歌舞伎座さよなら公演 十月大歌舞伎 昼の部2009/10/03 21:54

2009年10月3日 歌舞伎座 午前11時開演 12列5番

「毛抜」

幕が開くと秀太郎(巳之助)と数馬(萬太郎)が剣を交えている。止めに入るのは腰元若菜の吉弥。二月の松竹座の公演では巻絹役の亀治郎が止めに入ったような記憶がある。

三津五郎の粂寺弾正は間違いなく今まで観た中で一番うまい弾正だ。というより、「うまい」役者の弾正を観たことがなくて、芸より味で見せる役かと思っていた。三津五郎の粂寺弾正は模範演技として記憶しておくことにしよう。 「~ですぅ」という台詞の最後の「す」の発音が、団十郎はおかしくて、獅童はそのおかしな発音もそのまま真似していたが、三津五郎は普通の「す」だった。

松也が春風をやっているのを見て、この役は和事味のある役なのだとわかった。松竹座で亀鶴がやった時にひどく頼りない顔をしていたのはそのためか。松也はうまい。

錦の前は梅枝だが、梅枝はもっと難しそうな役で観たい。錦之助の小原万兵衛は声量があって良かった。

「蜘蛛の拍子舞」

南座で観たときは二階から見る蜘蛛の糸の広がりと重なり合いが綺麗だった。下の方から見た今回は、役者に蜘蛛の糸が絡んでいる様子がよく見えて、それも綺麗だった。

配役と上演記録を見ると、前回までの碓井貞光役が渡辺綱(松緑)になって、それとは別に碓井貞光という新しい役ができて萬太郎がやっている。萬太郎は口跡が良い。卜部季武は尾上右近で、若い二人だ。

すっぽんが開くと面明かりを持った黒衣が舞台下手と花道奥からシュルシュルと駆けより、玉三郎がせりあがってきた。玉三郎の踊りは綺麗だった。 先月はたくさん舞踊を観たが、それを全部ぶっとばすようなオーラを感じた。自分が最も美しく見えることを追求しつくした末の形、動きを見せてくれている。

松緑の踊りはいつも期待を持って見ているが、きょうの渡辺綱の踊りは今まで見たうちで一番良かった。源頼光の菊之助は、バカ殿の衣装がマイナスに作用して踊りが綺麗に見えないのかと思ったが、衣裳を変えて出てきてもぱっとしなかった。

玉三郎の後見は功一で、玉三郎がパッと糸を投げると功一がくるくると巻きとる。最後にすっぽんに消える前に一度糸を投げ、その糸が玉三郎についてすっぽんの中に消えていくのが南座で観たとき綺麗だった。きょうは、糸が何筋か花道に残っていた。菊之助が花道に来たとき、どこかでついた糸を花道に落とし、それがフットライトのところにふわりと飛んできたので、手を伸ばして取った。

蜘蛛の精は可愛い。見得を切ると場内が湧いた。

玉三郎が後半に怖い顔に変わって終わる演目をいくつか観たが、玉三郎は最後まで綺麗な顔でいてほしい。最後は、玉三郎が糸を投げ、すぐ後ろから功一も糸を投げて、舞台全体に糸がかかって綺麗だった。糸を投げる蜘蛛ものの中ではこれが一番好きだ。

「河庄」

初めて観たのは青山劇場でやった近松座の「心中天網島」で、その時はよくわからなかった。何回目かに観たとき、小春と別れると言いきって起請文も全部返した治兵衛が、小春が持っている手紙を別の男から来たものと疑って「誰から来た、見せてみい」と詰め寄る様子が、フランス映画の恋愛ものみたいだと思い、それ以来大好きな演目になった。

丁稚の三五郎をやっている萬太郎は、ここまで三演目すべてに出ている。三五郎の関西弁は難しいだろうに、たぶん下手なのだろうが、頑張っている。ちょっとデレッとした雰囲気を出していて、悪くない。

