能を知る会 鎌倉公演 ― 2011/05/02 22:46
2011年4月30日 鎌倉能舞台 午前10時開演
鎌倉能舞台は長谷駅から歩いて七、八分。案内表示や看板があるので迷うことはないが、民家に埋没している。 自由席で、行ったときはかなり席が埋まっていた。正面後ろの座敷の座イスの席が空いていたが上がっていく通路があるわけでもなく、その前のイス席を踏ましてもらって席についた。舞台は、私が今まで観た能楽堂と違って客席より階段一段分くらいしか高くなく、客席に近い感じがした。
最初に舞台に正座して挨拶された方(中森貫太さん?)によると、震災の後、お客さんからの電話はパッタリ止まってしまい、中止にした方が赤字にならないのではと思ったほどだそうだが、きょうの客席はぎゅうぎゅう詰めと言っても良いほど満席だった。鎌倉も一時はずいぶん観光客が減ってしまったようで、渡されたチラシの中に「鎌倉を元気にしよう!キャンペーン」というタイトルのが1枚入っていて、チケットの半券を見せると割引が受けられたりドリンクサービスが受けられたりする店が紹介されていた。来たついでにお金使って帰ってほしいような話だった。
きょうの演目は狂言の「柿山伏」と能「吉野静」。その前にけっこう長い解説がつき、カルチャーセンターのようだった。尾島政雄さんの「静御前」についての話は、なかなか面白かった。頼朝に追われた義経一行は吉野を越えて熊野に入り、その後は、山伏のネットワークで逃げて行った。静は吉野で舞を舞って追手の気を引き、義経が逃げるのを助けた。そしてつかまり、頼朝のいる鎌倉に連行された。ここ鎌倉でそういう話を聞くのも面白い。その後は、子供の頃からよく知っている、男の子が生まれて殺され、静は鶴岡八幡宮で「しずやしず~」と舞う話になる。静が踊ったのは、史実では舞殿ではなく、本殿の方だったそうだ。平家物語には静御前についての記述はほんの一か所しかなく、細かく記述しているは源平盛衰記、義経記だそうだ。静がどこで死んだかについては3つの説があるそうだが、どの説でも、死んだ年は21。
狂言の「柿山伏」は、柿をとろうとして木に登った山伏が人にみつかり、その人が「あれはカラスか」「いや、サルか?」と言うのに応じて「コー、コー」と啼いたりサルのように尻を掻いたりするのが面白い。
能「吉野静」は、大鼓が亀井広忠。シテは中森貫太。
佐藤忠信の衣装や雰囲気が歌舞伎とまるで違う。シテの静御前の舞の中には「しずやしず~」の歌も入っていて親しみやすかったが、いつも通り眠くなった。
終わったのは十一時四十分頃。衣装を着替えた後、客の質問に答えるコーナーがあるということだったが、それは見なかった。
鎌倉能舞台は長谷駅から歩いて七、八分。案内表示や看板があるので迷うことはないが、民家に埋没している。 自由席で、行ったときはかなり席が埋まっていた。正面後ろの座敷の座イスの席が空いていたが上がっていく通路があるわけでもなく、その前のイス席を踏ましてもらって席についた。舞台は、私が今まで観た能楽堂と違って客席より階段一段分くらいしか高くなく、客席に近い感じがした。
最初に舞台に正座して挨拶された方(中森貫太さん?)によると、震災の後、お客さんからの電話はパッタリ止まってしまい、中止にした方が赤字にならないのではと思ったほどだそうだが、きょうの客席はぎゅうぎゅう詰めと言っても良いほど満席だった。鎌倉も一時はずいぶん観光客が減ってしまったようで、渡されたチラシの中に「鎌倉を元気にしよう!キャンペーン」というタイトルのが1枚入っていて、チケットの半券を見せると割引が受けられたりドリンクサービスが受けられたりする店が紹介されていた。来たついでにお金使って帰ってほしいような話だった。
きょうの演目は狂言の「柿山伏」と能「吉野静」。その前にけっこう長い解説がつき、カルチャーセンターのようだった。尾島政雄さんの「静御前」についての話は、なかなか面白かった。頼朝に追われた義経一行は吉野を越えて熊野に入り、その後は、山伏のネットワークで逃げて行った。静は吉野で舞を舞って追手の気を引き、義経が逃げるのを助けた。そしてつかまり、頼朝のいる鎌倉に連行された。ここ鎌倉でそういう話を聞くのも面白い。その後は、子供の頃からよく知っている、男の子が生まれて殺され、静は鶴岡八幡宮で「しずやしず~」と舞う話になる。静が踊ったのは、史実では舞殿ではなく、本殿の方だったそうだ。平家物語には静御前についての記述はほんの一か所しかなく、細かく記述しているは源平盛衰記、義経記だそうだ。静がどこで死んだかについては3つの説があるそうだが、どの説でも、死んだ年は21。
狂言の「柿山伏」は、柿をとろうとして木に登った山伏が人にみつかり、その人が「あれはカラスか」「いや、サルか?」と言うのに応じて「コー、コー」と啼いたりサルのように尻を掻いたりするのが面白い。
能「吉野静」は、大鼓が亀井広忠。シテは中森貫太。
佐藤忠信の衣装や雰囲気が歌舞伎とまるで違う。シテの静御前の舞の中には「しずやしず~」の歌も入っていて親しみやすかったが、いつも通り眠くなった。
終わったのは十一時四十分頃。衣装を着替えた後、客の質問に答えるコーナーがあるということだったが、それは見なかった。
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