霧太郎天狗のさかもり 一回目2007/03/15 23:22

南座

2007年3月11日 南座 夜の部 午後4時開演 右一の6

雨の東京を朝発って、京都駅に着いたら寒かった。地下鉄の駅を出たらパラパラと雪が。今年の冬は雪は見られないかと諦めていたので嬉しかった。

南座は開幕前に登場人物のフィギュアが幕の前に飾ってあり、始まりは幕が開かず、役者さん2人が「きょうは雪がちらついた」「大相撲の春場所がはじまった」と言葉を掛け合いながら通路から出て舞台に上がる。この2人は人形師と注文主という設定で、人間劇をやる、ということで各登場人物を紹介。 「美男美女のカップルとなります」「欧米か?」と最近はやっているらしい、私は知らないギャグも入る。「それでもわからない人はこの番付とイヤホンガイドを~」と浅草のときのように宣伝。

幕開きは鶴岡八幡宮。尼御台役の萬次郎と比企軍太夫役の亀鶴が中心。実朝の愛之助と義時の勘太郎が花道から出てきたときは二人を見るのが浅草の千秋楽以来で、愛之助の実朝の声がちょうど玉の井のようで、身替座禅を思い出した。愛之助はバカ殿の格好で、保名のような紫の鉢巻で桜の枝を持ち、微妙の前に会いたくて狂乱している。

ストーリー全体としてはあまり盛り上がりがなかった。史実に忠実にやっても最後に甥が叔父を殺して源氏は滅びるので十分盛り上がる話だと思うのだが、公暁と実朝は出てくるのに暗殺まで行かず、霧太郎の妖術が敗れてめでたし、で終わる。静御前の舞も大銀杏も出てこないのでは鶴岡八幡宮が出てくる意味がないのでは?霧太郎、実は鬼一法眼といわれても鬼一法眼は知らないので背景がよく理解できない。日本を魔界に変えようと、というのも具体的に感じられない。実際に何人か魔界に引っ張り込んで、その印として背中に羽をはやし、霧太郎に逆らおうとすると羽が開いて勝手に飛んでしまう、とかもう少し荒唐無稽な発想がほしかった。国立小劇場のイヤホンガイドやプログラムでも言っていたことを思い出すと復活狂言というのはそう簡単に成功するものではないのだ。玉三郎や猿之助のような芸術的センス、頭脳、情熱が必要だろう。

役者の方は、宙乗りや六方の引っ込みがある主役の橋之助の印象が案外薄かった。七之助の櫻木の役はとってもいい役。恋についても能動的で女々しくない。櫻木への思いを果たせずにうらみを持って死んだ男たちの亡霊が出てくるシーンは七之助の台詞も長く、ニンに合っていてとても面白かった。これに比べると義時役の勘太郎が実力発揮のシーンがなくて気の毒。愛之助は実朝より喜之平が良かった。関西弁で愛之助ならでは。弥十郎が捌き役の和田新左衛門だが、この人が出てくるたびに盛り上がろうとしている物語に水を差すようでつまらなくなる。捌き役というのは最後に一回颯爽と登場するところがいいのではないか。何度も出過ぎ。イヤホンガイドのインタビューで「飽きられないといいんですけど」と語っている弥十郎も同じことを思っているのではないかと、気の毒に思った。

個人的には義時の役は愛之助で観たかった。そのかわり勘太郎が実朝・公暁の二役をやり、最後の暗殺シーンもやってそのときはうまく替え玉を使って一人で二役やれば面白いのではないだろうか。猿之助だったらやれそうだ。

衣装、舞台は綺麗だった。霧太郎の衣装も黒地に派手な柄の着物の下に紫のラメのスパッツや最初に出てくる白髪に白で統一した衣装とか。舞台の後ろ全体に桜の花びらが散っているシーンも綺麗だった。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://wonwon50.asablo.jp/blog/2007/03/15/1265700/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。