国立劇場11月歌舞伎公演 初日 ― 2007/11/03 22:13
2007年11月3日 午前11時半開演 国立劇場大劇場 1階9列25番
「通し狂言 摂州合邦辻」
イヤホンガイドによると39年ぶりの通しだそうだ。
昼前から、継母が義理の息子を誘惑するという色っぽい展開である。一度、歌舞伎座で庵室の場だけの上演を観たことがあるが退屈しただけで内容が全く頭に残っていない。こんな色っぽい発端から芝居を始めてくれれば興味を持って観られる。継母の玉手御前(藤十郎)は、義理の息子の俊徳丸(三津五郎)とは一、二歳しか違わないという設定だそうだ。
玉手は先妻の腰元が後妻になってもので、元は位が上だった羽曳野(秀太郎)が、義理の息子に言い寄るとは汚らわしい、みたいに嫌味を言うのが面白い。出奔した俊徳丸を追って家を出た玉手が、父の合邦(我當)に意見されている間、フンという顔をしているのもいい。そして、もっと華やかに装って俊徳丸の方から言い寄ってくるようにしてやる、と宣言するのもいい。もう断然玉手ちゃんを応援してしまう。だから、「戻り」で、実はこれこれだった、と言われるとがっかりする。すし屋の権太にしても、死にそうでなかなか死なないのは嫌いだ。戻らなくていい。
俊徳丸の腹違いの兄、次郎丸(進之介)は母が側室のため長男だが家督を継ぐことができない。そのため、俊徳丸を亡き者にしようとする。この悪事をつぶすのが誉田主税之助(愛之助)である。 愛之助の役は老け役かと思ったが、そうでもなく、久しぶりに愛之助を見たような気がするくらい、無理なく演じられる役に見えた。
国立劇場 11月歌舞伎公演 2日目 ― 2007/11/04 22:29
2007年11月4日 国立劇場大劇場 午前11時半開演 一階10列40番
客席は空いていたが充実した舞台だった。きょうはイヤホンガイドなしで観た。
「通し狂言 摂州合邦辻」
きのうは、「戻り」の部分が嫌だったが、きょうは藤十郎の熱演もあって「戻り」もそれほど拒否反応なく観られた。玉手にあのまま突っ走ってもらいたい気持ちに変わりはないが。
藤十郎のエキセントリックなところが玉手御前の役に合っていて、特に庵室の場は藤十郎が舞台も客席も支配していた。歌舞伎を観ているときになまめいたラブストーリーの気分を味わったのは仁左衛門の与三郎以来か。藤十郎の河庄もフランスの恋愛映画を観ているような気がしたし、この人の芝居は時折好きなことがある。
庵室の場は、両親とのやり取りや浅香姫への暴力があって、面白い。だからこの幕だけを上演する気持ちもわかるのだが、最初の方が地味なので、面白い場面が始まる前に客が眠ってしまう。それで私も前回観た内容は全く覚えてないわけだ。
庵室の場の我當は父性愛にあふれていて良かった。
三津五郎は全体を通してあまり大きな見せ場はないが、継母に言い寄られる美男子の上品な若君に見える。出奔前に父宛ての手紙を書くシーンが、座って筆を動かしているだけなのだが所作が綺麗なので見ていて飽きない。巻紙に文を書くときはああするのか、ああやって切って、あんな風に畳むのか、と見ていた。
浅香姫の扇雀は綺麗だが、この人は意思を持った女に見えるので、庵室の場で玉手に暴力を振るわれたときも合邦が玉手を刺さなければ自ら逆襲に出て女同士の死闘になったような気がする。
社会人のための歌舞伎入門 ― 2007/11/17 22:08
2007年11月16日 国立劇場大劇場 午後7時開演 1階13列31番
去年の忠臣蔵も同じ席で観た。特別席なのだが、ちょうど真ん中のため、前の人の頭で舞台の真ん中が見えなくなる。あまり良い席とは言えない。
