平成23年度松竹大歌舞伎 巡業西コース よこすか芸術劇場 ― 2011/09/01 00:31
2011年8月31日 午後二時開演 4階一列中央
今年は巡業の中央コース、東コースが中止になり、西コースのこの公演も、予定が発表になった当時は、電力不足が心配されている夏に本当に横須賀で歌舞伎公演なんてできるのかと不安だったが、八月最後のきょう、電力不足の心配も峠を越して、ちゃんと公演が観られたのが嬉しい。
ロビーではプログラムの他、仁左衛門の写真や仁左衛門の名前の入ったイチョウ柄の手ぬぐい、Tシャツなどを売っていた。
「雨の五郎」
楽しみにしていた割にチケット発売日を忘れていて、その日の夜に思い出したので、4階しか買えなかった。小さくしか見えないのは覚悟していたが、なんと、一列目は目の前に手すりがあり、普通にすわると、それがまともに顔の前に来る。ゲッと思ったが、一番上のレールと2番目のレールの間に舞台の上の役者とお囃子の人たちがすっぽりおさまる。2本のレールの間が10センチくらいだから、私が観ている愛之助は5センチくらいか。
五郎役の愛之助は黒地の衣装。途中で上を脱いで、別の五郎役の時に観たことがある白地に赤い四角の模様の衣装になった。廓の若い者の役で4人が絡んで立ち回りをする。千次郎、祐次郎、松太郎、弥風。遠すぎて誰が誰だかわからない。わかるのは愛之助と、後見の愛一郎だけ。背景は、いつもの反転図形。
愛之助は、さすがに足拍子が力強かった。近くで見たら、顔もきっと綺麗なんだろうと思う。
この踊りは十三分。ロビーに出ていた予定の通り、本当に2時13分に終わった。
この後、20分休憩。次の二幕の間の休憩が10分だけなので逆の方が良いと思うのだが、そうすると次の幕が始まって間もなく小金吾の役で出る愛之助のこしらえが間に合わないのだろうな。
「義経千本桜」
下市村茶店の場で、若葉の内侍の高麗蔵、六代君と、小金吾の愛之助が、下手の花道にみたてた通路から出てくる。あの辺に立たれると、この席からは、二番目のレールの下に視線を移さないと見えない。しかし、前回、鎌倉芸術館で観た時は上手前方の席で、見えない部分もあったのだが、きょうの席はみんな小さくて役者の表情は見えないが、全体はよく見える。
このいわゆる「木の実」の場では、小金吾が権太に騙されいじめられるところが可笑しくて、観客もかなり笑っていた。仁左衛門が長い足を伸ばして愛之助の腕あたりに足の裏をつけている格好が面白い。
善太役の子は、権太のところに走ってきたとき、ちょっと足を滑らせていたようだ。小さくて、顔も小さく、仁左衛門におぶわれているのを見ても、仁左衛門より顔がずっと小さく、本当にかわいかった。「すしや」の最後に六代君の衣装を着て出てきても、衣装が大きすぎて一目で人が違うことがわかった。
いわゆる「小金吾討死」の場は、上から観たので、捕手の縄の上に小金吾が乗るところが綺麗だった。猪熊大之進は、前回は薪車だったが、今回は松之助になっていた。声が大きいので四階でもよく聞こえる。ここまでで、前半大活躍の愛之助の出番は終わり。愛之助は、死ぬ前の台詞がとてもうまかった。
「すし屋」では、お里役の孝太郎が相変わらず良い。うまいし、面白いし、所作に魅力がある。孝太郎一番の当たり役なんじゃないかと思う。
薪車は今回は梶原の役だ。前回は誰だったろうと考えこんでしまったが、愛之助だったのだ。忘れていたなあ。
権太の仁左衛門が実家の戸に近づいてくる場面で、与三郎が観たいと思った。最後、父に刺され、母に押さえられてジタバタしている足が綺麗すぎる。あれは権太の足じゃない。与三郎の足だ。
刺されてから死ぬまでの間の台詞は仁左衛門は盛り上がっていた。負けじと父役の弥十郎も盛り上がる。上手に控えている維盛とその妻子とは温度差がありすぎ。あの後、若葉の内侍は夫に「あの人、小金吾騙して二十両とったのよ」なんて話をしたんだろうか。
今年は巡業の中央コース、東コースが中止になり、西コースのこの公演も、予定が発表になった当時は、電力不足が心配されている夏に本当に横須賀で歌舞伎公演なんてできるのかと不安だったが、八月最後のきょう、電力不足の心配も峠を越して、ちゃんと公演が観られたのが嬉しい。
ロビーではプログラムの他、仁左衛門の写真や仁左衛門の名前の入ったイチョウ柄の手ぬぐい、Tシャツなどを売っていた。
「雨の五郎」
楽しみにしていた割にチケット発売日を忘れていて、その日の夜に思い出したので、4階しか買えなかった。小さくしか見えないのは覚悟していたが、なんと、一列目は目の前に手すりがあり、普通にすわると、それがまともに顔の前に来る。ゲッと思ったが、一番上のレールと2番目のレールの間に舞台の上の役者とお囃子の人たちがすっぽりおさまる。2本のレールの間が10センチくらいだから、私が観ている愛之助は5センチくらいか。
五郎役の愛之助は黒地の衣装。途中で上を脱いで、別の五郎役の時に観たことがある白地に赤い四角の模様の衣装になった。廓の若い者の役で4人が絡んで立ち回りをする。千次郎、祐次郎、松太郎、弥風。遠すぎて誰が誰だかわからない。わかるのは愛之助と、後見の愛一郎だけ。背景は、いつもの反転図形。
愛之助は、さすがに足拍子が力強かった。近くで見たら、顔もきっと綺麗なんだろうと思う。
