伝統芸能の今 ― 2009/09/28 18:07
2009年9月28日 紀尾井小ホール 午後3時開演 6列17番
昨日から今日にかけては亀治郎の追っかけをやった。
一、 能楽 一調 「土車」 亀井広忠、 大島輝久
大島の謡で始まり、途中から広忠の大鼓が入る。邦楽専門ホールと聞いた先入観も手伝ってか、大鼓の乾いた音が強い音も弱い音もはっきりと、不純物なく聞こえてくるような気がする。5分の短い曲だった。 この後の座談会での広忠の言葉によれば、この曲と、18時からの部で打つ予定の「女郎花」が葛野流で最も難しいといわれるものだという。一調は謡の人と二人きりで難しいので「若造はなかなかやらせてもらえない」そうだ。
二、 座談会
幕が開いたら羽織袴の三人兄弟と、グレーのスーツ姿の亀治郎が立っていて、亀治郎が挨拶を始めたので、こんなところでも自分が仕切ろうとするのかと驚いた。
この催しはKame Pro Clubと三響会倶楽部の合同企画公演なので、双方が自分たちのことを少ししゃべった。亀治郎は、自分は伝統の継承、洗い直し、復活をやりたいと話した。亀治郎の会は2002年に始めて7回目になる。三響会の番になって、広忠が「僕たち兄弟でできるものということで・・・・せっかく能と歌舞伎の血を受けてるわけだから・・・」ということで三響会を始めたと話した。三響会は傳次郎が二十歳のときに始めて十二回目になるそうだ。
「兄弟げんかしないんですか?」という亀治郎の問いに3人は、「最近はしないが、昔はした。三響会を始めた頃は能と歌舞伎の良いところを互いに主張し合って険悪になり、『三響会は今回限りだ』、と言ってやったりしたが、終わると、また次をやろうか、という気持ちになった」というような話をしていた。
傳左衛門は「僕たちの仕事は役者さんの演技に音をのせていくことで、その点が、それだけで独立して存在する邦楽とは違うところ」と言う。役者の癖を覚え、その日の体調も見て、合わせる。調子が悪そうなときは音で盛り上げたりもする。広忠によれば、能の世界のシテ方と囃子方も 同じだそうだ。
亀治郎が三響会で「竹生島」を踊ったとき、長唄以外に謡の人が並んでいて、「うぅうぅ」とうなってて、どこで舞い終ったらよいかわからなかった。
亀治郎は、「たとえば、芝翫さんが知っている芝居の数と僕たちが知っているのとでは数が全然違う。古典をやる人と新作をやる人と分けなければ間に合わないのではないか。僕は新作の開発・企画をやりたい」と言い、傳治郎が「企画部に入ります」と言った。
下の世代が育っている。亀治郎が「信二郎さん、今の錦之助さんの息子さんの隼人君も出てきたし」と言うと、傳左衛門が「そのうち、おもだかやのおじさんて呼ばれたりして」。 大鼓も、広忠の下の若手が16人いるそうだ。
三。越後獅子
亀治郎は10分の休憩の間に拵えをするの?と驚いていたが、素踊りだった。後ろを向くと首から肩にかけてほっそりしていて華奢。きのう、大阪で「かさね」を二回と「二人椀久」、「蝶の道行」、「梅川」を踊って、きょうは東京で越後獅子を踊る。手なれた感じで、布の扱いも巧みだ。踊りには文句ないが、顔がもう少しどうにかならないか。造作を言うのではなく、表情が野良犬のようで胡散臭い。
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