坂東玉三郎トーク&ディナー2009/04/28 23:37

2009年4月28日 帝国ホテル 本館3階 富士の間 テーブル12

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ディナー 午後6時から

メニュー

季節の新鮮な海の幸とホワイトアスパラガスの取り合わせ柚子風味のドレッシング

旬のカリフラワーのクリームスープ

牛フィレ肉のステーキ 赤ワインソース 季節の温野菜を添えて

フロマージュブランと苺のハーモニー ライムの香り

コーヒー

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トーク 午後7時15分から

時間になったら舞台上の大きな画面で2005年歌舞伎座の鷺娘の映像を流し始めた。玉三郎がすぐに出てきてトークを始めると思いこんでいたので、司会の人の「映像と語らいの夕べ」ときいて話が違うような気がしたが、チケットにははじめから確かに「映像と~」と書いてあったのだ。

鷺娘が終わり、司会の女性が玉三郎のトークの聞き手を紹介したが、それがなんと、傳次郎。去年の三響会のパーティのときに先代の傳左衛門さんに鼓を習いに来ていた玉三郎の話を佐太郎さんから聞いたし、今の傳左衛門、傳次郎兄弟もデビューの時から玉三郎と関わりがあるのは聞いていたが、このイベントに傳次郎が出てくるとはワンダフルサプライズだった。

下手からスーツ姿の傳次郎が現れて挨拶した後、上手から羽織袴の玉三郎が出てきて、それぞれ下手と上手の床几に座ってトークをした。 私のテーブルは舞台から2列目で、やや上手寄りの中央近くだったので玉三郎の表情もはっきり見え、ラッキーだった。

傳次郎はいつもの饒舌な感じが影をひそめて緊張している様子だった。玉三郎も、「私が司会みたいになっていますが........(傳次郎は)きょうは上がってます」と言った。しかし傳次郎相手になら2時間でも3時間もしゃべれるので本日の相手に選んだのだそうだ。傳次郎は玉三郎を「若旦那」と呼ぶ。

玉三郎が鷺娘を最初に踊ったのは前の演舞場。その時は先代勘三郎と共演で盲目物語の淀君と、文七元結の角海老女将をやった。 鷺娘の衣装が浅葱から藤色に変わっても変わり映えがしないので紫から朱鷺色にした。その形になってから30年。踊った回数は、ある時点までは藤娘の方が多かった。演出が変わったのかと毎回聞かれるが、舞踊の振りは変えない。芝居で変えることはある。

86年のメットのガラから雪の降り方が変わった。それまでは天井から吊るした籠に入れた紙の雪を降らしていたが、その時から樋のような形(?)の入れ物を使って降らせるようになったらしい。それだと、一部を布で覆えば演奏してる人の上には降らない。この話から、傳次郎が「若旦那は演奏者のことも考えてくれている」と言う。

玉三郎は、音楽さえ良ければ役者は真中でウロウロしてればいい、そのくらい音楽が大事、と言う。

傳次郎は十五歳のとき、玉三郎の鷺娘でデビューし、かなり怒られてしごかれたらしい。雪の音の太鼓だったそうだ。

次は、役への入り方について。

鷺娘の場合、「妄執の雲晴れやらぬ朧夜の恋に迷いし吾心」という和歌を自分の中に入れる、という。この話のところでは玉三郎が実際に歌詞を口ずさんだり手や上半身を動かしたりした。(このトークショー全体を通じて、指を伸ばしたり回したり、いろんな動きをする玉三郎の手が見られて、とても得をした気分だった。) 細部がわかっても全体像が見えないことがあるし、細部が気にならなくて全体像が見えれば良い、ということだった。

傳次郎が「美について」と質問すると、 「あー、美ねぇ」と玉三郎。 この年になると心の持ち方だと思う。 まず心の持ちようがあって、そこに何かをしつらえる。そして、そのしつらえが自分の一部になっていることが美の条件。豹が走ったり鳥が飛んだりするのは美しいがそれは目的に対し過不足がない。過不足がないものが一番美しい。

潜水は、息を止めて戻ってくるのが舞踊と同じだった。関節を柔らかくするのが休みの目的だそうだが潜水はその目的にかなっているし、他にもいろいろ良い点がある。傳次郎の伯母さんの家には玉三郎の海水浴の写真があるそうだ。

玉三郎は舞台は見上げて見るよりも、二階、三階のような遠くから、全体を見るのが好き。傳次郎が「海神別荘の演出のときも二階から見てましたね」。

鼓童との共演の時の話もした。

最後にお客さんからの質問を三つ受けた。

そのⅠ 「最近は二人道成寺ばかりだが一人の道成寺をやってほしい。歌舞伎座で見たい」

玉三郎は三年前が最後のつもりだった。さよなら公演の中でやることは、まずない。「先ほど、音楽さえ良ければ演者はウロウロしてれば良いと申しましたが、道成寺はそういうわけにもまいりません」 回数を減らしてやることについて、「答をはぐらかすつもりはないですが、ちょっと別の話をさせていただきます」と言ってマーゴ・フォンテンの例を出した。引退していた彼女は、一日だけなら踊れるでしょと言われて、その一日のために一年練習する時間がとれないわ、と答えたそうだ。道成寺については、25日間ではなく、二人道成寺の中の何回かを一人の道成寺にする、という形とか、検討されてはいるようだった。

その2 「仁左衛門さんと桜姫やってください」

これに対しては「全編通してはもうできません」ときっぱり。ただ、庵室と風鈴お姫だけならやる可能性はあるそうだ。

その3 「鷺娘の最後は玉三郎さんが考えたのか勘十郎さんか」

玉三郎が今やっている鷺娘の最後の振り付けは勘十郎(今の勘十郎の祖父の)が、若き日の紫さんのために作ったものだそうだ。

「できないものをできるとは言えません。でも、道成寺や桜姫以外にもお見せできるものはいろいろありますので」という玉三郎にはファンに対する誠意も感じられて、とても感動した。