2月歌舞伎座 初日 夜の部2007/02/01 23:24

少しまとまった話は週末にでも書くとして、21年ぶりに孝夫玉三郎の平右衛門おかる兄妹を観られて本当に嬉しい。前回観た後また見たいと思ったがまさかこんなに待つとは。 今月は仁左衛門が私の観たかった平右衛門の役だけで出ているのも嬉しい。ありがとうございます。 仁左衛門と玉三郎のコンビはいつまで経っても美しい。この美しい歌舞伎を観られる時代に生まれたことを感謝している。

二月大歌舞伎 通し狂言 仮名手本忠臣蔵 初日 夜の部2007/02/03 22:52

2007年2月1日 歌舞伎座 夜の部 午後4時半開演 1階2列25番

私は記憶違いをしていた。仁左衛門と玉三郎の平右衛門おかるを観たのは昭和61年2月以来21年ぶりと思っていたが実際はその二年後の昭和63年3月にも忠臣蔵の通しがあり、そのときにも観ている。だから今月は19年ぶりだ。複数回観た覚えがあるのだがそれは同じ公演で観たのではなく別の公演で観たわけか。

今回は前から2列目で舞台には近いがそれだけに前の人の頭で見えなくなる部分も大きく、仁左衛門と玉三郎が舞台中央にいる場面で二人が同時に視界に入らないのが残念だった。

「五段目・六段目」

与市兵衛の声が小さすぎる。

定九郎、イノシシの話は「歌舞伎おもしろ講座」で聞いた。衣装のどこも汚さないで膝の上に血を吐く定九郎役の梅玉は立派。(そんなことに感動していいのか?) 猪突猛進というのになぜか舞台をくるりと一周する江戸のイノシシ。倒れてる間に刀を取り替えたりいろんなことしているのだろうと倒れている定九郎の様子を伺うが客席から見たかぎりではビクリともしていない。

会社を午後半休して行ったので途中で眠くなり、お才(時蔵)と源六(東蔵)が話しているあたりで眠った。去年の1月と10月は笑三郎と秀太郎で関西弁のやり取りだったが今回は江戸弁。祇園の人なのに江戸弁はおかしいが江戸弁の権太と同じか。 おかやの吉之丞は安定している。仁左衛門の勘平のときはおかやはもっと勘平にくっつきっぱなしだったような気がする。

玉三郎の女房おかるは昔はろくろっ首で嫌いだったが去年の1月に観たときは結構良かった。今回は玉三郎ってこんなにブスだったっけ?と思った。ろくろっ首でも昔は美人だったのになあ。

おかるが勘平と背中合わせで名残を惜しんでいるときそっと勘平の膝に置いた手を勘平が握る、なんてことを仁左衛門の勘平もしていただろうか? 呼び戻した後は膝の上に乗せるというより抱きかかえているように見えた。

義太夫がうまいと思って筋書きを見たら葵太夫。人気があるのも道理。

「七段目」

平右衛門はおかるが手紙を書いているときに最初に登場すると記憶していたがはじめの方で花道から出てきたので驚いた。いかにも仁左衛門らしいかっこいい見せ場がある。その後、寝ている由良之助に枕を当てたり布団をかけたりする動作は荒川の佐吉を思い出す。ああいうのを仁左衛門はとても丁寧にやる。長身なので布団をかけるのも簡単そうだが難しそうにやる。

今回の席は上手寄りなのでおかるの玉三郎が最初に出てきたとき良く見える。先月の金閣寺は花道近くで観たので遠かった。

浅草に出てた亀鶴が鷺坂伴内役で出る。微妙に浅草を引きずってるような役なのが面白い。

由良之助(吉右衛門)とおかるの絡みが終わると平右衛門の出番。おかるが身請けされることを伝える手紙を書いていると平右衛門が部屋に入ってくる。二人の世界に期待が高まる。 悲劇の前の喜劇も、一転しての悲劇も、この二人はうまい。

