4月大歌舞伎 歌舞伎座 昼の部2006/04/02 21:37

1階10列5番

「狐と笛吹き」 かつて命を助けた子狐(福助)が、亡妻そっくりになって笛吹き(梅玉)の前に現れ、いっしょに暮らすようになる。

新歌舞伎で、音楽も録音したものを使うので驚いた。話はわかりやすく、恋物語で濡場もあるので楽しめる。仁左衛門と玉三郎で見たい。福助は色っぽくてよかったと思う。相手役がもっと恋情を感じさせてくれる人だと恋物語としてもっと感動できたのではないかと思う。

「高尾」 雀右衛門の舞踊。うちの父親より年上だと思うと立って動いているだけで驚異的。

「孤城落月」 淀殿役は芝かん。芝かんはもっと現実的な役だと良いのだが、この役では狂気が感じられなくてつまらなかった。松竹座で見た藤十郎の淀殿の方がかつて権力者を虜にした美人が年とって狂ったような趣があったし、淀君の性格自体が元々エキセントリックなんだろうという感じがした。

裸武者はせめて13~33歳くらいの、裸に価値がある年齢の男でお願いしたい。

「関八州繋馬」 仁左衛門が良門の役で出るので、昼の部はこれを見るために行った。しかし良門はなかなか現れず、あの幕が引き落とされたら後ろにいるだろうとか、揚幕の開く音がしたから出てきただろうとかいう期待はことごとく裏切られ、最後10分くらいになってやっと舞台中央にせりあがってきた。それも隈取した顔なのでいつもと違うし、衣装も似合わず、あれなら愛之助がかわりに座っていてもわからないだろう。衣装のせいか立ち上がっても背が低く見える。昼の部の最後に舞台の中央にいる人というだけの理由で呼ばれたような気がする。

追善演目で中に玉太郎の襲名披露もあるので仁左衛門に限らず良い役者がちょっとした役で出ているので、それぞれのファンはみんな不満だろう。

久しぶりに松緑を見た。花道で「よろずや!」という掛け声がかかったが、あの横顔とやや舌ったらずなしゃべり方は松緑と確信した。やっぱり踊りはうまいような気がした。

松竹座遠征前日2006/04/08 23:11

明日、大阪に行って松竹座で浪花花形歌舞伎の第三部を見、一泊して月曜に第一部を見て帰ってくる予定。

きょうは美容院を予約してある以外は予定がなかったのだが、昨日中に仕事が片付かなかったので、きょう10時半から2時半まで出社した。郵便物の再配達をその時間に家で受けとるつもりだったので、ドアの上に郵便屋さん宛てのメッセージを貼り付けて一階の親のところで預かってもらった。台湾の友達が「太陽餅」というパイのようなお菓子を送ってくれたのだ。

美容院へ行く前にクリーニング屋へ行き、注文したコンタクトレンズを受け取り、美容院の後コンビニで会社から出しそびれた宅急便を送った。

月曜の8時半頃東京に戻る予定だが、その足で出社して少し仕事をし、火曜日の午前中は休む予定。

浪花花形歌舞伎2006/04/09 23:00

浪花花形歌舞伎 2006.04.09 午後7時開演 第三部 一階一列五番

「浪花騒擾記 大塩平八郎」

「大塩平八郎の乱」というのはその名前しか知らない自分が、この芝居を見たらいささかでも内容についての知識を得られるかもしれない、と期待した。それについては幕開けのシーンでの不景気そうな様子、「米不足なのに幕府は大阪の米を買い上げて江戸に送る」という大塩の台詞程度しか知識は加わらなかった。そのかわり、台詞の内容として難しいものはなく、後で考えるといろいろ批判は出るが見ている間は楽しかった。

この話は歴史ものというより、腐女子向けの男の友情ものである。最初の幕が閉まるとき、平八郎(翫雀)と兵衛(愛之助)が「いつまでも変わらないでいてくれよ」と言って手を握り合う。平八郎の夢に出てくる兵衛、兵衛が平八郎に本心を打ち明けるように迫るシーンでの「お前に討たれたら本望だ。」という台詞、「お前と俺はあの二本の桜だ。その根はからみあって離れられない」という台詞、最後にまた「俺の心の中にはいつも一人の男がいる。」「二本の桜は枯れてしまったが、その根はからみあって血の中に深く沈んでいる。」という台詞。二人が別れる前に寄り添ったシーンでは、兵衛が片袖を引きちぎって平八郎に渡すのではないかとワクワクしてしまった。

