第八回 亀治郎の会2010/08/18 22:53

2010年8月18日  国立劇場大劇場 午後4時半開演 1階10列7番


今回は、肩の力が抜けた娯楽版だった。

亀治郎の会はせいぜい三時間くらいで終わるだろうという認識で、食事のことは考えていなかったが、行って時間表を見たら終演が九時過ぎ。間の休憩が二回でどちらも十五分では外に買いに出るわけにも行かず、おやつ用に持って行ったワッフルと中で買った豆大福で飢えをしのいだ。


「道行初音旅」

亀治郎の狐忠信は巡業で観て、これが二度目。踊りはうまいが、勘太郎ほどわくわくしない。たぶん勘太郎は私の好きなバレエぽくて、亀治郎は普通の日本舞踊なんだろう。芝雀はいつも優しそうで好きだ。忠信と主従の感じがしないのは亀治郎の顔が生意気そうなのが悪い。しかし、鼓を取り上げられそうになってむっとしたりする時の顔は動物ぽくて良かった。静の後から狐の手足でスススッと近づくときの動きが良かった。

逸見の藤太は出なかった。後半をやらないので、猿之助のときに好きだった、蝶を追うのをじっと堪えている忠信のところはなかった。

「川連法眼館」

義経役の染五郎はほんの少ししか出なくてもったいない。狐に鼓を渡すときは立ったまま渡す。これが普通なのだろう。腰を落として渡した仁左衛門は優しそうだった。

佐藤忠信の亀治郎は動きは良いのだが、見た目が子供っぽくて残念だ。狐は、犬っぼくはなかったけれども、人間ぽい感じがした。階段を下りてくるところは狐らしいが、下手でしょんぼりしている時がイマイチ。狐の衣装を着て腕を動かしたり、海老反ったり、跳んだりの所作は、たぶん私が観て来た狐のうちでは一番うまいのだろう。芝雀の静は情があって、この幕が特に良かった。いつになく静御前の存在感を感じた。


最後まで気持ちが盛り上がらなかったのは、自分が、何回も見過ぎて新鮮な驚きがなくなっているからだ。階段返しも「出があるよー」に騙されることなく階段を注視しているし、欄間抜けも驚かないし、替え玉もわかる。それに、亀治郎の会で観ている人達というのは、大方がこの演目をよく知っている人達だろうから、他のお客さん達もあんまり驚いていなさそうなので余計つまらない。予想して見ているせいか、階段返しも欄間抜けも動作が遅く感じる。
吉野山、四の切を観るときは、いつも猿之助を懐かしんでいる。狐の台詞が始まった時、猿之助に声が似ているのでじーんとしたが、台詞が進むとやはり亀治郎のしゃべり方だった。


「上州土産百両首」

幼馴染の正太郎(亀治郎)と牙次郎(福士誠治)の話。福士は最初に出て来たときは子供に近いような年齢設定だったのか、丈の短い着物を着ていた。話の内容を知らず、福士なんだから二枚目の役だろうと漠然と考えていたが、ちょっと頭が足りない役だった。しゃべり方もそんな感じだがわざとらしさがなく、とても良い感じでびっくりした。