之介は三ヶ月、神戸の方へ一人で働きに行くことになる。その三ヶ月が過ぎようとする頃、実は清之介が京都で働いていることがわかり、おかつが逆上して家を飛び出す。おかつが丼で酒を飲む様子が勧進帳の弁慶のようだった。おかつの弟子ですき子の二人が可愛い。言ってることやしてることが若い女の子らしく、腰が抜けたような歩き方もうまい。
藤山直美は、この役に合っている。しっかりした芸のある人だと思う。
清之介は、別の地方から京都に大工の修行に来たことになっていて、関西弁ではなく、「けえって来たぜ」のような関東の言葉だが、これは寛美が演じたときもそうだったのだろうか。それとも、関東出身の薪車仕様?
「殿様茶店の恋日和」
浮気な殿様(薪車)と、焼きもち妬きの奥方(藤山直美)、茶屋の娘おはま(藤山直美)、殿様そっくりの盗賊(薪車)、女盗賊(藤山直美)と、薪車と直美は二役と三役。それに、駕籠かき役の小島秀哉と小島慶四郎が主な顔ぶれだ。
薪車の役は寛美がやった役だから、主役。寛美のような滑稽さはないが、長い立ち回りのシーンは本職。盗賊が役人に追いかけられて逃げるシーンでは、棒をバトントワラーのように振り回したり、歌舞伎のようにクルクルクルと回ったり。小金吾討死のときのように、役人達がなわを互いに投げ合って放射状に張るのもあった。薪車があの上に乗るのかと思ったら、放射状になった縄をそのまま持って、役人達は一時後方へ移動し、やがて前方に戻ってきた。そして、高いところで立ち回りをしていた薪車が、縄の上にダイブした。ああいうのは初めて観た。
七世松本幸四郎襲名百年 日生劇場 十二月歌舞伎公演 昼の部 ― 2011/12/18 04:02
2011年12月17日 日生劇場 午前11時開演 1階I列17番
「碁盤忠信」
一幕目は、勝手神社の鳥居の前に義経(亀三郎)、静(春猿)たちが集まっていて、「鳥居前」のような舞台。役者の足の先まで見える、と思ったら、所作板が敷き詰めてあった。そこに忠信が出てくるのも鳥居前と同じ。 しかし忠信役の染五郎が出てくると、それまで地味ながらも歌舞伎だったものが、歌舞伎風味の別の芝居のように見えてくる。
二幕目で奴三郎吾(弘太郎)とお勘(笑三郎)が花道から出てきた。お勘は酒の言い立てをする。酒に酔った忠信(染五郎)が踊る。この踊りがこの芝居の中で一番楽しかった。後見は廣太郎。
海老蔵の声が花道の奥から聞こえて、道成寺の押し戻しのときのような衣装を着た横川(海老蔵)が出てくる。2人の立ち回りがあり、忠信の長刀と横川のさす又で、一瞬、夏祭りの団七と徳兵衛の立ち回りのときのような形にもなる。海老蔵には、人間の力を超えた力を感じる。
碁盤忠信というだけあって、碁盤、碁笥、碁石が小道具として活躍する。碁笥が持ち上がっていったり、碁石をならべたすだれのようなものが現れたり。染五郎が碁盤の足のひとつをもって碁盤を頭上に持ち上げ、見得を切る。「松本の家の芸を受け継ぐ」とか、「これを観れば皆さんの新年の厄落とし」という言葉が入っている。
「茨木」
以前、花柳流の舞踊会で綱を団十郎、宇源太を愛之助がやったのを観たが、それと大体同じだった。
最初に下手の揚幕から出てくる宇源太は亀寿、それについて出てくる太刀持音若は梅丸。綱は海老蔵。
気づかぬうちに、真柴役の松緑が腰を落として年寄りらしくしずしずと花道を歩いて出てきた。衣装が上品で高級そうで素敵。
木戸の前で綱を養育した昔語りの踊りをしたが、綱が面会してくれないので、花道を引き上げる。そのときのやや早足で立ち去る足の動かし方が素晴らしかった。花道がよく見える席でよかった。
真柴はまた戻ってきて、綱の館に入る。そして上手に座り、綱は下手に移る。それにつれて太刀持ちも下手に。
酒を飲み始めた真柴をもてなすために太刀持が踊る。梅丸の踊りが良かった。
真柴の右手だけの舞は悪くないが、花柳の舞踊会で踊った人みたいな凄さは感じなかった。
真柴に化けていた茨木が左手をつかんで下手に消えた後、士卒の3人(高麗蔵、亀三郎、市蔵)が出てきて踊った。 高麗蔵の踊りは初めて見たような気がするが、うまいと思った。
