桂小米朝と粋な仲間たちⅡ、若伎会2006/09/18 01:00

高山右近像

今年になって六回目の関西遠征である。

2006年9月16日 高槻現代劇場 中ホール 午後3時開演 そ列15番

鼎談

チラシを見て最初に落語があって次にトーク、と思っていたので最初に鼎談だったのは嬉しい驚き。それだけ愛之助がはやく見られる。最初に司会の小米朝が出て、次に上方舞の山村若が出た。真ん中に腰掛けようとするのを小米朝が「上手にどうぞ」と促す。おっ、愛之助が真ん中で、二人に合わせて当然着物だろうなと楽しみにしていたらスーツ姿で登場したのでちょっと失望。 小米朝が愛之助を紹介するときに「仁左衛門さん、当時の孝夫さんの部屋子になって・・・」とか「秀太郎さんの芸養子になられて・・・」というのを愛之助が「いえ、今の仁左衛門とうちの父の父の仁左衛門・・」とか「いえ、養子なんです」と訂正していた。小米朝は「白塗りすると仁左衛門さんそっくり」に加えて「実川延若さんの雰囲気もちょっとある」と言っていた。延若は見たことがあるが愛之助に類似性があるか否かまではわからない。素顔、特に目元は仁左衛門よりひょっとすると延若に近いかもしれないが。私の知っている範囲では歌昇にちょっと似通っていると感じている。

鼎談のテーマは関西の復興。かつてあった「上方風流(かみがたぶり)」というグループをまた作りましょうと小米朝が提案。中座がなくなって残念という話も。角座の話が出たときに愛之助が僕も出たことある、と言った。部屋子になる前の子役時代か? 小米朝が「愛之助さん、しゃべりがうまいですね。誰に習ったんですか」と聞くと笑いながら「努力してるんですよ」と答えた。10月の松竹座の話題では、小米朝と若に「BLって知ってますか」と聞いた。ボーイズラブと言って男性同士の恋愛ですよ、と説明。自分は染五郎の役の人に一目惚れされる役、化粧するとそういう綺麗な顔になるんだそうです、と言った。若伎会の話も出て、最後に愛之助が客席に向かって話をした。気合いが入ってるのか「立たせていただきます」と立ち上がって話したが、内容は覚えていない。

道具屋  桂しん吉

何度か聞いたことがある話。私が聞いてきたのは東京の落語だろうか。関西弁は意味はわかるが東京の言葉に比べて自分の脳での処理時間が少し多くかかるような気がする。

掛取り  桂小米朝

これも何度か聞いたことがある、大晦日にいろいろな方法でつけの支払いを逃れる話。 枕で京都の人は自分が関西人だと思ってないとか関西ネタをやって観客が笑っている。関西で関西ネタを聞いたのは初めてのことだったなので新鮮に感じた。関西ネタっていうのは関西人が自分たちをネタに笑ってるんだよなあ。

掛取り撃退の方法で一番面白かったのはオペラ。モーツァルトのフィガロの結婚の替え歌などを歌うが、後で知ったところでは小米朝はモーツァルトマニアだそうだ。最後の歌舞伎編は客はずいぶん笑っていたが私はつぼがわからなかった。

遊里の舞踊  山村若

お座敷での踊りというのははじめて見た。

親子茶屋  桂小米朝

これがトリ。枕で京都のお茶屋の話をするが小米朝がイケ面で華があるのでお茶屋の華やいだ雰囲気をうまく伝えている気がする。親子の話では米朝が骨折して入院し、先ごろ退院した話をした。夏には寝茣蓙を敷いて寝るが、その上ですべって転んで背骨を骨折したのだそうだ。

2006年9月17日(日) 御堂会館大ホール 午前11時開演 自由席

若伎会 

実録忠臣蔵 義士銘々伝 四幕十一場

昨日の鼎談で愛之助が「本町の御堂会館で」と言っていた本町は、まわりに大きなビルが多くオフィス街のようだった。地下鉄の出口には付近の地図がなかったので大通りの信号を渡ったりして周りのビルを見てみたが「御堂会館」は見つからない。船場の方まで歩いてまた戻ってきたがビルが見つからない。会場に電話して聞くしかないと思い定めたがチラシにもチケットにも御堂会館の住所も電話番号も出ていない。しかたなくNTTに電話番号を調べてもらって電話した。「車の進行方向に歩いて」という言葉で、昔仕事で大阪に来たときに聞いた「御堂筋は一方通行」という言葉を思い出した。伊藤忠ビルの隣、と言われてそれならさっき見たと思い、言われた方向に歩き出した。ビルは見つかったが「南御堂 御堂会館」という看板の「南御堂」という文字が大きく、「御堂会館」は横にもっと小さい字で書いてある。それなら「南御堂 御堂会館」とはじめから書いてくれ。土地勘のない人間には見つけられないぞ。

幕が開くのと席に着くのが同時くらいだった。後方の席で舞台からは遠かったが傾斜が着いていて前の人の頭に邪魔されることなく舞台を見渡せた。 花道は下手の一番端に作ってある。

話は、内匠頭が上野介にいびられているところから始まる。遠くて顔が見えないので内匠頭役は薪車か流石にうまいと思ってみていたがパンフレットで確認すると千志郎だった。上野介役の竹三郎は普段は女形で見ることが多いが上野介も憎憎しくてうまい。

今回の公演は竹三郎のプロデュースだそうだが、序幕の後に花道に姿を現して挨拶したときは「本来なら秀太郎さんが挨拶すべきですが」と言った。厳しい身分制度だ。

秀太郎は二幕目の山科大石座敷の場に内蔵之助の母の役で出た。次の三島本陣座敷の場に愛之助が出た。山科大石座敷の場の内蔵之助役は松次郎だが、三島本陣座敷の場では愛之助がやる。この場での主な登場人物は内蔵之助と垣見五郎兵衛で、五郎兵衛は薪車。他に女将の役で扇乃丞が出て、やはり若手と比べると目だってうまい。話はこうだ。内蔵之助は垣見五郎兵衛と偽って仲間といっしょに三島本陣に泊まっているがそこに本物の垣見五郎兵衛が来る。仲間達を次の間に控えさせて二人だけで座敷で対決する。二人とも自分こそが垣見五郎兵衛と主張する。薪車の方が、では通行手形を持っているかと聞くと、愛之助は、通行手形がなくて旅ができようか、と言って袂から通行手形を出す。しかしそれは勧進帳にように白紙だったらしい。それを見た垣見五郎兵衛がはっと気づく。ここの二人は勧進帳の弁慶と富樫のパロディのよう。本物の垣見五郎兵衛は内蔵之助の通行手形が本物だと認めるような内容のことを大きな声で言い、内蔵之助は何度も畳にこするつけるように頭を下げる。二人はしっかりと手を握り合う。

三幕目は、赤垣源蔵が留守の兄に別れを告げる場と小山田庄左衛門が酒と女のために討入りに遅れる話。小山田庄左衛門役の千志郎はこういう軟弱系の役が似合う。台詞はいい。動きがイマイチかと思う。26くらいかと思ったが32だ。結構年は行っている。千壽郎は平成若衆を思い出させる色っぼさ。この場では「こいつはめったに死なれぬわい」のような十六夜清心を思わせる場面があった。

大詰は討入り。最後に、愛之助、薪車、秀太郎、竹三郎の四人が義士達の前に並び、秀太郎が挨拶した。愛之助は土屋主税の衣装だった。

台詞が平易で、内容がわかりやすかった。上方歌舞伎塾卒塾生に役をやらせるということならば平成若衆よりこちらの公演の方が目的に合っていると思う。