坂東竹三郎トークショー2014/10/13 00:02

2014年10月12日 ポレポレ東中野 12時半開演

自宅の最寄り駅から2駅のところにあるポレポレ東中野、名前は知っていたが今回初めて行った。1階の入り口に着いたら、「竹三郎さんのトークショーですか」と聞かれて、喫茶店を通ってその奥の部屋の「ポルポレ坐」に案内された。受付で、竹三郎の色紙が入った袋を「お土産です」と渡された。去年の自主公演のプログラムを売っていた。

会場は椅子が並べてあって、50席くらいだろうか。

開演時間になると、竹三郎が、客と同じ入り口から入って来て前の演壇に上がった。司会の人との対談形式。きょうは猿之助が皆さまによろしくということで、持ってきた猿之助の扇子をさっと広げた。

来月の明治座で「夏姿女團七」をやる。これは去年竹三郎の自主公演でやったもので、 猿之助が主人公のお梶役をやった。この話は「夏祭浪花鑑」のパロデイで、義平次のかわりに継母のおとらの役があり、それを竹三郎がやる。

自主公演では「恐怖時代」など、普段あまり上演されないものをやるようにしてきた。「夏姿女團七」は大阪では四世富十郎の自主公演の矢車座でやったことがあるということで、竹朗が資料を見つけて来た。

「夏祭浪花鑑」は大阪が舞台だが、「夏姿女團七」は舞台が浜町で、明治座の近く。言葉は江戸弁。義平次婆のみあらわしのシーンでは弁天小僧のように「損料ものの」のような江戸弁の台詞がある。それでもやってしまう「くそ度胸」はどこから来るか、と聞かれて、「大阪だから大丈夫かと思ってやった。明治座は東京のお客さんが多いのでなまるとばれる」 一般に、女形はなまったとしても立役ほどは目立たないのだそうだ。

猿之助は天才で、台詞はすぐに頭に入る人なのに、去年の「夏姿女團七」のときは先に出る竹三郎が舞台に出たときから台本を持って立っていた。そういう姿を見ると、自分も負けられないと思う。猿之助の女形が観たいお客さんたちが喜んでくれて嬉しかった。

喜寿記念の自主公演のカーテンコールのときに亀治郎が録音した声で「傘寿記念もやらなきゃダメ」と言ったので亀治郎に出てもらう予定ではいたが、猿之助襲名直後ということになったので、出演については猿翁の許しをもらいに行った。

明治座の公演は去年の公演よりも立ち回りを派手にする予定だそうだ。夏祭では長町裏にあたるところは、「夏姿女團七」では浜町河岸。(普請場のようなところから)竹婆を突き落とす、と猿之助が脅すので、「命があぶないのでお許しください」と言っている。

11月は夜の部にも「さぼてん婆」という役で出る。これは後から決まったこと。11月に命をかけるので、12月の顔見世は出ないことにした。

後ろのスライドに、時折写真が出る。去年のプログラムに載っている写真だ。
竹三郎の師匠は菊次郎。東京から大阪にうつった人で、大阪に来たときに弟子が減り、竹三郎が弟子になることになった。最初の師匠は嵐雛助。上方では今の玉三郎のように人気があった女形の役者だった。難しい人で、いたたまれずに弟子をやめた。
幼い頃から母が竹三郎を膝に座らせ「役者にならしてあげる」と言って頭をなでなでした。父は反対だったが、役者になるのなら歌舞伎役者と言われた。「それで、女形として弟子入りしたんですか」と聞かれ、上方は女形、立役どっちもやる、と言った。

関西は、昭和三十年代、歌舞伎公演がどんどん減っていった。松竹新喜劇の人気が高く、藤山寛美の公演が中座で一年続いたことがあった。
竹三郎が自主公演を始めた。第二次つくし会第一回は、切符代250円。場所はみどう会館(若伎会をやったところだ)。1900人入れる。記者会見なんかやってもらえないので、大手新聞社をこちらから尋ねて記事を載せてもらった。600人来てくれた。
当時は、一年に5万円貯金して、次の自主公演の資金にしていた。
最近は時期的には8月でないと自主公演に出てもらう役者がそろわないが、当時はみんなヒマだったので時期はいつでも良かった。