おかるが勘平の様子を尋ねたいのに言い出しかねて兄の顔をチラチラ見ながら「ととさんは、お達者、かかさんもお達者・・・」と言うあたりの玉三郎は可愛い。客先にはクスクス笑いが広がる。揚巻も富姫も素晴らしいのだが、そういう品位を持ちながらも透明感のある可愛さのある遊女おかるの役が私は大好きだ。「ととさんは非業の死でもお年の上・・・勘平さんは・・」と言うときの「カンペイさん」に感情がこもっていた。

あかるを切ろうとして一枚脱いだ、その下の衣装が仁左衛門はよく似合う。おかるが花道に逃げて平右衛門が追っていくあたりはもう、この二人といっしょに滅びてもいいと思った。

助六と揚巻は二人が絡む時間は案外短い。この平右衛門とおかるのように二人だけで長い間舞台の上で芝居するものは他にないかもしれない。濡場より嬉しい。

「十一段目」

立ち廻りはやっぱり興奮する。きゃーと逃げてくる女たちを「早く行け」というようにやり過ごしているのも面白い。泉水の立ち廻りとして有名らしい小林平八郎は歌昇だった。後ろの席の人が「太りすぎだよ」と言っていた。確かに。

昭和61年二月花形歌舞伎 通し狂言 仮名手本忠臣蔵2007/02/04 01:30

昭和61年(1986年)2月の歌舞伎座は仮名手本忠臣蔵の通しだった。玉三郎は昼夜通しておかる、孝夫は石堂、勘平、平右衛門をやった。 思い返すと私にとっては最高の忠臣蔵だった。

「祇園一力茶屋の場」が特に面白かった。おかるが2階から手鏡で由良之助の手紙を読もうとする場面については聞いたことがあったが、同時に九太夫が縁の下で手紙を読もうとしていて滑稽な場面なのだとは観るまで知らなかった。

前年の3月に観た桜姫、6月の雲絶間姫と並んでこのおかるは玉三郎の素晴らしさを印象付けるものだった。筋書のインタビューで玉三郎は「お相手が勘平さんからすぐにお兄さんになってしまうので、おかるがうまく対応できるか心配です」と語っている。

観劇した日の日記を紹介する。昭和61年2月23日(日)に昼夜通しで観た。昼は午前11時開演、3階ほ列18番、夜は午後4時開演、2階ろ列25番。

以下、昭和61年2月23日(日)の日記

きょうはとても良い日だった。去年の鳴神以来久しぶりに満足した。昼の部は高師直の富十郎がうまくていじめのシーンが面白かったし、コミカルなシーンも多く、玉三郎と孝夫の道行も良かった。全体に夜の部より明るい感じがした。女房おかるの時の玉三郎は髪型のせいか首の長さが目立ち、いやに痩せた感じがした。しかし、遊女おかるで兄役の孝夫が出ると、独特の楽しい雰囲気が出る。女房おかるが最後に走ってきて抱かれるところもスピーディにぱっと決まり、いつも同じようにやっているのだろうと思わせる。後ろの列の若い勤め人達は、玉三郎は年をとった、孝夫の美しさは完璧だ、と言っていた。まわりの人たちの話をきいていると、猿之助と孝夫は確実にファンをふやしていると思う。特に孝夫はますます良くなり、ぶっちぎりの一番人気になるだろうと思う。私の隣りにすわっている人と少し話した。やはり団十郎の声がひどいことと孝夫のかっこよさで意見が一致した。それに、良い席がなかなか買えないことでも共感した。後ろの人は会社を休んで平日に来ようかと相談していた。考えることは皆同じだ。