亀鶴がやっている太兵衛はアブラムシとか言われていて、封印切の八右衛門のような役だ。太兵衛と善六の浄瑠璃風な語りが寒い。

藤十郎は忠兵衛はちっとも良くないが、治兵衛は良い。治兵衛は難しい役で、大福帳をめくって読んでいるところなどを観ているうちに、この役はもう、他の人にはできないのではないかと思った。時蔵も梅川より小春の方がいい。藤十郎も時蔵も若者役には向かない。こういう、大人の恋愛がいい。

治兵衛は小春にぞっこんだが、治兵衛には妻子がいて、兄の孫右衛門(段四郎)は小春と別れさせたい。小春も治兵衛と別れたくないが、妻のおさんへの義理で別れようとする。口では別れると言いながら小春への執着を見せる治兵衛、おさんからの手紙を隠してただ泣く小春。二人の気持ちを知りながら、別れさせようとする孫右衛門。「大人の事情」が「恋愛」に優先する残酷さ。話の筋がそうなっているから感動するのではなく、その別れられない男女が別れさせられようとしている瞬間を切り取って濃密に描き出しているところが凄い。

二人の間にいる孫右衛門を見ていると「生木を裂く」という言葉が浮かんでくる。前にテレビで見た、ナチスの兵隊がユダヤ人の母子を引き離そうとするシーンも思い出した。

「音羽嶽だんまり」

松緑長男大河の初お目見得。菊五郎、富十郎、吉右衛門が挨拶した後、松緑に促されて大河が「よろしくお願いします」と元気に挨拶した。三歳だそうです。大河は松緑に抱かれて花道を通って引き揚げた。、

亀井広忠プロデュース能楽囃子舞台 「三番叟」2009/10/07 23:18

2006年10月6日 日経ホール 午後7時開演 О列3番

はじめて日経ホールに行った。昔からあったところに自分が初めて行くのだと思いこんでいたが、ここは4月に開場したのだそうだ。

傾斜があって前の人の頭があまり邪魔にならなくて、椅子が立派なのは最近の劇場のトレンドか。その上にここは、前の椅子の背から、テーブルを引っ張り出せる。まるで桟敷みたい楽ちん~と喜んでいたら、「通行の邪魔になるのでテーブルはお使いにならないように」というアナウンスがあった。あれは講演会のようなものの時しか使えないのか。

きょうは広忠の大鼓で萬斎の三番叟を観るつもりでいたが、それは昨日で、きょうは両方とも、その親だった。不意をつかれた。

三番叟ではない音が聞こえてきて、アレと思ったが、広忠によれば、これは「おしらべ」というものだそうだ。知らなかった。

「三番叟」

三番叟 野村万作、千歳 野村萬斎

笛 杉信太朗、小鼓頭取 大蔵源次郎、脇鼓 古賀裕己、田邉恭資、大鼓 亀井忠雄

広忠は後見だった。

亀井忠雄は息子よりも声がかん高く、咆哮というより悲鳴のようだった。萬斎は遠くから見ても小綺麗で、とても40すぎのオッサンには見えない。萬歳の三番叟は綺麗すぎて好みに合わないが、若々しい雰囲気が千歳にはぴったりだ。狂言にもやっぱり「ニン」というものがあるのか。

野村万作の三番叟は、70代という年齢もあって、動きに萬斎のような正確さはない。その年期の入り具合が有難味だ。

この後、休憩の後に広忠がMCで出てきた。

休憩中のロビーで、普段着姿の傳左衛門、傳次郎が入ってきたのを見かけた。真中の通路より少し後ろの席に着いたようだった。佐太郎さんもいたようで、広忠は彼らを意識しながら話していた。

プログラムにはさみこんであったお知らせの中に、東京芸術劇場でやる「歌舞伎の未来」というのがあった。千之助と傳左衛門が中心のようで、ちらしには書いてないけれども仁左衛門が出るのも決まったそうた゜。11/23にやるので、「いいにざの日、と覚えてください」と言っていた。

