新潟県民会館 坂東玉三郎 コンサート 世界の旅 ― 2012/07/30 02:10
2012年7月29日 新潟県民会館 午後5時半開演 1階5列目下手
第1部
アラウンドザワールド
鹿児島のときのように、バイオリンの演奏にのって出てきて舞台中央まで歩き一礼してから、後ろに置いてあったマイクをとって歌いだした。
前半が終わって、「ずいぶん緊張もほぐれて、と思ったらもう千秋楽でございます」。そして、「あのアイルランドのまち~」と続く。きょうはとっても声がよく出ていると感じた。
ルート66
玉三郎によると、1950年代、玉三郎が子供の頃、ナットキングコールが人気だった。娘のナタリー・コールは、お父さんの音源とデュエットした曲も出した。お父さんは早死にだったので、大人になってから共演したかったんでしょう、と言う。その曲が出たのが、ちょうど玉三郎のロンドン公演の頃だったそうだ。
ルート66はナットキングコールが歌った曲で、玉三郎の訳詞。地名が次々に出てくるあたり、とても難しいと思うのだが、玉三郎は果敢に挑戦して、自分の世界を形成したのが凄い。
踊り明かそう、君住む街角
60年代、オリンピックの年に封切られたマイフェアレディ。シネマスコープの大画面で見た、という。
最後の「夜の明けるまで」の「まで」の高音を歌うとき、玉三郎は身体の前に左手を広げ、目も大きく見開いていた。
Someone to watch over me、ス・ワンダフル
どちらもガーシュインの作曲で、玉三郎の訳詞。
「王様と私」でアンナ先生の役をやったガートルード・ローレンスがスターになるまでを描いたミュージカル「ザ・スター」の中で、主役のジュリー・アンドリュースが歌った曲。玉三郎は、二十代はじめに聴いた。「まだろくに恋も知らない年齢だったのに、なぜかこの歌が気に入った」(その後、十分に恋を知ったということだなっ)
「ス・ワンダフル 」は、最初O Kay というミュージカルの中で歌われ、最近ではMy One and Only の中でトミー・チューンと、ツイッギーが歌って踊った。水の上のタップダンス。
追憶
同世代の歌手 バーブラ・ストライザンド、と玉三郎は言ったが、同世代というには向こうがちょっと年上すぎる。玉三郎の訳詞。バーブラ・ストライザンドは大歌手だが、芸術家として玉三郎に遜色があるわけではなく、堂々と歌い上げる。
玉三郎はいつも、ここで上着を脱ぐ。
恋のバカンス
アンコールで、自分が歌いそうもないものを、ということで考えていたら先日伊藤エミさんが亡くなった。ザピーナッツは「モスラ~」とか歌って、人気だった。「ザヒットパレード」という番組があり、その中で「魅惑の宵」や「スターダスト」を歌っていた。ああいう人たちはいるのが当たり前と思っていたが、今まで長く生きてきても、ああいうすばらしいコンビは出てこないことを考えると2人が素晴らしかったと思う。岩谷時子作詞、宮川泰作曲。岩谷さんは玉三郎に「(周りから)おまえ達は舶来の歌作ってるね、と言われてるのよ」と言っていたそうだ。伊藤ユミさんは存じ上げないのでお慰めすることもできませんが・・・。追悼というと暗くなるので、楽しい気持ちで歌いますと、最後に曲名を言った。
きょうもいっしょに口を動かした。
あいつが死んだ晩、つめたい部屋の世界地図、夏の終わりのハーモニー
盛り上がった後、しんみりとして、日本の歌が3曲続く。
自分の年になると仲間が死ぬこともある。役者は親の死に目に会えない、と言い聞かされて、この世界に入った。義理の父は見送ったが、実の両親は見送れなかった。自分が三十になった頃「君の瞳は百万ボルト(ママ)」というアルバムが出て、そのなかの「あいつが死んだ晩」が好きだった。
この、日本の歌のところが、歌手玉三郎を最も堪能できるが、特に「あいつが死んだ晩」はいつも素晴らしい。間奏で、バイオリンの演奏を聴きながら後ろ向きに立っている玉三郎の姿も美しい。今夜は歌い方に特に感情がこもっているような気がした。
