花形歌舞伎俳優との遊宴 ― 2015/08/12 01:35

2015年8月11日 新橋演舞場 ラウンジ東 午後6時~8時
6時から食事。特製会席膳をいただく。タコの梅肉あえと冬瓜は「愛之助ごのみ弁当」にも入っていた。やはり同じところで作っているからか。万願寺とうがらしの甘辛煮がおいしかった。その場で料金を払って飲み物を注文できるので、食後にコーヒーを頼んだ。
7時から素踊り「鶴亀」。仮設舞台の上手の出口から亀の廣松、鶴の竹松の順で出て来た。竹松は細い肩で、廣松はがっしり。体型的には男女が逆の感じだ。廣松がうまいのは知っているので廣松を主に見ていたが、ゆったりとして動きも目の配り方も女らしい。一度引っ込んで、後半はお腹のあたりに鞨鼓をつけて踊った。ほんの15分程度の踊りだが見応えがあった。
素踊りの後、二人がスーツ姿に着替えて「お楽しみトーク」が始まった。聞き手は関亜弓さん。こんな短い時間で着替えたの~、というようなどよめきがあった。竹松は馴染みのある眼鏡男子に戻っていた。下手の床几に関さん、上手に竹松と廣松が腰かける。
普段の舞台より客席が近いので視線を直に感じて二人ともドキドキしたようだ。廣松は舞踊大好き、と言う。廣松は祖父の雀右衛門の追善で国立劇場で静御前を踊った。「兄が踊ってるとき合引で待ってたら、すごく暑くて早く終われと思った。でもすごく気持ちよくて、おにいさんやおじさん達はいつもこんなに気持ち良いことやってるのかと思った」
・初舞台の思い出は?
竹松 覚えてるのはただ、舞台稽古のときに花道七三のところで滑ってころんだことだけ。
廣松 覚えている。幼稚園のとき「お祭り佐七」に出た。褌を「はきたい」と言ってはかせてもらったが食い込んでしまって気になった
竹松は幼い頃は舞台上で祖父や父の所作や台詞を真似る癖があり、祖父の「実盛物語」に出たときも所作を真似してしまって後見の人に止められた。
廣松の襲名は「助六」の禿。團十郎の助六と雀右衛門の揚巻だったそうで、私はこれは観た。廣松の禿は覚えていないが、当時の新之助が福山かつぎだった。大谷兄弟の襲名の掲示を見た覚えがあるが、この「助六」のときだったのだろう。
・学校について
竹松はインタナショナルスクールだった。歌舞伎役者としては珍しい。竹松自身も、自分と弟以外は知らない、という。学校は、自分に合うところを探して、そこにした。祖父の羽左衛門は、「自分の言葉で、英語で外国に歌舞伎を紹介できるようになってくれたら嬉しい」と言っていたそうだ。
私は、竹松と弟の光がインタナショナルスクールなのは2007年3月に国立劇場で「みんなの歌舞伎 KABUKI for Everyone」というのを観たときに知った。この公演は日本語の説明の後に英語の説明があり、出演者は市村萬次郎一家。萬次郎の「藤娘」と兄弟の「橋弁慶」だったと思う。大柄な光が弁慶だった。
廣松はずっと私立の男子校。友達が舞台を観に来てくれたりする。どこに出てるかわからなかった、とか言われる。
・今、はまってるものは?