この踊りは十三分。ロビーに出ていた予定の通り、本当に2時13分に終わった。
この後、20分休憩。次の二幕の間の休憩が10分だけなので逆の方が良いと思うのだが、そうすると次の幕が始まって間もなく小金吾の役で出る愛之助のこしらえが間に合わないのだろうな。
「義経千本桜」
下市村茶店の場で、若葉の内侍の高麗蔵、六代君と、小金吾の愛之助が、下手の花道にみたてた通路から出てくる。あの辺に立たれると、この席からは、二番目のレールの下に視線を移さないと見えない。しかし、前回、鎌倉芸術館で観た時は上手前方の席で、見えない部分もあったのだが、きょうの席はみんな小さくて役者の表情は見えないが、全体はよく見える。
このいわゆる「木の実」の場では、小金吾が権太に騙されいじめられるところが可笑しくて、観客もかなり笑っていた。仁左衛門が長い足を伸ばして愛之助の腕あたりに足の裏をつけている格好が面白い。
善太役の子は、権太のところに走ってきたとき、ちょっと足を滑らせていたようだ。小さくて、顔も小さく、仁左衛門におぶわれているのを見ても、仁左衛門より顔がずっと小さく、本当にかわいかった。「すしや」の最後に六代君の衣装を着て出てきても、衣装が大きすぎて一目で人が違うことがわかった。
いわゆる「小金吾討死」の場は、上から観たので、捕手の縄の上に小金吾が乗るところが綺麗だった。猪熊大之進は、前回は薪車だったが、今回は松之助になっていた。声が大きいので四階でもよく聞こえる。ここまでで、前半大活躍の愛之助の出番は終わり。愛之助は、死ぬ前の台詞がとてもうまかった。
「すし屋」では、お里役の孝太郎が相変わらず良い。うまいし、面白いし、所作に魅力がある。孝太郎一番の当たり役なんじゃないかと思う。
薪車は今回は梶原の役だ。前回は誰だったろうと考えこんでしまったが、愛之助だったのだ。忘れていたなあ。
権太の仁左衛門が実家の戸に近づいてくる場面で、与三郎が観たいと思った。最後、父に刺され、母に押さえられてジタバタしている足が綺麗すぎる。あれは権太の足じゃない。与三郎の足だ。
刺されてから死ぬまでの間の台詞は仁左衛門は盛り上がっていた。負けじと父役の弥十郎も盛り上がる。上手に控えている維盛とその妻子とは温度差がありすぎ。あの後、若葉の内侍は夫に「あの人、小金吾騙して二十両とったのよ」なんて話をしたんだろうか。
秀山祭九月大歌舞伎 又五郎、歌昇襲名披露 初日 夜の部 ― 2011/09/01 23:36
2011年9月1日 新橋演舞場 午後4時半開演 1階7列25番
「沓手鳥孤城落月(ほととぎすこじょうのらくげつ)」
ワーワーいう声がきこえる幕開きに覚えがある。上演記録を見ると、5年前の歌舞伎座、その前の松竹座の公演を観ている。
武者達が争う中、大住与左衛門役の錦之助が花道から出てきて、舞台の石段を上って行った。次に出て来たのが裸武者の児太郎。
男子高校生の裸。観客サービスと言われるこの役としては王道だろう。私もスベスベの肌と小さく引き締まったお尻を鑑賞させてもらった。歌舞伎的に正しい動きではないかもしれないが、槍を振りまわす立ち回りは迫力がある。槍の穂先が壊れ、しばらく振りまわしていたがそれを捨てて、落ちていた刀を取り上げて戦う。石段を上って戦っていたが斬られ、階段落ちして死ぬ。なかなか良い裸武者だった。
城内の場、淀の方役の芝翫は、立ちあがると顔が大きい。笑ったりするとリアル痴呆なんじゃないかと心配になるほどの迫真の演技だった。私の席からは死角になってよく見えなかったが、侍女たちに介抱されている様子だった。吉弥が大蔵の局の役で出ていた。その息子、大野治長役が梅玉。
秀頼役の新又五郎と、氏家内膳役の吉右衛門が姿を現すと拍手が起きた。まだらボケの淀君に振りまわされているような秀頼と、大蔵の局、正栄尼(東蔵)、饗庭の局(芝喜松)の必死さが伝わってきて舞台に引きこまれた。
「口上」
前の幕で痴呆かと思った芝翫が、口上をしっかりと仕切る。 25分で16人が口上を述べるせいか、型どおりの挨拶に毛がはえた程度の内容がほとんどだった。型どおりではあるが、種之助のきりっとした感じが印象的だった。
私が歌舞伎を見始めた頃、新又五郎の歌昇は猿之助の一座に出ていた。そのときにいっしょだった段四郎、福助、歌六、錦之助が口上の席に並んでいるのが懐かしい。
新歌昇は、種太郎の初お目見えのときは、自分が何やってるか全くわからずボーッとしていて、ただついている大人に言われて座ったりお辞儀したりしているだけの幼児だった。それがちゃんと口上の挨拶ができるまで成長したんだから、人間ってすごい。
「車引」
花道から出て来た梅王丸。松竹座の愛之助をころっとしていると思ったが、又五郎は重量感が違う。
梅王丸と桜丸が深編笠をとると、桜丸はやはり隈どりをしていない。
上方式は、隈どりをしないのだそうだ。それでも藤十郎は孝太郎より顔が良いからサマになる。
愛之助の梅王丸もうまいと思ったが、又五郎のしゃべり方は、ただ声が良いとかセリフ回しがうまいとかだけではない、何かもう一癖あるしゃべり方だ。リズムにのってるというか、ちょっとアクが強いような。こういうのをベリベリした、というのだろうか。面白いと思って聴いていた。
杉王丸は歌昇。杉王丸は演じる役者自身の顔立ちがはっきり残る、良い役だな。歌昇らしい顔だった。