入り口を入ったところで、コートのポケットに入るくらいの小冊子を渡された。目次の内容は、「『摂州合邦辻』について」、「配役・すじがき」、「邦楽連名」、「出演者紹介」、「上演台本」、「歌舞伎用語メモ」、「入門書リスト」。
7時から7時25分 解説 「義太夫狂言の楽しみ方」 坂東秀調
「上演台本」のページには庵室の場の台本が載っている。解説の秀調は「冊子の○○ページの××をご覧ください」と言って、横の浄瑠璃と三味線が「打ち連れ立ち帰る」を義太夫でやるとこうなりますよ、とやってみせる。
玉手の台詞「俊徳様の御事は寝た間も忘れず」を秀調が言って、義太夫が続く、というのもあった。
糸に乗った台詞、というのの説明で、入江丹蔵が花道を「ご注進ご注進」と入ってきて、追ってきた武士と海の落ちるまでのシーンを見せた。このシーンを見るのは今年八回目。最後は、下手後方に消えるのではなく、スッポンから下がっていった。
この後、休憩が15分。
7時40分から9時10分 「摂州合邦辻 合邦庵室の場」
この幕だけを観た人がどれだけ面白いと感じたかはわからないが、最初の解説の時に「俊徳様の御事は寝た間も忘れず」の台詞を紹介したのは良かったと思う。玉手が俊徳丸への思いを吐露する台詞の始まりだからだ。ここから、この幕がぐっと盛り上がってくる。
吉例顔見世大歌舞伎 昼の部 ― 2007/11/19 00:05
2007年11月18日 歌舞伎座 午前11時 開演 1階7列26番
「種蒔三番叟」、「傾城反魂香」、「素襖落」と、全部または一部に踊りが入る演目が続くが、比較的うまくない踊り手が続く。特に、三番叟の梅玉の踊りや、「素襖落」の錦吾の踊りは振り付けが良いので、もう少しうまい人で見たかった。「素襖落」では、高麗蔵はわりにうまいと思った。「傾城反魂香」の最後に又平の踊りがあるので、浅草で勘太郎の踊りを見るのが楽しみだ。
「種蒔三番叟」では、傳次郎さんが小鼓を打っていた。舞台上で一番美しい人だった。
「傾城反魂香」のおとくは、亀治郎が嬉々としてやりそうな役だが、芝雀はそれほど目立ちたがりの女でもない、情のあるおとくで、良かった。鼓も自分で打っていた。
「素襖落」は前に吉右衛門の太郎冠者で観たことがあるが内容は覚えていない。今回観て、けっこう面白いと思った。狂言から来た演目はみんな面白くて好きだ。
最後の演目、本命の御所五郎蔵は、仁左衛門がかっこいい、に尽きる。両花道に立って台詞を言うところは着物はかっこいいがたいしたことはないのだが、紺地の着物に着替えて来て背中に尺八を差している形がとても美しいし、皐月に愛想尽かしをされた後、縁台に腰掛けて言う台詞が「やかましい、がらくためら」とか、とてもかっこいい。
国立劇場 11月歌舞伎公演 「摂州合邦辻」 ― 2007/11/24 18:55
2007年11月23日 国立劇場大劇場 午前11時半開演 1階7列32番
通しの方が面白さがよくわかるとは思うのだが、回数が重なると庵室だけ見たくなる。きょうは今までで一番舞台に近い中央の席だったので玉手御前役の藤十郎の表情を細かく見られた。あの部屋に俊徳と浅香が潜んでいるな、と気づくあたりなど。合邦夫婦が娘に意見したりかばったりしているときにそっぽを向いている玉手の無表情な顔の白さが印象的だ。叱っている親を無視している不良少女のような態度が、今まで見てきた歌舞伎の中では新鮮だった。油地獄の与兵衛も同じような表情をしているがだんだん借金の額を思い出して情けない表情になる。思いがけず親に刺されて死ぬ権太と違い玉手は初めから死は覚悟の上。それを知りながら見ると無表情な顔が決意の固さをあらわしているようだ。
