通し狂言「絵本合法衢」 ― 2012/04/08 22:43
2012年4月7日 国立劇場 午後12時半開演 1階1列
去年の3月とほとんど同じ配役だが、瀬左衛門役の段四郎の代わりに左團次、太平次の女房役は、吉弥の代わりに秀太郎。
左團次が二役になったことで話がわかりにくくなったかもしれない。瀬左衛門は確かに殺され、そこに、早変りで弟の弥十郎役の左團次が現れるので、一応説明されてはいるのだが、単に左團次が何度も出てくる印象を受けてしまう。
吉弥が色っぽかったので、今月は秀太郎になって少し残念な気がしたが、秀太郎は仁左衛門の女房役として年季が違う感じで、時蔵のうんざりお松と張り合うところが吉弥よりも貫禄があって面白かった。
去年は初日に観たので、毒蛇の血を入れた徳利の口がなかなか開かなかったり、籠の戸を開けようとしてはずしてしまったりするような不手際があったが、今回はそんなこともなく、演技も全体的にずっと練れていた。
仁左衛門は役を楽しんでいる。最初の休憩に入る前の幕切れ、大学之助が扇子の後ろで舌を出しているのも笑えるが、ひたすら冷血な大学之助より、悪党だが愛嬌のある太平次の演技が仁左衛門の真骨頂。財布をさぐって「50両」と喜ぶ表情や、与兵衛とお亀に同情したふりのウソ泣きが面白い。
太平次は愛嬌がある一方、非情な人殺しもする。強請りに失敗したお松が囲ってくれと言い寄るのを面倒に思い、井戸に放り込んで殺す場面がこの芝居の一番の見せ場だ。井戸に近づく前に、あたりをはばかる様子が、牡丹燈籠の殺しの場のようだ。
きょうは最前列で、お松が蛇を裂いて血を搾り出す手元がよく見えた。布でできた蛇だろうがよくできていて、最初に頭から皮を剥ぎ、次に口を持って身を2つに裂き、その後で身体を絞って血をとっていた。
田代屋に強請りに行ったお松の着物がかっこいい。お松は、この芝居の中では太平次に次いで魅力があるキャラだ。だから、強請りに失敗した後、あっけなく殺してしまうのが惜しい。お松が玉三郎でなく時蔵でも、ここで殺すのではなくもう少し活躍させてほしかった。
いたぶられ殺される与兵衛(愛之助)とお亀(孝太郎)は、非力。愛之助も孝太郎もよくやっているが、地味。不機嫌な顔の愛之助(与兵衛)と、仁左衛門(太平次)の2人の場面が珍しい感じがした。こういう和事の演技は愛之助は超安定している。
愛之助の与兵衛は最後、床下の鼠のように仁左衛門の大学之助に踏まれ、もがく。大学之助にはあまり魅力を感じない。この芝居で一番魅力的な太平次の最後を見せないで、大学之助の一言で片付けるのは間違っている。
きりっとした中に情のあるおりよ(秀調)、お米(梅枝)と孫七(高麗蔵)の夫婦、と周りはそろっている。梅枝はこの芝居唯一の若い美人。高麗蔵は今月も立役でちょっとさびしい。
最後の場は、大きな閻魔像の前で弥十郎と、その妻(時蔵)が大学之助を殺して瀬左衛門の敵をとる。そして、死んだ大学之助が起き上がり、二役の三人が並んで、私の目の前で「まず今日はこれぎり~」の挨拶をして終わった。
去年の3月とほとんど同じ配役だが、瀬左衛門役の段四郎の代わりに左團次、太平次の女房役は、吉弥の代わりに秀太郎。
左團次が二役になったことで話がわかりにくくなったかもしれない。瀬左衛門は確かに殺され、そこに、早変りで弟の弥十郎役の左團次が現れるので、一応説明されてはいるのだが、単に左團次が何度も出てくる印象を受けてしまう。
吉弥が色っぽかったので、今月は秀太郎になって少し残念な気がしたが、秀太郎は仁左衛門の女房役として年季が違う感じで、時蔵のうんざりお松と張り合うところが吉弥よりも貫禄があって面白かった。
去年は初日に観たので、毒蛇の血を入れた徳利の口がなかなか開かなかったり、籠の戸を開けようとしてはずしてしまったりするような不手際があったが、今回はそんなこともなく、演技も全体的にずっと練れていた。
仁左衛門は役を楽しんでいる。最初の休憩に入る前の幕切れ、大学之助が扇子の後ろで舌を出しているのも笑えるが、ひたすら冷血な大学之助より、悪党だが愛嬌のある太平次の演技が仁左衛門の真骨頂。財布をさぐって「50両」と喜ぶ表情や、与兵衛とお亀に同情したふりのウソ泣きが面白い。