第2部
白いスーツに白い靴。鹿児島のときと同じ靴だ。
セ・シ・ボン、明日月の上で、水に流して
岩谷時子は越路吹雪のマネージャーでありながら作詞家だった。宝塚の事務員をやっていたときに、18歳の越路が入学してきた。絶対スターになると思ったそうだ。越路が「愛の讃歌」を歌うことになって、訳詞をする人を探しているときに、「あの事務員が物を書く」ということで、訳詞することになった。されが作詞家になったはじめ。シャンソンはほとんど訳詞している。
越路は日生劇場で年に三ヶ月も興行をした大女優。舞台で良いコンディションを保つためにどうしていたか、岩谷さんにきいたら、「こうこうこう」といろいろ教えてくれたが、その中にスポーツのトレーナーに身体をケアしてもらうというのがあって自分もとりいれた。
「明日月の上で」のときだったか、一瞬、喉に痰がからんでいるんじゃないかと思った。その後、何もないように声が出ていたので、さすがに発声練習した人は違うと思った。この後のしゃべりのとき、横を向いて咳払いするような様子が見えたので、やはり少し喉の状態が悪かったのだと思う。
Wave
パリからブラジルに飛んで、ボサノバの曲が続く。
玉三郎は、ボサノバには海と波と夕陽がよく似合う、と言う。「ビバボサノバ」というドキュメンタリーの中で、歌唱法の話を知ったのだそうだ。若者達が海辺の安アパートで毎夜毎夜、自分達の歌を作ろうと練習している。周りの住人に煩いといわれたので、「いかした娘だよ」(と「イパネマの娘」を歌って見せて)のようにささやくような歌い方になった。自分はそうは歌いませんけど・・・と言う玉三郎。
ボサノバは本当は訳詞してはいけないそうだ。著作権に関係するのはいけないが、リサイタルでこっそりやるのはかまわないらしい。
Wave は、「あなたと渚でさまよい~ゆれてゆられて やがて永遠になる そして永遠になる」と、素敵な詞。
いそしぎ
エリザベステーラーが映画にした「いそしぎ」。今夜はボサノバの曲として歌う。
名曲だし、回を重ねるごとに玉三郎の歌の完成度が増している。
ワンノートサンバ~イパネマの娘
「ワンノートサンバ」の詞の中に、DoReMiFaSoLaSiDoという部分が2ヶ所あり、いつもは最初は「ドレミファソラスィド」、2回目は「ドレミファソラティド」と歌っていたが、きょうは両方とも「スィ」だった。「イパネマの娘」のところで演奏者の紹介。
アル・ディラ、ほほにかかる涙
自分がカンツォーネを歌うことになるとは思わなかった、という玉三郎。
きょうはいつもより声を張っているように感じた。特に「アル・ディラ」を歌っているときの声は、知らなかったら誰だかわからないだろう。
ムーンライト・セレナーデ
玉三郎は「セレナード」と言っていたが、「ムーンライトセレネイド」と英語風に歌っているからだろう。私も、時々混同するからわかる。
一度、引っ込んでから客席の拍手に応えて戻ってきた。
What a Wonderful World。
「そして死ぬだろう」という歌詞が心にしみる。
LOVE
きょうはどうかな、と思ったが演奏が始まると前の方から立ち上がり始めたので、待ってましたとばかりに私も立った。全員スタンディングで手拍子。きょうはちょっと身体も動かしてみた。
盛り上がった客席に応えて、きょうは最後の方を2回歌った。玉三郎は上手中央下手にお辞儀をして感謝の気持ちを表した後、下手に消えた。
楽しかった。玉三郎の歌、左手の動き、マイクコードの扱い、後姿、その他すべてを堪能した。玉三郎の訳詞の中では、「アラウンドザワールド」と「Someone to watch over me」が特に気に入った。鼻歌で歌いそう。「あいつが死んだ晩」、「つめたい部屋の世界地図」はこのコンサートで知った曲だが、大好きになった。
