三響会 2009年9月 増上寺2009/09/12 01:01

2009年9月11日 増上寺 午後3時開演

午後半休して、職場から歩いて20分ほどの増上寺に行った。気温は高くないが日が当たると暑い。こんな時間に外を歩くことが滅多にないのでくだらないことが珍しい。

去年の「たまゆら」のときは右の方から入って行ったが、きょうは左が入口だった。

板の間の後ろから何人か人が出てきて、床に照明を置いて去る。明かりがつくと、板の上に光の道ができた。そこが橋懸りであり、花道にあたるのだろう。

一、 長唄「若菜摘」

笛の福原寛、傳次郎、傳左衛門、広忠、佐太郎の順で出てきた。今回、傳次郎は小鼓にまわって、お母さんの佐太郎が太鼓。 前の人たちの頭の間からステージを見るのだが、私の席からは佐太郎の手元がよく見えた。

個人的に、踊りも何もなく長唄だけ聞いているのが苦痛で、残念ながらこの曲も例外ではなかった。

二、能と舞踊による「江口」

能の雲水は梅若玄祥、舞踊の江口の君は、息子の藤間勘十郎。 勘十郎の踊りを見るのは一年ぶりで、きょう一番の楽しみだったが、勘十郎は、初めはステージ上手の船の近くで座って踊っていて、私の席からはほんの一部しか見えず、早く立ち上がってくれと思った。立ち上がって真中に来て踊り出すとやっと胸から上が見えるようになり、腕の回し方に勘十郎らしさを感じて嬉しかった。結局、全身が見えたのは最後に去っていく後姿だけで、踊り全体としてはとぎれとぎれにしか見られなくて残念だった。演奏が打楽器と謡だけのときは踊りは見えなくても気持ちよく聴いていられたが、苦手な三味線が入ってくると苦痛になった。

三、能と歌舞伎による「羽衣」

三味線がないお囃子が聴けて、本当に気持ち良かった。御神楽で使うお囃子は聖、三味線は俗、というイメージのせいか、三味線は寺に合わないと思う。

今回の舞台では、役者は左右からではなく、舞台の後ろから出てきて後ろに引っ込む。私は出てくる役者がよく見える席だったので、菊之助が天女の衣装で奥からしずしずと歩いて来るのがよく見えて、ラッキーだった。舞台の真中で踊り始めると見えない部分もあったが、ほとんど立って踊っていたのでそんなに見えにくいこともなく、菊之助の顔が綺麗で、奉納舞のようで、きょうはこの演目が一番満足度が高かった。

兵士の物語2009/09/15 23:06

2009年9月12日(土) 新国立劇場中劇場 午後六時半開演 1階5列31番

新聞に出ていた先行予約の広告が目に入ったのでアダム・クーパー目当てにチケットを買った。5列目だから割と良い席、と思ってはいたが、行ってみたら最前列だったのでびっくりした。幕は下がっていなくて、舞台の客席側の真中はオーケストラピット、舞台端にはテーブルと椅子が並んでいて、いつの間にか人が座っていた。終わった後で友人と話したら、友人はあれは舞台席だと言ったが、そうなのだろうか。

舞台の後ろから出演者が出てきて、その中の一人がオーケストラピットに入った。指揮者だったのだ。

シルクハットにタキシードのウィル・ケンプが舞台の真中で "Welcome, ladies and gentlemen!" のようなことを言い、紙を見ながら「ミナサマ、ヨコソオコシクダサイマシタ」みたいなことを言って、話が始まった。

字幕は舞台の左右に出る。

どの程度バレエなのか、話が始まるまでわからなかった。結局、台詞とダンスが半々くらいか、あるいは台詞の方が多いかというくらい。

ストラヴィンスキーの音楽で、話の内容はロシアの寓話風で、両方とも魅力的なものなので、本格的なバレエで見たかった。

アダム・クーパーらしい踊りもなく、動きはウィル・ケンプの方が良かった。ただ、マシュー・ハートも含め3人ともダンサーなのに声が良くて舞台俳優も十分勤まるのは大したものだ。特にマシュー・ハートは老人、老婆、最後の悪魔、と扮装も変わり、演技派だった。