竹松 テーブルトークRPG。
関さんが、巳之助さん情報では、竹松はお父さんの声をサンプリングして声の波形を研究しているそうだが、と尋ねる。
竹松は大学で音声学を勉強していて、父の女形の時の声その他の波形を数値化している。数値によって舌の位置とかがわかる。
廣松 車。 宝塚も好きで、宝塚ファンの友達と宝塚の曲を聴きながらドライブすることもある。宝塚は華やかで、自分より男性的な男役がいたりして、大好き。
・祖父の思い出
竹松 小学校のとき、英語力が足りなかったが、家族には英語を話す人がいないのでホームステイした方が良いと勧められた。その時に祖父が費用を出してくれた。国内の旅行に連れて行ってくれた。「実盛物語」に子役で出て、いっしょに馬に乗ったときはとても嬉しかった。
(「重の井の子別れ」のときはお父さんと親子の役でしたね?と関さんが訊くと) あの時は普段とは別の父のやさしさを感じました。
廣松 子供のとき、祖父と共演したときに、祖父の台詞をきっかけに自分が台詞を言うことになっていた時、祖父があいまいな台詞を言ったので、きっかけと間違えて台詞を言ったら祖父の台詞とかぶってしまった。悪いことをしたと思ってあやまりに行ったらすごく怒られた。でも今考えるとあいまいな台詞を言ったじいちゃんが悪いのではないかと・・・。
関さんが「左團次さんがブログに廣松くんは真面目と書いていますが、自分ではどう思いますか」と訊くと、「真面目です」
竹松にふると、「真面目なところもある」
廣松と左團次はパンツをもらったりあげたりする仲。廣松には花柄のパンツをくれた。舞台でそれをはいている時もある。廣松が派手なパンツをあげると、次の日にそれをはいて待っていてくれる。
「おじさん、はいてくれたんですか」
「これ、誰がくれたんだろう?」
「僕ですよ」
「そうか、じゃあ、脱ごう」
「やめてくださいっ」
というような仲良しだそうだ。
・夏休みの思い出
竹松 学生の頃、学校の友達と旅行に行って、帰りには寝ている人もいるのに、自分はずっと車を運転していた。
廣松 昔は夏はどこかへ遊びに連れて行ってもらったりしたが、「趣向の華」に出るようになってからは、それができなくなった。でも「趣向の華」は楽しかったので良かった。
・二人が共演中の「地球投げ」の役について
竹松 坊主の役なので、自分が前にやった道成寺の坊主の役と、この芝居がスターウォーズのパロディでもあることから、金色のロボットC3-POの感じも取り入れて役作りをしている。(最近、何かで竹松を観た覚えがあると思ったが「地球投げ」だった)
廣松 「すごく底の浅い話でいいですか」と断ってから、火消しの役で成田屋、成田屋、と声を掛けるが、大声を出すと立ちくらみがする。
・(客から募った質問で)やってみたい役は?
竹松は言いにくそうで、具体的な役名は出なかった。立役志向ではあるようだ。学業優先で舞台から遠ざかっていた時代があり復帰してからまだあまり時間が経っていないようだし、私も竹松の舞台を観た回数は少ないのでどんな役者なのかよくわからない。俳優祭ではいつも商品説明をきちんとしてくれるので感心している。しかしきょうのトークを見る限り、いわゆる「弁が立つ」とタイプではなく、生真面目なのだと思う。「ザ・マジックアワー」で萬次郎がやった、数字を正確に記憶している会計士の役なんか、この人に合いそうだと思った。歌舞伎の中でも「性格俳優」っぽい役が向いているかもしれない。例えば、蝙蝠安とか義平次とか?
廣松は、今はいただいた役を精一杯やるだけだが、将来的には祖父がやった三姫、八重垣姫、雪姫、・・・(客席に助けられて)時姫、ができれば、と言う。私は、廣松で観たい役はたくさんある。先月芝雀が演じた相模や、何か月か前の紀伊国屋の小春。芝雀で前に観たことがある葛の葉や、吃又のおとくも合うだろう。お姫様より、普通の女の情感がある役が見たい。おかるの腰元、女房、遊女、全部観たい。兄ちゃんと二人で七段目もいいじゃないか。
・やはり客からの質問で、座右の銘は?
