六月大歌舞伎 夜の部 ― 2008/06/22 14:41
2008年6月14日 歌舞伎座 午後4時半開演 1階2列32番
演舞場の昼の部の「婦系図」を見た後、仁左衛門を追って歌舞伎座へ。前から2列目の通路際で良い席だと思ったのだが、前の人の頭で舞台の一部が見えなくなるし、間口が広い歌舞伎座では舞台の中央から遠くなり、このくらい前方だといつも横の方から舞台を観ている感じであまり良くなかった。
「すし屋」
江戸版の「すし屋」は上方版の「すし屋」とは言葉以外も細部が違う。
母親の膝に頭を載せるような甘える場面がない。
権太が縛られた二人を連れて来た後、悲しみの表出が少ない。
権太が父に刺されるのは、「おやっさん!」と向き直ってからではなく、後ろから。
本物の維盛親子に合図の笛を吹くのは息絶え絶えの権太ではなく、母親が外に出て、維盛親子がいそうな方角に向かって吹いている。
権太の髪がザンバラになるのが遅く、長台詞の間は髪型が崩れない。ザンバラになってからはしゃべらない。
「ねー、僕ってかわいそうでしょう」系の権太よりさっぱりしていて私の好みとしてはこちらの方が良かった。かわいそうなのは妻子であって、権太はかなりの程度に自業自得。
「身替座禅」
仁左衛門の右京は去年の松竹座のときのような疲れた顔ではなかった。勘太郎みたいに踊りはうまくないが花子の小袖が映えるあでやかさと可愛さでは一番の右京だ。
段四郎の玉の井は純粋に不細工な奥方。ほとんどホラーのような仁左衛門の玉の井や遠目では結構良い女の獅童の玉の井とは違う。声も、仁左衛門や愛之助のように要所要所で男の声になって脅しをかけるのではなく、ずーっと男の声。メリハリがないとも言える。
錦之助の太郎冠者は道化師的な役にしては少し硬い感じがした。「赤い陣羽織」のときくらい濃い三枚目の化粧をしないと元々の二枚目が隠せないかも。
千枝役の巳之助がびっくりするほどいい女だった。香山美子(ほど美人ではないが) のようなきりっとした美人。イケメンの三津五郎の女形はひどいのに、男としては三津五郎よりきつい顔立ちと感じる巳之助が美人になれるなんて、不思議。声は相変わらず良く出ていないが、小枝役の隼人はまだ声変わり中で、それに比べればましだった。踊りも、隼人に比べると巳之助はうまかった。隼人は美少年なのだが、舞台の上ではまだ背が高いだけの子供。
「生きている小平次」
幕が開くと幸四郎と染五郎が舟の上で親子で釣りをしている。が、役の上では親子ではなく、幸四郎演じる太九郎の女房おちか(福助)の不倫の相手が染五郎演じる小平次。
小平次は役者で、元々おちかの恋人だったのに太鼓叩きの太九郎が女房にしてしまい、その後も小平次とおちかは相変わらずつきあっていたらしい。小平次はおちかを譲ってほしいと頼むが太九郎は相手にせず、諍いをして太九郎が小平次を舟から叩き落して殺す。水に落とされた小平次がやっているのか舟がグルグル回ったりする。 次の幕で、おちかが一人で座敷にいるところにひどい怪我をした小平次が来る。
おちかと太九郎は、実際には死んでいるはずの小平次の影におびえて逃げることになる。
前に見たときはおちかが玉三郎で小平次が菊五郎、太九郎は今回と同じ幸四郎だった。前回見たときも異色の作品だと思ったが、今回は幸四郎親子になったことでもっと新劇色が強まった感じがする。「また殺してやりゃいいじゃないか」と言う玉三郎が絶品だったが、今回の福助も悪くはなかった。見ているうちに、最後のシーンで、ふりきろうとする幸四郎にすがりつき、またふりきられてすがりつき、しながら花道を引っ込んだ玉三郎の姿を思い出した。
「三人形(みつにんぎょう)」
芝雀の傾城、錦之助の若衆、歌昇の奴、とそれぞれニンに合った役の舞踊。歌昇は足拍子も力強く、うまかった。錦之助はやっぱり若衆役のような美貌が生きる役でないともったいない。芝雀の傾城も綺麗で、前の演目が怖くて暗かったので、最後に良い口直しができる演目だった。
能楽現在形 ― 2008/06/22 20:12
2008年6月20日 世田谷パブリックシアター 午後7時開演 1階J列27番
南座の三響会以来4週連続で広忠の大鼓を聴いたことになる。先週末によく休めなかったこともあり今週はずっと眠くて、それが頂点に達していたのが金曜日だったから途中で寝てしまうのは十分予想できたが、それにしても二演目ともかなりウツラウツラしてしまい、ぱっちりと目を覚ましていたのが最後のトークだけなのは大変情けない次第である。
きょうは「能楽現在形」の一日目。観世流。
場内に入った瞬間になんとなくもやっている感じを受けたが、スモークがたかれていたそうで、「乾燥が命」の大鼓には辛い環境だったらしい。
最初の演目である半能「融」は、二週続けて紀尾井ホールで「融」を見たのに、同じ演目だとわからなかった。左右上下が黒い舞台の後ろに大きな月が出ていて、その前に人が立っていたので、「日出処の天子」を思い出したが人のいでたちが違う。
先週紀尾井ホールで聴いた音と比べると冴えなく聞こえる囃子の音だった。一方、一番初めのシテの声にはエコーがかかっていた。
シテの衣装が綺麗だった。シテは観世喜正だったが、わからなかった。
次の「舎利」は、トークのときに萬斎が「ウルトラマン」と形容するような面白い演目らしいが、私は目は開いているものの脳が眠っている状態だった。
最後のトークは萬斎、広忠、それに一噌幸弘。途中から、「舎利」のシテの片山清司が入った。清司は「きよし」と読むと知った。関西弁で(井上八千代の弟なんだから当然か)、おもしろそうな人だった。いつも面をつけるとなんて孤独なんだろうと感じるのだそうだが、周りが真っ黒の今日の舞台では、まるで海の底にいるようで、何回かツレを見失ったと言っていた。
広忠は、立ち方が舞台から落ちて怪我をしないように念じていたが無事で何より、と言い、萬斎は「けが以上のことがないようにと・・・・」ととんでもないことを言っていた。実際に稽古のときは何回か落ちたそうだ。
観客から黒く見えているもの、「これ何だと思います?」と萬斎が言い、広忠は「言ってもいいんですか?」と言って、萬斎はいくつかヒントを言っていたが私にはわからなかった。「ないものが見えている」らしい。
私は1階前方の席なのでかすかにわかる程度だが、萬斎によると、舞台の床が水面のように逆さの影を映していたらしく、「2階、3階は特等席」だったそうだ。
片山清司に対する質問を会場から募って、「どんな態勢が一番辛いか」という質問が出た。背筋を伸ばして座って立膝をする姿勢を長く続けるのが辛いそうだ。萬斎が椅子の前に座って、実際にその姿勢をして見せた。動いているよりじっとしている方が辛いそうだ。それはなんとなくわかる。
広忠は今回は舞台設定、照明などに携わったらしい。前回は囃子方は見えないところにいたが、囃子方は立ち方を押し出す役目があると思うので、今回は舞台の前方にしたと言っていた。きょうの広忠のしゃべりは萬斎と比べて真面目な印象を受けるものだった。
はじめてトークを聞いたが一噌幸弘は駄洒落を連発する人だ。
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