金刀比羅宮 書院の美 ― 2007/09/02 23:46
はじめて芸大に行った。主たる目的は音声ガイドの愛之助の声を聴くこと。時間がないので音声ガイドだけは全部きかなくては、と急ぎ足で会場を回ったが、音声ガイドを借りたときに渡されたリストを今見たら21~23は聞いていなかった。愛之助の声は落ち着いていて滑舌も良い。ただ、もし標準語のイントネーションから外れない方が良い、とするなら、全体では100箇所以上狂っている。覚えているだけでも、襖、おこなった、飾った、航海した、菖蒲の間、遠く、木立等々。どうせなら全体を関西イントネーションで統一してくれたほうが心安らかに聞けた。大阪歴史博物館のナレーションは何度も繰り返して聞きたいほど素晴らしい。
さて、美術展の本題である絵のほうだが、襖絵なので、修学旅行のときに寺院の部屋を廊下から覗き込むような感じで見られるように「~の間」みたいなのが並んでいたり、部屋ではなくても襖がしまっている部屋の中にいるのと同じように襖を見られるように展示してあった。
一番気に入ったのはやはり円山応挙のトラ。実物のかっこよさに比べて不細工なのが可愛い。本物のトラを見て描いたわけじゃないんだろうなあ。トラというよりガッシリした猫。音声ガイドでは右手の親子のトラが水を飲んでいるのだけ紹介していたが、全部紹介してほしかった。
その他では、金地の上に数多の蝶を描いた群蝶図が綺麗だと思った。また、邨田丹陵の富士巻狩図も流鏑馬のときのような出で立ちの武士たちと鹿がカラフルで綺麗だった。
音声ガイドが主たる目的ではあっても、本来絵を見るのは好きなので、本当はもっとゆっくり見たかったが、きょうは時間が限られていたので、一巡した後は図録を買って帰途についた。併設の安藤広重展の方には回れなかった。
9月歌舞伎座 夜の部 ― 2007/09/06 00:33
2007年9月3日(月) 午後4時半開演 1階12列31番
やや後ろだが、舞台を観るのに前の人の頭がジャマにならない席だった。
「阿古屋」
阿古屋役の玉三郎が琴と三味線と胡弓を弾く。観るのは3回目くらいだが筋がさっぱり飲み込めない(筋書きは買うが筋を読む習慣がないので)。段四郎がやっている岩永左衛門の人形振りさえ覚えていない。眠ってしまうかもしれないと思ったが、今回は楽器を弾く前の玉三郎が綺麗で、斜めに身体をひねりひねりする動きも綺麗で、打掛も綺麗だったので満足だ。楽器を弾いて、ときどき歌もきかせるところが見せ場なのだろうが、飽きる。吉右衛門の秩父庄司が「三味線、やめー」とか言うと、これで一つ終わった、とほっとする。演奏の後の観客の拍手も、ひょっとして終わったのが嬉しくて手を叩いて喜んでいるのではないかと思えてくる。玉三郎の演奏の間、じっと聞き入っている後ろの吉右衛門、段四郎、染五郎にとっても忍耐の時であろう。
人形振りに合わせて台詞を語る人の顔を見ているのが面白かった。
「身替座禅」
今年三組目の身替座禅。しかし、歌舞伎座のこの右京と左団次が一番下手で良いのか? 二人とも踊りが下手。左団次は玉の井のニンに合うのに甘えてていねいさに欠ける。団十郎の下手さも久しぶりにしみじみと感じた。登場して間もなくの台詞の中の「会いたい、会いたい」は感情がこもっていて良かった。花子との逢瀬の後、花子の小袖を着て花道を出てくるが、小袖が映えるどころか「ねんねこ」に見えた。花子との逢瀬を物語る踊りはけっこう長い。団十郎の踊りをこんなに長く見たのは初めてで、途中から「ガンバレ」と心の中で応援した。右京は難しい役なのだ。菊五郎、勘太郎、仁左衛門はうまい人達だったからそれぞれの個性は感じても役の難しさは感じなかったのだ。
染五郎の太郎冠者は無難に演じてはいたが、団十郎と比べて背か高く姿が良いので、家来に見えない。染五郎の方が、もう少し背を盗むなりして右京とのバランスをとった方が良かったのではないだろうか。
「二條城の清正」