茨木童子に変わって出てきた松緑の顔が、絵本の鬼みたいで笑えた。
最後は、舞台の真ん中に綱の海老蔵がいて、観客の目はどうしてもそちらに行きそうだったが、茨木が左手を持って飛び六方で引っ込む前に舞台の幕は閉まり、花道の茨木だけになった。
「碁盤忠信」
一幕目は、勝手神社の鳥居の前に義経(亀三郎)、静(春猿)たちが集まっていて、「鳥居前」のような舞台。役者の足の先まで見える、と思ったら、所作板が敷き詰めてあった。そこに忠信が出てくるのも鳥居前と同じ。 しかし忠信役の染五郎が出てくると、それまで地味ながらも歌舞伎だったものが、歌舞伎風味の別の芝居のように見えてくる。
二幕目で奴三郎吾(弘太郎)とお勘(笑三郎)が花道から出てきた。お勘は酒の言い立てをする。酒に酔った忠信(染五郎)が踊る。この踊りがこの芝居の中で一番楽しかった。後見は廣太郎。
海老蔵の声が花道の奥から聞こえて、道成寺の押し戻しのときのような衣装を着た横川(海老蔵)が出てくる。2人の立ち回りがあり、忠信の長刀と横川のさす又で、一瞬、夏祭りの団七と徳兵衛の立ち回りのときのような形にもなる。海老蔵には、人間の力を超えた力を感じる。
碁盤忠信というだけあって、碁盤、碁笥、碁石が小道具として活躍する。碁笥が持ち上がっていったり、碁石をならべたすだれのようなものが現れたり。染五郎が碁盤の足のひとつをもって碁盤を頭上に持ち上げ、見得を切る。「松本の家の芸を受け継ぐ」とか、「これを観れば皆さんの新年の厄落とし」という言葉が入っている。
「茨木」
以前、花柳流の舞踊会で綱を団十郎、宇源太を愛之助がやったのを観たが、それと大体同じだった。
最初に下手の揚幕から出てくる宇源太は亀寿、それについて出てくる太刀持音若は梅丸。綱は海老蔵。
気づかぬうちに、真柴役の松緑が腰を落として年寄りらしくしずしずと花道を歩いて出てきた。衣装が上品で高級そうで素敵。
木戸の前で綱を養育した昔語りの踊りをしたが、綱が面会してくれないので、花道を引き上げる。そのときのやや早足で立ち去る足の動かし方が素晴らしかった。花道がよく見える席でよかった。
真柴はまた戻ってきて、綱の館に入る。そして上手に座り、綱は下手に移る。それにつれて太刀持ちも下手に。
酒を飲み始めた真柴をもてなすために太刀持が踊る。梅丸の踊りが良かった。
真柴の右手だけの舞は悪くないが、花柳の舞踊会で踊った人みたいな凄さは感じなかった。
真柴に化けていた茨木が左手をつかんで下手に消えた後、士卒の3人(高麗蔵、亀三郎、市蔵)が出てきて踊った。 高麗蔵の踊りは初めて見たような気がするが、うまいと思った。
茨木童子に変わって出てきた松緑の顔が、絵本の鬼みたいで笑えた。
最後は、舞台の真ん中に綱の海老蔵がいて、観客の目はどうしてもそちらに行きそうだったが、茨木が左手を持って飛び六方で引っ込む前に舞台の幕は閉まり、花道の茨木だけになった。
七世松本幸四郎襲名百年 日生劇場 十二月歌舞伎公演 夜の部 ― 2011/12/21 23:58
2011年12月17日
「錣 引」
舞台も客席も暗くて、眠気を催す演目。
せっかく笑也が出ているのに活きていない。話の筋はともかく、もっと演出を考えないと、全く面白くない。
「口上」
七世の曾孫である3人の口上。
真ん中に染五郎、上手に松緑、下手に海老蔵。染五郎が最初に挨拶。年上というより、松本家の跡取りという立場だろう。紋付で素顔、というのは、七世襲名のときを踏襲したそうだ。そういえば、口上のときはみんな拵えをして並ぶのが普通だな。きょうの口上の3人は浅草歌舞伎のお年玉ご挨拶みたいな格好をしている。
七世襲名のときは毎日口上の内容が変わったそうで、松緑だけがそれを踏襲している。きょうは、染五郎が高校のときにもてて、正門と裏門に別の女子高の女の子が待っていたとか、千代田線で女性といっしょにいるところを見たとか、学校では染五郎は良い藤間、自分はダメな藤間だった、そして、染五郎が卒業したと思ったら亀治郎が一年下に入ってきて、こんどは良い歌舞伎役者とダメな歌舞伎役者と呼ばれるようになった、という話をして、盛大な拍手をもらっていた。