役者は進之介以外はみんなうまかった。上村吉弥は女形が専門だがこの演目では中間の役。しかし、女形が立役をやるときの顔のような違和感がなく、目元涼しく色っぽく、鼻から下は写真で見るより肉眼で見るほうがはっきりわかる整った顔立ち。どこかで見た記憶がある顔。先代の権十郎?二代目鴈治郎の目元? 愛之助よりイケメンだと思った。どうしてこの人を女形にしたんだ? 立役の顔がいい人は立役で楽しもうよ。

亀鶴も顔はおもしろいが演技はうまい。平八郎の息子格之助役の進之介は、素っ頓狂な風情で出てきて台詞を言うので、ばか息子という設定なら名演技だが、そういうことはない。平八郎達が幕府軍と戦っているとき、中間役の亀鶴が格之助を守るためにわざと気絶させ、自分が格之助と名乗って戦うが、もっと早く気絶させておけばよかったのにと思った。

兵衛の娘役の孝太郎については特に感想はない。まあ、普通の出来。

愛之助はうまいと思った。今回は愛之助の追っかけで大阪まで行ったので、主役ではないと思っていたこの演目でも実質二人主役のうちの一人だったので嬉しかった。最後に、出家した翫雀が花道を引っ込み、翫雀の見る大阪の町の幻影が舞台上のシーンとなり、愛之助が舞台上段中央にいて幕となる。 愛之助は声の使い方がいい。新作なので別に誰に教わったというわけでもないのにちゃんと歌舞伎の台詞にしている。

今回は最前列、花道のすぐ横の席だったので、吉弥さんの顔も3メートル以内くらいの近さで仰ぎ見ることができたし、愛之助の骨太な手の血管まで見えた。

浪花花形歌舞伎 その22006/04/10 23:12

2006年4月10日 第一部 正午開演 一階4列15番

「伊勢音頭恋寝刃」

大阪に来た一番の目的がこれを見ること。20年近く前、はじめて大阪に来たのは孝夫の貢を中座で見るためだった。そのうち海老蔵の追っかけをするかもしれないとは予想していたが、愛之助の追っかけで大阪に来るなんて三ヶ月前には予想もしなかった。去年の6月に染五郎と孝太郎の忠兵衛・梅川を見たときはあのコンビを応援したいと思ったのに、仁左衛門に似た愛之助を見た後はどうでもよくなった。

最初は宿屋の場。 花道から駕籠が出て来て、そこから貢役の愛之助が降りてくる。貢はしばらくしないと出てこないと思っていたので意外。そして、しょっぱなから愛之助が見られて嬉しい。第三部とは違ってきょうは仁左衛門の顔をしている。藤浪左膳役の進之介とのやり取りが始まる。進之介は昨夜とは違ってまともに台詞を言っている。口から息が漏れてる感じもあるが、これは十三代目さんにもそんなところがあったような気がする。中座で見たときに十三代目と孝夫のこの役を見たのかどうか記憶がない。今回の二人は、ビジュアル的には前回の二人に近いのかもしれない。

野道追っかけの場、地蔵前の場。 これは何度か見た記憶がある。コミカルな場面で、客先から笑い声が起こる。さすがに大阪は喜劇に対する反応がいい。

貢が提灯を下げて万次郎の前を歩いてきたのは伊勢二見ヶ浦の場のはじめだったのだろうか。愛之助のやや俯き加減の横顔が仁左衛門にそっくりで見とれてしまった。舞台近くでしゃべりはじめたときは思わず「ああ、声は仁左衛門の吹き替えでお願い」と思ってしまった。許せ、愛之助。最後に密書を読むところで、折り重なった大蔵(松之助)と丈四郎(橘三郎)を椅子のようにするが、背の低い愛之助の腰がこの二人の上に出るのかと少し気になったが、大丈夫だったようだ。