何を楽しむ演目なのかわからなかった。
中村勘太郎 中村七之助 錦秋特別公演 ― 2007/09/09 20:10
2007年9月9日(日) 入間市市民会館 午後1時開演 15列11番
入間市には行ったのは初めてだが、最寄の西武線の駅からの行き方はそれほど複雑ではない。しかしお約束通り途中で行き先の違う電車に乗って時間をロスし、駅前から市民会館までタクシーで行きギリギリ間に合う。
私の前の席が偶々空席だったが、それがなくても舞台および役者の全身がよく見える良い席だった。
「吉原雀」
幕が開くとそこは仲之町。鳥売りの女が勘太郎で男が七之助。二人とも細身だが勘太郎が相対的にがっちりしているのか、年上の大女の印象。勘太郎の姿と動きはキレイで、顔を玉三郎とさしかえたらさぞ美しかろうと思った。ただ踊り自体はややキレがないように感じた。
「芸談」
毛氈をかけた長椅子が舞台に2つあり、上手側の椅子にマイクが二つ置いてあった。司会の、フリーアナウンサーの森山しゅうこさんという人が最初に出てきて、続いて二人が登場。スーツ姿。
最初の挨拶で、七之助は、ここには3年前に来て父と連獅子をやり、勘三郎襲名のときにも来た、と言ったが勘太郎は「え、そうなの?」という顔をしていた。3年前にも来たお客様、と客席にきいたらけっこう何人も手をあげていた。そのとき、勘太郎は「走れメルス」の稽古中で出なかったそうだ。
七月のニューヨーク公演について。七之助は、アメリカで英語でやるのは大阪で大阪弁でやるのとは違ってすごく難しい、日本映画に外人が出て片言の日本語を話すとしらけるので、片言の英語でお客様をしらけさせたくなかった、というようなことを言った。司会の人が、七之助さんはラストエンペラーでは英語話されてましたよね、というと七之助はちょっと照れたような顔をして言葉を濁した。勘太郎が横から「あの時、彼はちゃんと先生について習ってましたよ」と言った。七之助は「英語そのものがわからないので難しかった」と言っていた。司会が「これを機会にお二人で英会話をはじめようなんていうことは・・・」と問いかけると、勘太郎が「駅前行きましょうか?」。司会が、「お父様は別のところのコマーシャルをやってらしたようで」。勘太郎は「イーオンやってましたね。」
ロビーで売っていた、勘三郎主演の映画「やじきた道中 てれすこ」の宣伝。
客先に質問を促す。
最初の質問。「小さい頃からいろんな役をやっているが最初の記憶はどの役か。一番印象に残っている役は何か」
勘太郎 浅草で、七之助の勘平でやったおかる。玉三郎に教えてもらった。
七之助 獅子の役。勘太郎は、小さい頃、首を振っても大丈夫か医者に確認して獅子をやった。自分もそれよりは少し大きかったが子供の頃からやった役。連獅子は来月の演舞場でもやるが、まだまだ、父が死ぬまでやる。
(最初に記憶に残っている役、というのを聞きたかったのだが勘太郎は質問を誤解したのかそれに答えなかった。七之助もそれにならったか。)
二番目の質問。「ニューヨーク公演のとき、何か面白いことがあったか」
公演中ずっとひどいものばかり食べていたので、「目が飛び出るほど高くても良いから目が飛び出るほどおいしいものを食べにいこう」という七之助の意見で、笹野さん、亀蔵さんといっしょに55番街にあるアクアビットというスウェーデン料理の店に行った。ワインが高いのではないかと心配していたが、最初にワインリストが出てきて、笹野さんが「スペシャル」を頼んだので、みんなでテーブルの下で脚をけとばした。はじめからワリカンと決めていたので、お勘定のとき丸テーブルの上にみんなでお金を出していたら店の人が爆笑していた。食べているときに遠くの席に日本人が見えたが在留邦人だろうとほっておいた。帰りに、「ニューヨーク公演観ましたよ」と言われた。
最後の質問「勘太郎さんは舞台に出る前に水を飲んだり喉にスプレーをかけたりするが七之助さんはくせになると嫌だから何もしないようにしているということだったが」