続く海老蔵は、七世は若いときに団十郎の弟子になって・・・等、非常に真面目な内容。なんて綺麗な顔なんだろうと思った。
最後を染五郎がしめる。「松緑さんが無いこと無いこと言ってくれて」というと松緑が染五郎のほうに顔を向けた。しかし、毎日違う内容の口上は染五郎と海老蔵はできないけれども、松緑がやってくれているのだそうだ。
「勧進帳」
立鼓が傳左衛門で、その隣に今日は小鼓の傳次郎。
富樫役の松緑が上手から現れ、夜の部も太刀持音若の梅丸が後に続く。松緑は、怪しい者はいっちにんも通さないぞ、という気迫がある。舌足らずだが声量はあり、荒事に向いてそうな感じがする。相撲の行司風というか。
「染五郎と読む歌舞伎になった義経物語 」の表紙の写真と同じ拵えの染五郎。 女々しさのある顔立ちが、義経にぴったり。四天王よりも長身で、スラリと品のある貴公子。前の代には義経に向く人はいなかったが、染五郎は極め付けといっても良いくらい義経向き。
四天王は亀三郎、亀寿、猿弥、市蔵で、役者がそろっている。
最後に出てくる海老蔵の弁慶は、ドスの聞いた低音か素敵。何か尋常でないものが出てきた雰囲気がある。
弁慶が勧進帳を読んでいるとき富樫がそろそろと近づいて来て、弁慶がそれに気づくところの緊張した場面が面白くなかった。海老蔵襲名の松竹座のときは、あれが本当に面白くて、観客全員が舞台に引き込まれるような魅力があった。あれは仁左衛門がうまかったんだなあ。
松緑は、弁慶の方を見ているときに棒立ちになっていることが多い。仁左衛門の富樫は、終始もっと緊張感を感じる格好をしていたと思うのだが。踊りが得意な松緑なら、首から下はもっとどうにかできそうなものだ。
海老蔵は美声で声量もあるが、今月は台詞がききとりにくかった。勧進帳の台詞は、聞き取れても私には半分も意味がわからない。しかし、今月はひらがなで書き取るのも無理そうだった。口の前にある烏帽子の紐の先がじゃまに見えたくらいだ。あんな、言ってることもわからない、目ばかりぎょろぎょろさせた胡散臭い男に、富樫はだまされないと思う。
舞台の幕がしまって、花道の六方。長く片足を上げて、かっこいい弁慶。
「錣 引」
舞台も客席も暗くて、眠気を催す演目。
せっかく笑也が出ているのに活きていない。話の筋はともかく、もっと演出を考えないと、全く面白くない。
「口上」
七世の曾孫である3人の口上。
真ん中に染五郎、上手に松緑、下手に海老蔵。染五郎が最初に挨拶。年上というより、松本家の跡取りという立場だろう。紋付で素顔、というのは、七世襲名のときを踏襲したそうだ。そういえば、口上のときはみんな拵えをして並ぶのが普通だな。きょうの口上の3人は浅草歌舞伎のお年玉ご挨拶みたいな格好をしている。
七世襲名のときは毎日口上の内容が変わったそうで、松緑だけがそれを踏襲している。きょうは、染五郎が高校のときにもてて、正門と裏門に別の女子高の女の子が待っていたとか、千代田線で女性といっしょにいるところを見たとか、学校では染五郎は良い藤間、自分はダメな藤間だった、そして、染五郎が卒業したと思ったら亀治郎が一年下に入ってきて、こんどは良い歌舞伎役者とダメな歌舞伎役者と呼ばれるようになった、という話をして、盛大な拍手をもらっていた。
続く海老蔵は、七世は若いときに団十郎の弟子になって・・・等、非常に真面目な内容。なんて綺麗な顔なんだろうと思った。
最後を染五郎がしめる。「松緑さんが無いこと無いこと言ってくれて」というと松緑が染五郎のほうに顔を向けた。しかし、毎日違う内容の口上は染五郎と海老蔵はできないけれども、松緑がやってくれているのだそうだ。
「勧進帳」
立鼓が傳左衛門で、その隣に今日は小鼓の傳次郎。
富樫役の松緑が上手から現れ、夜の部も太刀持音若の梅丸が後に続く。松緑は、怪しい者はいっちにんも通さないぞ、という気迫がある。舌足らずだが声量はあり、荒事に向いてそうな感じがする。相撲の行司風というか。
「染五郎と読む歌舞伎になった義経物語 」の表紙の写真と同じ拵えの染五郎。 女々しさのある顔立ちが、義経にぴったり。四天王よりも長身で、スラリと品のある貴公子。前の代には義経に向く人はいなかったが、染五郎は極め付けといっても良いくらい義経向き。