吉右衛門の松王丸をとても観たかったのだが、眠ってしまって記憶がない。
「石川五右衛門」
最初に出てくるのは五右衛門の育ての父。父は、五右衛門の母を殺して金を奪い、そのときに母が生んだ五右衛門を子供として育てて来た。五右衛門は小さいときから他人のものをほしがり、今は行方知れずとなっていて、父は息子を探している。
大谷桂三は公家の役にぴったり。五右衛門の手下に身ぐるみはがされる。
五右衛門(染五郎)は勅使に化けた姿が最初の登場。染五郎も結構公家姿が似合う。
丁稚の頃いっしょに奉公していて今は出世した此下籐吉を演じるのは松緑。「金閣寺」の此下籐吉のような衣装で、所作も似ている。松緑の所作が綺麗だ。
あまり面白い話ではなくて、五右衛門の宙乗りも盛り上がらなかった。宙乗りの最初のつづら抜けも、猿之助のときは、つづら全体が壊れるような感じで開いて猿之助が現れたような記憶があるのだが。
南禅寺山門の場では、染五郎の他に左忠太(廣太郎)と右平次(種之助)の趣向の華メンバーが出るので、大薩摩が出てくると勘十郎と青楓を思い出す。しかし本職は流石に違うのであった。
浅葱幕が落ちて南禅寺山門が現れると五右衛門が座っている。やがて山門がセリ上がり、その下に巡礼姿の此下籐吉が現れる。柱には
「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」と書いてある。五右衛門が投げた手裏剣を柄杓で受ける。
五右衛門の話だったら、海老蔵と団十郎と七之助が出た、金の鯱が出てくる話の方が面白かった。
「沓手鳥孤城落月(ほととぎすこじょうのらくげつ)」
ワーワーいう声がきこえる幕開きに覚えがある。上演記録を見ると、5年前の歌舞伎座、その前の松竹座の公演を観ている。
武者達が争う中、大住与左衛門役の錦之助が花道から出てきて、舞台の石段を上って行った。次に出て来たのが裸武者の児太郎。
男子高校生の裸。観客サービスと言われるこの役としては王道だろう。私もスベスベの肌と小さく引き締まったお尻を鑑賞させてもらった。歌舞伎的に正しい動きではないかもしれないが、槍を振りまわす立ち回りは迫力がある。槍の穂先が壊れ、しばらく振りまわしていたがそれを捨てて、落ちていた刀を取り上げて戦う。石段を上って戦っていたが斬られ、階段落ちして死ぬ。なかなか良い裸武者だった。
城内の場、淀の方役の芝翫は、立ちあがると顔が大きい。笑ったりするとリアル痴呆なんじゃないかと心配になるほどの迫真の演技だった。私の席からは死角になってよく見えなかったが、侍女たちに介抱されている様子だった。吉弥が大蔵の局の役で出ていた。その息子、大野治長役が梅玉。
秀頼役の新又五郎と、氏家内膳役の吉右衛門が姿を現すと拍手が起きた。まだらボケの淀君に振りまわされているような秀頼と、大蔵の局、正栄尼(東蔵)、饗庭の局(芝喜松)の必死さが伝わってきて舞台に引きこまれた。
「口上」
前の幕で痴呆かと思った芝翫が、口上をしっかりと仕切る。 25分で16人が口上を述べるせいか、型どおりの挨拶に毛がはえた程度の内容がほとんどだった。型どおりではあるが、種之助のきりっとした感じが印象的だった。
私が歌舞伎を見始めた頃、新又五郎の歌昇は猿之助の一座に出ていた。そのときにいっしょだった段四郎、福助、歌六、錦之助が口上の席に並んでいるのが懐かしい。
新歌昇は、種太郎の初お目見えのときは、自分が何やってるか全くわからずボーッとしていて、ただついている大人に言われて座ったりお辞儀したりしているだけの幼児だった。それがちゃんと口上の挨拶ができるまで成長したんだから、人間ってすごい。
「車引」
花道から出て来た梅王丸。松竹座の愛之助をころっとしていると思ったが、又五郎は重量感が違う。
梅王丸と桜丸が深編笠をとると、桜丸はやはり隈どりをしていない。
上方式は、隈どりをしないのだそうだ。それでも藤十郎は孝太郎より顔が良いからサマになる。
愛之助の梅王丸もうまいと思ったが、又五郎のしゃべり方は、ただ声が良いとかセリフ回しがうまいとかだけではない、何かもう一癖あるしゃべり方だ。リズムにのってるというか、ちょっとアクが強いような。こういうのをベリベリした、というのだろうか。面白いと思って聴いていた。
杉王丸は歌昇。杉王丸は演じる役者自身の顔立ちがはっきり残る、良い役だな。歌昇らしい顔だった。
吉右衛門の松王丸をとても観たかったのだが、眠ってしまって記憶がない。
「石川五右衛門」
最初に出てくるのは五右衛門の育ての父。父は、五右衛門の母を殺して金を奪い、そのときに母が生んだ五右衛門を子供として育てて来た。五右衛門は小さいときから他人のものをほしがり、今は行方知れずとなっていて、父は息子を探している。
大谷桂三は公家の役にぴったり。五右衛門の手下に身ぐるみはがされる。
五右衛門(染五郎)は勅使に化けた姿が最初の登場。染五郎も結構公家姿が似合う。
丁稚の頃いっしょに奉公していて今は出世した此下籐吉を演じるのは松緑。「金閣寺」の此下籐吉のような衣装で、所作も似ている。松緑の所作が綺麗だ。
あまり面白い話ではなくて、五右衛門の宙乗りも盛り上がらなかった。宙乗りの最初のつづら抜けも、猿之助のときは、つづら全体が壊れるような感じで開いて猿之助が現れたような記憶があるのだが。