勘太郎 それに仁丹が加わった。今回は台詞がないので何もしていない。
七之助 何もしない。塩できよめるだけ。
最後に、次の演目俄獅子を勘太郎が、男女道成寺を七之助が説明してこのコーナー終了。
「俄獅子」
芸者 中村仲之助、鳶頭 中村仲四郎。 勘太郎によると仲四郎は立役はめったにやらないのだそうだ。
「男女道成寺」
この公演を観たいと思った理由は勘太郎の狂言師左近が見たかったからなのだが、最初に桜子で出てきたときの踊りが素晴らしくて、あのまま勘太郎の花子を見たかった。しかし、もちろん狂言師左近も素晴らしかった。腰を落として鞠をつくあたりの動きも、流石に勘太郎。七之助ははっきり言って期待以下だった。長身の美しさを感じない。身体が貧相に見える。ギスギスした感じがする。顔はキレイなのに、勘太郎の桜子の方が動きに女らしいゆとりがある。七之助の動きは直線的で、キレイだけど身体の線が直線的なので女の格好をしても男と見破られてしまう若い男の子のようだ。 ただ、恨みのこもった目で鐘を睨みつける、その表情は良かった。
パンフレットは、後ろにカラー写真のページが10ページもあってお得感がある。
9月歌舞伎座 昼の部 ― 2007/09/17 02:36
2007年9月16日 午前11時開演 1階6列26番
「竜馬がゆく」
三幕のうち、ニ幕目の一場は竜馬が出ないが種太郎が薪車に切り殺される郷士の役をやって印象に残った。次の場はお涙頂戴でつまらない。三幕目は勝海舟が出る。勝海舟といえば江戸弁。江戸末期の言葉は現代語にかなり近い。大河ドラマの野田秀樹もよかったが歌六も良かった。染五郎は、こういう歌舞伎味が薄い舞台によく合う。3日の夜に観たときは声が枯れているのが気になったが、この芝居だと声は気にならない。
「熊谷陣屋」
一昨年の11月に仁左衛門の熊谷で観た。今回は吉右衛門。一昨年はまだ愛之助のファンではなくて、堤軍次の役をやっていたのをほとんど覚えていない。その役をやったと聞いて、雀右衛門の手をとって階段を上っていた人を思い出し、あれかと思った。覚えているのはそれだけ。今回、歌昇がやっている堤軍次をあらためて見ると結構良い役で、あのときの私の席からもよく見える場所に座ったりしている。しかし当時は仁左衛門にしか興味がなくて仁左衛門しか見ていなかった。
今回の相模はぐっと若くなって福助。藤の方は前回は秀太郎だったと思うが今回は芝雀。今回の方が役の実際の年齢に近く、その分リアリティがあったと思う。
何度も上演されている演目だが、良さがよくわからない。
富十郎が弥陀六役で出たが、身体の動きは不自由になっているものの、声と口跡が良くて台詞を聞いているのが気持ちよかった。
「村松風二人汐汲」
今月一番観たかった演目だ。舞台写真が出ていたので、先に買ってしまった。 幕が開く前からお囃子の音が聞こえて期待が高まる。幕が開くと鳴物と唄の後、玉三郎と福助が舞台中央からせり上がって来た。白い着物の玉三郎は立っていて先に顔が見えた。続いて赤い着物の福助。玉三郎は、最初は1階の観客に、次に上階の観客に自分の顔を見せるように動き、そして誰の顔も見ない。
全体に、玉三郎がリードして福助は遠慮して控えめな印象だった。私はほとんど玉三郎しか見ていなかったので踊り方を比べることはできない。玉三郎だけ、一度別の衣装を羽織る。後見が玉三郎にその衣装を着せている間、福助は観客の方を向いて、顔は袖で隠して座っていた。その後、新しい衣装で玉三郎だけが踊った。後半、福助が一人で踊っている時は玉三郎は白い着物で観客に背中を見せて座っていた。
きょうの席は玉三郎の顔がよく見えた。このチケットを頼んでいるところは原則として花道の横の席をくれるのだが、たまに人気のある演目のときは中央の席になる。きょうもそうだったのだが、二人並んだときに玉三郎は舞台の上手側で踊ったのでラッキーだった。
