歌舞伎座こけら落とし12月 初日 昼の部2013/12/09 23:59

2013年12月1日 午前11時開演 

仮名手本忠臣蔵

えっへん、えっへんの配役紹介。海老蔵は流石にすごい拍手、と思ったら、その後が玉三郎で、一番だった。当然。

「大序」
役者が目を閉じてじっとしている幕開き。顔を下向き加減にしているので、師直は、ん、あれ本当に海老蔵?という感じだった。でも順番が来たらカッと目を見開くんだろうと思っていたら、その通りだった。
海老蔵初役の師直は悪くない。染五郎は師直に呼び止められるたびに明らかに不機嫌な様子を見せ、幕が閉まる前は肩を大きく上下させて怒りの様子を表していて、前にいてとどめる様子の菊之助と対照的だった。

「三段目」

進物の場、伴内役の幸太郎は台詞がよく入ってなかったようだ。
刃傷の場の前には、長い畳を一回投げるだけで反対側まで敷き詰め、客席から拍手が湧くお約束も無事に終了。
役者本人の年齢差を考えながら見ると、海老蔵の師直、染五郎の若狭之助、菊之助の判官のからみは面白かった。この世代は、海老蔵を師直に回しても勘平や判官や定九郎の配役に困らないくらい美形が多いんだな、とも思った。

「四段目」

去年の花形忠臣蔵に引き続き、菊之助の判官は良い。力弥を前にしてダメだというような顔をするのは菊五郎の方がわかりやすかったが。
力弥役の右近は先月の梅枝ほどは目立たない。普通の出来。
大星は私は染五郎が好きで、幸四郎の大星は、基本的には同じだろうから、たぶん良かったんだろう。私は一番大事なところで睡魔に襲われて、大星が判官の横でポンと胸を叩くあたりを見そこなった。
七之助の顔世は、相変わらず綺麗でうまい。大序からずっと、特筆するところがなく、普通。

「道行旅路の花聟」

玉三郎のおかる、待ってましたっ!
おかると勘平が笠で顔を隠して現れて、笠をとって顔が見えると美しさに客が拍手する、この嬉しさ。
玉三郎の衣装は御所模様で綺麗。松竹座で仁左衛門と踊ったときは、衣装まで、輝くように美しく見えたが、きょうはそれほどではない。おかるに比べて勘平は終始難しい顔をしていて、気にかかることがあるんだとわかる。仁左衛門のときは難しい表情でさえ美しさの中に溶け込んでしまって、勘平の置かれた状況がどうのよりも、見る方はただただ美しさに酔う。
玉三郎は、「賃仕事」のところで昔ほど華麗にひら~んと手を動かさなくなった。勘平の世話をやくような所作をするとお母さんみたいに見えてしまうのも仕方ない。海老蔵と二人の踊りなら、吉野山の方が好きかも。
それでも二人は十分美しい。勘平が一人で踊るところで、黒い着物と赤い襦袢、白い襟の色彩がとても綺麗だと感じたのは初めてだ。
二人が引っ込みで花道七三にいるとき、「お似合いです!」と声が掛かった。

傘寿記念 坂東竹三郎の会2013/08/10 17:31

2013年8月10日 国立文楽劇場 午前11時開演 6列34番

文楽劇場の一階でプログラムを千円で売っていたが、公演チケットを持っている人は2階の劇場に入ったときにタダでもらえる。

「夏姿女團七」

夏祭りのパロディで、團七縞のお梶〔猿之助〕という芸者が主役。義平次のかわりに継母のおとら〔竹三郎〕。

舞台も両国橋とか浜町など、江戸の設定。「すてきに駆けたから」のような江戸の言葉が出てきたりする。

磯之丞〔隼人〕と琴浦〔千壽〕は料理屋に匿われている。隼人は出てきたときの見た目は福岡貢のような良い男だけど磯之丞は大丈夫かと思っていたが、ちょっとナヨッとして優しげな雰囲気が磯之丞そのもの。演じようと努力してる感じもしない、ごく自然体の磯之丞だった。「甲斐なきわが身が」で一斉に「よろづやっ」と声がかかった。
千壽は前に琴浦やったことあるし、余裕。女中お松は段之。
店先に来た老女が、琴浦が実は妾腹の姫君で自分は乳人だと言い、出立をせき立てる。
話をきいていたお梶〔猿之助〕が奥から登場。團七が着ているオレンジ色の格子柄の着物を着ている。猿之助は久しぶりに見る。気のせいか貫禄がついたみたいだ。やっぱり女形の猿之助は良いなあ。
乳人というのが実は継母のおとら〔竹三郎〕だったので追い払うのだが、おとらが「やかましいわい」と開き直るのが見もの。

琴浦に横恋慕している大島佐賀右衛門の役は松之助。松之助だったらやったことありそうな役だが、夏祭りとは台詞が違うようで、最初の方の台詞が入っていなかった。

琴浦を釣船三婦のもとに逃がした後、お梶が帰ろうとすると、一寸お辰〔壱太郎〕に呼び止められる。
お辰は一寸徳兵衛が着ている團七と色違いの水色の格子柄の着物を着ている。二人で制札を持って達引をするのは團七と徳兵衛と同じ。ここに駆けつけて二人の間に割ってはいるのが釣船三婦〔男女蔵〕。「木からは落ちない猿之助と二番とは下がらない壱太郎が・・・・この三婦がオメず臆せずかけつけたからには・・・・」のように役者の名前を盛り込んだ台詞を言う。左團次の三婦を観たことがあるが、男女蔵も三婦を持ち役にするのだろうか。けっこう合ってると思った。
三婦は二人に白刃で決着をつけろと言い、佐賀右衛門に脇差を借りる。その脇差をお梶が見て、盗まれたものであることを確認する。実は二人の達引はこのために仕組まれたものだった。


