二人道成寺2006/02/22 23:03

19日夜の歌舞伎座の二演目目は「二人道成寺」だった。一昨年の一月にも見た。その時は演目をよく把握しないまま行って、菊之助の娘道成寺だと思って見ていたらスッポンから玉三郎が出てきたのでとてもラッキーなことに感じた。舞台写真も何枚も買った。評判が良かったので再演となったのだろう。今回ははじめから期待して行った。

前回は菊之助が舞台で踊っているときに玉三郎が出てきたように記憶しているが、今回は花道で踊っているときにスッポンから玉三郎が上がってきて二人で踊りだしたので、また違う趣だった。良い席はもうないだろうし金も暇もないが、またもっと近くで見たい。席は二階の一列目でよく見えたが花道からは遠かったのでもっと近くで見たかったと欲が出る。

玉三郎と同じ時代に生まれてきて幸せだったと心から思う。私の人生に現れた人間の他のすべての人を別の人と入れ替えてもいいから、彼だけは入れ替えないでほしい。菊之助が大きな役をやりだした頃、彼の世代はもはや玉三郎と競争する必要がないんだ、幸運だなと思った。しかし前回二人道成寺を見たときに菊之助は玉三郎にならないと確信した。別にどこが悪いというわけではない。ただ玉三郎の比類なき美しさとカリスマ性は彼にはない。もしかしたら踊りは菊之助の方がうまいのかもしれないのに、前回も今回も玉三郎の引き立て役になってしまっている。

娘道成寺は私にとっては玉三郎の踊りが基準になってしまっていて、たぶん玉三郎よりうまい勘三郎のを見ても腕が短すぎると感じて、玉三郎の道成寺を見たくてたまらなくなる。だからもう玉三郎以外の道成寺は見たくない。同世代から見て、28の男と踊って負けない55の男は凄い。二人で踊っている間ずーっと、美人の方が玉三郎、踊りが綺麗な方が玉三郎で、互いに一人ずつ踊ったシーンも、一番良いシーンだから玉三郎が一人で踊ったように感じた。動きの一つ一つが、ただ決められた動きをしているのではなく、一番美しく見える動き方を追求して磨き上げられているように見える。それが見たいから客は金を払う。私が歌舞伎にはまったのは玉三郎と孝夫の「桜姫東文章」だが、そのときも、どんな動きも美しいことに感動した。自分を歌舞伎にひきつけているものは玉三郎の芸術性なのだとまたあらためて感じた。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://wonwon50.asablo.jp/blog/2006/02/22/264641/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。