第22回 花道会歌舞伎セミナー2010/06/19 23:02

2010年6月19日 TKP銀座ビジネスセンター6階ホール6A

蒸し暑い中、オランダ戦も気になりながら、花道会歌舞伎セミナーに出かけた。行く途中に見えた歌舞伎座は屋根はそのままだが通りに面した壁の部分は青いシートで覆われた足場ができていた。

前回出席した花道会歌舞伎セミナーのゲストは秀太郎で、今回は愛之助。聞き手はおくだ健太郎だ。 前回と同じビルだが部屋は違う。今回も人がぎっしり座っていて、机がない椅子だけの席もあった。こんな満員のときに一番前に座らせてもらって申し訳ない気持ちになる。

先に入って来たおくだが「みなさんは『あの人は今どこに』と思っているでしょう」と言って大向うばりに「まつしまやぁ」と声を掛け、愛之助を迎え入れた。愛之助は黒無地のスーツに黒いシャツ。ノーネクタイ。今日はなんの障害もなく全身を眺められて眼福。愛之助は上手の椅子に腰かけ、左手にマイクを持って、右手は指を開いて右の膝に乗せていることが多かった。


おくだ健太郎を見たのは初めてだ。もっと自己主張の強い人かと思ったが、わりと口数が少なくて愛之助のしゃべりに任せていて、段取り臭さのないところに好感を持った。 ただ、私としては、今までのトークショーとは違う観点からの、レベルの高い質問が出て緊張感があると面白いなと期待していたので、そういう意味では期待外れだった。おくだは東工大で歌舞伎をテーマに講義をしていて、封をした5円玉を使って封印切ごっこをしたと言う。国立劇場に鳴神を見に連れて行った人達のうちの一人の感想文を愛之助に渡していた。教え子の一人は、歌舞伎を観に行って、忠臣蔵の最後に服部逸郎が馬に乗って花道から出てきたのを見て、「ファンタジックな歌舞伎なのにどうして本物の馬が出るのか」と憤慨していたそうだ。(馬を本物と間違えたことについては会場から「うそー」と声が上がり、私もちょっと信じられなかった)遠い席だったし、それだけ馬がうまかったんでしょう、とフォローするおくだ。愛之助は、一度馬の中に入らしてもらったことがあるが、人が乗ったらとても動けない、と言っていた。


きょうのテーマは「歌舞伎の魅力を若い世代に伝えよう」。愛之助は今、国立劇場の歌舞伎鑑賞教室の鳴神に出ているので、その話をした。きょうの学生さんは上人が客席に向き直ったときから全員舞台の方を観ている良い子達だったそうだ。鑑賞教室をやっていると役者も自分との戦いで、時には最前列で椅子からずり落ちそうに寝ている子もいる、とその姿を実演。鳴神が絶間姫の胸に手を突っ込むシーンでは、こんな感じで見ている女の子もいる、と顔の下半分を両手で隠して驚いたようなおびえたような表情の女の子を実演。


20年くらい前に大阪で鑑賞教室に出たときは、見ている子達がうるさくて、騒ぐくらいだったら頼むから寝ててくれ、と思うほどだった。解説の我當が、「おまえらは~!」と切れておっかなかった。俊寛の千鳥が出てきたら、おかまコールが湧き起ったこともあった。 昔、鑑賞教室で歌舞伎を観たという人に「何をやった、誰が出ていた?」と聞いても覚えていないことが多いので、孝太郎と自分の名前を覚えて帰ってもらいたいと思っている。1000人の学生さんが連れられて見に来たとして、その中で一人が歌舞伎のファンになってくれたらいいかなあ、と思う。

上方歌舞伎の話になって、去年の巡業で藤十郎の忠兵衛を相手に八右衛門をやった時、あんな大先輩相手に罵倒したりできるかと心配だったが、実際に演じていると藤十郎はどこから見ても忠兵衛にしか見えなくて、とてもやり易かったそうだ。 藤十郎がそんな風に役になりきる人だということは客から見ても感じるので、とても納得できる感動的な話だった。


毎月一回、舞台を録画して記録する日がある。記録の日には、とちる役者が多い。後世に残るから良いところを見せようと余計なことを考えるからだと思う。だから愛之助は、記録会の予定を書いたものが来ても捨てて、見ないようにしている。いつもと同じにやっていれば良いわけだから。

上方の男はいつもお金がない。それなのに女のところへ行く。それで金を借りて、返せなくなるとどういうわけか女に「死のう」と言う。

団七は愛之助と同じく堺出身。港町といっても横浜や神戸のようにしゃれたところではない。おくだは御園座の「夏祭浪花鑑」のイヤホンガイド解説をやった。愛之助が捨て台詞の話を始めたが、おくだによると、捨て台詞はイヤホンガイド泣かせだそうだ。夏祭の上演中、団七の妻のお梶役の門之助と、芝居に出る料理屋の昆布屋(こぶや)ではどんな物が食べられるか、という話をしていたので、子供をおぶって花道を歩いているときに「かか、何食べる?」と捨て台詞で門之助に聞いたら、門之助が固まってしまった。

浅草歌舞伎の封印切の舞台稽古をしていた時、忠兵衛役の亀治郎が持っていた封金が、破れないようにビニールで包んだもので、破れなかった。だから、舞台稽古はやった方が良い。昔は顔見世には舞台稽古はなかったそうだ。きまりきった演目をやるから。偉い役者は稽古では台詞をいい加減に言うだけなので、初役の人はとても困ったそうだ。


わからなかったら一度はイヤホンガイドを借りてみて。次にはイヤホンガイド無しで観て。そうすると違うものが見えたり聞こえたりするだろう。
歌舞伎はどうして何度見ても飽きないのかというと、難しいから。
義太夫の台詞を聞いてほしい。

テレビや映画は演じていてあまり面白くない。自分が今何をやっているかわからないから。映画は監督にとっては面白いだろう。ただ、後で見せてもらって、あれがこうなったのか、とわかる面白さはある。

七月松竹座の「双蝶々曲輪日記」の「井筒屋」はあまり上演されないが話の発端。今回は角力場がない。「妹背山」の鱶七は、浪花花形でやった時に吉右衛門にならった。浪花花形のときは前半もあったから話がわかるが、今回は鱶七はいきなり出て行ってお三輪を射す。

九月松竹座では前田慶次をやる。いろいろ考えて、二年くらい勉強すればミュージカルもできるかと思って、自分以外は全員ミュージカルの役者にしてミュージカルをやろうとしたこともあったが、それはやめて、前田慶次になった。原作に忠実にやると場面転換が多くなるので、なるべく少なくしたい。(そういえば「蝉しぐれ」のときは暗転が多すぎると批判されていた)