最後の浜町河岸は夏祭りの長町裏と同じ設定。下手に井戸がある。お梶はおとらに磯之丞を隠した場所を聞くが教えないので,石ころを手ぬぐいに包んで懐に入れ、ここに30両あるからと騙す。二人とも肌は見せないしドロドロにもならない。團七が「おとこの、生きづらをー」というところはお梶が「私のこの顔をー」と言う。
殺しの後、團七には所作がたくさんあるが、お梶は一回くらい。それも、着物を着たままではあまり見栄えがしないと思った。
井戸で水を汲んで血を洗い、震える手で必死に刀を鞘におさめ、ワッショイワッショイとやってきた神輿について行く人の腰から手ぬぐいを取る。

神輿について踊りながら引っ込むのではなく、花道七三で立ち止まって「悪い人でも義理ある親。かかさん、許してくださんせえなあ」と拝み、かぶった手ぬぐいの端を咥えて、「おもだかやっ」「よだいめっ」と声がかかる中、足早に引っ込む。

「四谷怪談」

仁左衛門の伊右衛門を観るために、この公演を観に来た。仁左衛門が伊右衛門を演じたのは私が歌舞伎を観始める前の年で、以来三十年演じていない。写真集の中の伊右衛門は孝夫の役の中でも最高の美しさで、生で観たいとずっと願っていたのに直助権兵衛しか観られず、私は仁左衛門の伊右衛門を観ないままで死ぬのかと半ば絶望していた。

念願かなって観られた仁左衛門の伊右衛門。これこそ本物の伊右衛門だ。

最初の「浪宅の場」で傘張りをしている伊右衛門の顔を見たときは、もっと若いときに見たかったと思った。しかし、質ぐさを物色して赤ん坊の着物をとり、蚊帳をはずして抱え、止めるお岩をいたぶって肩を踏んづけて出かけていくあたりは、やっぱり孝夫ならでは。
こんな切れ味の鋭さを、私はどうしても他の伊右衛門役者に感じられなかった。
お岩が死んだ後で戻ってきた伊右衛門は、小仏小平、お梅、伊藤喜兵衛、と次々に人を斬る。このあたりになると、与兵衛、源五兵衛、大学之助と続く仁左衛門の人殺しシリーズを思い出す。おととい、染五郎のトークを聞いたときは、仁左衛門が三十年も伊右衛門を再演しなかったのは、気が滅入る役だからなのかと思ったが、きょう観た限りでは、そうでもないように感じた。

竹三郎は仁左衛門といつも息が合っている共演者なので、お岩が竹三郎で良かったと思う。先月の菊之助のお岩もうまかったのだが、竹三郎だと、もっと上級で、「大人だな」という感じがする。

孝太郎の役は隠亡堀の最後のだんまりに出るおたかだけだった。
最後のだんまりでは、竹三郎は佐藤与茂七の役で出た。


四谷怪談が終わり、終了のアナウンスもあったので外に出たら、中から拍手が聞こえたので慌てて戻った。竹三郎が幕の外で挨拶した。「仁左衛門さん、孝太郎さん、猿之助さんに出ていただいて、かくも賑々しく会を開くことができてありがとうございました。命の続く限りがんばります。皆さん、歌舞伎を愛してください」というような内容を、ときおり拍手に遮られながら言った。

坂東玉三郎講演会-​演じるということ2013/06/07 22:38

2013年6月7日 明治大学アカデミーコモン3F アカデミーホール 午後6時~7時45分

きょうの講演会は本当に良かった。
初めに玉三郎が一人で話した。今まで歌舞伎役者のトークというと、必ず司会者の質問に答える形だったので、珍しいと思った。司会の齋藤 孝教授が素晴らしかった。知識をひけらかすことはなかったが、頭も感性も良いひとだということが十分に感じ取れた。楽しくて、玉三郎がのってしゃべっていたと思う。7時30分終了予定なのに15分も押した。
恥ずかしながら「離見(りけん)の見」という言葉を知らなかったし、カタルシスということを言ったのがアリストテレスということもきょう初めて知った。ためになる講演会だった。
全くの部外者の私に、抽選でもなくネットで申し込んだだけで無料で見せてくれた明治大学に深く感謝している。

椅子についているテーブルを広げ、その上で大学時代のようにノートをとってみた。聞き漏らしたところ、理論の整合性がないところなどがあると思うが、自分のシートに基づいて書いてみる。


一部:坂東玉三郎 講演

(幕が上がると、スーツ姿の玉三郎と齋藤先生が座っていた。齋藤先生は挨拶して引っ込み、玉三郎は立ち上がって演壇で話をした。)

演じることについて
子供の頃から本能的にやってきて、そこに理論があったわけではない。役者として演じて金をもらう裏付けとして理論を考えた。
一人で話すのは苦手。質問する相手があってこそしゃべれる。一人で筋道を立てて話すのは難しい。

・演じるということはどういうことか。
他人になったような気持ちになる。
衣装や鬘をつけて自分ではないものになっていく。
その差の中で自分を確認する。
自分の本当の感情がどこにあるか、他人になってみて確認できる。
たとえば似合うとか、似合わないとか。そういうことで自分を確認する。

・何故ひとの前でやるか?
自分でないものになっている。
客は客で、自分と対話しているのかもしれない。
つまり、
演じる側 - 自分と、演じているもの
客 - 自分と、演者
演じているドラマを通じたコミュニケーションがある。