昭和63年3月4月 歌舞伎座百年 二ヶ月連続の「通し狂言 仮名手本忠臣蔵」2007/02/04 16:10

二ヶ月で通したわけではなく通しを2回やった。おかるは一貫して玉三郎。3月の孝夫は若狭之助、道行の勘平、平右衛門。4月は四段目の由良之助。

3月の半券は見つからないし日記にも書いてないが筋書きがあるので観たのは間違いない。筋書きに舞台写真が入っているので20日すぎに観たのだろう。

筋書きのインタビューで孝夫は平右衛門について「もっともだ、もっともだのところが一番疲れます」と言っている。玉三郎は「七段目になって姿を見せたときの義太夫が『はや廓なれて吹く風に』とありましょう。そうせざるを得なかった女、さと慣れてしまった哀れ。障子をあけた時の何ともいえないはかない、胸の痛いような思い。それでいてきれいに見える。そうでないとあとに続きません。」

4月は17日(日)に昼夜通しで観た。

昼の部 午前11時開演 1階よ列36番

夜の部 午後4時開演 3階東い側19番

この日の日記。「きょうのお目当ての孝夫の由良之助はやはり良かった。花道を走ってきて、七三でころびそうにすわるところが良い。団十郎は菊五郎が相手だとやりやすそうにしている。あの人は、その下手さに慣れてしまうと、口先だけでやっているのではないところに好感を持つ。」

4月の七段目で覚えているのは、平右衛門役の吉右衛門が上の着物を脱いで下の絞り染めの衣装になったとき、こんなに田吾作だったか、と役者によって衣装のイメージが変わることに驚いたことだ。

二月大歌舞伎 夜の部 二回目2007/02/07 21:45

2007年2月6日 歌舞伎座 午後4時半開演 1階4列11番

初日に見たとき花道の近くで観たくなってチケットweb松竹で良い席を探していたが、前日に4列11番を見つけて購入。六段目は観ないことにして会社帰りに歌舞伎座へ。

初日は六段目の初めの方で寝たがこの日は見立ての記憶がない。気がついたら亀鶴がしゃべっていた。

おかるが花道に逃げたときの演技がよく見えて「久しぶりに会ったと思ったら・・・」などと小さな声でブツブツ言っているのもよく聞こえたし、平右衛門とおかるが舞台中央で語ったり抱き合ったりしているときに二人が同時に目に入って、初日の席よりずっと良かった。初日には見えなかったおかるの肩を抱く仁左衛門の手も見えた。

平右衛門の、兄らしい相好をくずした笑いに初めて気づいた。

近くで観ると玉三郎のパワーはやっぱり凄い。

最後の立ち廻りのとき、花道で小林平八郎とからむ浪士の顔が若い、見たことがある、そうだ、種太郎だ、と気づいた。

CAE不合格2007/02/10 01:54

CAEの結果が届き、Grade Eで不合格だった。Grade A~ Cが合格、 DとEは不合格。つまり私は最低の成績だったわけだ。

Statement of Results のCandidate Profileを見ると、失敗したと思ったListening がWeak。Reading、 English in Use、 Speakingが Border Line。 Writing がGood。

やっぱり仕事で使ってるライティングは悪くないわけか。English in Useはもっと良いかと思ったのに。ここで点とらなきゃどこで取るのだ。

次は6月か。6月にD、十二月にCで合格、ということにならないだろうか。

昭和62年2月の歌舞伎座と演舞場2007/02/11 22:24

昭和62年(1987年)2月、片岡孝夫は歌舞伎座の昼の部の「勧進帳」と新橋演舞場の夜の部「日本橋」に出た。

2月1日(日) 新橋演舞場 昼の部 午前11時半開演 3階3列39番

日記より。 「きょうは新派の昼の部を観に行った。遊女夕霧、十三夜、佃の渡し、の三本に、初日だから特別に口上がつく。遊女夕霧は波野久里子が主役で新潟出身の女郎の役だが生活感があっておもしろかった。十三夜に玉三郎が出るのだが話の内容は全く古い。玉三郎のできは悪くない。あの人が何を考えてあの役をやっているのだろうと思う。佃の渡しでは良重が二役だが、おさきの役は柄にはまっている。きょうは初日だから勘三郎も観に来ていたし、NHKの桜井アナウンサーも見た。口上では玉三郎が芸者の格好で踊ってとても美しかったし、孝夫も口上だけのために来たので、きょうはとても得をした気分だ。」