東京ミッドタウン能狂言 ― 2007/09/22 01:15
2007年9月20日 午後7時開演 東京ミッドタウン 芝生広場 25列26番
六本木駅から六本木ヒルズに出てしまったのでミッドタウンがどこなのかさっぱりわからず。周辺を20分ほどさまよって最初の場所に戻ってしまい、どこかに交番でもないかと大通りに沿って歩いていたら「麻布警察」があって、その前に立っていたおまわりさんに行き方を教えてもらった。六本木の交差点を渡って右側。ミッドタウンまで行くと、そこにも地下鉄の出口がある。出口を間違えないことが大事なのだ。
ミッドタウンに入り、たぶんミッドタウンタワーという建物の端にあるガーデンに抜ける綺麗な通路を通って向こう側に行く。そこがガーデンだろうと歩き出したら間もなく、人が集まって座っているところがあったので、そこが会場だろうと思った。みんなよくたどり着けたな。
客層は、いつもの能狂言の客に、場所柄のせいかいつもはいない若い人たちが混じっているように見えた。
舞台はタワーを背にしてしつらえられている。揚幕も橋掛かりもある。観客席はその前にパイプ椅子を並べてある。私は安いほうの席で買うのも遅かったから座っている人たちの中では一番後ろに近かったが、真ん中で、亀井広忠を真正面に見られるのは良かった。
公演の最初と各演目の前に流れるアナウンスが「トップクラスの~、心躍る~」とチラシの宣伝文句みたいなことを言うのが甚だ興ざめである。
最初は能囃子の「雪月花」。 笛 一噌幸弘、小鼓 大倉源次郎、大鼓 亀井広忠、太鼓 金春国和
最初の笛は、やはりまたアレンジが入っているんじゃないかと思った。大鼓の音が、いつもとやや違って聞こえる。木で木を打つようなカーンという乾いた音ではなくやや湿り気を感じる音だった。
車の音など遠くから聞こえる都市のざわめき以外に、上空をとぶヘリコプターの音という騒音もあった。後半、鼓の二人の声も大きくかなり頑張っていたが、南座できいたときのように心の中に夜の草原が広がってはいかなかった。
二つ目は狂言の「二人大名」。通行人 山本則直、大名甲 山本泰太郎、 大名乙 山本則孝
はじめて観た演目だがおもしろかった。鶏の表現などが上品で興味深い。
最後は観世流能「葵上 古式」。 六条御息所 観世銕之丞
この演目の途中にもヘリコプターが来る。そういうことはともかく、今回も能はよくわからないままに終わった。席が遠いせいかある台詞を誰が言っているのかわからないのも理解を妨げた。
楳茂都流舞踊の会 ― 2007/09/22 21:30
2007年9月22日 国立文楽劇場 午前十一時~午後8時10分 自由席だが13列13番に座った
楳茂都陸平二十三回忌追善
舞踊の会が最後は歌舞伎で終わったような会だった。個人的には愛之助には下手でももっと舞踊そのもので勝負してほしかった。この会をしめくくる「狐忠信再度(にど)の旅」は歌舞伎役者という特性を生かすために選んだのかもしれないが、吉野山と四の切の抜粋のような中途半端な踊り。歌舞伎ファンの目で見ると狐が下手。えびぞりで鼓をとるところやジャンプ、回転などで拍手をもらっていたが舞踊家がそんな運動神経系ばかりで受けてどうする。役者として見た場合、いつもは声の良さでだまされている部分があると気づいた。今回のように動きだけになると、動きはイマイチだとわかる。愛之助は全体のタイプが猿之助に似ていて狐もいつか見てみたかったがファンタジー系は向かないとよくわかった。顔は綺麗だが狐の衣装になってもずっと深刻な人間の顔のままだった。
国立文楽劇場はわかりやすく、迷わずに行けた。「黒髪」の最後のあたりに着いて、「葵の上」から観た。自由席だが、席はけっこう空いていた。上方舞は筋肉はそれなりに使うだろうが動きが激しくないので心肺機能への負担が少ないかもしれない。動きが小さく、衣装も派手でない分、一つ一つの動きそのものに完成度と強さがいるのではないかと思った。玉三郎がやったら綺麗だろう。あるいは、日本人より西洋人の長身で細身の女に合うかもしれない。そんなことを思いながら観ていたが「四季の山姥」の梅加さんはうまかった。