自分は寂しがりやだったかもしれない。
他人の反応を確認して、自分に戻る。
たとえば、着飾って自分でないものになる。そして、それを脱いでほっとする。着飾ることも演じていることなのかもしれない。
だから現代のようにハレとケがはっきりしなくなると、自分探しが難しいかもしれない。

・何故他人になるかは置いておいて、演じることは喜怒哀楽の再生
それが嘘に見えないように
喜怒哀楽の感情を記憶し、演じるときに、自分の脳のどこかに信号を送る
例えば、悲しみを表現するとき
悲しみの記憶を脳に送って悲しくなる。そして「私、悲しいんです」と言う。
稽古、修行は、感情のスイッチがどこにあるかを確認するもの。
「役者なら見ておけ」という。
見たときの感情を自分の中に記憶する。それが俳優の専門的な仕事。
そのスイッチのオンオフのコントロールがうまくいくように

「感情」に見合う「形」をはめられるかどうか。
人間は形と感情が重なっている。
大げさだと、嘘とわかる。自然なら、ぴったり同じ。役者はそうでなければいけない。
室町時代、と言われたら室町時代の形にしなければいけない。それが演じるということ。
本能では?と言われるほど自然に見えるべき。
「高い技術を持っている」と言われたら役者はおしまい。

・日本の戦後の教育では、海外の文化がベースとして入った日本語を使っている。演技の形態も変わった。
自分のホームページにも書いたことだが、人間は必ず五感で感受してから反応する。しかし戦後、反応ばかりを教える学校が多かった。理解することを省かれたのが現代。だから古典がまだるっこしいと感じられることも。

浸透している時間は状況による。
例えば緊迫した状況で早く、の場合
感受 浸透 反応が、この役ではどういう風に行われるか。それをキャラクターに合わせてやる。
それには、「本を読む」、「作家がどういう人生を送って来たか調べる」
それが俳優の仕事

一部の最後に玉三郎は、斎藤先生は「僕はしゃべりすぎる」とおっしゃるのですが、その時は僕が止めますので、お呼びしてよろしいでしょうか、と言って斎藤先生が再登場した。


二部:坂東玉三郎 × 齋藤 孝(明治大学文学部教授) 対談


齋藤 お話を聞いている皆さんは感動のあまり声も出ませんね。ここで、今までの玉三郎さんのお話がわかったかどうか、確認してみましょうか。ほとんどわかったという方?

(拍手多数)

齋藤 きょうは強気な方が多いですね。

玉三郎 お世辞じゃないですか。
非常に不可解という人がいるかどうかを知りたい。遠慮なくどうぞ。

(拍手がきこえる)

齋藤 素直ですね。

玉三郎 自分は今日と明日で気づくことが違う。自分への理解が変わる。だから明日もやる。不安定のなせる技。もうちょっとやった方がわかるのじゃないか、ということで

齋藤 変化は?

玉三郎 ひらたい言葉で言うと、感情の積み上げで容易に表現できるようになる。
たとえば「隅田川」。自分は産んでもいないし子供もいない。能役者に子供がいない自分がどうやって子供を失った悲しみを表現できるかときいたら「自分の最愛のものを失ったということから」と言われた。
感情の引き出しが多くなる。

齋藤 母性は

玉三郎 自分の場合は父性を女にしただけ。
愛情だけでは母性になりにくい。

齋藤 女らしさ、その基準。目にしたこともない江戸時代の女らしさをどこでつかむか。

玉三郎 想像力

齋藤 浮世絵?

玉三郎 この絵の人は取り乱してもこうなるだろう、と想像する。その絵の形をしてみて、その人が取り乱したときをやってみる。これがふさわしく過不足なくお客様に伝わるだろうことを想像する。

齋藤 浮世絵はとらえている

玉三郎 先生、すみません、言葉をはさんじゃって。
客が「さぞかし、こうだったろう」と思うのは、妄想。だけど、そうさせるのが我々の仕事。客が鎌倉の人たちはこう泣いたろうと思ったらそれで成功。

斎藤 客が思ってることとずらしてやろうと思わないか

玉三郎 真実はこっちだよ、と思わないとずらせない。自分が思ったことを提示して、客が納得すればそれで良い。納得できる幻想を抱かしてあげる。

齋藤 つかんでいるものは?

玉三郎 実はね、先生ね、いろんな役者が揚巻をやっている過去の写真がありますでしょ。まず真似をする。その人になりすませようとする。しかし、鬘も照明も全然今と違う。その入念な用意する時間。
揚巻になって立って出て行って、すっと、肩に手をのせる。花魁が実際にそうだったかはともかく、こうだったろうと思うときがある。

齋藤 本当に取り乱したら美しくない

玉三郎 取り乱しながらもコントロールされている

齋藤 (客席に向かって)美しさを意識して取り乱している方いらっしゃいますか?
この人の怒りさえも美しい、という場合がある。たとえば映画の「ひまわり」の主人公。どの瞬間をとっても美しい。それを実現するのはどうするか。

玉三郎 自分を見てる。意識が離れてること。離見ですね。

齋藤 世阿弥が言った「離見(りけん)の見」
どの辺から見ているか

玉三郎 いろいろ。自意識は違う。

齋藤 外側から冷静に見る。取り乱したときにビデオをまわしとくといいですね。怒りにかられた時。美しく怒れる手つきとか。実際の役の中ではどんなのがあるか。

玉三郎 突然に言われて思い出せない。
四谷怪談は演じてもすっきりしない。桜姫は、最後に恋人が親の敵とわかって恋人を殺す。そしてすっきりしている。浄化という意味で。
浄化されてなかったら役者やめてます、僕。
きょうの答えが出る。翌朝起きて、また不安になる。
不安がなかったらやめる。不安が大きすぎてもやめる。

齋藤 悲しい物語の持つ浄化力

玉三郎 涙流したら浄化される

齋藤 アリストテレスが言った「カタルシス」ですね

玉三郎 自分がカタルシスという語彙を持ってるかわからないので「浄化」を使っている。
メディアのような悲劇。
それでもカタルシスがあるか。演じている方も、客も。

齋藤 歌舞伎は、最後、すっきりしたわ、という感じが大事

玉三郎 作家が浄化されやすい人だと浄化される

齋藤 浄化系で好きなのは?