この日、演舞場を出るときに見た勘三郎を覚えている。同じ出口に向かう大勢の客たちの中から「おじいさんになったね」という声が聞こえた。自分が知っているかぎりの勘三郎は既におじいさんだったが、若い頃を知る客がいたのだろう。玉三郎が芸者姿で踊ったのは記憶に残っていない。残念。

2月8日(日) 新橋演舞場 夜の部 午後4時半開演 1階6列40番

日記より。 「最初に口上があって、それはこの前の口上と基本的には同じだった。日本橋は、玉三郎が出るところはとても楽しめたが全体的にはそれほど面白くない。気風のいい芸者の役は玉三郎にとても向いていて、おかるの役にも匹敵するような気持の良さだった。気が狂った後の役も良かった。紅をぬっていないのに美人に見えた。孝夫の役はしどころがなくてつまらなかった。」

2月15日(日) 歌舞伎座 昼の部 午前11時開演 3階は列28番

日記より。「勧進帳はとても良かった。言っていることはわからないが視覚的に楽しめた。孝夫は背が高くて立派な弁慶で、ひきつけられて見てしまう。孝夫の富樫で、孝夫の弁慶で観たい。」

ずっと観たかった孝夫の富樫をやっと観られたのは3年前の7月、海老蔵襲名の松竹座においてだった。

昭和60年(1985年)3月4日の日記2007/02/12 19:07

3/4(月)

私はきょうはじめて玉三郎を見た。あの人はただ立っているだけがきれいというのではなく、一つ一つの動きが美しく、どんなポーズも、伸びをするのでさえ美しく見せる。日本舞踊の動きが基本なのだ。観客にきれいに見えるためには身体をそらせたりねじったりかなり辛い動きが多いだろうと推察する。両手に鏡を持って見るとか、手に持った経文がバラバラにほどけて行くとか、磨きぬかれた美しさがある。そして、玉三郎はお姫様の時も美しく、遊女になったときもそれはまた美しくて、駕籠の簾が上がると皆がため息をつく。玉三郎は、ラブシーンの時に誘うような演技がうまい。

孝夫も身奇麗な感じで、スッキリした色男だし、あの2人は良いコンビだと思う。きょうの演目は「桜姫東文章」と言って、聞いたことのないものだが、濡れ場もあって楽しめた。

はじめ、若い僧の清玄が稚児の白菊丸と入水するために川岸にいる。白菊丸だけが飛び込む。それが発端で、幕がしまって上がると、パッと明るくなり、桜の花の下に、清水の舞台の上に色とりどりの着物を着た腰元とお姫様が並んでいる。そこへ、17年後の清玄が現れ、桜姫は出家したいと言う。まわりの者は止める。姫は生まれつき左の手が開かないのだが、清玄がお経を上げるとその手が開き、その中から清玄と名の入った箱が出てくる。それは白菊丸が川に飛び込んだときに手に持っていたものだ。その姫に、昔許婚者だった男がいた。男は姫の手が治ったと聞いてよりを戻すための文使いに権助という男を送る。それが孝夫の二役だ。権助の腕の彫り物を見て姫の態度が変わる。腰元が引き上げた後で姫は男をそばに呼んで自分の腕の彫り物を見せる。そこには同じ彫り物がある。姫は以前その男と寝たことがあり子供も産んだ。子供はよそにもらわれて行った。そして、ラブシーンになり簾が下りる。そこを、腰元と僧がのぞく。やがて姫は不義のかどでつかまる。そして清玄と書いた箱がそばにあったために相手は清玄ということにされる。2人は河原で晒しものになるが清玄はどうせだからいっしょになろうという。姫は気がすすまない。赤ん坊を預かっていた人が返しに来る。清玄は赤ん坊を抱え、姫は誰かに連れ去られる。前の腰元と僧がいっしょに暮らしているあばら家に清玄がいて、寝込んでいる。赤ん坊をどこかの女の人が連れて行った。腰元達は清玄に毒を盛り首を絞める。墓掘りの権助が呼ばれ、やがて遊女になった桜姫が来る。権助は腰元達を追い出す。その権助の留守の間に清玄が生き返り桜姫に迫ったので桜姫は清玄を殺してしまう。そして彼の亡霊がつきまとうことになる。権助は桜姫を遊女屋に売るが、亡霊がついているということで返されて来る。権助は赤ん坊を引き取るが、それは桜姫の子だった。桜姫は清玄の話と酔った権助の話から権助が親の仇と知り、赤ん坊も権助も殺してしまう。そして都鳥の一巻というお家再興のための巻物が戻ってきて、最後はまた舞台が華やかになり、孝夫が口上を言って終わる。