次はいつ歌ってくれるんだろう。
第1部
アラウンドザワールド
鹿児島のときのように、バイオリンの演奏にのって出てきて舞台中央まで歩き一礼してから、後ろに置いてあったマイクをとって歌いだした。
前半が終わって、「ずいぶん緊張もほぐれて、と思ったらもう千秋楽でございます」。そして、「あのアイルランドのまち~」と続く。きょうはとっても声がよく出ていると感じた。
ルート66
玉三郎によると、1950年代、玉三郎が子供の頃、ナットキングコールが人気だった。娘のナタリー・コールは、お父さんの音源とデュエットした曲も出した。お父さんは早死にだったので、大人になってから共演したかったんでしょう、と言う。その曲が出たのが、ちょうど玉三郎のロンドン公演の頃だったそうだ。
ルート66はナットキングコールが歌った曲で、玉三郎の訳詞。地名が次々に出てくるあたり、とても難しいと思うのだが、玉三郎は果敢に挑戦して、自分の世界を形成したのが凄い。
踊り明かそう、君住む街角
60年代、オリンピックの年に封切られたマイフェアレディ。シネマスコープの大画面で見た、という。
最後の「夜の明けるまで」の「まで」の高音を歌うとき、玉三郎は身体の前に左手を広げ、目も大きく見開いていた。
Someone to watch over me、ス・ワンダフル
どちらもガーシュインの作曲で、玉三郎の訳詞。
「王様と私」でアンナ先生の役をやったガートルード・ローレンスがスターになるまでを描いたミュージカル「ザ・スター」の中で、主役のジュリー・アンドリュースが歌った曲。玉三郎は、二十代はじめに聴いた。「まだろくに恋も知らない年齢だったのに、なぜかこの歌が気に入った」(その後、十分に恋を知ったということだなっ)
「ス・ワンダフル 」は、最初O Kay というミュージカルの中で歌われ、最近ではMy One and Only の中でトミー・チューンと、ツイッギーが歌って踊った。水の上のタップダンス。
追憶
同世代の歌手 バーブラ・ストライザンド、と玉三郎は言ったが、同世代というには向こうがちょっと年上すぎる。玉三郎の訳詞。バーブラ・ストライザンドは大歌手だが、芸術家として玉三郎に遜色があるわけではなく、堂々と歌い上げる。
玉三郎はいつも、ここで上着を脱ぐ。
恋のバカンス
アンコールで、自分が歌いそうもないものを、ということで考えていたら先日伊藤エミさんが亡くなった。ザピーナッツは「モスラ~」とか歌って、人気だった。「ザヒットパレード」という番組があり、その中で「魅惑の宵」や「スターダスト」を歌っていた。ああいう人たちはいるのが当たり前と思っていたが、今まで長く生きてきても、ああいうすばらしいコンビは出てこないことを考えると2人が素晴らしかったと思う。岩谷時子作詞、宮川泰作曲。岩谷さんは玉三郎に「(周りから)おまえ達は舶来の歌作ってるね、と言われてるのよ」と言っていたそうだ。伊藤ユミさんは存じ上げないのでお慰めすることもできませんが・・・。追悼というと暗くなるので、楽しい気持ちで歌いますと、最後に曲名を言った。
きょうもいっしょに口を動かした。
あいつが死んだ晩、つめたい部屋の世界地図、夏の終わりのハーモニー
盛り上がった後、しんみりとして、日本の歌が3曲続く。
自分の年になると仲間が死ぬこともある。役者は親の死に目に会えない、と言い聞かされて、この世界に入った。義理の父は見送ったが、実の両親は見送れなかった。自分が三十になった頃「君の瞳は百万ボルト(ママ)」というアルバムが出て、そのなかの「あいつが死んだ晩」が好きだった。
この、日本の歌のところが、歌手玉三郎を最も堪能できるが、特に「あいつが死んだ晩」はいつも素晴らしい。間奏で、バイオリンの演奏を聴きながら後ろ向きに立っている玉三郎の姿も美しい。今夜は歌い方に特に感情がこもっているような気がした。
第2部
白いスーツに白い靴。鹿児島のときと同じ靴だ。