玉三郎 やってる歌舞伎はほとんど。
鷺娘はしっかり死ぬし、道成寺はしっかり嫉妬できる。

齋藤 感情もあるところまで行き着いちゃうと浄化される?

玉三郎 感情は出した方が良い。しまいこんで出せない人のために演劇があるのではないか。だからコミュニケーションと言った。

齋藤 共振。ガンジス川は死体も流す。でも聖なる河。
歌舞伎座はガンジス川なのでは?

玉三郎 当然です。
言葉が汚くなりますが、汚物、死体が本物でないとガンジス川になれない。浄化されない。

齋藤 偽物やブラスチックにはイライラされますか?

玉三郎 そこまでの技術がない場合はイライラする。自分も、そうなってるかはわからない。自分より先に客がわかって、ガンジス川に浄化されに来ない。

齋藤 客の目は確か?

玉三郎 かなり確か。ほとんど感覚が確か。

齋藤 寝に来たな、もいると思う。

玉三郎 年齢からくるものかもしれませんが、こだわらなくなりました。
阿古屋をやる時、客の姿に惑わされないために、最初に面明かりをじっと見る。すると客が見えなくなる。
最善をつくして、に尽きる。それしか、後悔をしない一日を送る方法がない。

齋藤 寝る人は私は一人も許せない。全員立ってもらう。歌舞伎座じゃできませんよねーー

玉三郎 気にならなくなりました

齋藤 歌舞伎座に行ったら道成寺の前の演目のときに、自分の前は4人中3人が寝てた。踊りが始まったら起きた。何か殺気が出てるのではないか。

玉三郎 見えているところとは違うところ。それが一番大事。

齋藤 深いところで意識の輝き。それが皆に伝わる。

玉三郎 気、空間支配、意識。 感情支配の線。それが劇場よりも遠くへ行く。
悟った境地と悟らない境地が2つ同時に。
その意識しか舞台をするよすがはない。

齋藤 意識の線をはる緊迫感

玉三郎 尋常でない強さ

齋藤 今の台詞を練習してみる

玉三郎 意識があって振り返るから、やります

(と言って立ちあがり、舞台の上に飾ってある花に恨みがあるとして、花に背を向けて歩いて行ってパッと振り返るのを実演。
客席全員立って、斎藤先生にならって準備体操。腕を長く伸ばすためには肩から伸ばすのではなく仙骨から伸ばす、と玉三郎がやって見せて、我々もやってみる。「真如の月を眺めあかさん」と言いながら左手を斜め上に伸ばす稽古。)


玉三郎 形にとらわれると感情が出ない。感情にとらわれると声が出ない。
感情と形がびしっと入ってないと。

齋藤 「下手なものならなんでも見ろ」と言うそうですが

玉三郎 祖父、父は、酷かったという噂があったら観に行け、というんです。
見て分解し、その中に自分より優れていたものを見つけられるか。
良いものも、その中に欠点を見つけられるか。
自分はできる、と思わなければ舞台に出ていかれない。そのかわり、楽屋へ帰ってきたら、どんな下手な役者よりも一段階下手と思って生きていかれるか。

齋藤 柔道野村の話

玉三郎 よくわかる。本当にダメと思ってなければ稽古できない。幕があいたからにはやらなければいけない。

齋藤 皆さん、一度舞台に立ってもらわないと。肚が決まる。玉三郎さんの中心軸は持ち帰っていただきたい。

玉三郎 私は足を悪くして、無駄な筋力を使わずにターンすることを工夫していたら、軸を使うしかなかった。身体が本能的に工夫した。
胸が開いていて、首が前に出ていない状態。
胸が開いていないと情感が伝わらない。これは理論の外。構造上の基本。
(「ありがとう」という言葉を例にして、)子音を立てる。子音を擦れば擦るほど感情が強く出る。
非現実的空間。言い回しの中に空間と時間が羅列しなければ立体的にはならない。
(聴衆の中の学生さんへのメッセージとして) 実物に会う、人間に会う、人に口伝で物を教わることが大事。
スマホで情報を得て人間に会わないのが心配。

齋藤 歌舞伎の舞台は実物

玉三郎 いろんな人に会って幸せだった

齋藤先生が、普段よく歌舞伎観る人と、観ない人それぞれに拍手を求めたら、半々ぐらいだった。玉三郎のファンが大勢詰めかけてるのかと思ってたのにちょっと意外だった。終了後、ホールの外でエスカレーターの順番を待っているときの感じでは、確かに若い学生さんが多かった。

歌舞伎座こけら落とし 5月大歌舞伎 第二部2013/05/17 00:27

2013年5月14日 歌舞伎座 午後2時40分開演 1階15列11番

花道のすぐ内側のブロックは前は6席並びだったが今は8席に増えたので、席につく時は花道の横に座るような感じがしなかった。座った後、そういえばここは花道の近くなんだと思った。舞台からは遠いが舞台を見るのは楽で、花道の上の役者の姿もよく見える良い席だ。