四天王は亀三郎、亀寿、猿弥、市蔵で、役者がそろっている。
最後に出てくる海老蔵の弁慶は、ドスの聞いた低音か素敵。何か尋常でないものが出てきた雰囲気がある。
弁慶が勧進帳を読んでいるとき富樫がそろそろと近づいて来て、弁慶がそれに気づくところの緊張した場面が面白くなかった。海老蔵襲名の松竹座のときは、あれが本当に面白くて、観客全員が舞台に引き込まれるような魅力があった。あれは仁左衛門がうまかったんだなあ。
松緑は、弁慶の方を見ているときに棒立ちになっていることが多い。仁左衛門の富樫は、終始もっと緊張感を感じる格好をしていたと思うのだが。踊りが得意な松緑なら、首から下はもっとどうにかできそうなものだ。
海老蔵は美声で声量もあるが、今月は台詞がききとりにくかった。勧進帳の台詞は、聞き取れても私には半分も意味がわからない。しかし、今月はひらがなで書き取るのも無理そうだった。口の前にある烏帽子の紐の先がじゃまに見えたくらいだ。あんな、言ってることもわからない、目ばかりぎょろぎょろさせた胡散臭い男に、富樫はだまされないと思う。
舞台の幕がしまって、花道の六方。長く片足を上げて、かっこいい弁慶。
當る辰歳 吉例顔見世 夜の部 ― 2011/12/25 22:24
2011年12月24日 南座 午後4時15分開演 1階左三 3番
「楼門五三桐」
様式美の一幕。 石川五右衛門は我當、真柴久吉は秀太郎。
左忠太が進之介なら、右忠太は壱太郎でなく愛之助にして松嶋屋で固めたらどうかと思うが、そういうものでもないのか。
「実盛物語」
10月に演舞場で観た「義賢最期」の続きなので、話がよくわかる。身ごもった葵御前(孝太郎)がいるし、九郎助(家橘)と、太郎吉もいる。太郎吉は顔は変わったが、座り方は同じ。小万の姿がないが、「折平の後を追っていったのではないか」と言われている。
しかし、九郎助が持ってきた腕は白旗を握っている。義賢が小万に託した、懐かしいあの白旗だ。
平家の侍である実盛(菊五郎)と瀬尾(左團次)が詮議のために来る。瀬尾が後ろの藪に隠れたタイミングで義太夫が葵太夫に変わった。
「竹生島」の幕はないが、実盛が仕方話で、小万の腕を切り落としたことを語る。
そして、小万(時蔵)の死体が戸板に載せて運ばれてくる。小万の腕に切り落とされた腕をつなぐと小万が一瞬生き返り、何か言って、また倒れる。 瀬尾が小万を蹴飛ばすと上体が起き、黒幕に隠されて上手にはけた。ほとんどの時間死体なのだけれども、時蔵が凛としていて良かった。「義賢最期」では便利に使われ、源氏の白旗を守りぬいて死んだ小万。
小万は実は捨て子だった。瀬尾が小万の実の父で、孫の太郎吉に手柄を上げさせるためにわざと小万を蹴って太郎吉が刺すように仕向けたのだ。そして、首を切る。この後、左團次も黒幕に隠されて上手にはけて行ったが、体の大きい人なので、隠す方も隠される方も大変そうだった。
菊五郎は、葵御前の産室を覗こうとする太郎吉に、「ツネツネをいたすぞ」と言ったり、「(馬に)乗るか?」と聞いたりするところに、この人の持っている包容力が感じられて、自然な情がある実盛だった。仁左衛門、海老蔵、勘太郎、と観てきたが、かっこよいとか颯爽としてるとか所作が綺麗とかでなく、心が感じられる実盛で、私は菊五郎の実盛に一番好感を持った。
「仙石屋敷」
歌舞伎座で観たとき、さよなら公演の中でも個人的に一番にあげても良いほど感動した演目だ。今月は、仁左衛門の向いている方向と逆に座っていたせいか、少し感動が薄かった。
そのかわり、他の役者達が記憶に残った。 仙石伯耆守(三津五郎)に母のことを聞かれて動揺する、主税役の壱太郎が可愛くてもらい泣きしそうだった。歌舞伎座のときは誰だったか覚えてなかったので上演リストを見たら巳之助。年齢は同じだが、壱太郎は中性的で、元服したばかりの15才の男の子に見える。その高い声を聞くと涙腺が刺激される。
この芝居の最初に出る吉田忠左衛門役の團蔵が、控えめで落ち着いた初老の武士らしくて良かった。
