蝉しぐれ 千秋楽2007/09/25 01:22

2007年9月24日 大阪松竹座 午前11時開演 1階1列8番

アイドルを主役に据え、周りを達者な役者で固めた芝居のようだと感じた。商業演劇は程度の差はあれ主役は集客力のある人、周りは演技力ある人で固めるのが常道なのだろう。 主役に十分な集客力があるかどうかは疑問だが、共演者たちはうまい。特に長谷川哲夫、近藤洋介、松山政路の3人。長谷川哲夫は私が子供の頃、NHKで若いタクシードライバーが主人公のドラマで主役を演じていた。今月の番付を読んで「ゴーストップ物語」というタイトルを思い出した。45年も前か。いい役者さんなんだなあ。さわやかな顔立ちとスラリとした長身は昔のイメージのままだ。近藤洋介はもっと前、「事件記者」でしょっちゅうキャップに怒鳴られている若い新聞記者を演じていた。一ヶ月の稽古期間をとって役作りして行く演劇分野の人と、様式に沿って3日ほどの稽古期間で芝居を仕上げる歌舞伎役者との違いを感じた。愛之助は台詞や殺陣はうまいが感情表現の表情のパターンが少ない。歌舞伎の世界では、どんな顔をすべきかいろいろ研究するようなことはしないのかもしれない。

舞台の近くから見ても15歳の愛之助はかわいい。それでも、実年齢に近い別の役者が演じた方が私はもっと共感しただろう。全体を通して年中ハアハアいっているような役だったが、長い作品を短くまとめたせいか?

ふく役の相田翔子のほうは、至近距離からみても14歳に見える。こんなかわいい子、江戸藩邸にやったら殿のお手がつくに決まってんじゃん、江戸行きは断固阻止すべきだったのに、ダメな男。逆に、相田は子供を産んだ後打掛姿で現れて以降はお人形的すぎて女の実感がない。これは演出の問題だが、舟から降りるときに差し出された文四郎の手をとるのを躊躇していたが、子供も産んだ女が何をいまさらではないのか。別れのシーンはもっと生の女っぽい女優にやってもらわないと私は全然共感できない。

私としては、男と相対死にする淑江に共感する。子供もいなくて一人なのは気の毒だ。矢田家再興というこもあるのだろうが。当時だったら、若い女をいつまでも一人でおいておくのは勿体無いから、どこかに縁付かせるのではないかと思うのだが。

ふくは、祭りのとき文四郎に買ってもらった紙人形を座敷に残して行った。出家にあたって、文四郎の思い出は持っていかないという意味で置いていったのだろうか。 思い出の紙人形を使うのなら私ならもっと別の話にするけどな。大人になったふくは側室、文四郎は郡奉行としてお互い立場をわきまえ昔のことは忘れたように何年もすごしていたが、ふとしたきっかけでふくが思い出の紙人形を今も大切にしていることがわかる、とか。蝉しぐれではなくなるけど。

赤ん坊の若様の扱いがゾンザイだった。雪の降る中、子供の頭が見えてるのにくるんでいる布で隠したりしないし、加治様のところに行ったときも、加治たちはまず何よりも赤ん坊を受け取って暖かいところに連れて行くべきだろう。

友人の逸平と与之助役の松村雄基と野村晋市はこの芝居の重要人物であると同時にこの芝居の華。いい男でいい人の逸平と秀才で泣き虫の与之助、それに剣の腕が立つ文四郎。友情については文句なしに楽しめた。逸平が祭りのときに通りがかりの女の子達に声をかけていたが昔もあんな風にナンパしたんだろうか。

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