「伽羅先代萩」

私が一番好きな、八汐が政岡に嫌味を言って鶴千代にやり込められる場面がなかったのがすごく残念。あれは面白いと同時に、政岡と反対派の対立を観客に印象付ける場面だと思うのだが。

政岡(藤十郎)、鶴千代、千松(福太郎)の花道の出はない。何年か前に花道のすぐ横で観たとき、花道を歩いて行く千松の足があまりに小さくて、あんなに小さい子が死ぬのかと涙が出そうになった。

政岡が用意する御膳を2人が待っている場面で、千松の台詞、「さむらいの子というものは~おなかがすいてもひもじゅうない」の最後の「い」が頼りなくて、それがいかにもお腹をすかしている雰囲気で可愛いので客が笑う。

ここの場面は、小さい千松の折り目正しい動きや挨拶があって、千松が目立つ。今月は政岡をやっつける場面がないので鶴千代はいつもより目立たない。

栄御前役の秀太郎は、身分の高い老女の役はうまい。今月は少し太い声の台詞が特に良いと思う。

八汐の役は梅玉だが、千松を殺して、後で自分が殺されるだけで、一番面白い場面がないのでもったいない。

最近翫雀を観る機会が増えたせいか、藤十郎を見ていたら声が翫雀に似ていると思った。藤十郎は隙のない演技で素晴らしいが、千松が殺されたのを嘆く場面は泣けなかった。

床下は、吉右衛門の男之助と幸四郎の仁木で兄弟共演。ほんの短い場面だが吉右衛門の台詞が素晴らしい。ネズミも活躍。前後に面灯りを伴った仁木の引っ込みが堪能できる席でラッキーだった。

「廓文章」

伊左衛門役の仁左衛門は、もう何回観たことか。 薄い肩とほっそりした長身に、紫色の紙衣がよく似合う。

吉田屋の座敷は正月のルテアトル銀座のように繭玉がたくさん飾ってあって、華やかな舞台だ。

喜左衛門は彌十郎で、おきさの秀太郎とは身長差夫婦。秀太郎の声が時々聞こえにくかった。弥十郎は良かったと思う。

何度も観たお決まりのやりとりが続くが、いちいち楽しい。炬燵を踏み越えていくだけで楽しい。楽しいが、夕霧役の玉三郎が出てくるまでが長い。

夕霧の役は、懐紙で顔を隠して登場するときや、黙って座っているときに美しいことだけが玉三郎に求められているような気がする。後ろ向きになって豪華な打掛を広げて見せるとき以外は、ワーーーッと拍手するところがない。だから玉三郎ファンとしては物足りない。

玉三郎が出てくるまでは可愛い仁左衛門が拗ねてるので良かったが、玉三郎が出てきてからは、玉三郎の方が拗ねてる方が、このコンビのファンとしては嬉しい。

しかし、2人が立ち上がった姿はやっぱりお似合いだ。久しぶりに見る、背中合わせに互いの顔を見かわす姿は美しい。

最後は勘当が解けて千両箱が運び込まれ、こけら落としにふさわしい目出度い演目だ。

歌舞伎座こけら落とし 二日目 第二部2013/04/03 23:36

2013年4月3日 歌舞伎座 午後2時40分開演 1階4列42番

雨にも負けず風にも負けず、きょうも歌舞伎座に行って、昨日と同じ第二部を観た。きょうのチケットは葉書で当たった分だ。初日は絶対当たらないと思ったので、2日目を第一希望にしたが、その後チケットWEB松竹で初日の席が買えたので、葉書が当たっても引き取るのをやめようかと思った。しかし初日の席は2階で、2日目の席は1階だったので、両方に座って見え方を確認することにしたのだ。

きょうは地下広場をひとめぐりしてみた。タリーズやコンビニや食事処、歌舞伎関係の土産物屋、臨時の売店等があって、人がたくさんいた。きのう大福を買ったのは「はなみち」という店だった。フォションの歌舞伎エクレアというのを売っていて買いたかったが、人が並んでいたのでやめた。

歌舞伎座に入って、昨日は行かなかった1階上手の売店に行った。混みあっていて、商品を選んでも店員が見つからず、逆の入り口まで行ってもレジもなく、制服を着た人に「レジはどこですか」と聞いたら、その人が包んでくれた。旧歌舞伎座にあった佃煮屋さんが入っていて、久しぶりにタラコの佃煮を買った。私の顔を覚えていて、歌舞伎座の一筆箋をくれた。

トイレで手を洗う場所を探している人もいたし、まだ客も中の人も新しいシステムに慣れていない。

「弁天娘女男白浪」

きょうの席からの見え方は、旧歌舞伎座時代と同じだろう。舞台には近いが、前の人たちの頭で下の方がところどころ見えなくなる。だから浜松屋の場は、昨日の2階席の方がずっとストレスなく見られた。1階席にももう少し傾斜をつければ良かったのにと思う。

「将門」

花道は昨日よりはるかによく見える。同じ列の人が花道を見るために頭を前に動かさなければだが。
暗い客席。差し金の先に面灯りをつけた黒衣2人が舞台の下手と花道の後ろからすっぽんに近づき、やがてすっぽんから白い煙が上がり、滝夜叉が現れる。きょうはその全身が見えた。きのうは滝夜叉が文を読んでいる様子など全くわからなかった。