最後の方は他の流派のお師匠さんたちがゲストで踊る。梅川忠兵衛のパロディだという「ねづみの道行」の歌の文句が面白かった。まだらのトラが、とか。
愛之助の前に踊った三人は上方舞の他の流派の家元達。山村若の「都十二月」から、観客が集中して舞台を見ている気配を感じた。若さんは去年の小米朝の会のときの踊りよりきょうの方が良かった。去年は、座敷舞というのはこういう軽いものなのか、と思うだけだった。きょうは、この人は客をひきつける魅力があると思った。
そして、私がきょう最高に感動したのは井上流の「八島」の振り付け。これは踊り手よりも振り付けに感動したのだと思う。直線的で雄雄しい。この踊りは、大柄な西洋の女より小柄な日本人に合うような気がする。以前、新派の芝居で、個性的な振り付けの舞踊家の話を見たが、それが井上流だったかもしれない。
蝉しぐれ 一回目 ― 2007/09/23 15:29
2007年9月23日 大阪松竹座 昼の部 午前十一時開始 3階2列23番
明日、一階前方から観る予定なのできょうは芝居を見るつもりで3階から観劇。日曜のせいか客席は若い人が多く、他のブログに書いてあったおばちゃん達のおしゃべりなど全く聞こえなかった。評判の悪い暗転も、覚悟して行ったせいもありそんなに気にならなかった。回数は少なくても歌舞伎の舞台転換にもっと長いこと待たされることはよくある。
一幕目の15歳の文四郎、かわいいじゃん。きのうの狐もあんな無心な感じでやればよかったのに。なんか苦悩に満ちた狐であった。父に、今まで育ててくれてありがとう、と何故言えなかったかと悔やんでいたが、言わなくてもよかったんだよ。きっと父は幼い文四郎をもらってからたくさんのことを文四郎からもらってたんだし、父はいつまでたっても幼いころの文四郎のまま文四郎を見てるんだろうから、そんな他人行儀なことをパッと口に出さないほうが子供らしいよ。
三幕目の殺陣は悪くはなかった。染模様の殺陣は近くで見たときまだるっこしくて遠くから見たらきれいだったが、今回はどうなんだろ。
愛之助は立居振舞がきれい。さすがに着物での動きに慣れていて折り目正しさが際立つ。しかしもっと大きな動きの面でいうと早い動きのときにバタバタした感じがする。もう少しタメがあったほうが良いのではないか。それと、人の話をきいて驚いたりするときの反応も早すぎる。最後のシーンのように落ち着いた演技のときは良い。
脇を固めている役者連中は、芝居は愛之助よりうまいと思う人が多い。それもあって全体的に良い舞台なのだが、私はこの恋物語自体に泣けなかった。あの年齢の頃のかなわぬ恋、というのは十分せつないのだが、話の展開に素直に共感できなかった。江戸に行く前のすれ違いにしても、既に旅立ったとしても歩いて行ったのなら若い男が走れば十分追いつける速さだったはずだ。最後の別れにしても、時代背景を考えれば別れるほかないのは十分承知なのだが、そのどうしようもなさが伝わってこなくて、まだあの年齢なら十分やりなおせる、これから結婚して子供もつくり金婚式だって迎えられそうではないか、と思ってしまう。結局、男が書いたラブストーリーには私の少女漫画頭がついていけなかったということか。最後のシーンは映画の方がめそめそしてない分よかった。
関西・歌舞伎を愛する会 交流会 ― 2007/09/23 21:22
2007年9月23日午後6時~7時半 ホテルニューオータニ大阪 18階フォーシーズンズ
~片岡仁左衛門さんをお迎えして~
今回の関西遠征は22日と24日の予定が決まっていて間の23日の予定は空白だったので、この会員限定交流会は「ウッソー」と思うほどの僥倖だった。舞台以外の仁左衛門を見るのは二十年以上前の俳優祭以来である。