舞囃子「猩々乱」

シテ 観世銕之丞、笛 杉信太朗、小鼓 大倉源次郎、大鼓 亀井広忠 太鼓 助川治

観世銕之丞はふつうの袴姿。謡の声が良い。猩々の動きを表す所作よりも普通の能の動きが良かった。

狂言 「末廣かり」

シテ 野村萬斎、アド 野村万之介、石田幸雄 笛 杉信太朗、小鼓 田邊恭資、大鼓 亀井広忠、太鼓 助川治

狂言は言葉が現代に近くてわかり易いと思いながら観ているわりに、最初の方は、太郎冠者は「すえひろがり」という抽象的なものを買ってくるように主人に言いつけられたんだと思っていた。「末廣かり」とは扇のことなのだ。

萬斎は、このシテも良かった。 きょうの萬斎は今まで観た中で一番良かった。

吉例顔見世 「仮名手本忠臣蔵」 夜の部2009/10/12 19:55

2009年10月10日 御園座 午後4時15分開演 1階7列21番

仮名手本忠臣蔵の通しだが、夜の部を先に観た。

「五段目」

幕が開いて、正面に座っているのは橋之助?と思ったら勘平役の仁左衛門だった。何度も観てるわりにはちっとも覚えない。

定九郎は花道から出てきた。三越の歌舞伎講座できいた話を思い出しながら見た。口から腿の上に、衣裳を汚さないできれいに血を落としていた。金を袖の中で数えた後の「ごじゅうりょう~」はなかなか重量感があって良かった。そのわりに、誰かが来たと知って干し藁に潜り込むときの、あわてふためいた足の動きが軽すぎる気がする。

「六段目」

仁左衛門の勘平は、孝太郎のおかる、秀太郎のお才、竹三郎のおかや、松之助の源六に囲まれて実力を遺憾なく発揮、といったところ。

「さらばでござんす」と出ていこうとするおかるを勘平が「あかる、待ちゃ」と呼び返し、おかるが勘平の膝に抱かれるところは、横向きになる玉三郎のときと違って勘平がおかるの背中に手をまわして抱きかかえるような感じだった。「おかる、まめでいやれ」という台詞は、三年前の松竹座で玉三郎がおかるのときは、かおるの顔をしっかり見て短めに言っていたが、今回は長く伸ばして言っていた。ここでおかるがわっと泣き崩れて悲劇が最高潮に達する。そこに源六が「冗談じゃあねえや」と現れて客が笑い緊張がゆるむのだが、松之助は関西弁の源六なので台詞が違う。私が観たときは、緊張のゆるみ方が足りない感じがした。

おかやの竹三郎は仁左衛門と合うし三年前の松竹座のおかやも良かった。今回も熱演で、「御両人」と掛け声がかかったほどだ。

千崎と不破は彌十郎と左団次。背が高い二人が家に入ってくる。仁左衛門は「色に」と言って一瞬二人の顔を見まわし、続けて「色にふけったばっかりに」と言った。

彌十郎の方はいろいろ表情を変えるが、左団次はあまり表情も変えず、つまらない不破数右衛門。 不破数右衛門はこんなに良い役だったかと思った去年の平成中村座の仁左衛門の演技を懐かしく思い出した。

「七段目」

団十郎の由良之助を観るのは、特に声を聴くのはかつては苦痛だったが、今はそうでもない。

見立てで、金のしゃちほこをやっていたのが名古屋らしかった。二人で倒立するだけなので簡単。

平右衛門が三人侍の供をして茶屋に来るとき、仁左衛門は羽織を着ていたと記憶しているが、橋之助は着ていなかった。

力弥役の新悟はとても背が高くて首が長い。

福助の遊女おかるは綺麗だった。平右衛門に姿をよく見せてくれと言われて、「あにさん、こうでござんすか」とポーズをとる時、玉三郎は最高の美人顔を作ってポーズを決めるが、福助は「こうでござんすか」と言っても、静止しないで動いている。福助は綺麗だが時々口元が食人鬼のように見え、声も太くなったりするので、勘平の死を知って「あにさん、どうしょー」と言っても「あんたなら、大丈夫でしょう」と言い返したくなる。