最後の悪魔はポヨポヨ体毛みたいに毛が生えたタイツで、あんなのは初めて見た。

ウィル・ケンプの白鳥も観てみたいと思った。

五耀会2009/09/15 23:09

2009年9月14日(月) 国立劇場大劇場 午後6時開演 1階8列49番

山村若を東京で見られる数少ないチャンスなのでチケットを買った。A席の上手通路際で、花道も舞台も人の頭に遮られずに見える。

五人の舞踊家が順番に素踊りを踊って最後にみんなでいっしょに踊る、と漠然と想像していたが、ちょっと違っていた。

葛西アナウンサーが各演目の前に出てきて解説したのは予想外だった。少しでもポイントを教えてもらうと素人にはわかりやすい。

最初の演目は山村若の素踊り「葵ノ上」。途中で謡が入って、若の声を聞けた。遅れて入ってくる人も多くて、トップバッターは損だ。

次の「浜松風」は歌舞伎舞踊。

小藤という女形を藤間蘭黄、此兵衛を西川箕乃助が踊った。素踊りではなく歌舞伎の扮装をして踊る。台詞もある。確かに踊り自体がうまいのはわかるが、汐桶のかつぎ方とか、帯の扱いとかに慣れてないようで、歌舞伎の女形と比べると見劣りがするし、台詞もひどくはないが歌舞伎役者ほどうまいわけでもない。何か「トンデモ」系のものを見ているような気もして、舞踊家はこういうものを踊りたいのか、これで何を主張したいのかと、やや複雑な気持ちになった。しかし、自分の得意分野だけに閉じこもっていない点では舞踊家の意気込みを感じた。

次は創作舞踊「一人(いちにん)の乱」。

これは素踊り。花柳寿楽が安部宗任、花柳基が源頼義を踊った。最初に基が馬を駆る所作で花道から現れる。最後は宗任が客席に向けた矢をつがえた弓をひきしぼった形で終わる。この中でも二人の台詞があった。基は以前、別の舞踊会で見たときも台詞を聞いたことがあるが、うまい。富士の山と陸奥の山々を語る一人ずつの踊りが特に見ごたえがあった。かっこいい舞踊で、ぜひもう一度見たいし、これ以外にも創作舞踊で良いものがあったら次の機会に紹介してほしい。

最後は、「七福神船出勝鬨(しちふくじんふなでのかちどき)」。

若が恵比寿、基が大黒、蘭黄が毘沙門天、箕乃助が寿老人 、寿楽が福禄寿だったと思う。扮装をしているわけではないが扇子にそれぞれを現す絵が描いてあるそうだ。そろって花道から出てきて名乗った。

楳茂都流家元襲名披露のときの「荒れ鼠」のように舞踊家の群舞は見ごたえがあるので期待していた。この演目は五人それぞれが順に主役になって踊るような構成で、その中で一人が踊るときと全員いっしょに踊るときがあり、思ったより時間も長くて存分に楽しめた。

地味目の公演を予想していたが、意外さもあって、予想よりエキサイティングだった。

小さいことだが、先日の「紀尾井舞の会」と同じくプログラムに詞章を載せてくれているのが嬉しい。

歌舞伎座さよなら公演 九月大歌舞伎 昼の部2009/09/21 17:22

「竜馬がゆく」は三部作の最後。前回は亀治郎も出て見ごたえがあったが今回は地味。竜馬役の染五郎と中岡慎太郎役の松緑中心で、2人で話して暗殺されるまで、盛り上がりに欠ける。いつも舌足らずの松緑の台詞が今回特に聴きづらかった。声量はあるのだから発音発声を直した方が良い。

「時今也桔梗旗揚(ときはいまききょうのはたあげ)」は、春永役が幸四郎なんだと勝手に思いこんで、また息のあった兄弟の丁々発止が見られると期待していたので、春永の役が富十郎でがっかりした。 蘭丸と力丸の兄弟が錦之助と種太郎というのが面白かった。光秀の吉右衛門は普通に良かった。四王天但馬守役の幸四郎は台詞が不明確で、珍しく声も少しかすれているようだった。

「お祭り」は、楽しみにしていた歌昇が真ん中で幕が開き、やっぱり凄くうまい踊りで、見とれた。 芸者役は芝翫が急病で福助が代役だった。芸者が客席のお手を拝借して「よよよいよよよいよよよいよい」と締める前に「父の芝翫が急病で・・・」と挨拶した。 福助は綺麗で踊りもうまいので、こういう役はとても良い。鳶頭の染五郎と松緑の2人の踊りも若々しくて良かったが、福助と歌昇、錦之助の3人が中心で、個人的にこれがとても良かった。踊っている福助を後ろの床几に座って見ている錦之助は、十二夜の大篠左大臣のようだ。女の踊りを見ている美しい男。今月は、福助、歌昇、錦之助の他に歌六、門之助、それに段四郎が出ているので昔の猿之助一座を思い出す。この演目の中で、歌舞伎座の建替えに言及していたが、さよなら公演にふさわしい華やかな「お祭り」だった。