南禅寺山門の場では、染五郎の他に左忠太(廣太郎)と右平次(種之助)の趣向の華メンバーが出るので、大薩摩が出てくると勘十郎と青楓を思い出す。しかし本職は流石に違うのであった。
浅葱幕が落ちて南禅寺山門が現れると五右衛門が座っている。やがて山門がセリ上がり、その下に巡礼姿の此下籐吉が現れる。柱には
「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」と書いてある。五右衛門が投げた手裏剣を柄杓で受ける。
五右衛門の話だったら、海老蔵と団十郎と七之助が出た、金の鯱が出てくる話の方が面白かった。
秀山祭九月大歌舞伎 又五郎、歌昇襲名披露 昼の部 ― 2011/09/19 15:12
2011年9月18日 新橋演舞場 午前11時開演 1階6列5番
昼の部は舞踊が2演目あるし、新歌昇が活躍して楽しかった。
「舌出し三番叟」
三番叟は好きだが、これは初めて観る。舞台中央に三番叟の染五郎。千歳の歌昇は上手に控えている。
ここは役者の足元まで見える良い席だ。染五郎は黄色い足袋だ。舌出しというだけあって、踊っている間に舌を出した。染五郎は、エンタテイナーの踊り。
襲名なんだから歌昇が三番叟を踊れば、と思ったが、この演目の千歳の踊りは時間も長くて見ごたえがあった。歌昇は丁寧に踊っていて、踊りがうまいのがよくわかった。
「新口村」
忠兵衛(藤十郎)と梅川(福助)が上半身をゴザに包み隠して登場する。福助が必死に膝を曲げて背を盗もうとしているのが見えた。ゴザを開いたが、私の席からは上手の藤十郎の顔しか見えなかった。
孫右衛門は歌六。花道を歩いて出て来た。時々足を持ち上げて下駄の歯にはさまった雪を落とす仕草をした。
この芝居は梅川と孫右衛門2人の芝居の時間が長い。
福助は神妙。歌六も良いが、若過ぎて哀れさが足りない。
「寺子屋」
幕が開くと、涎くりが猛スピードで墨をすっている。南座の時と同じだ。新歌昇の涎くりは、瑞々しくて可愛かった。管秀才が「一日に~」の台詞を言うと、「あんなこと言ってるよ」みたいな顔をする。外に出て花道の奥を見るときはつま先立ちで膝を少し曲げて歩いている。
源蔵役の新又五郎は、アキレス腱断裂とかで、花道を出てくる姿をよく見たら、右足はキプスで太く、甲高になっていて、左足も、何か詰め物をしているのか、踵の後ろに何か白いものが見えた。
迎えに来た親といっしょに子供たちが帰る時、玄蕃(段四郎)に頭を叩かれた涎くりは、茫然として花道のところまで歩いてきた後、次第に顔を歪めて泣きだした。負ぶってくれと言われて、親は花道に頭をつけて屈みこむ。その上を跳び越える涎くり。まだ何の傷もないスベスベした肌の足だった。
又五郎は、不自由な足で立ち回りもよくこなしていた。
「勢獅子」
若手が鳶頭、手古舞の役で舞台にずらりと並ぶ。そこに、花道から鳶頭が2人出てくる。梅玉と松緑。歌昇の襲名の紹介があり、梅玉の音頭で手締めをした。昼の部は全体に新歌昇に花を持たせてくれているようだ。
梅玉と松緑がいっしょに踊る。松緑はうまい。鳶頭役の歌昇、種之助が兄弟で踊った。手古舞の米吉と隼人が、扇子を二枚つけた取っ手のようなのを持っていっしょに踊った。米吉の女形を見るのは初めてだが、結構可愛い。隼人は化粧が濃くなって美人度がアップした。
獅子舞が出てきた。頭の方は、歌昇がやっているらしい。後ろは松緑かなと思ったが、確信はなかった。頭の耳が動いて可愛い。後ろ脚で頭を掻いたりする仕草が可笑しくて客の笑いを誘っていた。最後に顔を見せたら、後ろはやっぱり松緑だった。
昼の部は舞踊が2演目あるし、新歌昇が活躍して楽しかった。
「舌出し三番叟」
三番叟は好きだが、これは初めて観る。舞台中央に三番叟の染五郎。千歳の歌昇は上手に控えている。
ここは役者の足元まで見える良い席だ。染五郎は黄色い足袋だ。舌出しというだけあって、踊っている間に舌を出した。染五郎は、エンタテイナーの踊り。
襲名なんだから歌昇が三番叟を踊れば、と思ったが、この演目の千歳の踊りは時間も長くて見ごたえがあった。歌昇は丁寧に踊っていて、踊りがうまいのがよくわかった。
「新口村」
忠兵衛(藤十郎)と梅川(福助)が上半身をゴザに包み隠して登場する。福助が必死に膝を曲げて背を盗もうとしているのが見えた。ゴザを開いたが、私の席からは上手の藤十郎の顔しか見えなかった。
孫右衛門は歌六。花道を歩いて出て来た。時々足を持ち上げて下駄の歯にはさまった雪を落とす仕草をした。
この芝居は梅川と孫右衛門2人の芝居の時間が長い。
福助は神妙。歌六も良いが、若過ぎて哀れさが足りない。
「寺子屋」
幕が開くと、涎くりが猛スピードで墨をすっている。南座の時と同じだ。新歌昇の涎くりは、瑞々しくて可愛かった。管秀才が「一日に~」の台詞を言うと、「あんなこと言ってるよ」みたいな顔をする。外に出て花道の奥を見るときはつま先立ちで膝を少し曲げて歩いている。
源蔵役の新又五郎は、アキレス腱断裂とかで、花道を出てくる姿をよく見たら、右足はキプスで太く、甲高になっていて、左足も、何か詰め物をしているのか、踵の後ろに何か白いものが見えた。
迎えに来た親といっしょに子供たちが帰る時、玄蕃(段四郎)に頭を叩かれた涎くりは、茫然として花道のところまで歩いてきた後、次第に顔を歪めて泣きだした。負ぶってくれと言われて、親は花道に頭をつけて屈みこむ。その上を跳び越える涎くり。まだ何の傷もないスベスベした肌の足だった。
