越路吹雪物語2006/03/21 01:10

3/20(月)日生劇場 夜の部(開演6時半)

舞台の出来そのものは垢抜けなくてやや低レベルだと思うが個人的にはいろんな意味で楽しめた。

越路吹雪の舞台を見たことはない。テレビで見るかぎり凄さはわからなかった。しかし舞台とテレビの違いを知る今になって考えると、舞台上でオーラを出す人だったのだろうと推測できる。

越路吹雪は私の母と同年代で、ピーターは私と同学年なので、子どもの世代が親の世代を演じているということだ。個人的には主演のピーターや岩谷時子役の高畑淳子が着て出てくるようなものを母も着ていたのか、と思いながら見ていた。脇役のダンサーたちは私の娘の年代なのだろう。ピーターと 同じか、それ以上の身長がありスタイルが良い。裾の広がったスカートも当時の日本人はチビで似合わなかったろうが、彼女達にはよく似合う。

私が生まれた年に着ていた、あの毛皮のコート。あんなものがあの時代の日本にあったのか?もしパリで買ってきたのだとしたら、1ドル360円の時代に、一体いくらしたものだろう。

ピーターには越路吹雪が持っていたであろうカリスマ性を感じない。そのせいか形態模写以上には越路吹雪を感じなかった。実物を知らないせいか、岩谷時子役の高畑淳子の方はこんな人だったんだろうな、と思った。黛敏郎もテレビで見たことがあるので、違和感があった。

越路吹雪についてはあまり詳しくないので話の内容はほとんど耳新しいものだが、一番の驚きは「ええーっ、マイク真木のお父さんて、越路吹雪の恋人だったのおーっ?」ってこと。ピーターも草刈正雄も私と同学年なので、その二人が恋人役なのはおいしい。キスもしてほしかった。

その恋人が主たる登場人物の一人であるのに、夫の内藤法美は名前しか出てこない。結婚する、というシーンの後、越路の死後の病室に一気にとぷ。 芝居の幕がしまった後、ピーターの越路吹雪としてのショーが始まる。はじめはかつてのものまね歌合戦を思い出したが、ピーターは歌はうまくないが(「夜と朝の間に」は好きだが)ハラで見せる。悪くなかった。途中で、「コーちゃん!」とかかる掛け声は舞台効果を考えて劇場側が仕組んだものかと思ったが、終演後、「昔を思い出して涙が出ちゃった」と話しているのを聞いて思わずもらい泣きしそうになり、掛け声はきっと往年のファンのものなのだろうと思った。自分の親の年代なので、越路吹雪が死んだ当時はそんなに早死にとも思わなかったのだが、今の玉三郎と同じくらいの年齢だったと考えるとファンの未練はいかばかりかと同情する。この公演は絶対見ない、という越路ファンがいるだろう。それはもちろんわかる。そして、フェイクとわかっていても「コーちゃん!」ともう一度叫んでみたいファンの気持ちもわかる。

岩谷時子作詞の「愛の讃歌」はオリジナルのフランス語の歌詞とは全然違うという批判を聞いたことがあるが、今回あらためてきいてみて、素直で女受けする良い歌詞だと思った。岩谷時子は私の中では越路吹雪より大物で、作詞家として独立して認識しているので、二人が親しい関係なのは知っていたが宝塚時代から続いていた関係だとは知らなかった。

歌舞伎座 昼の部2006/03/21 22:31

三月大歌舞伎 歌舞伎座 二十一日 昼の部 1階8列5番

11時開演なのに起きたら11時20分だった、という悪夢から目覚めて行った歌舞伎座。

1 吉例寿曽我

つまらなかった。休日の昼前に起きるのが苦手の私は昼の部の最初の演目は見ないことが多い。今回は愛之助が出るから例外的に起きて行ったのだが、見所がわからなかった。愛之助の方も、しどころがわからないのではないか。とくに盛り上がりもない立ち回りだ。化粧した顔は仁左衛門に似すぎている。役によってはそれもいいが、あの役であの顔では仁左衛門ファンとしてとまどう。化粧してもどうしようもない箇所が似ているからこそあそこまで似るのだろうが、本人オリジナルの顔が十分ハンサムなので、今日のような役は自分の顔を生かす化粧をした方がいい。相手役の進之介は金太郎のようで、ずっと好もしい顔だった。

2 吉野山

福助の静、幸四郎の忠信。逸見藤太は東蔵。

玉三郎と猿之助のときは綺麗だった、と思いながら見た。

逸見藤太が「荒川静香はイナバウアー」とやった。先月の千秋楽の「小判一両」以来、歌舞伎公演ではイナバウアーが大流行らしい。歌舞伎を知っている人間は皆、イナバウアーを見てエビゾリを思い出したろうから、無理もない。

3 道明寺

本日のお目当ての演目だ。前回見たときは、菅しょうじょうの木像の役は、仁左衛門の美貌が生きると思った。

最後の花道のひっこみのときにほほに流れている涙が見える。どうかすると鼻水まで見えそうな泣き顔だったのだが、その気持ちがあまりこちらに伝わってこなかった。ストーリーもよく理解していないし、役者の動きにしか感動しない人間なのかもしれない。

結局、今回は仁左衛門の美しさを楽しむことにした。花道に近い席にすわってときは、いつも顔を見上げて、その美しさに感動する。