松竹座七月大歌舞伎 昼の部2007/07/19 00:17

2007年7月18日 午前11時開演 1階5列5番

「鳴神」

代役の愛之助は鳴神上人の役をよくやっていたと思う。素人目には技術的には何も問題ないように見えた。最初、高潔な上人でいる間は文句なし。雲絶間姫の色仕掛けで落とされるあたりで、愛之助がこの役をやるにあたって足りないのは「若い男」らしさかもしれないと思った。

私の鳴神は団十郎が基準なせいか、愛之助には珍しく台詞回しで団十郎を思い出した。最後の引っ込みの後姿に「夏祭浪花鑑」を思い出した。

孝太郎は全体的にうまい。美人ではない絶間姫だが、上人を落とすまでは芝居自体が面白いので不美人がやっても面白い。ただ、上人に酒を勧めるところが怖くなりすぎて玉の井のようで、玉三郎ならあれでもかまわないが孝太郎の顔であれをやったら鳴神が心変わりするだろう。 最後に注連縄を切って花道から引っ込むあたりは動きだけなので、玉三郎の見せ場だが孝太郎のはあまり見たくない。

きょうの席は雲絶間姫が花道に出てきて座っているときの後見さんのすぐ横で、衣装の柄や顔の凹凸まで、こんぴらの時のようによく見えた。鳴神上人の六方のひっこみもよく見えて、喜ぶべきなのだが、海老蔵がここで見られたはずなのにと思うと悔しかった。

[橋弁慶」

田中傳次郎が小鼓を演奏しているのをはじめて見た。

前の演目の鳴神で最後に花道をひっこんだ愛之助が三十分の休憩をはさんだこの演目の最初に「船弁慶」の弁慶の衣装で揚幕から出てくる。壱太郎が牛若丸の役。きょう観た限りでは綺麗な軽い舞踊の演目だ。

「渡海屋・大物浦」

仁左衛門の知盛はうますぎて今まで他の役者で観たものとは別の役のようだ。すっきりした人がやるこってりした演技。

三月に歌舞伎座で同じ演目を観たときにも思ったが、一月の浅草の「渡海屋・大物浦」は若い役者が演じた口当たりの良い芝居で、大歌舞伎でやるのは大人向きなのかもしれない。大人向きばかり見ていてこの演目の良さがわからなかった私が子供向きのを見て感動のポイントをつかみ、以後大人向きも鑑賞可能になったということか。今でも浅草の「渡海屋・大物浦」が一番好きだ。比べ物にならないくらい仁左衛門の知盛がうまいのはわかるが獅童の知盛にも魅力があった。

七之助がすでに演じた典侍の局を秀太郎が初役で演じるのも不思議。藤十郎は平家の一員としての立場が強く出ていると感じたが、秀太郎はあくまでも乳母。 日和見の話をするところは藤十郎とおなじく普通に台詞を言うように言っていた。

愛之助の相模五郎は亀鶴の相模五郎よりおっさんぽく、後から出てくるときは熱血漢。

1階席でも知盛が後ろ向きに飛び込むときの足の裏が見えた。

義経の代役の薪車が引っ込むのによく見えてまた悔しくなった。

松竹座七月大歌舞伎 夜の部 2回目2007/07/19 01:21

2007年7月18日 午後4時15分開演 1階5列21番

「鳥辺山心中」

愛之助の声は低すぎるのではないだろうか。年齢は二十代前半の設定らしいし、もう少し普通の良い声を出せないものだろうか。仁左衛門のを見たことがあればどんな声であるべきか見当がつくのだが。

「身替座禅」

右京、玉の井、太郎冠者が昨日よりハイテンションになっているような気がした。特に玉の井役の歌六の演技が大げさになっているような。

「女殺油地獄」

仁左衛門の老けた顔に慣れたせいか、昨日より良いように感じた。あごが見えると年齢は隠しようもないし、継父役の歌六の方が年下なので、息子が父親とけんかしているように見えない。それでも、継父の嘆きを無視して腹這いで算盤をはじいているところは、あごが手で隠れ、後ろに綺麗な足が見えるので若く見える。

先代の権十郎の印象が強くて愛之助を軽いと思ったが、与兵衛親子の年齢のアンバランスさに比べて愛之助、孝太郎、その子の家族は(孝太郎はお吉の設定年齢より十以上上にしろ)普通に若い親子であり、愛之助はあれで良いのかもしれない。

殺しの決心をしたあたりから仁左衛門の与兵衛は目を大きく見開くので、殺しのシーンでは仁左衛門の顔が海老蔵に似て見えた。

右膝を傷めていることは昨日から気づいていたが、昨日は正座を避けていることについて確信ができなかった。しかし今日ははっきり、右膝は正座できないとわかった。不具合はあるものの、芝居自体は滞りなく進めているようである。殺しのシーンもそれを織り込んで、油樽の倒し方などを孝太郎と打ち合わせて、やり方を変えているのかもしれないと思った。

最後は全身びしょ濡れ。犬の声におびえながら逃げる。あの犬の声は歌舞伎座で見たときもあったのだろうか。忘れていた。記憶は変容しているかもしれないが、今回の方がみすぼらしさが増しているような気がする。