忠左衛門から黒米をもらう伴特介の役は右近。歌舞伎座のときは梅丸で、まだ子供だったので、少し印象が違う。
「喜撰」
前の芝居のあと、となりの人たちが帰ってしまったので、足を伸ばして好きな体勢で踊りを観た。 極楽~
三津五郎は、2演目続けて頑張る。喜撰法師の役。桜の枝を持って出てきて踊る。
時蔵は茶汲女のお梶。モノクロの着物で襟のところに金糸が入り、袖から見える襦袢と帯締めは赤いさし色。時蔵の踊りも悪くなかった。
お梶の踊りの後、所化達が出てくるが、梅枝、壱太郎、右近、と踊り手がそろっている。壱太郎と右近、梅枝と萬太郎が組んで踊った。右近はがっちりしていて、壱太郎は首が長く顔が小さい。
三津五郎は、所化達の前で一人で踊った踊りが良かった。
「らくだ」
らくだの宇之助(亀鶴)が河豚にあたって死に、その兄貴分の熊五郎(愛之助)は、紙くず屋(翫雀)に家財を買うように言う。
前に観たときは、吉右衛門が紙くず屋という、無理がありすぎる配役だった。翫雀は丸みがあってぴったり。
今夜はクリスマススペシャルで、酒屋の丁稚役の壱太郎の前掛けにサンタの絵、サンタの髪飾り。そして、プレゼントとして客席に手ぬぐいをいくつか投げた。 「酒を三じょう持って来い」と言われ、「さんじょう、さんじょう、さんじょう・・・・・」とつぶやきながら、花道の奥を見やる。おおっ、これは、と思っていると、花道に座って、「いまだ参上・・・・つかまつりませぬ」をやった。仙石屋敷で主税役だった壱太郎の、大星力弥。
壱太郎が去ると、翫雀が「あれ、親は苦労すんで」、愛之助が「親の顔がみたいな」と言って笑わせた。
熊五郎が、らくだの死体にかんかんのうを踊らせて家主を脅かすために、布団に横たわっていた死体役の亀鶴を引っ張り出すと、俄然可笑しくなる。死体は黄色っぽい。紙くず屋の肩に腕をかけて引きずられて行くが、紙くず屋が歩くのに合わせて死体も左右の足を順番に出して歩いていた。
前に観た東京バージョンの方が、死体を動かして踊らせる時間がもっと長かったと思うが、上方バージョンは、かんかんのうだけでなく娘道成寺の「誰にみしょとて~」のくだりも踊らせる。死体役の亀鶴が、両手を口元にもっていくような動きをするのが面白い。
最後は熊五郎、らくだ、くず屋の3人が重なって踊るが、熊五郎はくず屋が南座の前で拾ったというサンタの帽子をかぶせられた。
「楼門五三桐」
様式美の一幕。 石川五右衛門は我當、真柴久吉は秀太郎。
左忠太が進之介なら、右忠太は壱太郎でなく愛之助にして松嶋屋で固めたらどうかと思うが、そういうものでもないのか。
「実盛物語」
10月に演舞場で観た「義賢最期」の続きなので、話がよくわかる。身ごもった葵御前(孝太郎)がいるし、九郎助(家橘)と、太郎吉もいる。太郎吉は顔は変わったが、座り方は同じ。小万の姿がないが、「折平の後を追っていったのではないか」と言われている。
しかし、九郎助が持ってきた腕は白旗を握っている。義賢が小万に託した、懐かしいあの白旗だ。
平家の侍である実盛(菊五郎)と瀬尾(左團次)が詮議のために来る。瀬尾が後ろの藪に隠れたタイミングで義太夫が葵太夫に変わった。
「竹生島」の幕はないが、実盛が仕方話で、小万の腕を切り落としたことを語る。
そして、小万(時蔵)の死体が戸板に載せて運ばれてくる。小万の腕に切り落とされた腕をつなぐと小万が一瞬生き返り、何か言って、また倒れる。 瀬尾が小万を蹴飛ばすと上体が起き、黒幕に隠されて上手にはけた。ほとんどの時間死体なのだけれども、時蔵が凛としていて良かった。「義賢最期」では便利に使われ、源氏の白旗を守りぬいて死んだ小万。
小万は実は捨て子だった。瀬尾が小万の実の父で、孫の太郎吉に手柄を上げさせるためにわざと小万を蹴って太郎吉が刺すように仕向けたのだ。そして、首を切る。この後、左團次も黒幕に隠されて上手にはけて行ったが、体の大きい人なので、隠す方も隠される方も大変そうだった。
菊五郎は、葵御前の産室を覗こうとする太郎吉に、「ツネツネをいたすぞ」と言ったり、「(馬に)乗るか?」と聞いたりするところに、この人の持っている包容力が感じられて、自然な情がある実盛だった。仁左衛門、海老蔵、勘太郎、と観てきたが、かっこよいとか颯爽としてるとか所作が綺麗とかでなく、心が感じられる実盛で、私は菊五郎の実盛に一番好感を持った。