太平次は愛嬌がある一方、非情な人殺しもする。強請りに失敗したお松が囲ってくれと言い寄るのを面倒に思い、井戸に放り込んで殺す場面がこの芝居の一番の見せ場だ。井戸に近づく前に、あたりをはばかる様子が、牡丹燈籠の殺しの場のようだ。
きょうは最前列で、お松が蛇を裂いて血を搾り出す手元がよく見えた。布でできた蛇だろうがよくできていて、最初に頭から皮を剥ぎ、次に口を持って身を2つに裂き、その後で身体を絞って血をとっていた。
田代屋に強請りに行ったお松の着物がかっこいい。お松は、この芝居の中では太平次に次いで魅力があるキャラだ。だから、強請りに失敗した後、あっけなく殺してしまうのが惜しい。お松が玉三郎でなく時蔵でも、ここで殺すのではなくもう少し活躍させてほしかった。
いたぶられ殺される与兵衛(愛之助)とお亀(孝太郎)は、非力。愛之助も孝太郎もよくやっているが、地味。不機嫌な顔の愛之助(与兵衛)と、仁左衛門(太平次)の2人の場面が珍しい感じがした。こういう和事の演技は愛之助は超安定している。
愛之助の与兵衛は最後、床下の鼠のように仁左衛門の大学之助に踏まれ、もがく。大学之助にはあまり魅力を感じない。この芝居で一番魅力的な太平次の最後を見せないで、大学之助の一言で片付けるのは間違っている。
きりっとした中に情のあるおりよ(秀調)、お米(梅枝)と孫七(高麗蔵)の夫婦、と周りはそろっている。梅枝はこの芝居唯一の若い美人。高麗蔵は今月も立役でちょっとさびしい。
最後の場は、大きな閻魔像の前で弥十郎と、その妻(時蔵)が大学之助を殺して瀬左衛門の敵をとる。そして、死んだ大学之助が起き上がり、二役の三人が並んで、私の目の前で「まず今日はこれぎり~」の挨拶をして終わった。
コメント
_ LSTY ― 2012/04/18 13:53
_ wonwon50 ― 2012/04/18 23:09
LSTYさん、こんにちは。
三人吉三は流石に何度も上演されてきた名作で、本当に
格が違いますね。
「二人の悪役」が出てくる意味、というのは私は思い至りませんでした。本のせいなのか、私の思い入れのせいなのかわかりませんが、仁左衛門自体が、太平次に比べて大学之助の演技には熱が入ってないように感じます。
リンクのサイトも見せていただきました。殺しに飽きてくる、というのは、わかります。
油地獄や三五大切には、大きく盛り上がる殺しがあるんです。でも、「絵本合法衢」 は、ひとつひとつはたいした殺しじゃないのがいくつもある。私は、散発的な拍手を促すような芝居が嫌いで、一箇所でわーーーっと盛り上がるのじゃなければカタルシスがない、人間の生理に反する、と思ってるのですが、それと通じる理由で、小さい殺しがいくつも続くのはつまらないんだと思います。
三人吉三は流石に何度も上演されてきた名作で、本当に
格が違いますね。
「二人の悪役」が出てくる意味、というのは私は思い至りませんでした。本のせいなのか、私の思い入れのせいなのかわかりませんが、仁左衛門自体が、太平次に比べて大学之助の演技には熱が入ってないように感じます。
リンクのサイトも見せていただきました。殺しに飽きてくる、というのは、わかります。
油地獄や三五大切には、大きく盛り上がる殺しがあるんです。でも、「絵本合法衢」 は、ひとつひとつはたいした殺しじゃないのがいくつもある。私は、散発的な拍手を促すような芝居が嫌いで、一箇所でわーーーっと盛り上がるのじゃなければカタルシスがない、人間の生理に反する、と思ってるのですが、それと通じる理由で、小さい殺しがいくつも続くのはつまらないんだと思います。
_ LSTY ― 2012/04/19 11:10
盟三五大切も女殺も、殺人に至る動機形成がちゃんと描かれているから盛り上がるんだと思います。今回の芝居では、とにかく殺人を「消化」しているようで、動機や、また躊躇が表現されていなかった。
太平次が、お松や自分の女房を殺すシーンに関しては、もっと「しつこめ」に演出すべきだと思いました。そうすることで、相対的に大学の冷酷さも際だってくる。