「十一段目」

プログラムには小林平八郎の役は彌十郎と書いてあるが、お詫びの紙が入っていて、男女蔵に配役変更になったと書いてあった。

八月に弁天小僧と南郷力丸をやった二人が今月は平八郎と喜多八で泉水の立ち回りをやる。歌舞伎座で観たとき、喜多八役の松江は池に落ちた後に何回か顔を出してプハーッとやったり、平八郎に投げられたり、もっと運動量が多かったような気がする。今回の立ち回りは少し見劣りする。

吉例顔見世 「仮名手本忠臣蔵」 昼の部2009/10/18 19:11

2009年10月11日 御園座 10時45分開演 1階5列28番

「仮名手本忠臣蔵」 というと玉三郎のおかるばかり観ていたので昼の部を観るのは二十年ぶりだ。 夜の五、六、七段目は非常によくできた劇だと思っているが、今回久々に昼の部を見て、大序、三段目もやはりよくできた話で、人気があるのも当然だと思った。

開演時間よりも早く人形が登場人物と配役を紹介し始める。名前を2回読み上げられる人、一回の人、時間をかけて読み上げられる人、と役の大きさによって異なる。最後の読み上げは由良之助役の団十郎で、一際高い拍手を浴びていた。

「大序」

幕が開くと、板つきの役者は皆、目をつぶっている。若狭之助役の愛之助は目をつぶったままの顔が綺麗だ。愛之助の若狭之助は夜の定九郎、喜多八役よりも良かった。特に幕開きのときに着ている衣装が似合う。

この幕の役者は皆、ニンに合った役をやっている。左団次はスケベおやじ風のキャラに年齢の重みと身体の大きさが加わり、リアリティのある師直だ。福助の顔世は、美人なのが何よりも良かった。今回観て感じたのだが、おかるは美人でなくても愛敬でどうにかごまかせるが、顔世は美人でないと話が成立しない。進之介は浮世離れした感じが直義に合っていた。橋之助は温厚な性格の判官役に合っている。

「三段目」

加古川本蔵が賄賂を持ってくるあたりは、やっぱり昔の藩は今の企業と同じで、総合力の勝負なのだと思った。あんな若造一人に藩の命運をまかせるのは危険すぎる。

鷺坂伴内は亀蔵。道行ではしょっちゅう見るが、はじめて正体がわかった。

「四段目」

判官切腹の場。判官の前に手をついて、首をふって別れがたい様子の力弥(新悟)と、それを目でたしなめて行けと促すような判官の橋之助が良かった。

由良之助の団十郎は、家臣達を従わせるようなカリスマ性を感じられなかった。九太夫役の橘三郎はうまい。

「道行旅路の花婿」

おかるの着物は矢絣。顔も着物も地味だったが、この勘平は、女に甘えたいタイプの色男で、しっかりもののおかるについてきたのかもしれないと思いをめぐらした。

年の差カップルに見えなくもない。玉三郎を思い出すと見た目も、縫物をする振りの華麗さなども比ぶべくもないが、孝太郎の踊りは良かった。

歌舞伎座さよなら公演 十月大歌舞伎 夜の部2009/10/25 23:32

2009年10月

今日は一階の後ろのはじっこで、花道の出入りと、花道のすぐ横に座っている歌舞伎座のおねえさんの動きがよく見える席だった。

「渡海屋・大物浦」

知盛が吉右衛門、典侍局が玉三郎、義経が富十郎、弁慶が段四郎。こんなにレベルが揃ったのを初めて観たような気がする。玉三郎は過不足ない端正」な演技。きりっとして品があるのが良い。最後に自決した後、すぐに何人もの男性に運ばれて奥に消えたのが玉三郎らしい気がした。。典侍局の自決の後はいつもあのような段取りだったか記憶がない。