最後の「河内山」は好きではないので帰りたかったが、配役を見たら隼人が出ていたので観た。6人の近習の中に種太郎と隼人がいる。見た目は隼人の方が種太郎より大人っぽいのに、セリフの方は隼人はまだまだ下手なので可笑しい。6人の近習役は40代から高校1年まで年齢のバラツキがあるが、それはお客さんにはわからないわけで、高校生の隼人にとっては厳しいと思う。隼人、こっちを見ろ、と思っても、舞台にひれ伏している時間が長かった。ああやって成長して行くのだなあ、と思いながら観た。

きょうは2階の後ろの方の席で、役者の表情は見えないし、前の客の頭も邪魔になる。しかし、舞台を見下ろす方が、見上げるより疲れない。食事休憩のときは逸早くロビーに出て、吹き抜けのむこうのソファを確保した。今月は幸四郎と吉右衛門の父方、母方両方の祖父の記念の品が飾ってある。七代目幸四郎は昭和21年に東劇で75歳で助六をやって、今の幸四郎はそのときが初舞台、と書いてあるのを見て、75歳で助六とはすごい、幸四郎の初舞台は東劇だったんだ、松本幸四郎は今の幸四郎まで三代に渡って孫の初舞台のときに三代揃ってたんだ、といろいろ考えを巡らした。

勘吉郎の会2009/09/28 18:04

2009年9月27日 国立文楽劇場 11時開演 1列下手、4時開演 14列中央

午前11時から午後8時55分まで、演目と演目の間が午前の部は3分、午後は4分(かさねの前だけ10分)で、午前終了と午後開始の間が12分というタイトなスケジュール。 演目と演目の間が3分か4分で、背景の大道具も全部変えるのは驚異的だと思う。しかし、時間が押して午後の部開始時刻になっても午前の部をやっていて、午後の部の終わりは予定より30分遅くなった。

きょうは亀治郎と愛之助で「二人椀久」、「蝶の道行」、「かさね」(2回)を踊り、その上に亀治郎は「梅川」という演目の忠兵衛も踊った。

「二人椀久」は愛之助が花道から出てきてスッポンのあたりを行きつ戻りつしたときに仁左衛門の姿を思い出し、この踊りは仁左衛門の美貌を楽しむのが主目的だったのだと確信した。

亀治郎の松山太夫は、初めに後姿を見せたときにあんまり綺麗じゃないと思った。前を向いたら、顔が男のまま。今まで見てきた松山太夫とイメージが違う。悲しい静かな踊りだと思っていたのに十二夜の麻阿がうきうき踊りだしたときと全く同じように踊りだしたので、とても楽しかったが、これで正しいのかという疑問は抱いた。 松山太夫は陽気な人で、その楽しそうな顔を思い出すと余計悲しいのだ、ということを示したいのか、とも思った。愛之助の悲しげな顔は良かった。最後に横になる前に海老反りをしていたが、仁左衛門もあれをやっていたろうか。

「蝶の道行」は歌舞伎座の、大きなユリやポタンの絵の濃厚な背景に比べて、ごくさっぱりとしたもので、水色の背景の下の方に書き割りの花がちょこっとあるだけ。二人で蝶のように袖を動かしていると可愛くて子供のお遊戯というか高校生の男女交際のようだ。しかし悲劇に変わる最後は背景に炎が燃え、亀治郎の女蝶が先に死に、その上に愛之助の男蝶が背中を反らせて重なって死んだ。

「梅川」は、映画の「Beauty」を思い出すような、梅川と忠兵衛が雪の中を歩いている舞踊だったが動きが少なくて、眠かった。

「かさね」は面白かった。ただ、海老蔵が与右衛門のときは「二人のかさね」だったのに、愛之助が相手だと「亀治郎のかさね」になる。最後に「おそろしー」と声を張り上げる浄瑠璃に観客全員が同意するような亀治郎かさねの頑張り方だ。帯を舞台にパシパシ叩きつけたり、醜く変わった自分の顔を与右衛門に見せつけて迫って行ったり、坂をころころ転がり落ちたり。亀治郎はたぶん、かよわい女が、最後に殺されはするけれども、圧倒的に強い与右衛門に対し徹底抗戦する姿が面白いと思って、それを客に見せようとしている。とすれば、与右衛門はかさねより強く見えなければならない。この点で、愛之助の与右衛門は亀治郎との身長差もないし、顔立ちも優しいし、かさねが自分の顔を鏡で見て大きな悲鳴をあげるとあたふたしたりして、あまり強そうではない。かさねの気迫が凄くて、最後に与右衛門が勝つのが八百長のように感じられてしまう。愛之助は、正面を向いて座っているとき、浪花花形のときよりは怖い形相をしていたように思う。だから、亀治郎の意図にそうようにしているとは思うのだが、まだ弱い。この日限り、2回しかやらないのが残念だ。

