勘吉郎の会 ― 2009/09/28 18:04
2009年9月27日 国立文楽劇場 11時開演 1列下手、4時開演 14列中央
午前11時から午後8時55分まで、演目と演目の間が午前の部は3分、午後は4分(かさねの前だけ10分)で、午前終了と午後開始の間が12分というタイトなスケジュール。 演目と演目の間が3分か4分で、背景の大道具も全部変えるのは驚異的だと思う。しかし、時間が押して午後の部開始時刻になっても午前の部をやっていて、午後の部の終わりは予定より30分遅くなった。
きょうは亀治郎と愛之助で「二人椀久」、「蝶の道行」、「かさね」(2回)を踊り、その上に亀治郎は「梅川」という演目の忠兵衛も踊った。
「二人椀久」は愛之助が花道から出てきてスッポンのあたりを行きつ戻りつしたときに仁左衛門の姿を思い出し、この踊りは仁左衛門の美貌を楽しむのが主目的だったのだと確信した。
亀治郎の松山太夫は、初めに後姿を見せたときにあんまり綺麗じゃないと思った。前を向いたら、顔が男のまま。今まで見てきた松山太夫とイメージが違う。悲しい静かな踊りだと思っていたのに十二夜の麻阿がうきうき踊りだしたときと全く同じように踊りだしたので、とても楽しかったが、これで正しいのかという疑問は抱いた。 松山太夫は陽気な人で、その楽しそうな顔を思い出すと余計悲しいのだ、ということを示したいのか、とも思った。愛之助の悲しげな顔は良かった。最後に横になる前に海老反りをしていたが、仁左衛門もあれをやっていたろうか。
「蝶の道行」は歌舞伎座の、大きなユリやポタンの絵の濃厚な背景に比べて、ごくさっぱりとしたもので、水色の背景の下の方に書き割りの花がちょこっとあるだけ。二人で蝶のように袖を動かしていると可愛くて子供のお遊戯というか高校生の男女交際のようだ。しかし悲劇に変わる最後は背景に炎が燃え、亀治郎の女蝶が先に死に、その上に愛之助の男蝶が背中を反らせて重なって死んだ。
「梅川」は、映画の「Beauty」を思い出すような、梅川と忠兵衛が雪の中を歩いている舞踊だったが動きが少なくて、眠かった。
「かさね」は面白かった。ただ、海老蔵が与右衛門のときは「二人のかさね」だったのに、愛之助が相手だと「亀治郎のかさね」になる。最後に「おそろしー」と声を張り上げる浄瑠璃に観客全員が同意するような亀治郎かさねの頑張り方だ。帯を舞台にパシパシ叩きつけたり、醜く変わった自分の顔を与右衛門に見せつけて迫って行ったり、坂をころころ転がり落ちたり。亀治郎はたぶん、かよわい女が、最後に殺されはするけれども、圧倒的に強い与右衛門に対し徹底抗戦する姿が面白いと思って、それを客に見せようとしている。とすれば、与右衛門はかさねより強く見えなければならない。この点で、愛之助の与右衛門は亀治郎との身長差もないし、顔立ちも優しいし、かさねが自分の顔を鏡で見て大きな悲鳴をあげるとあたふたしたりして、あまり強そうではない。かさねの気迫が凄くて、最後に与右衛門が勝つのが八百長のように感じられてしまう。愛之助は、正面を向いて座っているとき、浪花花形のときよりは怖い形相をしていたように思う。だから、亀治郎の意図にそうようにしているとは思うのだが、まだ弱い。この日限り、2回しかやらないのが残念だ。
「勘吉郎の会」は勘吉郎さんやお弟子さん達の演目もある。その中で一つだけ挙げると、「四季三葉草」。いよおっ、いよおっ、と「おっ」のところが上がる掛声はやっぱり良い。三番叟のバリエーションの一つなのだろうが、普通の着物を着て踊る藤間若さんがかっこよかった。
伝統芸能の今 ― 2009/09/28 18:07
2009年9月28日 紀尾井小ホール 午後3時開演 6列17番
昨日から今日にかけては亀治郎の追っかけをやった。
一、 能楽 一調 「土車」 亀井広忠、 大島輝久
大島の謡で始まり、途中から広忠の大鼓が入る。邦楽専門ホールと聞いた先入観も手伝ってか、大鼓の乾いた音が強い音も弱い音もはっきりと、不純物なく聞こえてくるような気がする。5分の短い曲だった。 この後の座談会での広忠の言葉によれば、この曲と、18時からの部で打つ予定の「女郎花」が葛野流で最も難しいといわれるものだという。一調は謡の人と二人きりで難しいので「若造はなかなかやらせてもらえない」そうだ。
二、 座談会
幕が開いたら羽織袴の三人兄弟と、グレーのスーツ姿の亀治郎が立っていて、亀治郎が挨拶を始めたので、こんなところでも自分が仕切ろうとするのかと驚いた。
この催しはKame Pro Clubと三響会倶楽部の合同企画公演なので、双方が自分たちのことを少ししゃべった。亀治郎は、自分は伝統の継承、洗い直し、復活をやりたいと話した。亀治郎の会は2002年に始めて7回目になる。三響会の番になって、広忠が「僕たち兄弟でできるものということで・・・・せっかく能と歌舞伎の血を受けてるわけだから・・・」ということで三響会を始めたと話した。三響会は傳次郎が二十歳のときに始めて十二回目になるそうだ。
「兄弟げんかしないんですか?」という亀治郎の問いに3人は、「最近はしないが、昔はした。三響会を始めた頃は能と歌舞伎の良いところを互いに主張し合って険悪になり、『三響会は今回限りだ』、と言ってやったりしたが、終わると、また次をやろうか、という気持ちになった」というような話をしていた。
傳左衛門は「僕たちの仕事は役者さんの演技に音をのせていくことで、その点が、それだけで独立して存在する邦楽とは違うところ」と言う。役者の癖を覚え、その日の体調も見て、合わせる。調子が悪そうなときは音で盛り上げたりもする。広忠によれば、能の世界のシテ方と囃子方も 同じだそうだ。
亀治郎が三響会で「竹生島」を踊ったとき、長唄以外に謡の人が並んでいて、「うぅうぅ」とうなってて、どこで舞い終ったらよいかわからなかった。
亀治郎は、「たとえば、芝翫さんが知っている芝居の数と僕たちが知っているのとでは数が全然違う。古典をやる人と新作をやる人と分けなければ間に合わないのではないか。僕は新作の開発・企画をやりたい」と言い、傳治郎が「企画部に入ります」と言った。
下の世代が育っている。亀治郎が「信二郎さん、今の錦之助さんの息子さんの隼人君も出てきたし」と言うと、傳左衛門が「そのうち、おもだかやのおじさんて呼ばれたりして」。 大鼓も、広忠の下の若手が16人いるそうだ。
三。越後獅子
亀治郎は10分の休憩の間に拵えをするの?と驚いていたが、素踊りだった。後ろを向くと首から肩にかけてほっそりしていて華奢。きのう、大阪で「かさね」を二回と「二人椀久」、「蝶の道行」、「梅川」を踊って、きょうは東京で越後獅子を踊る。手なれた感じで、布の扱いも巧みだ。踊りには文句ないが、顔がもう少しどうにかならないか。造作を言うのではなく、表情が野良犬のようで胡散臭い。
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