セ・シ・ボン、明日月の上で、水に流して
岩谷時子は越路吹雪のマネージャーでありながら作詞家だった。宝塚の事務員をやっていたときに、18歳の越路が入学してきた。絶対スターになると思ったそうだ。越路が「愛の讃歌」を歌うことになって、訳詞をする人を探しているときに、「あの事務員が物を書く」ということで、訳詞することになった。されが作詞家になったはじめ。シャンソンはほとんど訳詞している。
越路は日生劇場で年に三ヶ月も興行をした大女優。舞台で良いコンディションを保つためにどうしていたか、岩谷さんにきいたら、「こうこうこう」といろいろ教えてくれたが、その中にスポーツのトレーナーに身体をケアしてもらうというのがあって自分もとりいれた。
「明日月の上で」のときだったか、一瞬、喉に痰がからんでいるんじゃないかと思った。その後、何もないように声が出ていたので、さすがに発声練習した人は違うと思った。この後のしゃべりのとき、横を向いて咳払いするような様子が見えたので、やはり少し喉の状態が悪かったのだと思う。
Wave
パリからブラジルに飛んで、ボサノバの曲が続く。
玉三郎は、ボサノバには海と波と夕陽がよく似合う、と言う。「ビバボサノバ」というドキュメンタリーの中で、歌唱法の話を知ったのだそうだ。若者達が海辺の安アパートで毎夜毎夜、自分達の歌を作ろうと練習している。周りの住人に煩いといわれたので、「いかした娘だよ」(と「イパネマの娘」を歌って見せて)のようにささやくような歌い方になった。自分はそうは歌いませんけど・・・と言う玉三郎。
ボサノバは本当は訳詞してはいけないそうだ。著作権に関係するのはいけないが、リサイタルでこっそりやるのはかまわないらしい。
Wave は、「あなたと渚でさまよい~ゆれてゆられて やがて永遠になる そして永遠になる」と、素敵な詞。
いそしぎ
エリザベステーラーが映画にした「いそしぎ」。今夜はボサノバの曲として歌う。
名曲だし、回を重ねるごとに玉三郎の歌の完成度が増している。
ワンノートサンバ~イパネマの娘
「ワンノートサンバ」の詞の中に、DoReMiFaSoLaSiDoという部分が2ヶ所あり、いつもは最初は「ドレミファソラスィド」、2回目は「ドレミファソラティド」と歌っていたが、きょうは両方とも「スィ」だった。「イパネマの娘」のところで演奏者の紹介。
アル・ディラ、ほほにかかる涙
自分がカンツォーネを歌うことになるとは思わなかった、という玉三郎。
きょうはいつもより声を張っているように感じた。特に「アル・ディラ」を歌っているときの声は、知らなかったら誰だかわからないだろう。
ムーンライト・セレナーデ
玉三郎は「セレナード」と言っていたが、「ムーンライトセレネイド」と英語風に歌っているからだろう。私も、時々混同するからわかる。
一度、引っ込んでから客席の拍手に応えて戻ってきた。
What a Wonderful World。
「そして死ぬだろう」という歌詞が心にしみる。
LOVE
きょうはどうかな、と思ったが演奏が始まると前の方から立ち上がり始めたので、待ってましたとばかりに私も立った。全員スタンディングで手拍子。きょうはちょっと身体も動かしてみた。
盛り上がった客席に応えて、きょうは最後の方を2回歌った。玉三郎は上手中央下手にお辞儀をして感謝の気持ちを表した後、下手に消えた。
楽しかった。玉三郎の歌、左手の動き、マイクコードの扱い、後姿、その他すべてを堪能した。玉三郎の訳詞の中では、「アラウンドザワールド」と「Someone to watch over me」が特に気に入った。鼻歌で歌いそう。「あいつが死んだ晩」、「つめたい部屋の世界地図」はこのコンサートで知った曲だが、大好きになった。
次はいつ歌ってくれるんだろう。
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