舞台に来てからも滝夜叉姫の顔はあまり低い位置にならないので、人の頭に隠されて苛立つことはなかった。だから、この演目は全体を通して昨日よりずっと良く見えた。

光圀(松緑)の踊りは昨日より音楽に乗っているように感じた。松緑の繊細でしなやかな踊りは玉三郎と合う。きのう、この演目で玉三郎と松緑の相性が良いと感じたのは2人の踊りが合うからだろう。光圀一人の踊りも良かったが、2人で踊るところもとても良かった。だから、2人の踊りが終わったあたりで拍手したかったが、その時間はなくてすぐに滝夜叉姫が正体を現す。その後、玉三郎の見得のたびに拍手のタイミングがあるのだが、本当はそこで拍手したいわけではない。拍手したい時に拍手できないのが、この演目の欠点かなと思う。

きょうは上出来で楽しめたので、2人が屋根の上にいる幕切れのときに思い切り拍手した。

歌舞伎座こけら落とし 初日 第二部2013/04/02 20:21

2013年4月2日 歌舞伎座 午後2時40分開演 2階7列32番

銀座線の銀座で降りて地下道を歩き、久しぶりに歌舞伎座へ行く前の、面倒な階段と通路を通った。以前は歌舞伎座前に出る階段があったところが、地下広場になっていて、店舗や座るところができていた。
幕間に食べる大福を買って、エスカレーターで地上に出た。

歌舞伎座の玄関を入ったところは、旧歌舞伎座と同じだった。左側で筋書を売っていて、長い列が3列もあったので、2階に行ってから買おうかと思ったが、2階で売ってないかもしれないので1階で買った。1500円。

上手のエスカレーターで地下に降りてトイレに寄ってから、エスカレーターで2階に上がった。2階でも筋書を売っていた。中央の吹き抜けは旧歌舞伎座と同じで、周りにソファがあり、絵が飾ってあって、絵の向かい側のソファの前にはテーブルがあるのも同じ。吹き抜けの下手側の店はなくなった。

2階7列32番からは、花道は前の人の頭に隠れて見えない。役者が出てくると、上半身は見える。白浪五人男が花道に勢ぞろいすると、一番後ろの日本駄右衛門の傘までは見える。助六はここでは見たくないと思った。

「弁天娘女男白浪」

菊五郎の弁天小僧はさよなら公演のときにも観た。私にとっては、女殺油地獄の与兵衛が孝夫で決まりなのと同じくらい、弁天小僧は菊五郎に限る。すごく自然で、あぶなっかしいところがどこもなくて、楽しい。
こけら落としの最初に、この芝居を観られて良かった。

5人が勢ぞろいして台詞を言うところより、「知らざあ、言ってきかせやしょう」と言うあたりの衣装や座っている形がかっこいい。ああいう、グダグダなのに美しいものを見せてくれるから歌舞伎は好きだ。

鳶頭の幸四郎、南郷力丸役の左團次、弁天の菊五郎と70代の大御所が並ぶ贅沢な舞台。

菊之助は若旦那の宗之助のような役だと文句なくうまい。浜松屋幸兵衛は、初めは誰がやってるのかわからなかったが、声をきいているうちに彦三郎だと気づいた。

番頭(橘太郎)の「この番頭も添い寝したいくらいの、いい男振り」という台詞は結構すごいと思う。

丁稚の「おは~~い」は本当にべらぼうに長かった。

勢揃いのところで、赤星の時蔵と忠信利平の三津五郎が加わる。捕手と立ち回りの後、最後に決まる形は、上から全体を見ると、背中を踏まれている捕手達も見事に美しい形で決まっていて感動する。

ここで終わりだと思って、ロビーで大福を食べたのだが、席に戻ったら次の幕は将門ではなくて、弁天の大屋根の立ち回りだった。捕手役の人たちの見せ場で、菊五郎は年齢のわりによくがんばっていた。最後に腹を切って、大屋根のがんどう返し。この場は、私の席からは真正面で、よく見えた。

がんどう返しの後は山門のせり上がり。岩淵の三次(錦之助)と関戸の吾助(松江)が、日本駄右衛門を捕えようとする。

山門がまたせり上がって、青砥左衛門藤綱(梅玉)、伊皿子七郎(友右衛門)、木下川八郎(團蔵)が現れる。

最後の山門の場面はあまり面白くなかった。さよならの時に観た、浜松屋の場の後、番頭の悪事が露見したり、生き別れの親子が見つかったりする場面の方が面白かった。今月はご祝儀で、良い役者をたくさん出したいのかもしれない。

20分の幕間に3階へ行って、思い出の歌舞伎役者の写真を見た。新たに追加された5人。勘三郎が写真になってこちらを見ている不思議。
個々の写真が前よりも小さくなった。全部の写真が印刷された大きなシートが飾ってある、と言うべきか。

「将門」

暗い場内。花道すっぽんのあたりに灯りを持った黒衣が見えた。玉三郎の滝夜叉姫がせり上がって来る。前の席の人たちの頭を避けながら必死に玉三郎の姿を追う。

やっと、玉三郎が舞台に行く。屋台の簾が上がって、中に光圀(松緑)がいる。

この演目では、光圀の踊りが何よりも楽しみだ。松緑の踊りはうまいが、少し音とずれている感じで、まだ練れてないようだ。

玉三郎は少しの動きでも客を魅了するのが流石。遠くから見る限りでは、この演目での玉三郎と松緑の相性は悪くないようだ。

玉三郎が屋根の上に立って、私のほぼ正面にいるところで幕になった。

三十周年記念 上方花舞台2013/01/30 22:59

2013年1月30日 国立文楽劇場 午後2時開演 1階13列26番

きょうは私の60歳の誕生日です。 この日に玉三郎が大阪で踊ることを知り、大喜びでチケットを確保しました。

「口上」
去年正月のルテアトル銀座での口上のときのような格好で、玉三郎が口上を行った。「上方花舞台」は大阪万博のときに初めて公演を行ったものだそうだ。 「関東の生まれの自分がどうしてと思われるかもしれないが」、大阪の大和屋のおかみさんと長く昵懇の間柄で、その人に呼ばれた。今は西も東もなく、伝統芸能を守っていくべきとき。
きょうは、玉三郎の口上には珍しくいろいろな人物や組織の名前が出てきた。後援の「関西・大阪21世紀協会」の名をちょっと間違えて謝っていた。