大学の演じ方はわざとじゃないんですかねえ。斧定九郎みたいな無機的な雰囲気っていう演出じゃないかなあ、と私は思いましたが。
太平次が、お松や自分の女房を殺すシーンに関しては、もっと「しつこめ」に演出すべきだと思いました。そうすることで、相対的に大学の冷酷さも際だってくる。
大学の演じ方はわざとじゃないんですかねえ。斧定九郎みたいな無機的な雰囲気っていう演出じゃないかなあ、と私は思いましたが。
_ wonwon50 ― 2012/04/20 00:22
LSTYさん、こんにちは。
盟三五大切や女殺は、確かに動機が描かれてますね。心理的に追い詰められている。
今月の芝居は、太平次は「邪魔者は殺す」、大学は「逆らう奴は殺す」と、非常に安易に殺している。それに、子供を殺したのをはじめとして、どれも弱いものいじめっぽい。
一般的な意味で「仁左衛門の殺し」が魅力的なのは確かですが、仁左衛門がやる殺しならそれだけで面白いわけじゃないってことですよね。三五大切、女殺し、それに伊勢音頭、これらの殺しの場には「狂気」があったと思うんですよ。主人公が追い詰められて、ぶちきれて、殺人の実行に着手したときは、日常性は失われて狂気に支配されている。それが、美しかったんです。
今月は、そういう切羽詰ったものがなくて、正気のまま気軽に殺している。だから、いくつもの殺人を「消化」してるような感じがしてしまうのかも。原作読んでないのでわからないんですが、南北は、ただいくつもの殺人を重ねていく人を描くことで、どういう効果を狙ってたんでしょうか。
大学が無機的な雰囲気を狙っているというのは、どうかなあ。無機的なら、扇子の後ろで舌出して見せるのと矛盾するような気がするし、殺し屋みたいに、金のために個人的な恨みはない人をどんどん殺す人なら「無機的」で良いと思うんですが、大学はわりと感情を見せているし。
盟三五大切や女殺は、確かに動機が描かれてますね。心理的に追い詰められている。
今月の芝居は、太平次は「邪魔者は殺す」、大学は「逆らう奴は殺す」と、非常に安易に殺している。それに、子供を殺したのをはじめとして、どれも弱いものいじめっぽい。
一般的な意味で「仁左衛門の殺し」が魅力的なのは確かですが、仁左衛門がやる殺しならそれだけで面白いわけじゃないってことですよね。三五大切、女殺し、それに伊勢音頭、これらの殺しの場には「狂気」があったと思うんですよ。主人公が追い詰められて、ぶちきれて、殺人の実行に着手したときは、日常性は失われて狂気に支配されている。それが、美しかったんです。
今月は、そういう切羽詰ったものがなくて、正気のまま気軽に殺している。だから、いくつもの殺人を「消化」してるような感じがしてしまうのかも。原作読んでないのでわからないんですが、南北は、ただいくつもの殺人を重ねていく人を描くことで、どういう効果を狙ってたんでしょうか。
大学が無機的な雰囲気を狙っているというのは、どうかなあ。無機的なら、扇子の後ろで舌出して見せるのと矛盾するような気がするし、殺し屋みたいに、金のために個人的な恨みはない人をどんどん殺す人なら「無機的」で良いと思うんですが、大学はわりと感情を見せているし。
_ 通りすがり ― 2012/04/23 21:29
暴君の下では下々が苦労する。
それだけの話だと思います。
それだけの話だと思います。
_ wonwon50 ― 2012/04/23 23:30
確かに。
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私も見てきたんですが、この芝居のピカレスクロマンとしての魅力、なんで大学と太平次という「二人の悪役」が出てくるのか、という事について、あまり考えられていないなあ、と感じました。
仁左衛門と時蔵はよかったけど、残りの役者もあまり良くなかったし。もっともっと面白くなる台本だよなあ、と少し残念でした。
同じピカレスクロマンでも、1月の三人吉三は格が違ったなあ、と。
URLは、私の感想です。