そして、油屋の場。ここでは顔よりもビデオで見た孝夫の貢とどう違うかが気になった。全体的に言うと、愛之助の貢の方が短気そうに見えた。たとえば、万野が「一文にもならんお客の相手するのは~」と言った後、「貢さん、気にしなや」と言うが、孝夫の貢は無表情に勘定を隠しているように見えるが、愛之助は無表情でもムカついているように見える。上村吉弥の万野は、たぶんうまかったと思う。ただ昨夜の立役を見た後なので女形でもったいないという思いが頭を支配してしまっていた。翫雀のお鹿は福笑いのような顔。ビデオで見た田之助のお鹿は懐紙を丸めて貢にほおっていたが、今回のお鹿をこれはやらなかった。貢とお紺が話をしているときに反対側を向いて座っている横顔はけっこう可愛かった。お紺の孝太郎は貢と恋人には見えない。怖い奥さんと恐妻家の貢、という風情だった。

貢がいじめられるのを見て楽しむ芝居なのだが、今回それがそんなにゾクゾクしなかった。貢のいい男度の違いかな。顔がスタイルが、というより、孝夫の、あのふんわりした品の良さが愛之助にはなく、「緩衝材」が入ってないという感じがする。油屋の場意向、何かズーッと怒りっぱなしのように見える。 声を張る台詞のときは良いのだが、何もしてないときの細かい表情みたいなものが孝夫と違う。違って当たり前か。別のブログで読んだ、「一つ一つの場面がバラバラな感じ」というのは、そういう細かい表情が作りこまれてないからかもしれない。たとえば、お鹿の話をきいている間、愛之助の貢は無表情に何もしてないように見える瞬間があった。でも孝夫のビデオを見直すと、あそこはお鹿が自分には覚えのないことを言うのでキョトンとして聞いている。その「キョトン」の表情が愛之助から読み取れなかった。

愛之助は全体として何も危なげなく貢をやり遂げたと思う。新之助の弁慶を浅草で見たときのように心の中で「ガンバレガンバレ」と応援したりする必要もなかった。

歌舞伎座 四月大歌舞伎 夜の部2006/04/16 23:17

2006年4月16日(日) 午後四時半 開演 一階7列37番

「井伊大老」

たぶん桜田門外の変の前日の話。井伊大老(吉右衛門)は娘の命日なので母である側室お静(魁春)の家を訪れる。線香をあげる井伊の背中にうるっとするのは吉右衛門の演技力が原因ではなくただ娘をなくした父親が気の毒だと思うからだろう。雛飾りが美しく、もっと近くの席で見たかった。

お静は「かわいい女」という設定だが、一人娘を亡くした後でもあいかわらず正室に対して嫉妬してる女は男からはかわいいのかもしれないが女から見ると共感できない。

「口上」

歌右衛門追善の口上。菊五郎の、「『音羽屋』と言われたのでまた何か叱られるのかと思ったら、『という風に大向こうがかかるようにやるんだよ』と言われた」という声色をまじえた口上が粋だった。

「時雨西行」

感想なし。わからなかった。

「伊勢音頭恋寝刃」

浪花花形とは違い「油屋」「奥庭」の場だけ。 お岸の勘太郎は女形の声が優しく、姿が綺麗だ。特に後姿が綺麗。万野の福助は、声がしただけで近くの席にいた人が笑った。かなり老けた作りで、声もかなり年配の女風にしていたが、いつもの福助の年齢のままで十分な役なのではないかと疑問に思う。不思議なことに、台詞の内容を考えずただ貢と万野を見ていると、貢が万野の話を「ふんふん」と聞いてやっているようにも見える。役者の実際の姿が反映してしまっているのか。福助の万野は下品だ何だと批判はあるが、そんなにひどいとは思わない。まあおもしろいし、つまらないと感じさせる人よりは批判はあってもいろいろやって見せてくれる人の方が将来性があるのではないかとも思う。

お鹿の東蔵は、浪花花形のときの翫雀ように顔を作っていなくて、むしろ自分の素顔で勝負しているようだった。懐紙を丸めてポーン、はやらなかった。お紺の時蔵は何しろ綺麗。出てきたときの台詞「貢さん、きつーう、派手なことなあ」の「きつーう」を浪花の孝太郎は言わなかったが時蔵は言っていた。浪花のときは席が中央でお紺の表情はあまり見えなかったが、今回は上手の端の方の席だったので貢がお鹿やお紺とやり取りしている間、お紺の表情をずっと見ることができた。油屋でナンバーワンの女郎お紺で貢の恋人、であることが十分納得できる美貌。話の内容に応じて表情も微妙に曇る。

仁左衛門は、いつもの貢、という感じ。そっくりさんの愛之助を見た後なので、ああ、これが本物なんだと思いながら見た。話自体が特に好きではないので、仁左衛門が出るからと言って感動するわけではない。