会場の入り口近くに十月の牡丹灯篭のポスターが貼ってあった。受け付けで名前を言って名札と質問用紙を受け取り、各自好きな席に座る。
最初に挨拶をされた川島さんによると、この交流会は仁左衛門の方から電話でやりましょうと言ったのだそうだ。川島さんが交流会でやるものの予定を話した後、しばらくして仁左衛門があらわれ、挨拶。その後、10人単位でいっしょに記念撮影。この写真は来年7月の松竹座の公演のときにアルバムにして申し込みを受け付ける、と言うのだが・・・・。
記念撮影では隣の席にはなれなかったが斜め後ろに立った。
写真撮影が済むと、また入り口近くに戻って出席者から集めた質問に回答した。スーツ姿ですっくと立ち、右手にマイクを持ち、左手の甲を腰に当てて話す。覚えている質疑応答は以下のようなもの。記憶間違いについてはご容赦いただきたい。
問 この年ではもうやらない、実年齢に近い方が良いと言っていた与兵衛をやってみてどうだったか。 答 大阪では、初演の朝日座でやって以来だった。体力的に全く問題がなかったと言えば嘘になる。
問 7月のような代役をまたやっても良い、と思える役は何か。 答 自分にやれと言われる役で必要があれば何でもやる。
問 桜姫東文章の再演の予定はないか。 答 ない。いろいろ難しい問題がありここでは長くなるので答えられない。
問 関西に住むつもりはないか。 答 (最初にウーーーンと唸って)今の興行形態ではそれは難しい。関西が嫌いというわけではない。
質問の後、各テーブルに何分間かすわって歓談。きくところによると後援会の集まりでも同じようなことをするらしい。
その後、挙手での質問を募った。「次に大阪で公演するのはいつですか」という質問に、まだわからないと答えていた。来年の7月は前の月に新派の記念公演が28日まであるため、松竹座には出ないらしい。
歌舞伎座の建替えについての質問には知事が許可の印を押さない、と言っていた。 建替え前に玉三郎と二人で記念の公演をしないのかと聞かれ、建替えとなれば他の役者さんもいろいろあるだろうし、二人だけの公演ということはないと答えていた。
最後に、みんなで仁左衛門とジャンケンをして、最後に勝った人が牡丹灯篭のポスターの前でツーショットの写真におさまり、ポスターを持ち帰る、という勝ち抜きがあった。
仁左衛門は帰る前の挨拶で、劇場に足を運んでいただくのが一番ありがたい、と言ったが、それに対し「大阪でやってください」という声が飛んでいた。
蝉しぐれ 千秋楽 ― 2007/09/25 01:22
2007年9月24日 大阪松竹座 午前11時開演 1階1列8番
アイドルを主役に据え、周りを達者な役者で固めた芝居のようだと感じた。商業演劇は程度の差はあれ主役は集客力のある人、周りは演技力ある人で固めるのが常道なのだろう。 主役に十分な集客力があるかどうかは疑問だが、共演者たちはうまい。特に長谷川哲夫、近藤洋介、松山政路の3人。長谷川哲夫は私が子供の頃、NHKで若いタクシードライバーが主人公のドラマで主役を演じていた。今月の番付を読んで「ゴーストップ物語」というタイトルを思い出した。45年も前か。いい役者さんなんだなあ。さわやかな顔立ちとスラリとした長身は昔のイメージのままだ。近藤洋介はもっと前、「事件記者」でしょっちゅうキャップに怒鳴られている若い新聞記者を演じていた。一ヶ月の稽古期間をとって役作りして行く演劇分野の人と、様式に沿って3日ほどの稽古期間で芝居を仕上げる歌舞伎役者との違いを感じた。愛之助は台詞や殺陣はうまいが感情表現の表情のパターンが少ない。歌舞伎の世界では、どんな顔をすべきかいろいろ研究するようなことはしないのかもしれない。
舞台の近くから見ても15歳の愛之助はかわいい。それでも、実年齢に近い別の役者が演じた方が私はもっと共感しただろう。全体を通して年中ハアハアいっているような役だったが、長い作品を短くまとめたせいか?