竹松 質実剛健
廣松 ゲームは一日一時間
二人の締めの言葉を聞くと、竹松はこれからも役作りを考えながら精進していくらしいし、廣松は「こんな頃から知ってたよ」とお客さんが自慢できるような役者になりたい、と言う。竹松は年を西暦で言ったり、テーブルトークRPGについて説明したり、歌舞伎役者離れした雰囲気でキャラが立っている。廣松はいかにも役者向き。きょうは対称的な二人のトークで予想外に面白かった。この若い二人が生きて行くこれからの時代、歌舞伎はどうなって行くのだろう。どんな風景を見るのだろうか。
6時から食事。特製会席膳をいただく。タコの梅肉あえと冬瓜は「愛之助ごのみ弁当」にも入っていた。やはり同じところで作っているからか。万願寺とうがらしの甘辛煮がおいしかった。その場で料金を払って飲み物を注文できるので、食後にコーヒーを頼んだ。
7時から素踊り「鶴亀」。仮設舞台の上手の出口から亀の廣松、鶴の竹松の順で出て来た。竹松は細い肩で、廣松はがっしり。体型的には男女が逆の感じだ。廣松がうまいのは知っているので廣松を主に見ていたが、ゆったりとして動きも目の配り方も女らしい。一度引っ込んで、後半はお腹のあたりに鞨鼓をつけて踊った。ほんの15分程度の踊りだが見応えがあった。
素踊りの後、二人がスーツ姿に着替えて「お楽しみトーク」が始まった。聞き手は関亜弓さん。こんな短い時間で着替えたの~、というようなどよめきがあった。竹松は馴染みのある眼鏡男子に戻っていた。下手の床几に関さん、上手に竹松と廣松が腰かける。
普段の舞台より客席が近いので視線を直に感じて二人ともドキドキしたようだ。廣松は舞踊大好き、と言う。廣松は祖父の雀右衛門の追善で国立劇場で静御前を踊った。「兄が踊ってるとき合引で待ってたら、すごく暑くて早く終われと思った。でもすごく気持ちよくて、おにいさんやおじさん達はいつもこんなに気持ち良いことやってるのかと思った」
・初舞台の思い出は?
竹松 覚えてるのはただ、舞台稽古のときに花道七三のところで滑ってころんだことだけ。
廣松 覚えている。幼稚園のとき「お祭り佐七」に出た。褌を「はきたい」と言ってはかせてもらったが食い込んでしまって気になった
竹松は幼い頃は舞台上で祖父や父の所作や台詞を真似る癖があり、祖父の「実盛物語」に出たときも所作を真似してしまって後見の人に止められた。
廣松の襲名は「助六」の禿。團十郎の助六と雀右衛門の揚巻だったそうで、私はこれは観た。廣松の禿は覚えていないが、当時の新之助が福山かつぎだった。大谷兄弟の襲名の掲示を見た覚えがあるが、この「助六」のときだったのだろう。
・学校について
竹松はインタナショナルスクールだった。歌舞伎役者としては珍しい。竹松自身も、自分と弟以外は知らない、という。学校は、自分に合うところを探して、そこにした。祖父の羽左衛門は、「自分の言葉で、英語で外国に歌舞伎を紹介できるようになってくれたら嬉しい」と言っていたそうだ。
私は、竹松と弟の光がインタナショナルスクールなのは2007年3月に国立劇場で「みんなの歌舞伎 KABUKI for Everyone」というのを観たときに知った。この公演は日本語の説明の後に英語の説明があり、出演者は市村萬次郎一家。萬次郎の「藤娘」と兄弟の「橋弁慶」だったと思う。大柄な光が弁慶だった。
廣松はずっと私立の男子校。友達が舞台を観に来てくれたりする。どこに出てるかわからなかった、とか言われる。
・今、はまってるものは?
