勘九郎の思い出2012/12/31 21:42

勘九郎の存在を初めて知ったのはたぶん、小学生のときに週刊誌で「かんくろうちゃんが小学校入学」のようなキャプションがついた写真を見たとき。

子供時代、何か役をやったのを見たことはないが、テレビのインタビュー番組とかバラエティのゲストでよく目にした。印象に残っているのは越路吹雪といっしょに出た番組で、「僕、越路さんて聞くと紫思い出す」と言ったこと。越路吹雪は、そうなの、というように「むらさき」と繰り返した。

テレビで最初に見た役は「元禄太平記」の大石主税だと思う。討ち入り後、切腹の順番が来て名前を呼ばれたときに、静かにきっぱりと「かしこまった」と言って立ち上がるところが、いかにも歌舞伎役者らしかった。

歌舞伎の舞台で初めて観た役は、昭和60年6月、3か月続いた団十郎襲名の最後の月の、花形の助六でやった福山かつぎ。3階からの観劇で遠かったので、あまり記憶がない。昼の部の渡海屋・大物でやった義経はよく覚えている。私は花道のすぐ外の席で、花道に立った義経がすぐ近くにいた。こんな靴を履いてるのか、とつくづく見た。

その翌月、国立の鑑賞教室で「女殺油地獄」の与兵衛を観た。チケット代1000円。今まで観た中で一番コストパフォーマンスの良い公演だったかもしれない。30になったばかりの勘九郎は、役の実年齢に近い若さいっぱいの与兵衛で、家庭内暴力のシーンも思い切り暴れているように見えた。二階から観たが、父が見ているのに気づいてわざと胸をそらして花道を歩いてくる姿が忘れられない。

私が歌舞伎を見始めた頃、勘九郎は歌舞伎座ではまだ大きな役はもらっていなかった。「月兎」や、辰之助の「お祭り」に出たときの手古舞姿を覚えている。

勘九郎はいつの間にか舞台でもすっかり人気者になり、大きな役もたくさんやるようになった。勘三郎を襲名して、今では息子が勘九郎だが、勘九郎の時代が長かったので、この記事のタイトルは「勘九郎の思い出」とした。

最後に観た舞台は、平成中村座五月の、小山三と2人の口上だ。夜の部は、別の日に全演目を観て、あの日は立ち見で志賀山三番叟だけを観に行った。昼の部も観たが、こんなことになるとは思わず、演舞場の夜の部の開演に遅れるのを恐れて「め組の喧嘩」は観ないで出てしまった。

「思い出の名優」の写真の中に、とうとう年下の役者が入るのか。

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