又五郎は、不自由な足で立ち回りもよくこなしていた。
「勢獅子」
若手が鳶頭、手古舞の役で舞台にずらりと並ぶ。そこに、花道から鳶頭が2人出てくる。梅玉と松緑。歌昇の襲名の紹介があり、梅玉の音頭で手締めをした。昼の部は全体に新歌昇に花を持たせてくれているようだ。
梅玉と松緑がいっしょに踊る。松緑はうまい。鳶頭役の歌昇、種之助が兄弟で踊った。手古舞の米吉と隼人が、扇子を二枚つけた取っ手のようなのを持っていっしょに踊った。米吉の女形を見るのは初めてだが、結構可愛い。隼人は化粧が濃くなって美人度がアップした。
獅子舞が出てきた。頭の方は、歌昇がやっているらしい。後ろは松緑かなと思ったが、確信はなかった。頭の耳が動いて可愛い。後ろ脚で頭を掻いたりする仕草が可笑しくて客の笑いを誘っていた。最後に顔を見せたら、後ろはやっぱり松緑だった。
平成23年度松竹大歌舞伎 巡業西コース 川口リリア ― 2011/09/24 23:53
2011年9月24日 午後3時開演 1階15列40番
15列目だが段がついているので前の人の頭に邪魔されることなく、舞台はよく見えた。この劇場は、前に近松座の巡業を観たとき音響の悪さが気になったが、きょうはあの時ほどは気にならなかった。
横須賀は巡業の初日だったが、巡業も明日までとなり、役者の演技も練れてきているようだ。
愛之助は小金吾の役が似合うと思う。権太にいじめられるところも、最後に討ち死にするところも良い。
仁左衛門は権太の役をやるのが楽しそうだ。きょうは、小せんを振り向かせるのに、小せんの着物の裾を足でけっこう上の方まで持ち上げていた。大活躍の長い足。
「すし屋」で最初に着て出てくる着物は、ぞろっとした着物の下に格子柄の浴衣が見えていて、凄くかっこいい。後の台詞を聞くと、小せんの着物と、善太の帯と、自分の浴衣を組み合わせて着ているのだ。貧乏の演出なのだが、仁左衛門が着るとかっこよすぎ。仁左衛門の権太はダサイ田舎者ではなく、田舎者だけれども見てくれが良くておしゃれな人間、ということで納得することにする。
孝太郎のお里はうまいが、手に入りすぎておばさんめいてきている。
秀太郎の維盛は東コースの巡業で見たときは良いと思わなかったが、今日はうまいと思った。秀太郎は小せんの後維盛で出て、縄をかけられた小せんとなって出て、その後また維盛になるので大変だと思う。
竹三郎は高齢なのに、音響の悪いこの劇場でもしっかり台詞が聞こえることに感服。
15列目だが段がついているので前の人の頭に邪魔されることなく、舞台はよく見えた。この劇場は、前に近松座の巡業を観たとき音響の悪さが気になったが、きょうはあの時ほどは気にならなかった。
横須賀は巡業の初日だったが、巡業も明日までとなり、役者の演技も練れてきているようだ。
愛之助は小金吾の役が似合うと思う。権太にいじめられるところも、最後に討ち死にするところも良い。
仁左衛門は権太の役をやるのが楽しそうだ。きょうは、小せんを振り向かせるのに、小せんの着物の裾を足でけっこう上の方まで持ち上げていた。大活躍の長い足。
「すし屋」で最初に着て出てくる着物は、ぞろっとした着物の下に格子柄の浴衣が見えていて、凄くかっこいい。後の台詞を聞くと、小せんの着物と、善太の帯と、自分の浴衣を組み合わせて着ているのだ。貧乏の演出なのだが、仁左衛門が着るとかっこよすぎ。仁左衛門の権太はダサイ田舎者ではなく、田舎者だけれども見てくれが良くておしゃれな人間、ということで納得することにする。
孝太郎のお里はうまいが、手に入りすぎておばさんめいてきている。
秀太郎の維盛は東コースの巡業で見たときは良いと思わなかったが、今日はうまいと思った。秀太郎は小せんの後維盛で出て、縄をかけられた小せんとなって出て、その後また維盛になるので大変だと思う。
竹三郎は高齢なのに、音響の悪いこの劇場でもしっかり台詞が聞こえることに感服。
平成23年度松竹大歌舞伎 巡業西コース アミュー立川 ― 2011/09/25 22:23
2011年9月25日 昼 午後1時半開演、夜 午後6時開演 1階16列
巡業の最終日。電力不足もなく、台風による公演中止もなく、役者さん達も皆さん無事に千秋楽が迎えられて、本当に良かった。巡業といっても豪華な配役で、巡業だから普段より良い役がもらえてるということもなく、お客さんはみんな感動して帰ったと思う。今回の巡業は西コースだったけれども、最後の川口、立川が土日だったので、以前の東コースの時よりも行ける公演が多くて嬉しかった。
アミュー立川には初めて行った。立川駅から徒歩10分くらい。昼夜で席の良しあしがあるかもしれないと思って両方買ったのだが、なんと全く同じ席でがっかり。段差はあるのだが、前の人の頭で舞台の真中に死角ができるので、観ている間ずっとストレスを感じていた。
昼も夜も満席に近かった。昼は普通の人たちが来ている感じで、大向こうも少なかった。夜はやや年齢層が下がり、コアなファンの数が増したようで、大向こうも多かった。そういえば、昨日もきょうも(たぶん横須賀のときも)女の大向こうの声が聞こえなくて、清々しかった。
