昭和61年二月花形歌舞伎 通し狂言 仮名手本忠臣蔵 ― 2007/02/04 01:30
昭和61年(1986年)2月の歌舞伎座は仮名手本忠臣蔵の通しだった。玉三郎は昼夜通しておかる、孝夫は石堂、勘平、平右衛門をやった。 思い返すと私にとっては最高の忠臣蔵だった。
「祇園一力茶屋の場」が特に面白かった。おかるが2階から手鏡で由良之助の手紙を読もうとする場面については聞いたことがあったが、同時に九太夫が縁の下で手紙を読もうとしていて滑稽な場面なのだとは観るまで知らなかった。
前年の3月に観た桜姫、6月の雲絶間姫と並んでこのおかるは玉三郎の素晴らしさを印象付けるものだった。筋書のインタビューで玉三郎は「お相手が勘平さんからすぐにお兄さんになってしまうので、おかるがうまく対応できるか心配です」と語っている。
観劇した日の日記を紹介する。昭和61年2月23日(日)に昼夜通しで観た。昼は午前11時開演、3階ほ列18番、夜は午後4時開演、2階ろ列25番。
以下、昭和61年2月23日(日)の日記
きょうはとても良い日だった。去年の鳴神以来久しぶりに満足した。昼の部は高師直の富十郎がうまくていじめのシーンが面白かったし、コミカルなシーンも多く、玉三郎と孝夫の道行も良かった。全体に夜の部より明るい感じがした。女房おかるの時の玉三郎は髪型のせいか首の長さが目立ち、いやに痩せた感じがした。しかし、遊女おかるで兄役の孝夫が出ると、独特の楽しい雰囲気が出る。女房おかるが最後に走ってきて抱かれるところもスピーディにぱっと決まり、いつも同じようにやっているのだろうと思わせる。後ろの列の若い勤め人達は、玉三郎は年をとった、孝夫の美しさは完璧だ、と言っていた。まわりの人たちの話をきいていると、猿之助と孝夫は確実にファンをふやしていると思う。特に孝夫はますます良くなり、ぶっちぎりの一番人気になるだろうと思う。私の隣りにすわっている人と少し話した。やはり団十郎の声がひどいことと孝夫のかっこよさで意見が一致した。それに、良い席がなかなか買えないことでも共感した。後ろの人は会社を休んで平日に来ようかと相談していた。考えることは皆同じだ。
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