「仙石屋敷」
歌舞伎座で観たとき、さよなら公演の中でも個人的に一番にあげても良いほど感動した演目だ。今月は、仁左衛門の向いている方向と逆に座っていたせいか、少し感動が薄かった。
そのかわり、他の役者達が記憶に残った。 仙石伯耆守(三津五郎)に母のことを聞かれて動揺する、主税役の壱太郎が可愛くてもらい泣きしそうだった。歌舞伎座のときは誰だったか覚えてなかったので上演リストを見たら巳之助。年齢は同じだが、壱太郎は中性的で、元服したばかりの15才の男の子に見える。その高い声を聞くと涙腺が刺激される。
この芝居の最初に出る吉田忠左衛門役の團蔵が、控えめで落ち着いた初老の武士らしくて良かった。
忠左衛門から黒米をもらう伴特介の役は右近。歌舞伎座のときは梅丸で、まだ子供だったので、少し印象が違う。
「喜撰」
前の芝居のあと、となりの人たちが帰ってしまったので、足を伸ばして好きな体勢で踊りを観た。 極楽~
三津五郎は、2演目続けて頑張る。喜撰法師の役。桜の枝を持って出てきて踊る。
時蔵は茶汲女のお梶。モノクロの着物で襟のところに金糸が入り、袖から見える襦袢と帯締めは赤いさし色。時蔵の踊りも悪くなかった。
お梶の踊りの後、所化達が出てくるが、梅枝、壱太郎、右近、と踊り手がそろっている。壱太郎と右近、梅枝と萬太郎が組んで踊った。右近はがっちりしていて、壱太郎は首が長く顔が小さい。
三津五郎は、所化達の前で一人で踊った踊りが良かった。
「らくだ」
らくだの宇之助(亀鶴)が河豚にあたって死に、その兄貴分の熊五郎(愛之助)は、紙くず屋(翫雀)に家財を買うように言う。
前に観たときは、吉右衛門が紙くず屋という、無理がありすぎる配役だった。翫雀は丸みがあってぴったり。
今夜はクリスマススペシャルで、酒屋の丁稚役の壱太郎の前掛けにサンタの絵、サンタの髪飾り。そして、プレゼントとして客席に手ぬぐいをいくつか投げた。 「酒を三じょう持って来い」と言われ、「さんじょう、さんじょう、さんじょう・・・・・」とつぶやきながら、花道の奥を見やる。おおっ、これは、と思っていると、花道に座って、「いまだ参上・・・・つかまつりませぬ」をやった。仙石屋敷で主税役だった壱太郎の、大星力弥。
壱太郎が去ると、翫雀が「あれ、親は苦労すんで」、愛之助が「親の顔がみたいな」と言って笑わせた。
熊五郎が、らくだの死体にかんかんのうを踊らせて家主を脅かすために、布団に横たわっていた死体役の亀鶴を引っ張り出すと、俄然可笑しくなる。死体は黄色っぽい。紙くず屋の肩に腕をかけて引きずられて行くが、紙くず屋が歩くのに合わせて死体も左右の足を順番に出して歩いていた。
前に観た東京バージョンの方が、死体を動かして踊らせる時間がもっと長かったと思うが、上方バージョンは、かんかんのうだけでなく娘道成寺の「誰にみしょとて~」のくだりも踊らせる。死体役の亀鶴が、両手を口元にもっていくような動きをするのが面白い。
最後は熊五郎、らくだ、くず屋の3人が重なって踊るが、熊五郎はくず屋が南座の前で拾ったというサンタの帽子をかぶせられた。
當る辰歳 吉例顔見世 昼の部 ― 2011/12/31 00:31
2011年12月25日 南座 午前10時半開演 1階右二 3番
「寿曽我対面」
壱太郎の化粧坂少将は綺麗だ。首が長いのは美人に見えて得。
十郎と五郎の兄弟は花道から出てくる。七三で2人がこちらを向くと、五郎の愛之助は私の真正面。
「歌舞伎役者 片岡仁左衛門」という映画の中で、十三代目は、この演目の中の五郎が「サンゾーロー」と2回言う話をしていて、富十郎の五郎の舞台が出た。で、愛之助の「サンゾーロー」を楽しみにしていた。こういう古典の台詞は愛之助はいつもうまいと思う。
「お江戸みやげ」
角兵衛獅子の兄弟の兄役が萬太郎。にこやかな顔が可愛い。
上手から楽屋着姿で出てきた、栄紫役の愛之助は、おかまバーのマダムみたいな雰囲気だが、櫓のお七を演じる女方の役だから、これで正しいかもしれない。
