NHK文化センター 名優トーク 花形役者・片岡愛之助2013/04/22 21:29

2013年4月22日 阪急うめだホール 午後1時半~3時 

開演10分前くらいに着いて上手後方に座った。後ろは階段になっているので、遠いが良く見えた。

司会の葛西聖司さんによると、きょうの一番乗りは9時半に来たそうだ。阪急開店前。 一番乗りの人と言われて手を挙げた人は、最前列の真ん中に座っていた。 葛西さんの音頭で「松嶋屋」と呼ぶと、愛之助は葛西さんが見ていた舞台上手ではなく、客席後方の下手の方から通路を通って出てきた。藤色の着物に薄いグレーの袴。

きのうがこんぴら歌舞伎の千秋楽で、葛西さんが「こんぴらに行った人、拍手してください」と言うと、たくさんいた。

愛之助 「葛西さんは人をつかまえるのがうまい。自分は千秋楽がいつかも知らないのに、21日が千秋楽だから22日は大丈夫のはず、と言われた」

愛之助によると、新しい歌舞伎座の楽屋は広くて綺麗だそうだ。

普通は仕事をするときは契約書をかわすのだろうが、自分たちの仕事は口約束。何ヶ月か先のチラシを見て、「あ、ここに出る」と知ることさえある。自分たちは松竹の社員ではない。
愛之助「社員ならまだいい。ボーナスも休みもある」
葛西「皆さん、これ、ブログに書いちゃダメですよ」
愛之助「書いても良いです。改善されるかもしれない」


富樫は我當に教わった。我當は関西で弁慶も何度もやったことがあって、よく知っている。愛之助は我當の富樫の太刀持ちもしたことがある。

太刀持ちは何度もやった。幸四郎は富樫の出の前に浄めの塩をたくさん使う。そのたびに、後ろにいた自分にたくさん塩がかかって、頭に塩をかぶって出て行った。

太刀持ち音若の席は特等席。子供なので、台詞を全部覚えてしまう。

ここで葛西さんが一言。梅幸も音若をやったことがあって、その時、父の菊五郎の義経をじっと見ていた。手が綺麗だったという。

こんぴらでやった鳥辺山の半九郎は3回目。相手役のお染は亀治郎、孝太郎、春猿。それぞれ違う。
春猿はハイカラ(愛之助)、バタ臭い(葛西)。
春猿は秀太郎に教わった。秀太郎はお染の役を一度しかやったことがないが、いろんな人の型をやってみせて、その中で気に入った役をやりなさいと言った。
春猿も亀治郎も良い匂いがする。孝太郎は無臭。

右近が敵役。その弟が猿弥。配役に無理があるだろう、と皆で言い合った。源三郎役の猿弥は自分の近くに来て台詞を言うが、しょっちゅう酒臭い。
イタズラしたことがある。花道を歩いていく源三郎を半九郎が呼び止めるシーンがあるが、一度、わざと呼び止めないで、どこまで行くか見ていた。歩くスピードがだんだん遅くなっていた。


2月の松竹座について。若い役者が多かったので深い芸は見せられないと思った。勢いだけ。各自が自分の役を掘り下げて楽しんでくれたので良かった。秀太郎、翫雀が出るとしまる。芝居のレベルが上がる。
自分は客からパワーをもらい、2月は全く疲れなかった。

葛西さんも観に行った。二階で見ていて、特に立ち回りが素晴らしいと思った。愛之助は、二階に梯子で登るとき、刀を落とすまいと大変だった。

フラメンコはシスティーナのときは小島に、松竹座のときは佐藤に教わった。浅草で富樫をやった後、フラメンコの稽古をしていた。足の裏が痛くなった。GOEMONはもう1回やりたい。
葛西「GOEMONは歌舞伎座でやるべき」

歌は好きで、ミュージカルをやりたい。

ここで席とっかえ。葛西さんが、「こっちの人は僕の顔なんか見たくないでしょ」と言って、上手にいた愛之助が下手の席に移った。葛西さんはジュース休憩と言って、愛之助にジュースをすすめた。普段はストローなんか使わないでしょと言われていたが、ストローを使ってちょっと首を傾げたりしながら飲んでいた。その後、葛西さんが愛之助を見つめながらジュースを飲んだ。