舞台の声は川口リリアより聞こえやすかった。「茶店」の初めに秀太郎の小せんが、六代君を見て美しい子だといい、自分の子の善太を見てやっぱりうちのとは違う、みたいなことを言う。川口ではその台詞がよく聞こえなくて、前半分程度の客しか笑ってなかったが、今日は会場全体から笑い声が聞こえた。
プログラムは、昼の部に着いたときにはまだ売っていたが、開演前に完売になって、夜の部では売ってなかった。
「雨の五郎」
浅葱幕が落ちると、五郎役の愛之助が真ん中で、四人の若い者に囲まれている。夜の部では傘を開く瞬間、愛之助が咳をしたような気がした。後の芝居では風邪をひいてるような様子はなかったが。
傘の模様は白と黒。足駄も鼻緒が白くて板が黒のモノトーン。それに黒地に大きな蝶の模様の、裏が赤い着物と、紫の頬かむり。
傘を使ってポーズを取ったり、酒を飲む格好をしたり、手紙を読んだり。短い踊りだがいろいろやる。
五郎が紫の頬かむりをとり、足駄を脱いだ後、四人の若い者の1人が別の若い者の上でV字開脚して決まる。目を凝らすと、五郎の親指が上を向いているのが見えた。
上半身が赤と白の衣装になった後は柔らかい踊りになるが、若い者の1人が差し出した足駄を再び履いた後は、また力強い動きになって終わる。
愛之助は五郎の顔が似合う。
「義経千本桜」
茶店の場で、最初に下手から上手に歩いて行く女はりき弥だった。舞台に「開帳」と書いた札が立っている。小せん役の秀太郎が出てきて暫く世間話をした後、舞台袖から若葉の内侍(高麗蔵)、六代君が現れ、少し後ろに小金吾(愛之助)が続く。 六代君の子は声が可愛い。
小せんが善太のことをお腹も壊さない丈夫な子、という台詞を聞くと、この子が身替りに死ぬことが余計残念に感じられる。
若い男のくたびれ足~で権太の仁左衛門が出てくると大きな拍手。
小金吾から二十両騙りとろうと、自分の荷物を開けて「ない。ない、ない、ない」と騒ぐあたりから面白さが最高潮に達する。「くすねたであろう、くすねたであろう」と小金吾に迫る目つきが面白い。小金吾が、そんなことはないといろいろ言っている間、「黙れ」と小さい声で言っているが、最後に「やかましやいっ」と言って脅しにかかる。小金吾は刀のカバーをとって咥え、足を開いて上体を権太の方に傾け、刀に手をかける。その右手を、横になった権太が左足を伸ばして押さえる。結局小金吾が負け、二十両を足元に投げる。それをなんだかんだ言いながら足で自分の方に引き寄せる権太。
取った金を掌にのせてちらっと見せたりして小金吾をからかう権太。
いじめる権太といじめられる小金吾が、どちらの役者にもよく似合って面白かった。
諦めて、もう振り返らないというように笠を顔の横に立てて去る小金吾。去っていく方に向かって「そんなににらむとヒラメになるぞ」と叫ぶ権太。
小せんが店をしまうのを手伝うため権太が長椅子を持ち上げて立てかける。長身の仁左衛門がこの作業を難なくやるのが男らしくて好きだ。
その後は、親子のほのぼのシーン。父と子というより、祖父が孫を可愛がるように息子を可愛がる。小せんを振り向かせるときは、きょうも後ろから足で思いっきり着物の裾を上に持ち上げていた。
このほのぼのシーンで幕となり、再び幕が開くと、そこはさびしい夜道。若葉の内侍と六代君が足早に上手に逃げて行き、その後、手負いの小金吾が現れて討手と戦う。
まだ前髪なのに、さびしい夜道であんな大勢の討手にやられて死ぬ、かわいそうな小金吾。小金吾の最後は権太のように女々しくない。自分は大丈夫だからと嘘をついて若葉の内侍と六代君を先に行かせ、一人孤独に死ぬ。 最後の台詞もうまい。小金吾は、愛之助が一番無理なく出せる声の役だし、いじめられキャラでもあるので、とても合う役だと思う。
小金吾の死体が横たわっているところに、権太の父の弥左衛門(弥十郎)が通りかかる。愛之助をずっと見ていた後だと、弥十郎が尚のこと長身に見える。
一度通り過ぎた後、何かを思い立って、羽織を脱いで木にかけ、袴も脱ぎ、尻をからげ・・・・いろいろ細かい所作が続く。刀を振り上げて小金吾の首を斬る態勢になって幕が下りる。余韻のある良い幕切れだ。
すし屋の幕が開くと間もなく弥助(秀太郎)が寿司桶をかついで舞台袖から出てくる。ことさら桶が重そうな演技をしないのは花道を使えないせいかと思ったが、秀太郎のブログによるとそうではないらしい。
秀太郎の弥助実は維盛は、前回の東コースのときは良いと思わなかったのだが、今回は良さがわかった。
お里の孝太郎ははまり役でうまいが、役に慣れ過ぎて初々しさが薄れてきている。だから、最後に維盛と別れることになっても、また別の男が来たら同じことするんだろうとしか思えなくて、哀れさを感じない。
権太の仁左衛門はお里の孝太郎とは本当に兄と妹のように見える。
台本にはないが、権太は最後にお里に「後を頼む」と言っているとプログラムに書いてある。死の直前、父と母を指さして、お里に向かって、片手拝みをしていた。きっと、あそこで言っているのだろう。
若葉の内侍と六代君に化けた妻子と別れるとき、浅草で観た愛之助の権太は、もっとずっと長く、目で早く行けと妻子に合図していたが、仁左衛門は目で語るのが短くて、最後は陣羽織をかぶって突っ伏す。前回の東コースのときもそうだった。あれは、花道を使えないからああやってるわけではなくて、何か仁左衛門の考えなのだろうか。歌舞伎座で最後に観たときどうだったのか記憶がない。
