醍醐寺薪歌舞伎 2006.04.292006/04/30 22:24

16列15番

もし雨が降ったら5月1日に順延ということで、そうなると交通費が二倍になるとひたすら雨が降らないことを祈った。天気予報では京都は曇り。それでも京都についてから帰りの切符を買うことにして東京を発つ。京都に着いても雨は降っていなかったので終演後に余裕で帰れる寝台急行銀河の切符を買った。

醍醐寺の門から会場の金堂前までの様子は http://www.ne.jp/asahi/okumura/callenreese/yoshida/daigoji.html でご覧ください。

「散華」

番付によると「仏様を供養するために花を撒く作法」だそうだ。舞台の上から通路に降りてきたお坊さん達が竹製の皿に入れた「華」を巻く。通路際の席だったので拾うことができた。番付の中にも写真があるが、蓮の花びらの形をした、本のしおり程度の厚さの紙で表には「平成十八年四月 醍醐寺薪歌舞伎」という文字と金堂の写真、裏には「総本山 醍醐寺」という文字が印刷してある。

「口上」 中村富十郎

重源上人の名前が歌舞伎に出てくるのは勧進帳の中だけ、ということで勧進帳の読み上げをやった。これがこの日の公演の中の最高の芸だった。

「重源上人由来鑑」 橋之助、孝太郎、愛之助

重源上人(橋之助)と天女の姫(孝太郎)が幼馴染の恋人で、そこに遠藤盛遠が横恋慕し、最後には全員が出家する話。新作舞踊ということなのでほとんど所作事なのかと思ったがそれはごく一部だった。自分としては愛之助の踊りがもっと見たかった。橋之助と孝太郎が金堂の向かって左側の出入り口から出てきたので愛之助も同じところから出てくるのを予想して注視していたが、案に相違して右側から出てきた。席が舞台から遠いので顔はよく見えなかった。

「火入れの儀」

暗くなってきて、舞台左右の薪に火が入れられた。二人の僧侶が左右で腕を回して火をつけたが、この辺は去年の比叡山薪歌舞伎の方が儀式的だった。

「声明」

舞台上に三十人くらい(?)の僧侶が一列に座り、リードをとる人に続いてお経を唱える。声明というのはもう少し美しいイメージがあったのだが、今回はあまり感動しなかった。

「舟弁慶」

休憩の間に雨粒がポツポツと落ちてきて、これは危ないかも、と思ったが橋之助の弁慶が席に着くあたりで本降りになり、ほとんどの観客が各席に配布されていたポンチョを着込む。孝太郎の義経、富十郎の静が舞台上にそろって義経の盃に酒が注がれているときにライトがだんだん暗くなって、場内アナウンスが中断を告げた。事前にすごく寒いときいていたのでセーターの重ね着の上に冬のコート、タイツにソックスという格好で出かけたし、配布されたひざ掛けもあったので寒くはなかったが、まだ愛之助が出る前でもあったのでいつ再開するか待ち遠しかった。舞台上では最初スタッフが敷物を取り替えたりしているようだったが、しばらくは誰も舞台上にいなくてただ再開を待っている状態が続いた。30分くらい経ったら雨がやみ、再開の準備をする旨のアナウンスがあり、またスタッフが出てきて舞台の上の濡れた敷物を取り、モップで舞台上の水分をふき取っていた。

暗い中、役者達が中断前と同じポジションにつくのが見えた。やがて舟長役の愛之助が出てきた。仁左衛門がやや滑稽な役をやるときの顔。声は高め。愛之助の踊りを初めて見たが、もっとうまいのかと思っていた。「波よ波よ」と言いながら漕ぐしぐさはうまい。この役は他の主要な三人とは独立にポイントとして、ある意味居眠りよけに出てくるような感じで、仁左衛門のような存在感のある役者があると冴えるのだろうと思った。愛之助はその意味ではまだちょっと弱いかもしれない。

帰りは会場入り口に待っていたバスで地下鉄醍醐駅へ。そこから山科へ。地下鉄に乗るとき、同じひざ掛けを抱えていた外人と「同志!」の微笑みをかわしてしまった。

寝台車で帰宅したのが朝の7時半頃。前日出たのが午前11時頃だったので、ほんのさっき出た場所にまた戻ってきた感じ。部屋に入ったらログオフに失敗したPCの電源が入ったままだった。

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