お紺役の梅枝は、愛之助が相手だと大きすぎるように見える。お紺の母役の竹三郎は常磐津の師匠らしい色っぽさもあり、業突く張りな感じがよく出ている。
お辻(三津五郎)とおゆう(翫雀)のコンビは去年の演舞場と同じ。この2人、八十助と智太郎の時代には「おていちゃん」で兄弟役をやっていたが、何十年もたって年の差もわからなくなり、見事なおばさんコンビになった。
茶屋の女(右之助)が、運んできたお銚子の一本を倒してしまったが、すぐに下手の縄のれんの向こうに引っ込んで代わりの一本を持ってきた。
一杯ひっかけようと出てきた酒飲みの女方は吉弥。楽屋着がふりそで。萬次郎は長襦袢だったような気がするが。
何度観てもよくできた話だと思う。初演の頃より今の時代の方が、共感する観客が増えているのではないか。今年稼いだ現金十三両あまりを投げ出して、一生の思い出を買ったお辻。圧倒的に少年漫画系の話が多い歌舞伎の中で、これは珍しく少女漫画系で、個人的にすごく共感できる。
栄紫が最後に出てくるとき、与三郎の見染の場のときのように裾の下に下の着物を覗かせる着方だった。着物のことはよく知らないのだが、あれが面白い。
最後にまた角兵衛獅子の兄弟が出てきて、弟は側転を2回もやった。
「隅田川」
前の幕間にはおやつ程度のものしか食べなかったが、この演目中、眠くてしかたなかった。能を観ているときのような、いつまでも眠い感じ。
「与話情浮名横串」
顔見世を観にくるのはお金がかかるので、3年に一度くらいにしたい。去年観たので、今年はなるべく来たくはなかった。来たのは、仁左衛門が巡業で権太をやったときに、実家に行くときの姿を観て与三郎を思い出し久しぶりに観たいと思った、その与三郎を仁左衛門が顔見世でやると知ったからだ。
見染めの場、時蔵のお富は貫禄がある。
仁左衛門はすそを翻しながら花道を出てくる。「金五郎じゃないか」という台詞が、誰かのようにオカマっぽく響くことはない。金五郎役は江戸っ子の三津五郎。2人で上手の通路を下りてきて、後ろまで歩いてロビーに出て行った。
源氏店の最初は黒塀に見越しの松で、それがぐるっと廻って座敷になる。浅草は回り舞台がなかったのを思い出した。
藤八役は、浅草のときと同じ松之助。顔におしろいを塗るとき、時蔵は「カネボウなんですよ」と言っていた。
蝙蝠安の菊五郎は、前屈みになって、与三郎の先を歩いて花道から出てくる。浅草のときは蝙蝠安と与三郎は花道を並んで歩いて来たが。
ごく自然に見える江戸っ子の蝙蝠安だった。仁左衛門より少し年上なので、「なまぁ、言うねえ」「おめえ、そんなに言わなくてもいいじゃあねえか」というやりとりも自然。
私が仁左衛門の与三郎で一番好きなのは、蝙蝠安とお富のやりとりの途中で、お富が生き別れた恋人であることに気づき、はっとして、もう一度確かめ、お富が「立派な亭主のある身体」とすごむと、お富をゆっくりと見てすわり直し「こいつぁ一分じゃけえられねえ」と決心したように見えるところである。上手の席からだと、中央から見るときよりこの動きがわかりにくい。
左團次は、多左衛門の役が落ち着いて貫禄があってはまっている。蝙蝠安をやったときは大きな身体が邪魔だった。
ゆすりの後、与三郎と蝙蝠安が花道に立って金を分ける。その時、与三郎は片方の裾をまくっている。2008年の正月に浅草で愛之助が与三郎をやったとき、まくってない方の裾の位置が気に入らなかったのだが、それがなぜなのかわからなかった。今回、答え合わせのように、仁左衛門の着物を見たら、まくってない方の裾の端は、まくっている方と逆の足の上にあるようだった。愛之助の場合、足の間に着物の裾がぶら下がっていたから無様だったのだ。
最後は、「しょーげーおめーをはなさねーよ」で、2人で酒を酌み交わして目出度し目出度しの終わり方だった。
この演目だけではなく、今回の顔見世全体を通じて、菊五郎、三津五郎、時蔵の3人がとても良かった。ミーハーの私は、この人たちを見るためにチケットを買うことはないのだが、安定して見られる芸に敬意を表したい。
東京の見納めは海老蔵、京都の見納めは仁左衛門。来年も、良い男がいっぱい見られますように!