「勘吉郎の会」は勘吉郎さんやお弟子さん達の演目もある。その中で一つだけ挙げると、「四季三葉草」。いよおっ、いよおっ、と「おっ」のところが上がる掛声はやっぱり良い。三番叟のバリエーションの一つなのだろうが、普通の着物を着て踊る藤間若さんがかっこよかった。

伝統芸能の今2009/09/28 18:07

2009年9月28日 紀尾井小ホール 午後3時開演 6列17番

昨日から今日にかけては亀治郎の追っかけをやった。

一、 能楽 一調 「土車」 亀井広忠、 大島輝久

大島の謡で始まり、途中から広忠の大鼓が入る。邦楽専門ホールと聞いた先入観も手伝ってか、大鼓の乾いた音が強い音も弱い音もはっきりと、不純物なく聞こえてくるような気がする。5分の短い曲だった。 この後の座談会での広忠の言葉によれば、この曲と、18時からの部で打つ予定の「女郎花」が葛野流で最も難しいといわれるものだという。一調は謡の人と二人きりで難しいので「若造はなかなかやらせてもらえない」そうだ。

二、 座談会

幕が開いたら羽織袴の三人兄弟と、グレーのスーツ姿の亀治郎が立っていて、亀治郎が挨拶を始めたので、こんなところでも自分が仕切ろうとするのかと驚いた。

この催しはKame Pro Clubと三響会倶楽部の合同企画公演なので、双方が自分たちのことを少ししゃべった。亀治郎は、自分は伝統の継承、洗い直し、復活をやりたいと話した。亀治郎の会は2002年に始めて7回目になる。三響会の番になって、広忠が「僕たち兄弟でできるものということで・・・・せっかく能と歌舞伎の血を受けてるわけだから・・・」ということで三響会を始めたと話した。三響会は傳次郎が二十歳のときに始めて十二回目になるそうだ。

「兄弟げんかしないんですか?」という亀治郎の問いに3人は、「最近はしないが、昔はした。三響会を始めた頃は能と歌舞伎の良いところを互いに主張し合って険悪になり、『三響会は今回限りだ』、と言ってやったりしたが、終わると、また次をやろうか、という気持ちになった」というような話をしていた。

傳左衛門は「僕たちの仕事は役者さんの演技に音をのせていくことで、その点が、それだけで独立して存在する邦楽とは違うところ」と言う。役者の癖を覚え、その日の体調も見て、合わせる。調子が悪そうなときは音で盛り上げたりもする。広忠によれば、能の世界のシテ方と囃子方も 同じだそうだ。

亀治郎が三響会で「竹生島」を踊ったとき、長唄以外に謡の人が並んでいて、「うぅうぅ」とうなってて、どこで舞い終ったらよいかわからなかった。

亀治郎は、「たとえば、芝翫さんが知っている芝居の数と僕たちが知っているのとでは数が全然違う。古典をやる人と新作をやる人と分けなければ間に合わないのではないか。僕は新作の開発・企画をやりたい」と言い、傳治郎が「企画部に入ります」と言った。

下の世代が育っている。亀治郎が「信二郎さん、今の錦之助さんの息子さんの隼人君も出てきたし」と言うと、傳左衛門が「そのうち、おもだかやのおじさんて呼ばれたりして」。 大鼓も、広忠の下の若手が16人いるそうだ。

三。越後獅子

亀治郎は10分の休憩の間に拵えをするの?と驚いていたが、素踊りだった。後ろを向くと首から肩にかけてほっそりしていて華奢。きのう、大阪で「かさね」を二回と「二人椀久」、「蝶の道行」、「梅川」を踊って、きょうは東京で越後獅子を踊る。手なれた感じで、布の扱いも巧みだ。踊りには文句ないが、顔がもう少しどうにかならないか。造作を言うのではなく、表情が野良犬のようで胡散臭い。