藤十郎の「俊徳様の御事は~」から「あっちからも惚れてもらうキーー」は正に絶品。浅香姫への暴力沙汰は誰がやっても面白いだろうが、合邦に刺された後の長い「戻り」の間、観客を飽きさせずにひき付けておけるのは藤十郎の力だろう。技術とか芸とかいうものに気持ちの強さも加わった力。「恋ではない」と口で言いながら実は「恋である」のだ、と客に思わせる。
今月の玉手は私の藤十郎に対する認識を全く変えた。こんな偉大な芸術家だったのか。この人は上方歌舞伎の復興だの近松の上演だのにエネルギーを割かないで、もっと自分の役者としての可能性を追求してほしかったと思う。
愛之助は誉田主税之助のような役は安定してうまいと思う。主役級の役をどれだけ魅力的に演じられるかで将来が決まるだろう。今年は愛之助の舞台を観るのはこれで最後だが、正月の浅草では与三郎をやるそうで、とても嬉しい。楽しみだ。今月の摂州合邦辻は愛之助が出なければ絶対に観なかった。正月の浅草歌舞伎で七之助の典侍の局に感動したり、三響会で素囃子の素晴らしさを知ったのも愛之助を追いかけたおかげだ。愛之助の追っかけも来年で三年目となり、観劇も次第に惰性的になっていくかもしれないが、愛之助のおかげで自分の鑑賞範囲が広がったことは、多分一生感謝している。
舞の会 京阪の座敷舞 ― 2007/11/25 03:53
2007年11月23日 国立劇場小劇場 午後4時開演 2列27番
大劇場の「摂州合邦辻」が3時45分に終わり、小劇場にまわった。
■4時開演で終演は6時。プログラムは次の通り。
地唄「ねずみの仇討(あだうち)」 山村若
地唄「鉄輪(かなわ)」 井上和枝
上方唄「やなぎやなぎ」「館山」 楳茂都梅咲
地唄「善知鳥(うとう)」 吉村ゆきぞの
上方唄「三国一」 井上八千代
■ 山村若以外は舞踊家の踊りを見たという満足感がなかった。自分が好きなのが手足の長い踊り手で、そのため小柄な人が多い女性舞踊家が好みではないためかもしれない。「八島」に感動したので井上八千代は良いかもしれないと期待したが、やはりあれは振り付けに感動したのだ。井上和枝が踊った「鉄輪(かなわ)」 の後半の井上流らしい動きが良かった。
「摂州合邦辻」についての感想 ― 2007/11/27 21:37
今月の国立劇場の「摂州合邦辻」は心に残る舞台だった。12月になれば歌舞伎座の演目に気持ちが移るだろうと思うので、今のうちに、感じていることを書いておきたい。
複数回観ているうちにこんなに自分の見方が変化、あるいは成長していった演目は初めてだ。特に「戻り」についての評価が正反対になった。最初観たときは、「戻り」にがっかりした。せっかく情熱的なラブストーリーなのに、世間の良識に妥協し、主人公をいい人にして終わるのかと思った。次に観たときは、「戻り」はない方が良いが藤十郎の芸で見せられてしまうな、と思った。3回目、4回目と重なるうちに、「戻り」も楽しめるようになった。今は、「戻り」の前は恋の明示的な表現で、「戻り」のところは「恋でない」と言う台詞とは裏腹に透けて見える恋心を表現するところだと考えている。観客はこの二通りの表現を楽しめば良いのだ。
「通し」でやるのは役者が次第に心を高揚させてクライマックスに到達するのに良いだろう。だから芝居自体は通しでやってもらいたいが、客の方としては3回目くらいからは説明の部分は省略して庵室の場だけ観たい。
ただ、庵室の場だけを他の演目に挟まれた形で観るのは嫌だ。国立劇場で一日に一回だけ、この演目だけの上演、という今回の形で観られて良かった。
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