きょうはイヤホンは借りなかった。孝玉コンビが安く買えたらまた見たい。たしかに、きょうは年とった人もいたが、この前より若い人が多かった。

二月大歌舞伎 夜の部 3回目2007/02/15 00:54

2007年2月14日 歌舞伎座 夜の部 午後4時半開演 1階5列39番

きょうは勤めが終わった後、六段目が終わる少し前に歌舞伎座へ着き、まず写真を買い、その後2階のロビーで食事をした。

睡眠不足気味だったので平右衛門が由良之助の頭の下に枕を置いたりしている場面の記憶がない。布団をかける場面は客先が笑ったので一瞬起きたが由良之助が平右衛門の手紙を落とす場面は記憶にない。

仁左衛門は風邪で喉をやられているのか声変わりの少年のようにやや不安定だったが玉三郎と2人になると全然気にならなくなる。「髪の飾りや化粧してその日その日は送れども かわいや妹、わりゃあなんにも知らねえなあ」から始まる悲しみの表現が心にしみる。この兄がいるからおかるも安心して泣けるし、客もあの2人なら抵抗なく泣ける。

前二回観たときは「勘平さんは・・」とおかるが言うところを玉三郎は「カン」「ペイ」と離して言っていた。きょうは「か・・・か・・・カンペイさん」のように言っていた。

二月大歌舞伎 歌舞伎座 夜の部 4回目2007/02/16 00:45

2007年2月15日 午後4時半開演 1階10列6番

スポンサーがいたので4回目を見られた。きょうは五段目からちゃんと見た。花道のすぐ横の後方の席だったのでイノシシやかごに乗った玉三郎や平右衛門の出などいろんなものが近くで観られた。昭和61年の花形歌舞伎の後の演劇界の座談会では、松嶋屋の言うように平右衛門は花道から出たほうが良かったと書いてある。あのときは孝夫が最初に花道から出た記憶がないし平右衛門は花道からは出なかったのだ。昭和63年の演劇界に書いてあったことかもしれないが平右衛門のような身分の者が祇園一力茶屋に一人で入れるはずはない、ということだ。

今月の定九郎は遠くから見るとパワーが弱い。私の中では定九郎はもう海老蔵に限る。きょうは傘を開いたときお猪口になっていたが、あれはお猪口になるべきではないのでは? 

玉三郎はきょうは「勘平さんは」のところを「かんぺい・・・かんぺいさんは」のように言っていた。きょうの席は平右衛門のリクエストで「あにさん、こうかえ」と立ち姿を見せるときの勝負顔がよく見えた。きのう座った上手の席からは「ううーん、あにさん」みたいな表情がよく見えた。玉三郎のいろんな顔を見るためにはいろんな席に座る必要がある。