醍醐寺薪歌舞伎 2006.04.292006/04/30 22:24

16列15番

もし雨が降ったら5月1日に順延ということで、そうなると交通費が二倍になるとひたすら雨が降らないことを祈った。天気予報では京都は曇り。それでも京都についてから帰りの切符を買うことにして東京を発つ。京都に着いても雨は降っていなかったので終演後に余裕で帰れる寝台急行銀河の切符を買った。

醍醐寺の門から会場の金堂前までの様子は http://www.ne.jp/asahi/okumura/callenreese/yoshida/daigoji.html でご覧ください。

「散華」

番付によると「仏様を供養するために花を撒く作法」だそうだ。舞台の上から通路に降りてきたお坊さん達が竹製の皿に入れた「華」を巻く。通路際の席だったので拾うことができた。番付の中にも写真があるが、蓮の花びらの形をした、本のしおり程度の厚さの紙で表には「平成十八年四月 醍醐寺薪歌舞伎」という文字と金堂の写真、裏には「総本山 醍醐寺」という文字が印刷してある。

「口上」 中村富十郎

重源上人の名前が歌舞伎に出てくるのは勧進帳の中だけ、ということで勧進帳の読み上げをやった。これがこの日の公演の中の最高の芸だった。

「重源上人由来鑑」 橋之助、孝太郎、愛之助

重源上人(橋之助)と天女の姫(孝太郎)が幼馴染の恋人で、そこに遠藤盛遠が横恋慕し、最後には全員が出家する話。新作舞踊ということなのでほとんど所作事なのかと思ったがそれはごく一部だった。自分としては愛之助の踊りがもっと見たかった。橋之助と孝太郎が金堂の向かって左側の出入り口から出てきたので愛之助も同じところから出てくるのを予想して注視していたが、案に相違して右側から出てきた。席が舞台から遠いので顔はよく見えなかった。

「火入れの儀」

暗くなってきて、舞台左右の薪に火が入れられた。二人の僧侶が左右で腕を回して火をつけたが、この辺は去年の比叡山薪歌舞伎の方が儀式的だった。

「声明」

舞台上に三十人くらい(?)の僧侶が一列に座り、リードをとる人に続いてお経を唱える。声明というのはもう少し美しいイメージがあったのだが、今回はあまり感動しなかった。

「舟弁慶」

休憩の間に雨粒がポツポツと落ちてきて、これは危ないかも、と思ったが橋之助の弁慶が席に着くあたりで本降りになり、ほとんどの観客が各席に配布されていたポンチョを着込む。孝太郎の義経、富十郎の静が舞台上にそろって義経の盃に酒が注がれているときにライトがだんだん暗くなって、場内アナウンスが中断を告げた。事前にすごく寒いときいていたのでセーターの重ね着の上に冬のコート、タイツにソックスという格好で出かけたし、配布されたひざ掛けもあったので寒くはなかったが、まだ愛之助が出る前でもあったのでいつ再開するか待ち遠しかった。舞台上では最初スタッフが敷物を取り替えたりしているようだったが、しばらくは誰も舞台上にいなくてただ再開を待っている状態が続いた。30分くらい経ったら雨がやみ、再開の準備をする旨のアナウンスがあり、またスタッフが出てきて舞台の上の濡れた敷物を取り、モップで舞台上の水分をふき取っていた。

暗い中、役者達が中断前と同じポジションにつくのが見えた。やがて舟長役の愛之助が出てきた。仁左衛門がやや滑稽な役をやるときの顔。声は高め。愛之助の踊りを初めて見たが、もっとうまいのかと思っていた。「波よ波よ」と言いながら漕ぐしぐさはうまい。この役は他の主要な三人とは独立にポイントとして、ある意味居眠りよけに出てくるような感じで、仁左衛門のような存在感のある役者があると冴えるのだろうと思った。愛之助はその意味ではまだちょっと弱いかもしれない。

帰りは会場入り口に待っていたバスで地下鉄醍醐駅へ。そこから山科へ。地下鉄に乗るとき、同じひざ掛けを抱えていた外人と「同志!」の微笑みをかわしてしまった。

寝台車で帰宅したのが朝の7時半頃。前日出たのが午前11時頃だったので、ほんのさっき出た場所にまた戻ってきた感じ。部屋に入ったらログオフに失敗したPCの電源が入ったままだった。