5分休憩の後

地唄「松竹梅」
山村流の舞踊家さん達の踊り。初めに2人で踊った。着ているものは同じ。着物の知識皆無の私が勝手に感想を言うと、下半身の模様がくどい。黒地の着物で、上半身のすっきりした感じと、2本の横じまの扇子と、下半身の模様が調和してない。
次に、もっとたくさん出てきて踊り始めた。この人たちは扇子が銀色の無地で、下半身の模様と調和し、全体にすっきりした印象だった。

山村若の振付。

名前はわからないが、最後に並んだとき下手から2人目の人が特にうまかった。

休憩をはさんで「三段返花絵草紙」

地唄「雪」
踊りというより、動く美人画。美しい玉三郎の周りで横に動いたりつぼまったりする傘の動きもまた完璧に美しい。すべての要素が一つの美しい絵を作っていて、どの瞬間を切り取っても一枚の美しい絵になる。
それを実現しているのは玉三郎の肉体であり、力だ。

長唄「業平」 大空祐飛

宝塚っぽい人が踊る、浜辺で小鼓を打って遊んでいる光源氏、みたいな感じだったが、業平か。

義太夫「海士(あま)」

吉太朗が貴公子の格好で花道から現われる。藤原房前だそうだ。

房前は大臣の子だが、母を知らずに育った。母が死んだという讃岐の国房前を訪ねると海士(玉三郎)が現われ、房前の母が死んだいきさつを語り、最後に「われこそ御身の母なるぞ」と告げて消える。

白い着物の腰のところに群青色の着物を巻きつけた海士の姿が玉三郎にぴったりで美しい。山岸涼子が描いた卑弥呼のような雰囲気。あのスラリとした長身、衣装の微妙な色、扇は、ぜひ山岸涼子に描いてもらいたい。

玉三郎は舞台のセリから上がってきて、スッポンから下がっていなくなった。舞台には吉太朗が残り、その泣く姿で幕切れ。

吉太朗は変にこまっしゃくれたところもなく、オーソドックスに踊りがうまい。共演するくらい玉三郎が信用してるのは凄いと思う。

15分休憩の後、最後に

「おあそびやす」

榛名由梨と瀬戸内美八が江戸時代の商人の格好で花道から登場し、お座敷遊びをする趣向。

山村流の舞踊家さん達の踊りと、OSKの人たちの踊り。榛名由梨と瀬戸内美八も踊った。

「松竹梅」のときにうまいと思った舞踊家さんは、水色の着物だった。この人が、顔の表情も含めて一番プロフェッショナルな印象を受けた。真ん中で踊った、薄紫の着物の人もうまかった。

フィナーレは、男の姿になった玉三郎が舞台の後ろから現われて真ん中に立ち、皆で扇を広げてもって終わりになった。

日本橋2012/12/25 23:28

2012年12月24日 日生劇場 午後2時開演

クリスマスイヴに玉三郎の芝居を観たのは過去にも何回かあった。今回は一階のロビーで記念品を受け取る。これが自分へのクリスマスプレゼント。

25年前にも「日本橋」を観たし、その後のテレビ放映も見たが、ところどころしか覚えていない。威勢の良い芸者、お孝。清葉を見て「髪が黒くて色が白いから麻の葉模様がよく似合うね」という。麻の葉模様の襦袢を千世に着せて、「抱いてあげよう」という。スタスタ歩いてきて、伝吾の毛皮を外にぱっと捨てるところ。葛木が、お孝と別れるときに、最後ソファに倒れこんだところ。病み衰えたお孝の顔が血の気がないのに美しくて、お化粧ならいたいと思ったこと。

「春で朧でご縁日」という有名な台詞は知っていたが、葛木と初めて出会ったときは、お雛様に供えたサザエとハマグリを川に放しに来たときだったことは忘れていた。これを放生会というのも、言葉は知っていたが内容は初めて知った。

今回は前と演出が違っていて、葛木と清葉の回想シーンを、座ったままの清葉が出たり引っ込んだりする形で入れていた。

清葉は、前回の水谷良重より、高橋恵子の方がはまり役だと思う。

最初の休憩の後、葛木役の松田悟志と玉三郎が相合傘で下手の通路を通ったので、2人の顔がよく見えた。
私は葛木があまり好きでなくて、孝夫がやるのはもったいないと思っていたので、松田悟志くらいでちょうど良い。お孝に別れを告げるとき、孝夫は腕を組んでソファに全身を投げて仰向けになったと記憶しているが、松田は、ソファの端の方にうずくまるような感じだった。

葛木がお孝と再会するとき、葛木は高野聖のような出家の格好だったが、前回もこんな格好をしていたのか、記憶がない。

こういう、威勢が良い女が出てくる話に有り勝ちなことだが、前半はとっても気持ちよく観られるのに、後半、女が気弱になってつまらなくなる。"Tomorrow is another day!" で終わる「風とともに去りぬ」は、女が書いたものだから最後まで気が強いんだろう。