竹松 テーブルトークRPG。
関さんが、巳之助さん情報では、竹松はお父さんの声をサンプリングして声の波形を研究しているそうだが、と尋ねる。
竹松は大学で音声学を勉強していて、父の女形の時の声その他の波形を数値化している。数値によって舌の位置とかがわかる。
廣松 車。 宝塚も好きで、宝塚ファンの友達と宝塚の曲を聴きながらドライブすることもある。宝塚は華やかで、自分より男性的な男役がいたりして、大好き。
・祖父の思い出
竹松 小学校のとき、英語力が足りなかったが、家族には英語を話す人がいないのでホームステイした方が良いと勧められた。その時に祖父が費用を出してくれた。国内の旅行に連れて行ってくれた。「実盛物語」に子役で出て、いっしょに馬に乗ったときはとても嬉しかった。
(「重の井の子別れ」のときはお父さんと親子の役でしたね?と関さんが訊くと) あの時は普段とは別の父のやさしさを感じました。
廣松 子供のとき、祖父と共演したときに、祖父の台詞をきっかけに自分が台詞を言うことになっていた時、祖父があいまいな台詞を言ったので、きっかけと間違えて台詞を言ったら祖父の台詞とかぶってしまった。悪いことをしたと思ってあやまりに行ったらすごく怒られた。でも今考えるとあいまいな台詞を言ったじいちゃんが悪いのではないかと・・・。
関さんが「左團次さんがブログに廣松くんは真面目と書いていますが、自分ではどう思いますか」と訊くと、「真面目です」
竹松にふると、「真面目なところもある」
廣松と左團次はパンツをもらったりあげたりする仲。廣松には花柄のパンツをくれた。舞台でそれをはいている時もある。廣松が派手なパンツをあげると、次の日にそれをはいて待っていてくれる。
「おじさん、はいてくれたんですか」
「これ、誰がくれたんだろう?」
「僕ですよ」
「そうか、じゃあ、脱ごう」
「やめてくださいっ」
というような仲良しだそうだ。
・夏休みの思い出
竹松 学生の頃、学校の友達と旅行に行って、帰りには寝ている人もいるのに、自分はずっと車を運転していた。
廣松 昔は夏はどこかへ遊びに連れて行ってもらったりしたが、「趣向の華」に出るようになってからは、それができなくなった。でも「趣向の華」は楽しかったので良かった。
・二人が共演中の「地球投げ」の役について
竹松 坊主の役なので、自分が前にやった道成寺の坊主の役と、この芝居がスターウォーズのパロディでもあることから、金色のロボットC3-POの感じも取り入れて役作りをしている。(最近、何かで竹松を観た覚えがあると思ったが「地球投げ」だった)
廣松 「すごく底の浅い話でいいですか」と断ってから、火消しの役で成田屋、成田屋、と声を掛けるが、大声を出すと立ちくらみがする。
・(客から募った質問で)やってみたい役は?
竹松は言いにくそうで、具体的な役名は出なかった。立役志向ではあるようだ。学業優先で舞台から遠ざかっていた時代があり復帰してからまだあまり時間が経っていないようだし、私も竹松の舞台を観た回数は少ないのでどんな役者なのかよくわからない。俳優祭ではいつも商品説明をきちんとしてくれるので感心している。しかしきょうのトークを見る限り、いわゆる「弁が立つ」とタイプではなく、生真面目なのだと思う。「ザ・マジックアワー」で萬次郎がやった、数字を正確に記憶している会計士の役なんか、この人に合いそうだと思った。歌舞伎の中でも「性格俳優」っぽい役が向いているかもしれない。例えば、蝙蝠安とか義平次とか?
廣松は、今はいただいた役を精一杯やるだけだが、将来的には祖父がやった三姫、八重垣姫、雪姫、・・・(客席に助けられて)時姫、ができれば、と言う。私は、廣松で観たい役はたくさんある。先月芝雀が演じた相模や、何か月か前の紀伊国屋の小春。芝雀で前に観たことがある葛の葉や、吃又のおとくも合うだろう。お姫様より、普通の女の情感がある役が見たい。おかるの腰元、女房、遊女、全部観たい。兄ちゃんと二人で七段目もいいじゃないか。
・やはり客からの質問で、座右の銘は?
竹松 質実剛健
廣松 ゲームは一日一時間
二人の締めの言葉を聞くと、竹松はこれからも役作りを考えながら精進していくらしいし、廣松は「こんな頃から知ってたよ」とお客さんが自慢できるような役者になりたい、と言う。竹松は年を西暦で言ったり、テーブルトークRPGについて説明したり、歌舞伎役者離れした雰囲気でキャラが立っている。廣松はいかにも役者向き。きょうは対称的な二人のトークで予想外に面白かった。この若い二人が生きて行くこれからの時代、歌舞伎はどうなって行くのだろう。どんな風景を見るのだろうか。
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