ふく役の相田翔子のほうは、至近距離からみても14歳に見える。こんなかわいい子、江戸藩邸にやったら殿のお手がつくに決まってんじゃん、江戸行きは断固阻止すべきだったのに、ダメな男。逆に、相田は子供を産んだ後打掛姿で現れて以降はお人形的すぎて女の実感がない。これは演出の問題だが、舟から降りるときに差し出された文四郎の手をとるのを躊躇していたが、子供も産んだ女が何をいまさらではないのか。別れのシーンはもっと生の女っぽい女優にやってもらわないと私は全然共感できない。
私としては、男と相対死にする淑江に共感する。子供もいなくて一人なのは気の毒だ。矢田家再興というこもあるのだろうが。当時だったら、若い女をいつまでも一人でおいておくのは勿体無いから、どこかに縁付かせるのではないかと思うのだが。
ふくは、祭りのとき文四郎に買ってもらった紙人形を座敷に残して行った。出家にあたって、文四郎の思い出は持っていかないという意味で置いていったのだろうか。 思い出の紙人形を使うのなら私ならもっと別の話にするけどな。大人になったふくは側室、文四郎は郡奉行としてお互い立場をわきまえ昔のことは忘れたように何年もすごしていたが、ふとしたきっかけでふくが思い出の紙人形を今も大切にしていることがわかる、とか。蝉しぐれではなくなるけど。
赤ん坊の若様の扱いがゾンザイだった。雪の降る中、子供の頭が見えてるのにくるんでいる布で隠したりしないし、加治様のところに行ったときも、加治たちはまず何よりも赤ん坊を受け取って暖かいところに連れて行くべきだろう。
友人の逸平と与之助役の松村雄基と野村晋市はこの芝居の重要人物であると同時にこの芝居の華。いい男でいい人の逸平と秀才で泣き虫の与之助、それに剣の腕が立つ文四郎。友情については文句なしに楽しめた。逸平が祭りのときに通りがかりの女の子達に声をかけていたが昔もあんな風にナンパしたんだろうか。
中村勘太郎・七之助 錦秋特別公演 大阪 ― 2007/09/25 02:48
2007年9月24日 大阪厚生年金会館芸術ホール 午後3時半開始 1階I列37番
「蝉しぐれ」終演後、徒歩で厚生年金に移動。迷うことを怖れて前の日に松竹座前の交番で行き方を聞いておいて正解だった。お巡りさんはしきりに地がを調べて厚生年金の場所を探して教えてくれた。おかげで迷わず時間前に無事に着けた。松竹座とはしごの人は他にもいたようだ。
私が着いたときはパンフレットは完売していた。遠征の荷物を持っていたのでロッカーに預けたが、松竹座は百円なのにここは三百円。百円玉が三つなかったので、「どこか両替してくれるところはないでしょうか」と聞いていたら、会場の係の人が両替してくれた。
今回の席は、座席表を見たときは微妙だと思ったが、実際に座ってみるとすごく良い席。舞台と平行に走っている通路の後ろ、2列目だが段差があるので前の人の頭は全く気にならない。舞台上の役者とほとんど同じ高さに座っている感じで、役者の足も板もしっかり見えた。入間のときとは別の方向から見ることになるのも嬉しかった。
「吉原雀」
七之助が年上の大柄な醜女にまとわりつかれているように見える。
「芸談」
司会の女性は入間のときとは違う人。名前は聞き取れなかった。 スーツ姿の話、子供の頃は陣地で喧嘩した、物で叩くと二倍返しがルールだっという話、ゴルフをして七之助がバーディをとったが風邪で喉をやられて終始無言だったという話などをしていた。客席に、二人の似顔絵つきの団扇を持っている人がいて、その人に目をとめていた。この日はあらしのライブなのに、「よくぞこっちにきてくれた」と七之助が言った。吉原雀についてきかれて、勘太郎は「踊っているうちにどんどん好きになってきた」、七之助は「こういう踊りは最近あまり本興行では出ない。客のニーズが綺麗なものだから。でもこういうものも見てほしい」と言った。 プライベートでは、勘太郎は出不精で休みの日はひたすら家で寝ている。食事もデリバリ。七之助は友達と出かけることが多い。
会場からの質問の1つ目は「充実した毎日を送るために心がけていること」。勘太郎は「舞台に出ることが充実した毎日を送ることにつながる」。七之助も同じような回答。二つ目は「人生最後の食事は何を、誰と食べたいか」。勘太郎は「寿司」「いっしょに食べたいのは・・・ねえ?・・・あなたと?」 七之助は「ラーメン」「今、出会った人みんなと」。
最後に、今回は俄獅子を七之助が、男女道成寺を勘太郎が紹介。七之助は「鳶頭と芸者という江戸の代表のような人たち」と紹介。勘太郎は「道成寺の音楽で踊るのが気持ちよくていつまででも踊っていたい」
「俄獅子」
今回は勘三郎に感じが似ている中村いてうと、浅草歌舞伎で身替座禅の千枝役だった澤村國久。入間のときの二人よりもうまかった。
「男女道成寺」
七之助は前回に比べて余裕が出てきたように見えた。それなので美貌がひきたって、とても美しい男女道成寺だった。
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