孫のような四天王を従えて出て来た、富十郎は口跡が良くて気持ちが良い。座っている四天王の端にいた隼人が、私の席から見るとちょうど玉三郎の後ろに見えて眼福だった。

「吉野山」

菊五郎親子。去年の十一月に演舞場で観たときは松緑と菊之助だったが、松緑は今回は藤太。菊五郎の投げた笠を見事にキャッチしていた。

「四の切」

歌舞伎座の、花道のすぐ横に座っているお姉さんは、花道を役者が通るときは後ろから誰かが入って来ないように制止するように手を伸ばしている。狐忠信が本当は階段から出てくるのに客を欺くために花道のフットライトをつけて揚げ幕の音をさせて「出があるよ」と叫び声がするときには、おねえさんも、花道を人が通るときのように手を伸ばしているのだった。

欄間抜けがないので狐が出てくるところが違ったり、最後は宙乗りじゃなくて桜の木に上ったり、猿之助の型とは違うところがある。

映画「宮城野」2009/10/28 03:57

2009年10月27日 赤坂レッドシアター 午後9時開演

赤坂レッドシアターには初めて行った。今まで気づいたことがないので、かなり新しいところだと思う。田町通りにあり、1階の入口から階段を下りて地下に行く。

去年の10月31日に蓼科高原映画祭に行った時は帰りの電車の時間が気になって最後の10分を見ないで出てきた。今夜やっと最後まで見て、ドンデン返しはなかったのを確認し、冒頭の、写楽の絵が紹介されているシーンのナレーションは寺田農だというのが最後のクレジットでわかった。

驚いたのは上映時間。蓼科のときは113分だったのに、今夜は9時の上映開始で、帰りに赤坂見附の駅で時刻を見たら10時26分だった。30分もカットされている。毬谷友子が赤い襦袢を着て座敷で人形振りだったか、何か歌舞伎もどきの動きをするシーンがあったが、カットされていた。あれは退屈だったので無い方が良いと思う。写楽と版元(?)の人が矢太郎(愛之助)について話しているシーンもなかった。紙製の風景と人形のシーンも減ったような気がする。

主な出演者全員のだんまりのシーンや、矢太郎が歩いているときの前後の面灯りを持った黒衣などはあった。監督の趣味が色濃く出た映画から、不必要なものを削ぎ落して、原作のストーリーがよく見える映画にした、という印象だ。

演出が変わったと思うところもあった。座敷を出ていく矢太郎に写楽が言葉をかけるシーンは2回ある。蓼科で見たとき、そのうちの1回は写楽の声が聞こえなかったように記憶している。今回は両方ともはっきり聞こえる。声をかけられた矢太郎の顔も、蓼科で見たような、下から仰った顔がなかった。あれは面白かったのだが。

映画は宮城野役の毬谷友子が中心だが、樹木希林がやっぱりとってもうまいと思った。愛之助は、最後にちょっと悪い男になって「俺はそんなに甘くねえんだ」と言ったりするところが私好みだった。

去年見たときの感想に「偽絵」と書いたが、「似せ絵」が正しいのかもしれない。矢太郎は写楽の絵を偽造して売っているわけではない。写楽の絵をトレースしていて、それを写楽が持って行くシーンがあった。去年は、矢太郎は似絵の腕は良いが自分の描く絵に魅力がなくて鬱屈している人間と勝手に解釈したが、再見して、その解釈に自信がなくなった。写楽はかつて素晴らしい絵を描いていたが今は才能が枯渇し、写楽の線を真似られる自分が描いた絵の方が、写楽の絵として優れたものが描ける、と思っていることはわかった。

雪の日に二八蕎麦を担いだ矢太郎が宮城野と出会うシーンは覚えていなくて今回印象に残った。宮城野は食べ物に飢えているはずなのに、蕎麦を食べている途中で箸を止めて矢太郎に話しかけているのがリアリティに欠けると思った。

上映が終わって観客が拍手をしているとき、スクリーンの後ろから毬谷友子が現れて「遅くまでありがとうございます。二日までここで上映していますのでお友達にも・・・」のような短い挨拶をした。