芝居中、笑ってしまうことがある。獅童にはよく笑わされる。 「あいつ悪い奴なんですよ」 犬みたいに、いつのまにか近くに来てハッハッハッとやってる。

こんぴらの義経の役のとき「きせなが」を「きながし」と言ってしまった。自分で気がつかなかったので笑わずにすんだが、後で猿之助に言われた。

寿猿は82歳。口上で、毎日寿猿が言っていることを先に秀太郎が全部言ってしまった。秀太郎が話し出したら「あーっ、あーっ」と声を発していた。自分の番になったら、秀太郎の名前も出てこなくて「あの人が言われたとおり・・・」そして、「もう一度復習します」と言って、いつもの口上を始めた。寿猿は演目名を書いた紙を自分の前に置いているが、猿之助が取れというので、取った。すると寿猿は口上の前、ソワソワして挙動不審になり、口上も初めは良かったが次第におかしくなって、最後は猿之助をよろしくと言わなければいけないのに「今後とも私をよろしく」と言ってしまった。
「それはイジメですよ」という葛西さん。でも、寿猿はいじられるのが好きなのだそうだ。

寿猿の話をしている時の愛之助を葛西さんは「人の不幸を語る嬉しそうな愛ちゃん」と言った。

葛西さんは、「愛之助さんが大評判になった演目」として外郎売の台詞をプリントした紙を渡し、その一部を客席に「言えますか」ときいたり、愛之助に言わせたりしていた。先輩アナウンサーが新人を指導しているような雰囲気だったが、葛西さんは「おちゃたちょ、ちゃたちょ、ちゃっとたちょ」のところが嫌いだそうだ。
これは再演はないでしょうねえ、という。失敗できないので毎日ドキドキしていたそうだ。愛之助は、團十郎がやったときも毎日練習していて、トイレから「ぶぐ、ばぐ、ぶぐ、・・・・」と聞こえてきた、と声色風に言った。
愛之助によると、外郎売の台詞はアナウンサーや普通の役者は訓練で必ず練習するが、歌舞伎役者はやらないのだそうだ。
最後に、外郎売の台詞を何行か言ったが、それが團十郎の真似だったのでとってもとっても嬉しかった。「喉が開くんですよね」と葛西さんと言い合っていた。

葛西さんは、ちょっと暗くしてくださいと言って、スライドで「鯉つかみ」の滝窓志賀之助の写真を見せた。

この役も我當に教わった。我當は南座の夏芝居でやったことがある。葛西さんは学生のとき学割で観たそうだ。
永楽館でやった時の鯉の中の人は 佑次郎。シュノーケルを使って水中に潜っていた。
鯉は何種類かあって、大きな鯉を振り回していたら肩が痛くなった。四十肩が来たかと思って医者に行ったら筋肉の使い過ぎだった。

客に配布されていた五月明治座のチラシを見ながら話を続けた。

与三郎は少し気持ち悪い。自分は大阪の人間なので、あまり気持ちよくはやれない。

染五郎とは「あーちゃん」「愛ちゃん」と呼び合っている。
葛西「二枚目で役がかぶるから、お互いに役とられないかと心配してるんじゃないの?」

葛西「このチラシに出ている全員の中で、誰が一番嫌い?」

吉弥はまじめで面白いからいつもいっしょにいたい。

多左衛門は初役。初めて歌舞伎に出たときに丁稚をやった。
与三郎は当時の海老蔵、お富は澤村藤十郎、多左衛門は孝夫。

明治座は、新築後のこけら落としのときに出た後は、北大路欣也が忠臣蔵やったときの浅野内匠頭、「五辨の椿」で菊川怜と共演して以来。

8月はABKAIに出る。自主公演なのに長い。
自分でできるのは良いこと。松竹がなくなっても芝居ができる。

映画のシベ超に出る。

別の映画で、自分の役をこんな男前の人にやってもらえるんですか、と言われた役をやる。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://wonwon50.asablo.jp/blog/2013/04/22/6787643/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。