「寿曽我対面」
壱太郎の化粧坂少将は綺麗だ。首が長いのは美人に見えて得。
十郎と五郎の兄弟は花道から出てくる。七三で2人がこちらを向くと、五郎の愛之助は私の真正面。
「歌舞伎役者 片岡仁左衛門」という映画の中で、十三代目は、この演目の中の五郎が「サンゾーロー」と2回言う話をしていて、富十郎の五郎の舞台が出た。で、愛之助の「サンゾーロー」を楽しみにしていた。こういう古典の台詞は愛之助はいつもうまいと思う。
「お江戸みやげ」
角兵衛獅子の兄弟の兄役が萬太郎。にこやかな顔が可愛い。
上手から楽屋着姿で出てきた、栄紫役の愛之助は、おかまバーのマダムみたいな雰囲気だが、櫓のお七を演じる女方の役だから、これで正しいかもしれない。
お紺役の梅枝は、愛之助が相手だと大きすぎるように見える。お紺の母役の竹三郎は常磐津の師匠らしい色っぽさもあり、業突く張りな感じがよく出ている。
お辻(三津五郎)とおゆう(翫雀)のコンビは去年の演舞場と同じ。この2人、八十助と智太郎の時代には「おていちゃん」で兄弟役をやっていたが、何十年もたって年の差もわからなくなり、見事なおばさんコンビになった。
茶屋の女(右之助)が、運んできたお銚子の一本を倒してしまったが、すぐに下手の縄のれんの向こうに引っ込んで代わりの一本を持ってきた。
一杯ひっかけようと出てきた酒飲みの女方は吉弥。楽屋着がふりそで。萬次郎は長襦袢だったような気がするが。
何度観てもよくできた話だと思う。初演の頃より今の時代の方が、共感する観客が増えているのではないか。今年稼いだ現金十三両あまりを投げ出して、一生の思い出を買ったお辻。圧倒的に少年漫画系の話が多い歌舞伎の中で、これは珍しく少女漫画系で、個人的にすごく共感できる。
栄紫が最後に出てくるとき、与三郎の見染の場のときのように裾の下に下の着物を覗かせる着方だった。着物のことはよく知らないのだが、あれが面白い。
最後にまた角兵衛獅子の兄弟が出てきて、弟は側転を2回もやった。
「隅田川」
前の幕間にはおやつ程度のものしか食べなかったが、この演目中、眠くてしかたなかった。能を観ているときのような、いつまでも眠い感じ。
「与話情浮名横串」
顔見世を観にくるのはお金がかかるので、3年に一度くらいにしたい。去年観たので、今年はなるべく来たくはなかった。来たのは、仁左衛門が巡業で権太をやったときに、実家に行くときの姿を観て与三郎を思い出し久しぶりに観たいと思った、その与三郎を仁左衛門が顔見世でやると知ったからだ。
見染めの場、時蔵のお富は貫禄がある。
仁左衛門はすそを翻しながら花道を出てくる。「金五郎じゃないか」という台詞が、誰かのようにオカマっぽく響くことはない。金五郎役は江戸っ子の三津五郎。2人で上手の通路を下りてきて、後ろまで歩いてロビーに出て行った。
源氏店の最初は黒塀に見越しの松で、それがぐるっと廻って座敷になる。浅草は回り舞台がなかったのを思い出した。
藤八役は、浅草のときと同じ松之助。顔におしろいを塗るとき、時蔵は「カネボウなんですよ」と言っていた。
蝙蝠安の菊五郎は、前屈みになって、与三郎の先を歩いて花道から出てくる。浅草のときは蝙蝠安と与三郎は花道を並んで歩いて来たが。
ごく自然に見える江戸っ子の蝙蝠安だった。仁左衛門より少し年上なので、「なまぁ、言うねえ」「おめえ、そんなに言わなくてもいいじゃあねえか」というやりとりも自然。
私が仁左衛門の与三郎で一番好きなのは、蝙蝠安とお富のやりとりの途中で、お富が生き別れた恋人であることに気づき、はっとして、もう一度確かめ、お富が「立派な亭主のある身体」とすごむと、お富をゆっくりと見てすわり直し「こいつぁ一分じゃけえられねえ」と決心したように見えるところである。上手の席からだと、中央から見るときよりこの動きがわかりにくい。
左團次は、多左衛門の役が落ち着いて貫禄があってはまっている。蝙蝠安をやったときは大きな身体が邪魔だった。
ゆすりの後、与三郎と蝙蝠安が花道に立って金を分ける。その時、与三郎は片方の裾をまくっている。2008年の正月に浅草で愛之助が与三郎をやったとき、まくってない方の裾の位置が気に入らなかったのだが、それがなぜなのかわからなかった。今回、答え合わせのように、仁左衛門の着物を見たら、まくってない方の裾の端は、まくっている方と逆の足の上にあるようだった。愛之助の場合、足の間に着物の裾がぶら下がっていたから無様だったのだ。
最後は、「しょーげーおめーをはなさねーよ」で、2人で酒を酌み交わして目出度し目出度しの終わり方だった。
この演目だけではなく、今回の顔見世全体を通じて、菊五郎、三津五郎、時蔵の3人がとても良かった。ミーハーの私は、この人たちを見るためにチケットを買うことはないのだが、安定して見られる芸に敬意を表したい。
東京の見納めは海老蔵、京都の見納めは仁左衛門。来年も、良い男がいっぱい見られますように!
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