国立文楽劇場 平成25年4月 文楽公演 ― 2013/04/26 01:03
2013年4月22日、23日 国立文楽劇場
愛之助のトークショーがあったので大阪に行った。日帰りではもったいないので一泊し、国立文楽劇場の夜の公演、昼の公演の順に観た。どちろも最後列上手の席。
文楽は20年以上前に国立劇場で「曽根崎心中」を観たきりだ。
国立文楽劇場は舞踊の公演に何度か来たが、ここで文楽を見るのは初めてだ。国立劇場で観たときのことはあまり覚えていないので、人形遣いによる太夫と三味線奏者の紹介とか、太夫さんが本を顔の前に持ち上げる仕草が目新しかった。
後ろの席だと舞台の上に出る字幕が読みやすい。夜の「心中天網島」では、ほとんど字幕を読みながら語りを聴いていて、人形にはあまり目が行かなかった。歌舞伎だと義太夫はほとんど芝居の背景に埋没していて、語りの内容は耳を素通りしていることが多いが、文楽だと義太夫が主役、人形劇の方は小説の挿絵程度のもののように感じた。
歌舞伎の「心中天網島」は好きだ。特に河庄の場面は、別れなくてはならないことは頭では十分わかっていて、それでもなお別れかねる男女のありさまをよく切り取ったものだと思う。近松晩年の作であることに納得。
文楽だと、小春と軽口をたたく丁稚は出てこない。あの丁稚は歌舞伎が娯楽性を高めるために追加したものか。
治兵衛は毎月起請を出すなんて、28にもなって恋愛に入れ込みすぎだろう。他にすることはないのか。こんなバカ男と死ぬはめになった19の小春がもったいない。
「時雨の炬燵」の場面もある。女房おさんは、親に離縁を迫られるが、治兵衛に心を残していると思う。
この芝居を観るとフランス映画の「隣の女」を思い出す。
昼の部は「伽羅先代萩」、「野崎村」、「釣女」
「伽羅先代萩」の若様は歌舞伎の鶴千代とは違って鶴喜代という。ママ炊きの場が、眠い時間帯だったこともあって長くてうんざりした。歌舞伎でもこの場は嫌い。 米を砥いで炊き上がるまでは時間がかかるので大人でも空腹のときは別のものを食べるのに、子供を待たせてというのは現実的でない。この時代でも、ゆで卵とか干し芋でも隠し持っていて、ご飯が炊ける前に食べさせてやることくらいできただろう。つかえない乳母だ。
「床下」では、ねずみは人形でなくて、歌舞伎と同じ人間の着ぐるみ。仁木弾正(文楽の役名は貝田勘解由)も出る。花道はないので煙とともに舞台上に現れる。花道の引き上げはなく、荒獅子男之助(松ヶ枝節之助)とともに舞台にいて幕となり、2人いっしょに視界に入るのが私には新鮮だった。
「野崎村」は歌舞伎の演目としては好きではないが、人形劇としては面白かった。おみつが大根を切るし、最後に出てくる駕籠かきや船頭の動きも面白い。それに、本物の上方弁の語りが珍しくて聞き惚れた。歌舞伎では、関西の役者が演じた野崎村を観た覚えがない。
「釣女」は松羽目もの。 「野崎村」で人形を見るのに慣れたせいか、義太夫を聴くよりも目で人形を追う方が主になった。この変化が文楽の人形に慣れたせいなのか、演目の違いによるのかはわからない。
愛之助のトークショーがあったので大阪に行った。日帰りではもったいないので一泊し、国立文楽劇場の夜の公演、昼の公演の順に観た。どちろも最後列上手の席。
文楽は20年以上前に国立劇場で「曽根崎心中」を観たきりだ。
国立文楽劇場は舞踊の公演に何度か来たが、ここで文楽を見るのは初めてだ。国立劇場で観たときのことはあまり覚えていないので、人形遣いによる太夫と三味線奏者の紹介とか、太夫さんが本を顔の前に持ち上げる仕草が目新しかった。
後ろの席だと舞台の上に出る字幕が読みやすい。夜の「心中天網島」では、ほとんど字幕を読みながら語りを聴いていて、人形にはあまり目が行かなかった。歌舞伎だと義太夫はほとんど芝居の背景に埋没していて、語りの内容は耳を素通りしていることが多いが、文楽だと義太夫が主役、人形劇の方は小説の挿絵程度のもののように感じた。
歌舞伎の「心中天網島」は好きだ。特に河庄の場面は、別れなくてはならないことは頭では十分わかっていて、それでもなお別れかねる男女のありさまをよく切り取ったものだと思う。近松晩年の作であることに納得。
文楽だと、小春と軽口をたたく丁稚は出てこない。あの丁稚は歌舞伎が娯楽性を高めるために追加したものか。
治兵衛は毎月起請を出すなんて、28にもなって恋愛に入れ込みすぎだろう。他にすることはないのか。こんなバカ男と死ぬはめになった19の小春がもったいない。
「時雨の炬燵」の場面もある。女房おさんは、親に離縁を迫られるが、治兵衛に心を残していると思う。
この芝居を観るとフランス映画の「隣の女」を思い出す。
昼の部は「伽羅先代萩」、「野崎村」、「釣女」
「伽羅先代萩」の若様は歌舞伎の鶴千代とは違って鶴喜代という。ママ炊きの場が、眠い時間帯だったこともあって長くてうんざりした。歌舞伎でもこの場は嫌い。 米を砥いで炊き上がるまでは時間がかかるので大人でも空腹のときは別のものを食べるのに、子供を待たせてというのは現実的でない。この時代でも、ゆで卵とか干し芋でも隠し持っていて、ご飯が炊ける前に食べさせてやることくらいできただろう。つかえない乳母だ。
「床下」では、ねずみは人形でなくて、歌舞伎と同じ人間の着ぐるみ。仁木弾正(文楽の役名は貝田勘解由)も出る。花道はないので煙とともに舞台上に現れる。花道の引き上げはなく、荒獅子男之助(松ヶ枝節之助)とともに舞台にいて幕となり、2人いっしょに視界に入るのが私には新鮮だった。
「野崎村」は歌舞伎の演目としては好きではないが、人形劇としては面白かった。おみつが大根を切るし、最後に出てくる駕籠かきや船頭の動きも面白い。それに、本物の上方弁の語りが珍しくて聞き惚れた。歌舞伎では、関西の役者が演じた野崎村を観た覚えがない。
「釣女」は松羽目もの。 「野崎村」で人形を見るのに慣れたせいか、義太夫を聴くよりも目で人形を追う方が主になった。この変化が文楽の人形に慣れたせいなのか、演目の違いによるのかはわからない。
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