第一次つくし会は昭和26、7年頃、 市川雷蔵がまだ歌舞伎界にいたころ。

「雪之丞変化」をやったことがある。 長谷川一夫に話を聞きに行ったら、「二役やってはいけない」と言われた。映像なら良いが、舞台だと雪之丞と闇太郎の化粧を変えるわけにいかないので、闇太郎の顔が白くなってしまうから。それで、闇太郎は長谷川明男にやってもらった。

「男の花道」もやったことがある。これは藤山寛美と因縁のある話のようだ。話を正確に把握できたかどうか自信がないが、寛美が「竹三郎に何かやらせたらどうか」と言ったので公演できることになったのだが、それよりも前に、竹三郎が予定していた公演が寛美のクレームによってできなくなったことがあるらしい。松竹新喜劇が中座で一年連続公演をし、そのおかげで歌舞伎公演がなくなったので竹三郎にも含むところがあったのかもしれないが、自主公演で曾我廼家五郎の「へちまの花」をやろうと思い、それと歌舞伎の「高瀬舟」で公演をやろうとしたら、寛美が、これは喜劇ではないかと言ってきて、「高瀬舟」があるから歌舞伎です、と言ってもダメで、鶴蝶や小島秀哉を貸すと言ってたのがダメになって、結局公演できなかった、ということだ。
この公演の前にも、長谷川一夫に話を聞きに行ったらしい。

竹三郎が老け役になったのは先代猿之助が、宙乗りから戻って来たときに「いつまで若い役やってるんだ」というような言葉をかけたのがきっかけらしい。大阪の新歌舞伎座でやった公演で老け役をやらされた。女形をやるとどうしても色気が出るので、(地方の方には申し訳ないが)本公演の前に巡業で1か月やって、その間にだんだん色気を抜いてからではどうかと言ったが、聞き入れられなかった。初めは黒髪に少し白髪を入れてごま塩にしたが、全部白髪じゃないとダメと言われた。

今月昼の部の小屋頭おなみはかまぼこ小屋にいる猿之助を世話する役。「いつもここに通ってきている人だという雰囲気がするんですが、それは出ていく前に作るんですか」と聞かれ、「そりゃ、そうですよ」とさもあたりまえそうに。

司会の人が、ある役を竹三郎の「手に入った役」と言ったが、これについてはきっぱりと否定。「役が手に入ったときは死ぬときと聞いている」ということだ。

師匠の菊次郎は歌舞伎に向く顔だったが、竹三郎は顔が小さくてハーフじゃないかと言われるような顔だった。昔、玉三郎のお姫さまに竹三郎の腰元の芝居があって、稽古のときに二人で出て行ったら、松緑が「日本人形とフランス人形が来た」と言った。

最後は、質疑応答。

問 お肌の手入れは?
答 化粧がのるように何か塗るが、自分は乳液を使っている。寝る前も乳液。

問 先代猿之助の復活狂言の演出に助言したと聞いているが?
答 助言はしていない。ただ、自分は自主公演で復活狂言をしたのでその話はした。敷島は、「伊達の十役」のもとになっている。「有馬猫」が今月の化け猫。

問 大阪の小芝居はいつまであったか
答 戦争中まで

問 政岡をやってください
答 あれは体力的には60までですね。でも機会があったらやります。

問 竹三郎さんに猿之助さんのことをきいて申し訳ないですが、猿之助さんはどんな女形の役が似合うと思いますか?
答 いえ、きょうは名代で来てますから。袖萩とかご覧になりましたか。亀治郎の会でやった摂州合邦辻の玉手御前は伯父さんよりうまかった。伯父さんは女形不得意だから。春秋座で観て、思わず「澤瀉屋!」と掛け声をかけた。そしたら、先代の猿之助夫妻が客席にいて、紫は難しい顔をしていたが猿翁は笑っていた。鉄火な役が似合うと思う。

トークが終わり、帰るときに客の一人一人と握手をして行った。