六代君の身替りで死ぬ善太。他の芝居でも、管秀才や鶴千代は生き残って、小太郎や千松は死ぬ。いつも身分の低い方が身替りになるが、その中でも善太は底辺だ。小太郎や千松は親も立派で、ある意味、主君のために死ぬのは当然のような世界に生まれ育った子達である。善太は全くの庶民なのに、不良の親が偶々心を入れ替えて良いことをしようと思いたったために死ぬことになる。
小金吾は死んで、主人の維盛一家は生き残る。その中でも若葉の内侍と六代君は敵に追われたりして怖い思いをしたが、その間、1人維盛だけはお里とよろしくやって安穏に暮していた。身分が高いほど良い思いができる。 なんと理不尽な! と現代人の私は思う。
仁左衛門はとても身が軽い。本当に楽しんで、役に対する愛と情熱を持って権太を演じているように見える。「茶店」で出て来たときから、石を投げて木の実を落としたり、人をだまして金をとったり、悪態をついたり、「すしや」では金庫を開けたり、そういう悪戯な男の子がやるようなことをやる一方で、父や夫としての情愛、妹とのやり取り、母への甘え、父への思慕のような家族に対する感情を表現する演技もあり、最後は得意の台詞で盛り上がって人を泣かせる。心を発散でき、自分の力を思う存分発揮できる役で、演技者として楽しいのだろうな。
「すしや」は、悲劇であるのに、お里と弥助のシーンや、権太が鍵もないのに金庫を開けるところ、弥左衛門が首の入った桶を差し出したときに女房のお米があわてて「それには私の大事なものが」と言ったり、随所に笑わせる個所があって、観客としては笑って泣いてカタルシスがある。
「義経千本桜」と言っても、この芝居には義経は出ないし、「すしや」は地味な悲劇という印象をずっと持っていたのだが、良い役者さんたちが演じているのを、今回は何回も(昨日、今日で三回)続けて観たので、非常に優れた芝居なのがよくわかった。
私は権太の最後にあまり同情できず、死ぬ前の長い述懐を聞いていても涙を誘われることもないので、ちょっと分析的なことを書いた。
巡業の最終日。電力不足もなく、台風による公演中止もなく、役者さん達も皆さん無事に千秋楽が迎えられて、本当に良かった。巡業といっても豪華な配役で、巡業だから普段より良い役がもらえてるということもなく、お客さんはみんな感動して帰ったと思う。今回の巡業は西コースだったけれども、最後の川口、立川が土日だったので、以前の東コースの時よりも行ける公演が多くて嬉しかった。
アミュー立川には初めて行った。立川駅から徒歩10分くらい。昼夜で席の良しあしがあるかもしれないと思って両方買ったのだが、なんと全く同じ席でがっかり。段差はあるのだが、前の人の頭で舞台の真中に死角ができるので、観ている間ずっとストレスを感じていた。
昼も夜も満席に近かった。昼は普通の人たちが来ている感じで、大向こうも少なかった。夜はやや年齢層が下がり、コアなファンの数が増したようで、大向こうも多かった。そういえば、昨日もきょうも(たぶん横須賀のときも)女の大向こうの声が聞こえなくて、清々しかった。
舞台の声は川口リリアより聞こえやすかった。「茶店」の初めに秀太郎の小せんが、六代君を見て美しい子だといい、自分の子の善太を見てやっぱりうちのとは違う、みたいなことを言う。川口ではその台詞がよく聞こえなくて、前半分程度の客しか笑ってなかったが、今日は会場全体から笑い声が聞こえた。
プログラムは、昼の部に着いたときにはまだ売っていたが、開演前に完売になって、夜の部では売ってなかった。
「雨の五郎」
浅葱幕が落ちると、五郎役の愛之助が真ん中で、四人の若い者に囲まれている。夜の部では傘を開く瞬間、愛之助が咳をしたような気がした。後の芝居では風邪をひいてるような様子はなかったが。
傘の模様は白と黒。足駄も鼻緒が白くて板が黒のモノトーン。それに黒地に大きな蝶の模様の、裏が赤い着物と、紫の頬かむり。
傘を使ってポーズを取ったり、酒を飲む格好をしたり、手紙を読んだり。短い踊りだがいろいろやる。
五郎が紫の頬かむりをとり、足駄を脱いだ後、四人の若い者の1人が別の若い者の上でV字開脚して決まる。目を凝らすと、五郎の親指が上を向いているのが見えた。
上半身が赤と白の衣装になった後は柔らかい踊りになるが、若い者の1人が差し出した足駄を再び履いた後は、また力強い動きになって終わる。
愛之助は五郎の顔が似合う。
「義経千本桜」
茶店の場で、最初に下手から上手に歩いて行く女はりき弥だった。舞台に「開帳」と書いた札が立っている。小せん役の秀太郎が出てきて暫く世間話をした後、舞台袖から若葉の内侍(高麗蔵)、六代君が現れ、少し後ろに小金吾(愛之助)が続く。 六代君の子は声が可愛い。
小せんが善太のことをお腹も壊さない丈夫な子、という台詞を聞くと、この子が身替りに死ぬことが余計残念に感じられる。
若い男のくたびれ足~で権太の仁左衛門が出てくると大きな拍手。
小金吾から二十両騙りとろうと、自分の荷物を開けて「ない。ない、ない、ない」と騒ぐあたりから面白さが最高潮に達する。「くすねたであろう、くすねたであろう」と小金吾に迫る目つきが面白い。小金吾が、そんなことはないといろいろ言っている間、「黙れ」と小さい声で言っているが、最後に「やかましやいっ」と言って脅しにかかる。小金吾は刀のカバーをとって咥え、足を開いて上体を権太の方に傾け、刀に手をかける。その右手を、横になった権太が左足を伸ばして押さえる。結局小金吾が負け、二十両を足元に投げる。それをなんだかんだ言いながら足で自分の方に引き寄せる権太。