最後は、死んでゆくお孝の傍で清葉が後ろ向きで笛を吹いて、幕となる。

カーテンコールもあった。 全員いっしょのときと、玉三郎一人で舞台の前の方に来るときとあった。玉三郎が死顔の化粧なので、「こわいよぉ~」と言ってる人もいた。

ふるあめりかに袖はぬらさじ2012/10/20 01:50

2012年10月12日 赤坂ACTシアター

ふるあめりかを観るのは、これで4公演目か。今回はパスするつもりだったが、藤間会で玉三郎を見たら観たくなって、チケットを買った。勤め帰りで開演に間にあわないので、一番後ろの通路際の席。

よく知っている話だが、あらためてよくできていると思った。有吉佐和子は、舞台上の動きをすべて頭に描きながら脚本を書いたのだろうと思えるところが凄い。

お園は何回も演じるだけあって、玉三郎の得意技を存分に出せる役。周りの空気を読んで喜遊の話がどんどん脚色されていく過程が面白い。「武士の娘ですから」の「ブ」を何度も強調して言う。

きれいな檀れいは喜遊にぴったり。いつも長身の二枚目がやる通訳の藤吉は、松田悟志。英語の発音がいかにも昔の日本人風で良い。

イルウスは、前回の弥十郎が良かった。岩亀楼主人は最初に観た安井章二の印象が強烈で。忘れられない。遊郭の主人はそれなりの雰囲気が必要だ。

唐人口の女郎たちは女優と女形が混じって、紹介のシーンが楽しい。

いつもながら、男女混合の舞台を観ると、男女は大きさ違うのだなあと再認識する。

幕間にプログラムと写真とトートバッグを買った。

やっぱり観に行ってよかった。

藤間会 9/262012/09/27 00:55

2012年9月26日 国立劇場大劇場 午後4時開演 3階11列14番

チケットがとれてよかった。 3階だが花道の真上だし、十分満足した。

「寿式三番叟」

翁は菊五郎、吉右衛門、梅玉。千歳は時蔵。面箱は七之助。
下手からしずしずと出てくると、私の後ろの大向こうさん達が忙しく屋号を掛ける。

全員がこちらを向いて座って頭を下げるが、箱を持っている七之助だけは箱を捧げ持って上体を起こしたまま。

上手に控えた翁たちの後ろにそれぞれの後見が座る。尾上右近、種之助、梅丸。

最初に千歳の時蔵が一人で踊った。次は、金地に松の扇を持った翁三人の踊り。

千歳と翁たちが一定の距離を保ちながら下手に引っ込むのを見て、昨日まで歌舞伎の舞台をやっていた役者もいるのに、きょうこんなにちゃんと舞踊の舞台をつとめていることに感心した。 下手で後ろを向いて座っていた勘十郎が立ち上がって三番叟の踊りが始まる。後見は歌昇。勘十郎の三番叟を観るのは「囃子の会」以来だ。 不純なものがなく力強い踊りで、私は大好きだ。最初に花道に出て、七三のあたりから舞台を睨む形。烏跳び3回。

上手に控えてずっと三番叟の踊りを見守っていた七之助は、鈴渡しもする。そして、短く謡が入った後、2人が向かい合って踊る。飛び跳ねるような感じの、若い2人にぴったりの踊り。七之助の動きを見ていたら勘三郎のこんな踊りを観たことがあるような気がしたが、記憶がない。気のせいだろう。

2人がいっしょに下手に引き揚げるとき、後見の歌昇は手をついてお辞儀をしていた。そのまま幕が閉まった。

「出雲梅」
藤間綾さんの綺麗な踊り。

「藤娘」
中務智咲子ちゃんの可愛い踊り。しどけなく横になるところもあって、客席から暖かい笑いが起きた。

「鏡獅子」
藤間涼花さんの踊り。
周りの人が歌舞伎役者で男。身長差があるので、弥生が可愛く見える。獅子もかわいい。しかし最後の毛振りはがんばっていた。振ってるまま幕が降りるわけじゃなく、毛振りの後は正面を向いてしっかり立たないといけないのに凄い。

「京人形」
左甚五郎役は権十郎。京人形は藤間香さん。
笑也の京人形を思い出していたが、この役は、女よりも女形が踊った方が有利だろう。ただの人形のときのロボットみたいな動きと、女らしい動きの違いがはっきり出せる。

「豊後道成寺」
藤間利弥さん。大柄な人なのか衣装映えがして、踊りも綺麗だった。

「女伊達」
女伊達が藤間勘寿々さんで、男伊達が亀三郎と亀寿。 女伊達が本物の女性だと、男伊達の背が高く見える。

「此の君」
幕が上がると、銀色の屏風を背景に若竹色の着物を着て座っている玉三郎。 一幅の名画だ。その名画が動く。 身体の微妙な動きが客を魅了する。扇の扱いも美しかった。

上手には、上段に三味線と歌の女性達、下段は小鼓の傳左衛門と笛の福原寛。笛と鼓が入った後、少し速い動きの踊りになった。

生の玉三郎を見ているのが、我が人生至福の時だ。

「雨乞其角」

最初に其角役の勘十郎が出てきて踊った。

次に、芸者2人(扇雀、孝太郎)に支えられて、酔った風情のお大尽(勘祖)、船頭(橋之助、七之助)。元々は勘三郎が踊るはずだったお大尽。

孝太郎は、素踊りでクネクネすると気持ち悪いが踊りはうまい。 勘十郎と孝太郎が真ん中で踊っているとき、下手で2人で踊っている船頭役の叔父甥は一際美しく見える。

最後は、後ろの大ぜりから勘十郎と若手が現われ、皆で踊った。
下手と上手の端に梅丸と男寅。他に廣松、廣太郎、米吉、種之助、萬太郎、新悟、右近、隼人。歌舞伎の未来を見ているようで楽しかった。