赤い城 黒い砂2009/04/12 03:36

2009年4月11日 日生劇場 午後2時開演 1階A列27番

日生劇場の初日である。

全体に美術が良く、話に冗長なところがなく、殺陣のシーンもあって、飽きない。立派なエンタテインメントになっている舞台だった。ただ、物語の中心である赤い国の宿命をもう少し掘り下げて説明した方が話に深みが出たと思う。「国が栄えると必ず災いが来る」をもっと詳しく知りたいし、ナジャの母である先の女王が「神になった」とは、どういう意味か。こういうところは、観客の解釈に任せて良いものではないと思う。最後の方で牢番の娘のココが超能力を持つようになるが、それ自体は悪くないがやや唐突な印象を受ける。これも、赤い国の設定を神がかったものにしておけばもっと自然に受け入れられるのではないだろうか。

開幕前、舞台には中央に大きな2枚の青い布が降りていて後ろを隠しているだけで、端の方は舞台装置が見えていた。下手に打楽器が置いてあり、最初にパーカッション奏者が出てきて拍手を受けていた。次に青い布の前にモト(中嶋しゅう)が登場して子供の頃お金を拾った話をする。それが終わって青い布が上がり、舞台の全貌が見えて本編が始まる。

幕あきにイラク兵風の赤い国と黒い国の兵隊達が旗を先頭に舞台を左右にすれ違って走るのは迫力があって綺麗だった。兵隊が槍の先を客席に向けて並ぶので、先端恐怖症の人は最前列は避けた方が良いかもしれない。

去年の「風林火山」のときは花道があったが今月はなくて、そのかわりに役者が何回か客席の通路を歩いた。私が座っていた席の反対側の通路に獅童が見えたので、こっちに歩いて来るかと思ったら、私の席の近くには愛之助が立っていて、私の前を通り過ぎて獅童の方に行き、二人で舞台に上がって行った。その後、黒木メイサも客席から舞台に行き、 カタリ(獅童)と赤い国の王女ナジャ(メイサ)が剣を交えるシーンがあり、カタリとジンクは赤い国に捕えられる。ナジャとカタリは互いに戦う中でしか愛を確かめられない、というのは魅力的なモチーフなので、もっと強調してほしい。最初と最後だけでなく、もう一回くらい二人の殺陣があってもいい。

武器商人のモトと、赤い国の王(中山仁)、王女達のシーンの後、舞台が回って、牢屋の中のジンク(愛之助)とカタリ(獅童)のシーンになる。最初、目の錯覚か巨大な人物が立っているように見えたが愛之助だった。

獅童は牢屋にいるときの乱暴で単純でジンクに甘えているようなカタリも、盗賊の首領になったカタリも魅力がある。囚人服も盗賊の毛皮も似合い、獅童でありながら役の人物像が観客にはっきり見える。

愛之助は熱演で、盗賊の首領になったカタリが現れてジンクの正体を暴き、ジンクが傷を隠すために自分の腹を刺すあたりは、カタリに「来世で役者になったら」と言われるほど大熱演である。しかし、 上昇志向の野心家というジンクの人物像が見えにくい。「獅子は一人だけでいい」と牢屋の中でつぶやき、黒い国より発展した赤い国で出世して世継の王女を妻にし、国の実権を握ろうとする男の冷徹さが描き出せてない。特に、親衛隊長になって王女のナジャ(メイサ)や王と話すシーンは、親衛隊長の制服で立っている姿が貧弱で、後でガイナの台詞に出てくるような、女を惹きつける男に見えない。それに王女に対する求愛や王に対する忠誠が打算的なものなのがはっきりしない。

役者本人の化粧や表情やしゃべり方の工夫も必要だろうが、今の衣装や髪型が、愛之助がこの役をやるには不向きだったような気がする。プログラムの中にロイヤルシェイクスピア劇団が演じたときの写真があるが、あのくらい髪型も衣装も普段とはかけ離れたものにした方が別の人格を演じやすいのではないか。今のままでは素のままとあんまり変わらない。せめて髪はウェーブではなく直毛の方が良かったかもしれない。

獅童は普段のしゃべり方を少し強調する程度で済み、愛之助は全く変える必要がある、という不利はわかる。愛之助の殺陣の方が他の役者との絡みが多く難しいのもわかる。後ろにいるモトとジンクが全く同じ台詞を言ったり、ジンクの役は難しい。それでも、初日を見た限りではジンクの役は獅童がやった方が面白かったろうと思ってしまった。

複数回見るときは、何か問題があった方が、後で見るときの楽しみができる。頑張れ、愛之助!

ナジャと王が去った後、ナジャの姉である妾腹の王女ガイナが出てきて「私を抱いた責任がある」と言いだし、ジンクが冷たい態度をとるところは、愛之助が元々持っている色気が生きていてなかなか面白い。

細かいつっこみを入れると、親衛隊長が王女に告ったりして許されるものなのか?それに、いくら妾の娘だからといって、王女に対し「おまえ」呼ばわりは許されないだろう。

ガイナ役の馬淵英俚可がとても良かった。役の人物像に曇りがなく、かつ、この女優の持ち味と合っているからかもしれない。

ジンクとナジャについては何を考えているのかはっきりしない部分がある。ナジャがジンクの求愛を受け入れて婿にすることに決めたのは何故か。ジンクのカタリに対する感情、ナジャに対する感情もいま一つはっきりしない。そのため、最後のジンクとカタリの関係もわかりにくい。

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