取った金を掌にのせてちらっと見せたりして小金吾をからかう権太。
いじめる権太といじめられる小金吾が、どちらの役者にもよく似合って面白かった。
諦めて、もう振り返らないというように笠を顔の横に立てて去る小金吾。去っていく方に向かって「そんなににらむとヒラメになるぞ」と叫ぶ権太。
小せんが店をしまうのを手伝うため権太が長椅子を持ち上げて立てかける。長身の仁左衛門がこの作業を難なくやるのが男らしくて好きだ。
その後は、親子のほのぼのシーン。父と子というより、祖父が孫を可愛がるように息子を可愛がる。小せんを振り向かせるときは、きょうも後ろから足で思いっきり着物の裾を上に持ち上げていた。
このほのぼのシーンで幕となり、再び幕が開くと、そこはさびしい夜道。若葉の内侍と六代君が足早に上手に逃げて行き、その後、手負いの小金吾が現れて討手と戦う。
まだ前髪なのに、さびしい夜道であんな大勢の討手にやられて死ぬ、かわいそうな小金吾。小金吾の最後は権太のように女々しくない。自分は大丈夫だからと嘘をついて若葉の内侍と六代君を先に行かせ、一人孤独に死ぬ。 最後の台詞もうまい。小金吾は、愛之助が一番無理なく出せる声の役だし、いじめられキャラでもあるので、とても合う役だと思う。
小金吾の死体が横たわっているところに、権太の父の弥左衛門(弥十郎)が通りかかる。愛之助をずっと見ていた後だと、弥十郎が尚のこと長身に見える。
一度通り過ぎた後、何かを思い立って、羽織を脱いで木にかけ、袴も脱ぎ、尻をからげ・・・・いろいろ細かい所作が続く。刀を振り上げて小金吾の首を斬る態勢になって幕が下りる。余韻のある良い幕切れだ。
すし屋の幕が開くと間もなく弥助(秀太郎)が寿司桶をかついで舞台袖から出てくる。ことさら桶が重そうな演技をしないのは花道を使えないせいかと思ったが、秀太郎のブログによるとそうではないらしい。
秀太郎の弥助実は維盛は、前回の東コースのときは良いと思わなかったのだが、今回は良さがわかった。
お里の孝太郎ははまり役でうまいが、役に慣れ過ぎて初々しさが薄れてきている。だから、最後に維盛と別れることになっても、また別の男が来たら同じことするんだろうとしか思えなくて、哀れさを感じない。
権太の仁左衛門はお里の孝太郎とは本当に兄と妹のように見える。
台本にはないが、権太は最後にお里に「後を頼む」と言っているとプログラムに書いてある。死の直前、父と母を指さして、お里に向かって、片手拝みをしていた。きっと、あそこで言っているのだろう。
若葉の内侍と六代君に化けた妻子と別れるとき、浅草で観た愛之助の権太は、もっとずっと長く、目で早く行けと妻子に合図していたが、仁左衛門は目で語るのが短くて、最後は陣羽織をかぶって突っ伏す。前回の東コースのときもそうだった。あれは、花道を使えないからああやってるわけではなくて、何か仁左衛門の考えなのだろうか。歌舞伎座で最後に観たときどうだったのか記憶がない。
六代君の身替りで死ぬ善太。他の芝居でも、管秀才や鶴千代は生き残って、小太郎や千松は死ぬ。いつも身分の低い方が身替りになるが、その中でも善太は底辺だ。小太郎や千松は親も立派で、ある意味、主君のために死ぬのは当然のような世界に生まれ育った子達である。善太は全くの庶民なのに、不良の親が偶々心を入れ替えて良いことをしようと思いたったために死ぬことになる。
小金吾は死んで、主人の維盛一家は生き残る。その中でも若葉の内侍と六代君は敵に追われたりして怖い思いをしたが、その間、1人維盛だけはお里とよろしくやって安穏に暮していた。身分が高いほど良い思いができる。 なんと理不尽な! と現代人の私は思う。
仁左衛門はとても身が軽い。本当に楽しんで、役に対する愛と情熱を持って権太を演じているように見える。「茶店」で出て来たときから、石を投げて木の実を落としたり、人をだまして金をとったり、悪態をついたり、「すしや」では金庫を開けたり、そういう悪戯な男の子がやるようなことをやる一方で、父や夫としての情愛、妹とのやり取り、母への甘え、父への思慕のような家族に対する感情を表現する演技もあり、最後は得意の台詞で盛り上がって人を泣かせる。心を発散でき、自分の力を思う存分発揮できる役で、演技者として楽しいのだろうな。
「すしや」は、悲劇であるのに、お里と弥助のシーンや、権太が鍵もないのに金庫を開けるところ、弥左衛門が首の入った桶を差し出したときに女房のお米があわてて「それには私の大事なものが」と言ったり、随所に笑わせる個所があって、観客としては笑って泣いてカタルシスがある。
「義経千本桜」と言っても、この芝居には義経は出ないし、「すしや」は地味な悲劇という印象をずっと持っていたのだが、良い役者さんたちが演じているのを、今回は何回も(昨日、今日で三回)続けて観たので、非常に優れた芝居なのがよくわかった。
私は権太の最後にあまり同情できず、死ぬ前の長い述懐を聞いていても涙を誘われることもないので、ちょっと分析的なことを書いた。
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